久しぶりに教会の説教の話を書こうかなと思います。
出来ればこれからは毎週書いていきたいですね。
キリスト教を知らない方には馴染みのない話かと思いますが、興味があったら見て頂けると嬉しいです。
説教題「神の願いに生きる」
聖書箇所「ルカによる福音書13章31節~35節」
「エルサレムのために嘆く」
ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。
「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。」
イエスは言われた。
「行って、あの狐に、『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝えなさい。
だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。
預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。
エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。
だが、お前たちは応じようとしなかった。
見よ、お前たちの家は見捨てられる。
言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決してわたしを見ることがない。」
~感想~
エルサレムという都は始まりは愛する神様の子供が集まり、神様と過ごし、霊的な家族として暮らし、家族の絆が消えない神の都でした。
しかしエルサレムの人々は偶像という異教の神を信じ、自分の快楽の為に生き、次第に神様から離れて堕落していきました。
そして人々を悔い改めさせる為に遣わされた預言者を受け入れず、自らの手で石で打ち殺し、神という親に反抗し続けた。
だから神様はお怒りになって、アッシリアや新バビロニアといった国にエルサレムを占領させました。
このようにエルサレムの人々は本当に弱い人間だった。
弱い雛のような存在だからこそ、親鳥の羽の下でしか安心して暮らせないのに、人々は反抗しました。
イエス様は神の平和を求めない都だと子供を愛する親の気持ちになって悲しまれました。
しかしイエス様はこのような僕たち人間を救う為にこの世界に来られました。
僕たちの罪の身代わりとして、十字架につき、死んで下さいました。
そして3日目に復活して、人間の最大の罪の証である死に打ち勝ったんです。
ここに救いがあります。
神の愛を感じ、罪を悔い改めて、信じる人は救われます。
イエス様を祝福する人は救われます。
しかしイエス様を見ようとしない人は救われません。
なかなか目に見えないものを信じることは難しいですが、本当に大切なものは目には見えないんです。
死ぬ前の人生と死んだ後の人生はどちらが長いか?
それは明らかですよね。
この世界は仮住まいです。
僕たちの国籍はこの世界にはなく、天国にあるんです。
だから天国に行けるように準備をしていくことが必要なんです。
死は津波のように気が付いたらすぐやってきます。
時間は無限ではなくて、有限ですよね。
しかし恐れることはないとイエス様は言って下さいます。
イエス様を信じ続ければ何も心配はいりません。
僕は信じるだけで救われるなんて、なんとイエス様は優しい方なんだ思います。
死は終わりではありません。
天国への入り口です。
だから死は絶望ではなく、喜びだと思います。
最近、僕は死ぬことに対して恐怖感を抱いてました。
それは神様を心の底から信じてなかったからだと思います。
神様、ごめんなさい。
でも今日の説教を聞いて、心が喜びで満たされました。
僕のような人間でも神様は救って下さるんです。
本当にありがとうございます。
神様がいなかったら僕は心まで病んでいただろうなぁ。
本当に神様がいてくれて良かった。
出来ればこれからは毎週書いていきたいですね。
キリスト教を知らない方には馴染みのない話かと思いますが、興味があったら見て頂けると嬉しいです。
説教題「神の願いに生きる」
聖書箇所「ルカによる福音書13章31節~35節」
「エルサレムのために嘆く」
ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。
「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。」
イエスは言われた。
「行って、あの狐に、『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝えなさい。
だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。
預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。
エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。
だが、お前たちは応じようとしなかった。
見よ、お前たちの家は見捨てられる。
言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決してわたしを見ることがない。」
~感想~
エルサレムという都は始まりは愛する神様の子供が集まり、神様と過ごし、霊的な家族として暮らし、家族の絆が消えない神の都でした。
しかしエルサレムの人々は偶像という異教の神を信じ、自分の快楽の為に生き、次第に神様から離れて堕落していきました。
そして人々を悔い改めさせる為に遣わされた預言者を受け入れず、自らの手で石で打ち殺し、神という親に反抗し続けた。
だから神様はお怒りになって、アッシリアや新バビロニアといった国にエルサレムを占領させました。
このようにエルサレムの人々は本当に弱い人間だった。
弱い雛のような存在だからこそ、親鳥の羽の下でしか安心して暮らせないのに、人々は反抗しました。
イエス様は神の平和を求めない都だと子供を愛する親の気持ちになって悲しまれました。
しかしイエス様はこのような僕たち人間を救う為にこの世界に来られました。
僕たちの罪の身代わりとして、十字架につき、死んで下さいました。
そして3日目に復活して、人間の最大の罪の証である死に打ち勝ったんです。
ここに救いがあります。
神の愛を感じ、罪を悔い改めて、信じる人は救われます。
イエス様を祝福する人は救われます。
しかしイエス様を見ようとしない人は救われません。
なかなか目に見えないものを信じることは難しいですが、本当に大切なものは目には見えないんです。
死ぬ前の人生と死んだ後の人生はどちらが長いか?
それは明らかですよね。
この世界は仮住まいです。
僕たちの国籍はこの世界にはなく、天国にあるんです。
だから天国に行けるように準備をしていくことが必要なんです。
死は津波のように気が付いたらすぐやってきます。
時間は無限ではなくて、有限ですよね。
しかし恐れることはないとイエス様は言って下さいます。
イエス様を信じ続ければ何も心配はいりません。
僕は信じるだけで救われるなんて、なんとイエス様は優しい方なんだ思います。
死は終わりではありません。
天国への入り口です。
だから死は絶望ではなく、喜びだと思います。
最近、僕は死ぬことに対して恐怖感を抱いてました。
それは神様を心の底から信じてなかったからだと思います。
神様、ごめんなさい。
でも今日の説教を聞いて、心が喜びで満たされました。
僕のような人間でも神様は救って下さるんです。
本当にありがとうございます。
神様がいなかったら僕は心まで病んでいただろうなぁ。
本当に神様がいてくれて良かった。
たまたまブログ読ませていただきましたが、神様への素朴な気持ちがとても良かったです。
私も今一度、聖書を学んでみたいと思いました。
これからも頑張ってくださいね。
コメントありがとうございます♪
素直な気持ちで書けたので良かったです^^。
「小説聖書」や「マンガ聖書」といった分かりやすい本もあるので、興味がありましたら読んでみて下さい☆
でも死は誰にでも等しく訪れるものですし、懸命に生きて、最後は笑顔で天国に行けたら良いなと思うので、個人的には恐怖から喜びに変えられたら良いですね。