商用電源周波数のむかし話です。
その昔(明治時代1880年代)に、
西に「大阪電燈」、東に「東京電燈」が、おったそうな。
『わては、アメリカから50Hzの発電機を買うたで』 と西の「大阪電燈」
『アッシは、ドイツから60Hzの発電機を買いました。』 と東の
「東京電燈」が意地を張った。
結局、
糸魚川静岡構造線(「日本沈没」で有名なところ)に沿って
東側が50Hzに
西側が60Hzとなった。
〇周波数・・・交流電源で一秒間に(+)(-)の繰り返しの回数
〇周波数の境目に周波数変換所があり、
電力の融通をしていますが、容量の制限もあります。
電圧は、当時の電球製造の都合で100Vに収まり、…<余談①>
工場の大容量の電源は、主に自家発電装置の導入が進んでいたので、
日本全体で云々は、時すでに遅しということでした。
当時は、民間主導で進んだため、
政府か介入することなく流れとして、
現在の日本の商用電源の構成が出来上がりました。
☆電灯系統は単相100-200V ・動力系統は3相200V☆
時代は進み、
日本の各電力会社の電力網も全国を繋がるようになりましたが、
電力の融通の一番のネックは、
日本国内で商用電源の周波数が違うことです。
そうしたことで言えば、
世の中の「公共の規格」をどういう形で導入するかは、
「先見の明」を誰がどのように考えるかで決まります。
もっとも、
電気製品としては、
インバーターの普及や国際化に対応する機器設計で
周波数の違いや、電圧の違い(フリー電源機器)の充実で
もはや関係無くなってきました。
後の周波数の違いのネックは、
電力会社の発送電システムと自家用電気の送配電設備の状況
となりつつあります。
<余談ですが>
①1880年代後半、アメリカでは、「テスラ」と「エジソン」の間で
電流戦争(電力送電の黎明期)が起きて、
いろんなシステムとその利権がうごめいていた時代でした。
②「東京電燈」は、その後、戦時体制(満州事変、226事件あたり)
国策の中で解散しています。(別の電力会社へ)
「大阪電燈」は関西地区のほかの電力会社と統廃合して、
現在の関西電力が設立されています。
どちらも戦後(昭和26年)の9電力会社に
創設された流れの大きな礎です。
・・・・ 電管太郎
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