明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

苦難も祝福

2010年08月30日 18時52分20秒 | キリスト教
あることを思った。

新約聖書は苦難の時代。
キリストの弟子であるクリスチャンは、キリストのように十字架を背負いながら、苦難の中を生きていくことが定められている。

苦難があるからこそ、自分がいかに弱い人間なのか実感できるし、神様にゆだねられる。
そうして周りの弱い人間も受け入れられるようになり、愛を知っていくことができるんだ。

だから人生の全てで考えると、苦難も祝福に変わるのかな。
神様はいつもそばにいるから、苦難があっても安心して生きていけると思った。

正直、去年の3月から今年の3月までは常に頭痛、腹痛、嘔吐、呼吸不全で、入院6回して、受験という大事な時期だったのに、ものすごく苦しかったから、神様に対して不満を感じた。
でも今から振り返れば、1年たってから良いドクターに出会えて、気管切開せずにNPPVの人工呼吸器を与えられたし、神様はちゃんと考えてくれているんだなと実感したんだよね。

といいつつ苦しいときは、神様に対しても支えてくれる人に対しても反発したり、素直になれないけれど。。
だから平安なとき以外も神様に従えるようになりたい。素直になりたい。
いつの日か苦難は祝福なのだと心の底から感じられるように。

2 コメント

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艱難辛苦 ()
2011-07-18 00:59:20
人の苦しみを見て、自分は恵まれてると思うのって どうなんだろうと思ってましたが、共感や、自分の悩み苦しみが、人の忍耐に繋がったら 嬉しいと思いました。
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恵さんへ (広輝)
2011-07-19 13:03:09
僕も人の苦しみを見て、自分は恵まれていると感じるのはあまり好きではないです。

でも『コリントの信徒への手紙第一 1章3~7節』の御言葉のように、自分が苦しみの中で神様の慰めを感じ、神様から信仰・希望・愛をいただいていくことで、自分に関わってくれている人を慰めることができるんですよね。

自分の幸せだけでなく、自分に関わってくれている人の幸せを考えていきたいなぁ。
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