電管太郎

電気の事が大好きです。仕事もちゃんとしています。

50Hzと60Hzに分かれた理由と電気の昔話

2013-03-10 08:56:45 | 電気ネタ

商用電源周波数のむかし話です。 

その昔(明治時代1880年代)に、 

西に「大阪電燈」、東に「東京電燈」が、おったそうな。 

 『わては、アメリカから50Hzの発電機を買うたで』 と西の「大阪電燈」 

 『アッシは、ドイツから60Hzの発電機を買いました。』 と東の

 「東京電燈」が意地を張った。 

結局、 

  糸魚川静岡構造線「日本沈没」で有名なところ)に沿って 

  東側が50Hzに 

  西側が60Hzとなった。 

    〇周波数・・・交流電源で一秒間に(+)(-)の繰り返しの回数 

    〇周波数の境目に周波数変換所があり、 

     電力の融通をしていますが、容量の制限もあります。

     Itoigawa_3

電圧は、当時の電球製造の都合100Vに収まり、…<余談①> 

  工場の大容量の電源は、主に自家発電装置の導入が進んでいたので、 

  日本全体で云々は、時すでに遅しということでした。 

    当時は、民間主導で進んだため、 

    政府か介入することなく流れとして、 

    現在の日本の商用電源の構成が出来上がりました。 

  ☆電灯系統は単相100-200V ・動力系統は3相200V☆ 

時代は進み、

 日本の各電力会社の電力網も全国を繋がるようになりましたが、 

 電力の融通の一番のネックは、

  日本国内で商用電源の周波数が違うことです。 

そうしたことで言えば、 

 世の中の「公共の規格」をどういう形で導入するかは、 

  「先見の明」を誰がどのように考えるかで決まります。 

もっとも、 

  電気製品としては、 

  インバーターの普及や国際化に対応する機器設計 

  周波数の違いや、電圧の違い(フリー電源機器)の充実で 

  もはや関係無くなってきました。 

後の周波数の違いのネックは、 

  電力会社の発送電システム自家用電気の送配電設備の状況 

となりつつあります。 

<余談ですが> 

 ①1880年代後半、アメリカでは、「テスラ」「エジソン」の間で 

  電流戦争(電力送電の黎明期)が起きて、 

  いろんなシステムとその利権がうごめいていた時代でした。 

 ②「東京電燈」は、その後、戦時体制(満州事変、226事件あたり) 

  国策の中で解散しています。(別の電力会社へ) 

  「大阪電燈」は関西地区のほかの電力会社と統廃合して、 

  現在の関西電力が設立されています。 

  どちらも戦後(昭和26年)の9電力会社に

    創設された流れの大きな礎です。 

                         ・・・・ 電管太郎


最新の画像もっと見る

コメントを投稿