岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

我が家の盆棚。

2006-08-14 16:49:11 | 季節感
最近、「盆棚」についての会話を個人的に楽しんでいる。

ボンダナ、まるで知らない人が音だけで聞いたら、バンダナか何かと間違えられそうである。
我々の地域、特に宇和盆地では、お盆の行事にコレは欠かせない。多分、いわゆる精霊棚(しょうりょうだな)の一種なのだろうが、こうしたやり方が、果たしてどの位のエリアで広がっているのか、岡目八目はまだ知らない。
松山や東予あたりではあまり聞かないから、これはやはり南予独特の行事なんだろうか。それでは、宇和島藩、大洲藩領域か。

いや、それも定かではない。大体こうした行事ごとは、自分の家の流儀が本来だと、誰もが疑うことなく思っているフシがあって、ある時に違う流儀を見たり、たまたま聞いたりした時のみ、気が付く世界でもある。
我が家のものも、父の代からそうしてあったので、ただただソレと同じようなやり方を、父が他界して後継承しているに過ぎない。事実、ある時近くの親類の家に用事があり、その家の盆棚を見る機会があって、初めて違うタイプがあることを知った。別に大したことではないのだが、手前の笹竹と盆花(赤萩)のアーチ部分は、その家では鳥居のようなタテとヨコの構えであった。思えば、上部の注連縄もその方が張りやすい。
父がそうしていたから、何も思わなかったが、家によってはその家の流儀が色々とありそうである。
丁度やってきた帰省中の同級生(近くの集落)に聞くと、その家では、注連縄は上方ではなく、台の所に回すようにしているとか。

いずれにしても、昨日の夕方、家の前で迎え火をたき、その火を蝋燭に移して、ご先祖様と一緒に家に入り、この盆棚にお迎えする。この棚には、従って、先祖の戒名を書いた繰り札(くりふだ)を並べてお盆の三日間は、お料具をお供えし、ご先祖を祀る。

今朝は、毎年の恒例であるが、檀家寺の和尚が各家を回ってくるのを待ち受けて、読経をしてもらい、帰りにお布施をお渡しする。そして明日の夕方、送り火をして、祖先の霊が墓へと戻ってゆく。
その後、三日間使用した盆棚を片付けて、こうした一連のお盆行事が終わる。それがこの辺りのならいであり、その家の長男(家長)の仕事でもある。いや待て、お料具は連れ合いの仕事である。

四国カルストの牛

2006-08-14 16:18:34 | Weblog
カルスト地形の特徴である羊群岩の白い石に囲まれて、放牧の牛たちが寝そべっている。
標高千メートルを越える高原の牛たち、余裕の構えに見受けられる。

それにしても、いつも思うのは、この石灰岩の白い岩の層が、羅漢穴(野村町惣川の鍾乳洞)、トゥファ(城川町で発見された石灰状の河川形態)、宇和町明間(あかんま)の観音水、そして明浜町の石灰窯や狩江の白い段々畑などにつながること。西予市は石灰岩の層の上に立地している、と言っても過言ではない。
もっと言えば、明浜から宇和海をくぐり、九州で顔を出すのが津久見。まさに津久見はセメントの町、石灰岩層の上にある町である。

風車。

2006-08-14 16:07:50 | Weblog
この風車は、五段高原に立つ二基のうちの一基。
何故か撮影時は止まっていた。
風車もお盆休みか。

風車の列。

2006-08-14 15:58:36 | まちづくり
天狗高原の展望台から東方向を望むと、ご覧のような風車の列。
あれはどこだろう。十数本が乱立している。

これよりも手前、久万高原町(旧柳谷村)五段高原にも、「姫鶴(めずる)荘」の近くに二基の風車が立っている。
クリーンエネルギーの好印象で、最近ヤタラと目立ち始めた風車だが、こうした山の稜線にニョキニョキと立つ人工物の景観が、決してイイとは思わない。
近くでは、佐田岬半島メロディライン沿いの風車群が有名だが、こちらも世界的渡りのルートに林立している。
鳥たちに相談も無く立てられているのは間違いが無かろうから、原子力と違って、クリーンだからというだけでのこうした出現には、いささか閉口している。
人間ほど、この地球をいじり倒す生き物も珍しい。どうも、何事によらずそうっとしておく、という感性に欠けるようだ。オモチャを子どもに与えると、壊れるまでいじるのだが、今や地球規模でそうした状態になっていはしないかと、こうした風景を見るたびに気持ちが晴れないでいる。

朝の天狗高原。

2006-08-14 15:40:09 | 季節感
朝早く目が覚めて、近くの展望台に上った。

丁度朝日が差し込み、高原の冷気の中で、夏の一日がスタートする。
泊まっていた天狗荘にも陽が当たり始めた。

M大VW(ワンダーフォーゲル)部

2006-08-14 15:18:10 | ノスタルジー
いやはや驚いた。
あれから30年、こういう機会が訪れようとは。
この写真は、現在の現役学生たちが、10名ほどのOBを迎えてくれている光景。

この天狗高原の、この場所で、まさに今から30年前に、私はBC(ベースキャンプ)係りを命ぜられ、仲間と一緒に、各パーティを迎えるための設営準備に追われていた。
当時は、部員も50名は越えていたように思うが、石鎚や剣など四国の山々を、女子班も入れて6パーティが、このBCで集合する計画になっていた。

実を言うと、体育会系のこういう運動部は、イマドキの学生たちからは敬遠されて、とっくに青息吐息の状況になってるものとばっかり思っていた。山登りなどという、どちらかというとダサイと思われがちな倶楽部に、現代の学生たちがそれ程興味を持っているとは思わなかったからだ。
でもこうして夏合宿スタイルが存続し、陣容はかなり少なくなったようだが、それでも昔のままのユニフォームで部旗を持って迎えられると、見事に当時の情景が甦った。
他のOBの方にお聞きすると、やはりと言うべきか、WV部活動の紆余曲折も存続が危ぶまれた時など色々とあって、最近やっと復活しつつあるんだそうだ。特に昔と違って、女性がこうした倶楽部活動は敬遠するのではないか、とこちらは勝手に先入観を持っていたが、意外に女子学生も何人か交じっていて心強い限り。

夜の空いた時間に、岡目八目が持参していた当時の写真アルバムを、現役の四年生部員に見せると、キスリング(横幅の広い布製のザック)や白黒写真に驚いていた。今の部員はアタックザックになっていて、体に合った縦長のタイプ。
で、聞いてみた。「カニ族って分かるか?」・・、ハハ、案の定もう既に死語となっていた。キスリングの形からそう呼ばれていたことなどレクチャー。
他にも、布製であれほど重かったテント(雨天などは重さが倍増)は、軽くて丈夫、カラフルなナイロン製だし、今頃は牧で飯盒炊さんをすることもめったに無いそうだ。もっぱらホエブス(携帯ガスコンロ)での食事準備。時の流れは容赦なく、カルチャーショックに類することも多々あったが、それでも久々に学生時代に戻り、得がたい一時を過ごすことが出来た。

30年振りの一つ上のS先輩にも、予想通りの変わらぬフィーリングを感じ、決して短くはない時の流れが一瞬に埋まってしまった。
第一、この人が山の頂上でキスリングに座り、うまそうにくゆらす煙草の煙に魅せられて、初めての煙草を吸った私である。それ以来、学生時代のハイライトは、山行の際の私の必需品となった。その煙草も今はもう全く吸わなくなって久しいが、当の先輩は、今もヘビースモーカーであるらしい。ともかく、面倒をよく見てもらった先輩だった。


天狗高原

2006-08-14 14:05:40 | 季節感
久々に、天狗高原まで遠出しました。

日本三大カルストの特異な地形が見られる、この愛媛・高知両県境の稜線コースは、標高が千メートルを越える涼しさもあって、夏は大勢の観光客でにぎわう。

ただ、今回岡目八目が出かけたのはワケアリで、何と30年振りに大学の先輩に会う為だった。
かつて、M大学VW(ワンダーフォーゲル)部に所属していたのだが、今年は天狗高原で夏合宿をするとのこと。OBであるS先輩も来られるとのことで、お誘いを受け、一も二もなく出かけることに。