明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

戦時中、「教会が犯した罪」

2013年07月16日 19時25分16秒 | キリスト教
歴史は繰り返す。
自民党 改正憲法により、「信仰の自由」が奪われる危険が目の前に迫っている。
表現が違うけど、今度の改正憲法は、戦前と中身は一緒。

旧:帝国憲法 二十八条      自民党 改正憲法 二十条
「安寧秩序を妨げない限り、」 ⇔ 「社会的儀礼または習俗的行為の範囲を超えないもの」

戦時中、秩序を妨げるとして、キリスト教だけでなく、仏教をはじめ、神道以外の宗教は取締の対象となった。
そして、国民の義務として、現人神である天皇を礼拝するよう神社参拝が強制され、残念ながら、たくさんのクリスチャンが強制や誘惑に負け、偶像崇拝の罪を犯した。
神社参拝は、十戒の第一戒違反、キリストが最も嫌う偶像崇拝の罪であるのに。
抵抗した人々は投獄され、獄死した牧師もいた。


戦後、戦時中のキリストを裏切った偶像礼拝の罪を懺悔告白し、赦しを得て、新たな気持ちで伝道に励んだ教会は数少なかった。多くの教会が懺悔しないまま、自分の犯した偶像崇拝の罪を悔い改めないで、人々に唯一の神、イエス・キリストを信じなさいと戦後伝道を始めた。

これが事実です。教団教派の悔い改めの宣言が出始めたのは、戦後20年、30年を過ぎてからだった。

戦時中の教会の歴史を勉強すれば、唯一の神、イエス・キリストを信じますと告白している教会が、どんな状況下で偶像崇拝の罪を犯していったのかよく分かる。
しかも、罪を犯した教会は、偶像崇拝の強制に負けただけではなく、偶像崇拝に抵抗しているクリスチャンに対して、言論で迫害の後押しもした。

例:美濃ミッション事件 参照、
教団代表者富田統理による韓国教会への神社参拝の勧め


歴史の教訓をきちんと学べば、自民党の憲法改正案が、クリスチャンにとって、どんなに危険なのかよく分かります。戦時中と同じことをしようとしている。

自由に信仰でき、自由に伝道できる今の憲法を改正することに絶対反対です。
 
戦時中の教会の歴史を詳しく知りたい人のリンク先 ↓

美濃ミッション ホームページ ⇒ 美濃ミッション事件

リンク先 美濃ミッション事件

勝田台教会 「唯一の主イエス・キリストを信じる③」

リンク先 「唯一の主イエス・キリストを信じる③」

Twitterからの情報

2013年07月14日 18時38分30秒 | 政治
Twitterからの情報です。
マジかよ!?マフィアの恫喝まがいだよ!

福島駅前で行われた首相街頭演説で、女性が「廃炉に賛成?反対?」のプラカードを警察と自民党スタッフと名乗る人に取り上げられた件。詳細はこちら

東京新聞に詳しくいきさつが載っていた。
女性は恐怖で泣き出してその場を去った、と。
その後、プラカードは警察にも教えていなかった女性の勤務先宛てに、郵送で返却されてきた、と。

この女性、職場で精神的に追い詰められていないか心配です。。。


表現の自由侵害行為

2013年07月12日 16時49分59秒 | 政治


*2013/07/09 「原発賛成?反対?」プラカードを持った市民は「犯罪者」なのか 〜表現の自由侵害行為についての記者会見

リンク先はここをクリック

「原発賛成?反対?」プラカードを持った市民は「犯罪者」なのか 〜表現の自由侵害行為についての記者会見が行なわれた。

参院選公示日である7月4日、福島駅前で行われた安倍総理の第一声となる演説会に、「総理、質問です。原発廃炉に賛成?反対?」と書いた自作のプラカードを持って参加した、40歳女性のプラカードが、自民党・亀岡偉民衆議院議員秘書・尾形と名乗る男性と、3名の警察官と思われる男性によって没収された。~

*7月5日 その日の様子(YouTubeの動画)

動画の閲覧はここをクリック

首相に対する質問のプラカードを持っただけで、個人情報を聞き出されるのだから、自民党憲法草案のように改憲したら、「公益及び公の秩序を害した」という理由で、プラカードを持ったこの人は逮捕されるかもしれない。

今は表現の自由侵害行為について社会問題になっているけど、改憲したらこのことは合憲になり、社会問題にすらできなくなる。

また、FacebookやTwitterなどで政府批判をしたり、反原発デモなどに参加するたびに、逮捕される社会になってしまうのは絶対に嫌だ。

政府批判どころか、質問のプラカードを持ったこの人のように、首相や政府に対して政策の賛否を質問することもできなくなる。。

リンク先 日本は軍事政権が支配する国になる より引用】

自民党憲法草案では、21条の「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する」という現行規定の後に、「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」という項目を加えている。

戦後日本の一番素晴らしかったことは、表現の自由があったということだ。私のように政府批判を繰り返していても、出版が差し止められたり、逮捕されたり、拷問を受けたりすることは一切なかった。

しかし、自民党憲法草案によれば、表現の自由が認められるのは、「公益及び公の秩序」を守る場合だけになる。

それでは、公の秩序とは何か。秩序というのは自然に存在するものではない。人為的に作られるものだ。秩序を作るのは権力だ。

つまり、公の秩序を乱さない表現の自由というのは、権力を批判しないという条件付きでの表現の自由ということになるのだ。


それと、自民党改憲案について、漫画でわかりやすく解説しているサイトを見つけたので、シェアします。

リンク先 ちゃんと知らなきゃ大変だっ!!

「LIFE×LIVE」−筋ジストロフィーと共に生きる−

2013年07月05日 22時53分29秒 | 子どもホスピス
4日は、福岡子どもホスピスプロジェクトの主催で、「LIFE×LIVE」−筋ジストロフィーと共に生きる− がありました。
僕は、幼少期のことや受験期の5度の入院、余命宣告、筋ジスと余命との葛藤、筋ジスと余命を受容してどう生きるか、出会いの大切さ、医療者に願うこと、などをお話しました。

とても緊張したけど、ありのままの自分で思いを伝えられたので、充実した時間になりました。
みんな真剣に聴いて下さったので、嬉しかったですね♪

そしてYouTubeに講演の動画をアップしたので、よろしければ閲覧してくださると嬉しいです。
動画は下のURLをクリックしたら閲覧できます。

http://youtu.be/K9P5AXm_SNg

ただ僕の声が聴き取りづらいので、音量を大きめにしたほうが良いです。。





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朝日新聞 福岡版に僕の記事が掲載されました

2013年07月02日 22時35分50秒 | エッセイ
今日の朝刊の朝日新聞 福岡版に、僕の記事が掲載されました。
明日、九大で行われる「LIFE×LIVE-筋ジストロフィーと共に生きる-」に関連した記事です。
記者の山下さん、濱田先生、ありがとうございます!



それと、プロフィールの以下の箇所を更新しました。

リンク先 保田広輝のプロフィール

【信条にしていること】

*聖書とキリスト教信仰。
自分らしさの根幹にあるもの。
これがなければ今の僕はいない。
どんなことが起ころうとも、神様は信仰を守り続けてくださると信じている。

*見栄を張らず、自分の弱さや悲しみも出していきたいと思う。
大切なのは弱さ故の向上心だから。

聖書に「『しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。』と言われたのです。
ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」
という言葉がある。

弱さは神様や隣人の力が働くために必要なものなんだよね。

*僕はこの難病で生まれて来たからこそ、今の自分の性格や人生になれたし、今まで築き上げて来た人間関係がある。
ひとりの命は自分に関わっている人たちの人生に何かしらの影響を与えている。
もし僕がこの難病になって生まれて来なかったら、今まで自分に関わってくれた人たちの性格や人生が何かしら変わってしまうと思うんです。
隣人との関係から考えたら、僕にとって難病は賜物なのです。


どれほど困難な人生でも、意味を見出だすことが出来れば、希望を持つことが出来ると信じている。
希望があるからこそ明日を夢見て生きていけるんだよね。

でも、意味を発見するためには、状況そのものが問いかけてくる声に、耳を傾けることが大切だと思う。
状況そのものが主人公であって、人はその主人公が語りかける声に、じっと耳を傾ける。
そうすると、そこを生き抜くための意味が見えてくるんだよね。

聖書に「軛を負わされたなら、黙して、独り座っているがよい」という言葉がある。

辛い思いを抱え込むようなとき、あえてその辛さの中に黙って身を置き、軛そのものが語る声を聞けと勧めているんだ。
もし辛い思いを持つなら、そのときこそ、新しい意味がそこにあることを発見する機会があるのだ
と思うよ。

不自由であることと不幸なことはイコールじゃない。
病気の自分は不幸だと思うことから自由になることで、幸せを目指していけるんだよね。
だって、心に形はなく、心の在り方次第で自由自在に姿を変えることができるから。

人はいつでも生まれ変わることができると信じている。

幸せとは、今得ているもの、今していることを、好きになることから生まれる。
言い換えれば、今得ているもの、今していることを、好きになることで、幸せを感じられる心を手に入れることができるんだ。
僕は難病の自分を受け入れて好きになることで、幸せを感じられるようになりました。


悲しみ・寂しさ・苦しみ・困難・涙・笑顔・幸せ・喜び・夢・希望・愛などは、人生の中で味わうものだけど、それぞれ違う色を持っている。
こうした違う色のものが重なり合うからこそ、人生の輝きという虹ができる
んだよね。
だから、人生の全てのものがつながっているのであり、無駄なものは一つもないのだと思うよ。
僕は神様が全てのことを働かせて益としてくださると信じている。

*僕は生まれつきの病気なので、身体の痛みで苦しくなるときがよくある。
昔は痛いことが嫌いだった。
でも今は違う。
なぜなら痛みは痛みのままで終わらないことを知ったから。

身体と心で痛みを感じることで、他人の痛みも少しは見えるようになり、少しずつ愛や優しさを学んでいくんだよね。
痛みとは愛を創り上げていくものなんだ
と思う。

そして、周りに愛をプレゼントしていくことが自分のためになる。
自分のことだけ考えていたら辛くなる。
でも、他人の重荷を背負うことで、自分の重荷が軽くなるんだよね。

また、僕は病気の痛みで苦しんでいると、いつも寂しさや孤独感を感じる。
でも、心に佇んでいる寂しさや孤独感も確かな愛の姿なんだよね。

「漫画 フルーツバスケット」の『そっと扉を開ける人間。そんな人間を求めずにはいられないから。
孤独は恐いと知ってる人間は、人間を愛さずにはいられないから』
という言葉のように、寂しさや孤独感を感じるからこそ、愛を育んでいけるのだと思うよ。
いつまでも残るものは愛なんだ。

*努力していても、理想とは程遠い自分にショックを受けることがある。
人間は弱いから、周期的にネガティブになってしまう。
でも、その度に立ち上がっていけばいいんだよね。

人生は浮き沈みの繰り返しで、押し寄せては引いていくのだと思う。
だから、ネガティブな感情も肯定していくことが大事なんだ。
人間には欠けがあるのだから。

ネガティブな感情も自分のなかに生命がまだ残っている証拠だから、理想の自分を目指していくときにできる影を見る勇気があれば大丈夫なんだよね。
その勇気があれば、また立ち上がることができる。


たとえ落ち込んでも、理想や希望を信じていれば、それは失望ではない。
理想や希望は消えかかりながら灯火のように輝く
のだと思うよ。

*「漫画 フルーツバスケット」の『だけどボクは思うんだ。ボクはちゃんと思い出を背負って生きていきたいって。
たとえばそれが悲しい思い出でも、ボクを痛めつけるだけの思い出でも、いっそ忘れたいって願いたくなる思い出でも、ちゃんと背負って逃げないでがんばれば いつかそんな思い出に負けないボクになれるって信じているから。信じて…いたいから。
忘れていい思い出なんて ひとつも無いって思いたいから。』
という言葉がある。

今は苦しくても、生きていれば今が思い出になる。
そして、生きていれば、苦しい思い出に負けない自分になれる
はずだ。
それを積み重ねていけば、死を迎えたときに人生全ての出来事は無駄じゃなかったと言えると思うよ。

人間は、性別・顔かたち・身長・体重・趣味・得意なこと・苦手なこと・考えていること・感じていること・病気や障がいの有無・性格・民族などが皆違い、それによって豊かな人間関係を作っている。

ひとりひとりが補い合い、助け合い、受け入れ合うことで、お互いを豊かにしていくのだと思う。
どのような人間もひとりで生きていくことはできないんだよね。

聖書に「一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。」という言葉がある。
だからこそ、補い合い、助け合い、受け入れ合い、愛し合っていくことが大切なんだ。