今日は終戦記念日。
色々と思いを巡らしている。
やっぱり僕は戦争に反対だと強く感じている。
そして、自分の人生と結び付けない限り、戦争に反対する気持ちは決して生まれないと思う。
だから、無関心になりたくない。戦争を正当化する世に倣いたくない。
僕がずっと胸に刻んでいるアルゼンチンの反戦歌と加藤周一さんの言葉の一部を載せます。
僕も戦争をなくすことができなくても、とめることができなくても、やっぱり反対です。。
戦争は必ず人を殺すし、善良な人々をも悪魔にするから。
戦争を抑止するために、戦争が起きても冷静にするブレーキをかけるために、個人ひとりひとりの戦争反対が必要だ。
憲法九条は時代遅れじゃない。目指し続ける普遍的なものだよ。
♪BGM♪
ただ神に祈ることは(Solo le pido a Dios) / レオン・ヒエコ(León Gieco)
【ETV特集 加藤周一】
戦争から学ばねばならないことのひとつに、法律の時限爆弾という正体。もし世論が退いたら、権力は容赦なく時限爆弾、すなわち本来効力を発揮しなかった幾つかの悪法は狂ったように動き出す。大切なのは、油断なき世論の力だ。
民主主義に大切なのは、J・S・ミルが「自由論」で書いているように、少数意見の尊重である。しかるに日本は全会一致こそ民主主義だと思い込んでいる。戦争反対の声を徹底的につぶしてしまった権力は敗戦の決断にどれほど手間取ったか。その被害はどんなに大きかったか。翼賛体制は惰性がついてしまい、すぐに方向転換が出来ないことを思い知るべきだ。
ドイツ統一とEU統一、この前後の時期関係を誤ると、民族問題は複雑化していく。ハウスブルク文化の共通性を大切にしないといけないし、一方目下ここに排他的ナショナリズムが次第に強くなりつつある原因もある。今時代は米欧の一極化傾向が進行している。日本の外交は米国の支配体制そのものに如何に順応するかという視点のみで外交が検討されている。体制に従うまえに体制そのものを批判しようとはしていない。人権と国連憲章の精神を大切にするとの言葉の裏には、あくまでもアメリカ支配体制に如何に追従していくかという姿勢だけが目につく。ここには真剣な未来を見定めた識見は何も見えない。
「南京大虐殺」は誰が殺ったか。今は穏やかな顔をして車中の隣人となっている父親達であり、良人達であった。善良な人間が追い込まれて、本性は悪魔ではないが、結果として悪魔になって、罪もない中国人の母親や子供達を虐殺した。
戦争は人間を破壊する。私は戦争を憎む。自分の戦争への怒りは終生忘れない。自分は怒っている。人間は食欲、性欲のみならず、本能的に環境を知ろうとする本能を持つ。しかし、戦争は人間のこの本能を破壊する。戦後、戦争への怒りは爆発した。友人を殺された怒りは絶対に忘れない。
戦中差し障りのない議論を重ねていた戦争協力の御用学者、御用文学者達は「西洋の没落」に対して、「近代の超克」なる議論をやった。しかし日本は経済史的に見れば近代以前であり、議会制民主主義ではなく、天皇制官僚国家であった。憲法には人権が書かれていないばかりか、国民は臣民と称せられ近代以前の状態に置かれていた。戦中、植民地解放は、先ず自分の国の台湾、朝鮮を解放しインドネシア、中国を解放しようとするなら判るが、それを隠して何が近代の超克か。
フランスに留学して、レジスタンスの歴史に強く感動した。ヨーロッパでは、個人の意志が基礎となって、連帯、集団が成立する。日本では集団の圧力で個人が圧殺されて、個人が無い状態で集団として群がっている。集団の意味が日本とヨーロッパでは全然違う。帰国後日本の雑種文化を取り上げ、評論活動を重ねた。雑種の純化は不可能だ。平等主義は、男女同権ひとつを取り上げてももう逆戻りは出来ない。
しかし、平等思想は定着しても日本人の個人の自由思想は定着しなかった。戦前の物の感じ方の持続性は今も続いている。戦争背景の文化は否定されることなく続いているのだから、戦争を生み出した文化によって、将来戦争の復活はあり得るし、その文化を許した責任は、同時に将来の戦争に対する責任ともなることを自覚すべきである。
【私にとっての20世紀 / 加藤周一】
私のいた大学でもティーチ・インをやった。ティーチ・インというのは、学生主体だけれども、教師も出てきた。私も教師だからそこのティーチ・インに出た。そうしたら、実に面白いことが起こった。あとで調べてみると、米国でも同じようなことが起こっているのですが、そのティーチ・インに参加して、いちばん最初にヴェトナム戦争の批判をするのは、物理学者とか数学者とか自然科学の理論的なことをやっている人たちと、英文学科の教授とか、文学部の教授でした。それから、若干の社会学者。高度に抽象的な研究にふけっている数学者とか、英文学者は、その専門は戦争に全然関係がない。もっと専門が戦争に近い国際関係論とか歴史学、ことに米国史の専門家、政治学者たちはいちばん最後でした。とにかく先頭に立たなかった。
なぜだろうか。私がカナダの大学のティーチ・インに出席したとき、学生が反対演説をする。私も何か言ったかもしれません。とにかく反対演説がたくさんあったところへ、政治学の専門の教授が出てきて演壇に立って、「今、みんなの話を聞いていると、学生は反対し、それからあと同僚教授の中にも反対している人がいるけれど、数学者だったり英文学者だったりして、みんな専門が違う。はっきりいえば、詳しいことは全然知らない。ヴェトナム戦争というのは、米国の政治問題だ。米日の政治については皆さん何もご存じない。ご存じない方だけが集まって反対しているような気がします」といったのです。「政治学専門の学生もいるけれども、まだ大して知識がない。皆さんに忠告するが、米国の政治というのはかなり複雑なものだから、何も知らないで、一冊の本も読まないで反対されても困る。なぜヴェトナム戦争が起こったかということをもう少し詳しく、せめて二、三冊の専門書ぐらいは読んだあとで反対なさったほうがいい。私は、今この段階では戦争に反対できない」という演説をしたのです。
その演説に対して私は反論をした。たぶんこういうことをいったと思うのです。ヴェトナム戦争は、あなたのおっしゃるように、どうしてああいう決定になって、こういうふうに発展してきたかということを理解するのは難しい複雑な過程でしょう。それはいわれるとおりです。その意味では私に知識がないということも確かにおっしゃるとおりだと思う。
しかし、全然罪もなければ悪いこともしていない子どもまでたくさん殺されている。殺される事実をわれわれは知っている。たとえ、戦争を指導しているところで、どういう経過を通じてそれが決定されたかということを知らなくても、それは反対する充分な条件、理由になる。それは必要なだけではなくて、充分な条件である。子どもが皆殺しにされていることを知っていれば、それだけで反対理由になる。どういう経過でそういうことになったかということを調べて知ることは、それはあなたの道楽かもしれないけれど、私の道楽ではない。こういうふうにいったのです。
その時は大勢の集会だからわりに筒単なことで反論をしたのだけれども、あとでよく考えてみたらこの議論はなかなかおもしろかった。モノを理解するということは、まず混沌としているモノを秩序に還元することです。歴史的事件を秩序立てるためには、理想的には、原因・結果の連鎖の中にそれを組み込むことが必要です。だから、ヴェトナム戦争の理解が進めば進むほど、その現象は偶然に起こったことではなくて、ジョンソン大統領が悪いとかではなくて、もっと原因・結果の連鎖の中にそれを組み込むことが必要になる。
したがって、専門家の知識が進めば進むほど歴史的事件は必然的に見えてくる。もし完全に必然的ならば、過去の条件の中から現在の状況が出てくる。したがって、過去の条件を変えることはできないわけだから、現在の状況に反対するということは無理なわけです。反対しようと反対しまいと、とにかくそれが必然的に起こっているのだから、政治学というものは、それを理解すればするほど現状肯定になる、現状の必然性の説明だから。現状の偶然性の説明では学問にならない。
政治学、あるいは歴史学の場合には、学問が進めば進むほど歴史的な現象が現在起こっていることの必然性を理解することになるので、進めば進むほど批判力が低下する。つまり、批判しても無理だからということになる。そう考えると、なぜヴェトナム反戦運動が数学者と英文学者から出て政治学者から出なかったかが説明できる。その論理はもちろん、ヴェトナム戦争に限らず米国に限らず、どこの国でもいつの場合でも貫徹する普遍的な問題だと思います。
同時に、戦争というのは果たして「必然性」として捉えることができるか、という問題がある。必然的だということになると戦争反対がいえなくなる、できなくなる。
にもかかわらず、私は戦争反対です。もちろん反対するためには、自由があるという考え方をとらなければならない。完全に必然的なものではなくて、いま決定すればそれを変えることができる、「やめる」という決定は可能なのだという立場に立たなけれぱならない。
しかし、戦争に反対する動機は、客観的な理解過程ではなくて、一種の倫理的正義感です。つまり「子どもを殺すのは悪い」ということがある。それで、ためらうことはない。そういう問題の時にこそ、その目的を達成するために科学的知識を、客観的知識を利用すべきであって、科学的知識のために倫理的判断を犠牲にすべきではない。
だから私は、戦争反対のほうが先にある。「初めに戦争反対ありき」です。反対を貫徹できるかということで学問の助けを借りる必要はある。どこに状況を変える要素があるかということを知るために。
しかし、客観的な知識を磨いていることから戦争反対が出てくるのではない。むしろ、それをやめさせるように、戦争反対をできないようにする傾向が科学的知識の中には含まれている。ですから、「科学から倫理」ではなくて、「倫理から科学」でなければいけないと思う。
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やっぱり僕は戦争に反対だと強く感じている。
そして、自分の人生と結び付けない限り、戦争に反対する気持ちは決して生まれないと思う。
だから、無関心になりたくない。戦争を正当化する世に倣いたくない。
僕がずっと胸に刻んでいるアルゼンチンの反戦歌と加藤周一さんの言葉の一部を載せます。
僕も戦争をなくすことができなくても、とめることができなくても、やっぱり反対です。。
戦争は必ず人を殺すし、善良な人々をも悪魔にするから。
戦争を抑止するために、戦争が起きても冷静にするブレーキをかけるために、個人ひとりひとりの戦争反対が必要だ。
憲法九条は時代遅れじゃない。目指し続ける普遍的なものだよ。
♪BGM♪
ただ神に祈ることは(Solo le pido a Dios) / レオン・ヒエコ(León Gieco)
【ETV特集 加藤周一】
戦争から学ばねばならないことのひとつに、法律の時限爆弾という正体。もし世論が退いたら、権力は容赦なく時限爆弾、すなわち本来効力を発揮しなかった幾つかの悪法は狂ったように動き出す。大切なのは、油断なき世論の力だ。
民主主義に大切なのは、J・S・ミルが「自由論」で書いているように、少数意見の尊重である。しかるに日本は全会一致こそ民主主義だと思い込んでいる。戦争反対の声を徹底的につぶしてしまった権力は敗戦の決断にどれほど手間取ったか。その被害はどんなに大きかったか。翼賛体制は惰性がついてしまい、すぐに方向転換が出来ないことを思い知るべきだ。
ドイツ統一とEU統一、この前後の時期関係を誤ると、民族問題は複雑化していく。ハウスブルク文化の共通性を大切にしないといけないし、一方目下ここに排他的ナショナリズムが次第に強くなりつつある原因もある。今時代は米欧の一極化傾向が進行している。日本の外交は米国の支配体制そのものに如何に順応するかという視点のみで外交が検討されている。体制に従うまえに体制そのものを批判しようとはしていない。人権と国連憲章の精神を大切にするとの言葉の裏には、あくまでもアメリカ支配体制に如何に追従していくかという姿勢だけが目につく。ここには真剣な未来を見定めた識見は何も見えない。
「南京大虐殺」は誰が殺ったか。今は穏やかな顔をして車中の隣人となっている父親達であり、良人達であった。善良な人間が追い込まれて、本性は悪魔ではないが、結果として悪魔になって、罪もない中国人の母親や子供達を虐殺した。
戦争は人間を破壊する。私は戦争を憎む。自分の戦争への怒りは終生忘れない。自分は怒っている。人間は食欲、性欲のみならず、本能的に環境を知ろうとする本能を持つ。しかし、戦争は人間のこの本能を破壊する。戦後、戦争への怒りは爆発した。友人を殺された怒りは絶対に忘れない。
戦中差し障りのない議論を重ねていた戦争協力の御用学者、御用文学者達は「西洋の没落」に対して、「近代の超克」なる議論をやった。しかし日本は経済史的に見れば近代以前であり、議会制民主主義ではなく、天皇制官僚国家であった。憲法には人権が書かれていないばかりか、国民は臣民と称せられ近代以前の状態に置かれていた。戦中、植民地解放は、先ず自分の国の台湾、朝鮮を解放しインドネシア、中国を解放しようとするなら判るが、それを隠して何が近代の超克か。
フランスに留学して、レジスタンスの歴史に強く感動した。ヨーロッパでは、個人の意志が基礎となって、連帯、集団が成立する。日本では集団の圧力で個人が圧殺されて、個人が無い状態で集団として群がっている。集団の意味が日本とヨーロッパでは全然違う。帰国後日本の雑種文化を取り上げ、評論活動を重ねた。雑種の純化は不可能だ。平等主義は、男女同権ひとつを取り上げてももう逆戻りは出来ない。
しかし、平等思想は定着しても日本人の個人の自由思想は定着しなかった。戦前の物の感じ方の持続性は今も続いている。戦争背景の文化は否定されることなく続いているのだから、戦争を生み出した文化によって、将来戦争の復活はあり得るし、その文化を許した責任は、同時に将来の戦争に対する責任ともなることを自覚すべきである。
【私にとっての20世紀 / 加藤周一】
私のいた大学でもティーチ・インをやった。ティーチ・インというのは、学生主体だけれども、教師も出てきた。私も教師だからそこのティーチ・インに出た。そうしたら、実に面白いことが起こった。あとで調べてみると、米国でも同じようなことが起こっているのですが、そのティーチ・インに参加して、いちばん最初にヴェトナム戦争の批判をするのは、物理学者とか数学者とか自然科学の理論的なことをやっている人たちと、英文学科の教授とか、文学部の教授でした。それから、若干の社会学者。高度に抽象的な研究にふけっている数学者とか、英文学者は、その専門は戦争に全然関係がない。もっと専門が戦争に近い国際関係論とか歴史学、ことに米国史の専門家、政治学者たちはいちばん最後でした。とにかく先頭に立たなかった。
なぜだろうか。私がカナダの大学のティーチ・インに出席したとき、学生が反対演説をする。私も何か言ったかもしれません。とにかく反対演説がたくさんあったところへ、政治学の専門の教授が出てきて演壇に立って、「今、みんなの話を聞いていると、学生は反対し、それからあと同僚教授の中にも反対している人がいるけれど、数学者だったり英文学者だったりして、みんな専門が違う。はっきりいえば、詳しいことは全然知らない。ヴェトナム戦争というのは、米国の政治問題だ。米日の政治については皆さん何もご存じない。ご存じない方だけが集まって反対しているような気がします」といったのです。「政治学専門の学生もいるけれども、まだ大して知識がない。皆さんに忠告するが、米国の政治というのはかなり複雑なものだから、何も知らないで、一冊の本も読まないで反対されても困る。なぜヴェトナム戦争が起こったかということをもう少し詳しく、せめて二、三冊の専門書ぐらいは読んだあとで反対なさったほうがいい。私は、今この段階では戦争に反対できない」という演説をしたのです。
その演説に対して私は反論をした。たぶんこういうことをいったと思うのです。ヴェトナム戦争は、あなたのおっしゃるように、どうしてああいう決定になって、こういうふうに発展してきたかということを理解するのは難しい複雑な過程でしょう。それはいわれるとおりです。その意味では私に知識がないということも確かにおっしゃるとおりだと思う。
しかし、全然罪もなければ悪いこともしていない子どもまでたくさん殺されている。殺される事実をわれわれは知っている。たとえ、戦争を指導しているところで、どういう経過を通じてそれが決定されたかということを知らなくても、それは反対する充分な条件、理由になる。それは必要なだけではなくて、充分な条件である。子どもが皆殺しにされていることを知っていれば、それだけで反対理由になる。どういう経過でそういうことになったかということを調べて知ることは、それはあなたの道楽かもしれないけれど、私の道楽ではない。こういうふうにいったのです。
その時は大勢の集会だからわりに筒単なことで反論をしたのだけれども、あとでよく考えてみたらこの議論はなかなかおもしろかった。モノを理解するということは、まず混沌としているモノを秩序に還元することです。歴史的事件を秩序立てるためには、理想的には、原因・結果の連鎖の中にそれを組み込むことが必要です。だから、ヴェトナム戦争の理解が進めば進むほど、その現象は偶然に起こったことではなくて、ジョンソン大統領が悪いとかではなくて、もっと原因・結果の連鎖の中にそれを組み込むことが必要になる。
したがって、専門家の知識が進めば進むほど歴史的事件は必然的に見えてくる。もし完全に必然的ならば、過去の条件の中から現在の状況が出てくる。したがって、過去の条件を変えることはできないわけだから、現在の状況に反対するということは無理なわけです。反対しようと反対しまいと、とにかくそれが必然的に起こっているのだから、政治学というものは、それを理解すればするほど現状肯定になる、現状の必然性の説明だから。現状の偶然性の説明では学問にならない。
政治学、あるいは歴史学の場合には、学問が進めば進むほど歴史的な現象が現在起こっていることの必然性を理解することになるので、進めば進むほど批判力が低下する。つまり、批判しても無理だからということになる。そう考えると、なぜヴェトナム反戦運動が数学者と英文学者から出て政治学者から出なかったかが説明できる。その論理はもちろん、ヴェトナム戦争に限らず米国に限らず、どこの国でもいつの場合でも貫徹する普遍的な問題だと思います。
同時に、戦争というのは果たして「必然性」として捉えることができるか、という問題がある。必然的だということになると戦争反対がいえなくなる、できなくなる。
にもかかわらず、私は戦争反対です。もちろん反対するためには、自由があるという考え方をとらなければならない。完全に必然的なものではなくて、いま決定すればそれを変えることができる、「やめる」という決定は可能なのだという立場に立たなけれぱならない。
しかし、戦争に反対する動機は、客観的な理解過程ではなくて、一種の倫理的正義感です。つまり「子どもを殺すのは悪い」ということがある。それで、ためらうことはない。そういう問題の時にこそ、その目的を達成するために科学的知識を、客観的知識を利用すべきであって、科学的知識のために倫理的判断を犠牲にすべきではない。
だから私は、戦争反対のほうが先にある。「初めに戦争反対ありき」です。反対を貫徹できるかということで学問の助けを借りる必要はある。どこに状況を変える要素があるかということを知るために。
しかし、客観的な知識を磨いていることから戦争反対が出てくるのではない。むしろ、それをやめさせるように、戦争反対をできないようにする傾向が科学的知識の中には含まれている。ですから、「科学から倫理」ではなくて、「倫理から科学」でなければいけないと思う。
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