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岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

⑯石垣の表情。

2007-05-02 23:19:56 | 土木遺産


そのすぐ近くの石垣は、こうした割り石の“乱積み”タイプとなっていて、これはこれで素晴らしく美しい。
問題は、こういうアトランダムに積む技術が、高くなればなるほど再現不可能なものになっているということ。

⑮丸石の石垣。

2007-05-02 23:14:37 | 土木遺産


地蔵庵の裏手に回ると墓地があり、そこに丸い石を使った石垣があった。
これは海岸部に時おり見られる石を使用した石積みで、愛南町の海沿いで時々見られる。
愛南町の入り口に当たる須ノ川公園の石浜にはこの石がゴロゴロしているし、こうして積むと独特な風趣が生まれる。

③棚田の復活。

2007-05-02 13:40:08 | 土木遺産


ここ愛南町山出地区(旧城辺町)では、現在棚田の復活が始まっている。

一度休耕田になってしまった田を掘り起こして元の田に戻すには、相当な手間がかかるらしい。第一にもぐらが大穴を作っていることが多く、肝心の水が堪らないとのこと。それでも、一枚一枚を丹念に手を入れて、元の風景に戻している。

①田植え後の愛南の棚田。

2007-05-02 12:27:56 | 土木遺産


この棚田は、先月の23日に訪れた愛南町山出(やまいだし)地区の光景。
合併後の行政単位としては、愛媛県の最南端に当たる愛南町では、四月中に田植えを終えてお盆の頃には収穫をする。真夏の稲刈り地帯。

ここにも。

2007-03-23 02:21:51 | 土木遺産


目が慣れてくると、相当数の弾痕がアチコチで見つかる。
右岸側だとの親柱、上流側の鉄骨、開閉部の下流側、左岸側だと上流側の鉄骨。
目安はそんなところ。
(因みに右岸左岸は、川の流れる方向、つまり下流に向いて右左。)

戦時遺産としての赤橋。

2007-03-19 23:20:45 | 土木遺産


殆ど知られていない赤橋のもう一つの姿、戦時遺産。

この穴は、戦時中に米軍機の銃撃によって空けられた弾痕である。
長浜は、当時度々こうして空襲を受けている。
高知沖土佐湾の洋上にいる航空母艦から飛び立った攻撃機が呉や広島、松山などを空襲した帰りに長浜上空を通り、その際の機銃掃射だと言われる。
この赤橋にはそうした穴がアチコチに空いていて、その時のすさまじさをリアルに伝えている。

ただ、バスキュール式開閉橋、あるいは国登録有形文化財の説明は、案内看板やパンフレットに書かれているが、こうした地域にとってとても大切な歴史の記憶が、あまりにも説明されていない。
そのことをいつも残念に思っている。

動態保存の勇姿。

2007-03-19 23:05:30 | 土木遺産


赤橋の開閉は、現在はこの角度が最高。
昔は垂直に開閉していたが、戻らなくなる恐れがあり、無理をしないのだそうな。それでもかなり頑張って上げてくれた。

何故こうした割高な橋の計画が当時されたかというと、木材三大積出港として一世を風靡していた長浜は、この上流部に江湖港があり、製材所も数ヶ所あったことによる。船の行き来が今では想像も出来ないくらい頻繁にあったことが最大理由。ともかく、母なる川肱川は、上流から木材や木炭を中心に多量の物資が運ばれて、長浜を豊かにしていた時代だった。
(三大積出港の他の二つは、秋田の能代と和歌山の新宮)