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ことばを鍛え、思考を磨く 

長野市の小さな「私塾」発信。要約力、思考力、説明力など「学ぶ力」を伸ばすことを目指しています。

類語辞典に親しむ

2005年12月26日 | ことば・国語
子どもが小さかった頃、写真に凝っていた。
もちろん今のようにデジカメが普及する前の話で、プロ気取りでリバーサルフィルムを高級一眼レフに入れ、家族や風景の写真を撮りまくった。
写真雑誌に何回も掲載され、当時住んでいた長岡市の展覧会にも出品。
いろいろな賞をもらったこともあった。
子どもが成長するのとデジカメへの移行が時を同じくし、今では記録としての写真を撮るばかりになってしまったが....。

ところで、雑誌のコンテストや展覧会に出品するときに、一番悩んだのが作品のタイトルである。
テーマや構図、光の加減、偶然写っていた物などを考慮し、作品に最もふさわしく、かつ平凡すぎず奇抜すぎないタイトルを付けなければならない。
下手なタイトルにしたことで評価が下がることも考えられる。
次々に浮かんでくる言葉を、ああでもないこうでもないと取捨選択するのは、半ば楽しい作業でもあったが、ときには苦痛であった。

そんなとき出会ったのが角川書店の類語辞典である。
恥ずかしながらそれまで(30代まで)そんな辞典の存在を知らなかった。
もちろん即決で購入した。

これはすこぶる重宝した。
最初に頭に浮かんだ言葉だとちょっとニュアンスが違うなというときに、その言葉を引けば似たような言葉が続々と出てくる。
普通の国語辞典と異なり、微妙な意味の違いを用例を交えて説明してあるのが嬉しい。
最も知りたい部分を的確に教えてくれる辞典はありがたいものだ。

今写真は撮らなくなったが、このブログを始め、文章を書く際には愛用している。
その後類語辞典の出版も増え、電子辞書やオンライン辞書でも類語を扱うものが多数ある。
ブログの普及が、文章を書くことや言葉にこだわることへの興味を高めているとすれば喜ばしいことであろう。

もちろん塾でも類語辞典が活躍している。
国語辞典で意味を調べてもピンと来ない生徒には類語辞典を与える。
私と生徒とのやり取りで気になった言葉を2人で調べることもある。
ふだん自分が何気なく使い分けている言葉、読み分けている言葉を、改めて確認し理解を深める作業は国語力を確実に高めるはずだ。

さらに、ニュアンスの違いに注目しながら類語を調べることは、新しい言葉を学ぶチャンスも与えてくれる。
既知の言葉との違いを意識することで語彙の広がり、深まりが強くなる。
言葉を豊かにする上でも類義辞典は利用価値が高いのである。

実は今、類語辞典を最大限に活用した国語教材を考えている。
たとえば、ある文の空白部分に「不安」「心配」「恐れ」「気がかり」「懸念」のうちどれを入れたらよいか、前後の文脈から考える。
ある言葉を別の言葉に置き換えたら、あるいはひらがなやカタカナにしたらどんな違いが出るか考える....。


自分では十分理解しているつもりの言葉でも、実は微妙に間違った使用をしている場合もある。
知っている言葉をさらに深く学ぶと共に、それと関連づけながら新しい言葉も学べる、そんな教材ができれば理想的だと考えている。


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雨かんむり

2005年12月10日 | ことば・国語
今日は朝から雪である。
気温が高く湿った雪なので、降るそばから溶けてそんなに積もってはいない。
だが、夕方になってだいぶ冷えてきた。
夜も降り続ければ明朝にはかなり積もっているだろうか.....。
今日からしばらくは雪マークばかりで憂鬱になる。

「雪」という漢字が頭に浮かんで、ふと考えた。
雨かんむりの字はたくさんある。
雲、霧、霜、雷.....多くは気象、それも降水関係である。
これはあたり前.....。

しかし中には、なぜこの字に雨かんむりが付いているのか、俄にはわからないものもある。
たとえば「震」
地震も気象庁の守備範囲だが、「気象」とは言えないのではないか。
「ふるえる」と降水にどんな関係があるのか、予想がつきますか?

辞典によれば「震」はもともと雷のことだそうである。
雷が鳴って大気がビリビリと動く様を表していると言う。
近くに雷が落ちれば、地震のときのように地面も震えますね。

雷と言えば「電」
雷が電気であることをフランクリンが発見する遙か前からこの漢字は存在したはずである。
「電」を調べると「稲妻、稲光」とある。
「電気」という言葉が先にあって、それが18世紀に雷の正体だとわかったということなら、中国人の先見の明に感心するが、そうではないだろう。
ということは「電気」という熟語は、雷=電気がわかった後に生まれた、比較的新しい言葉ということになる。
中国でも「電気」と書くのだろうか?いつ頃から使われているのだろうか?

「需」という字の意味は「もとめる」「まつ」とある。
これまた気象とは縁遠い感じがするが、「而」は「柔らかなひげ」で、「雨」+「而」で「雨水にしっとり濡れて柔らかくなり、動きが鈍ること。動かず、何かをあてにして待つ意。」になるのだそうだ。
冷たい雨に打たれて全身ずぶぬれで震えている子犬の映像が目に浮かぶ。

「霊」にも「雨」が付く。
元々は「雨」の下に丸を表す□を3つ書き、「連なった清らかな水玉」を意味しているそうだ。
そこから、「水玉のように冷たく清らかな神の力や魂」を表す字になったと言う。
何となく、占いなどに使う水晶玉を連想してしまう話だ。
今では元の意味ではほとんど使われないが、こんな源があったとは驚きである。

この「霊」と同じ音の「零」「水玉、しずく」というのが原義だそうだが、こちらは今では数字の0=「ゼロ・れい」を表す漢字としておなじみである。
考えてみると、「れい」という言葉自体「霊」に通じるところがあり、ゼロの持つ神秘性と無縁ではないような気もする。

「雪」をきっかけに、しばし漢字字典を熟読した土曜の午後であった。


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漢字随想

2005年11月25日 | ことば・国語
(その一)
簡単な漢字なのに、ずっと見ていると「あれ?こんな字だっけ?」と悩み出すことはないだろうか。
私はときどきこの経験をする。
やはりそれで正しかったのだと納得してしまえば、あとから振り返ってもなぜそんなに悩んだのかわからない。
難しい字や思いっきり簡単な字ではそういうことはないのだ。
何の字で悩んだかさえ忘れてしまうので、例を挙げるのが難しいのだが、たとえば「衆」とか「幻」「昇」といったレベルの漢字である。

いつだったか塾で生徒に説明しているときに、「商」の書き方がわからなくなった。
どう書いても違和感があって自信が持てない。
こういうとき、難しい(画数が多い)漢字ならグチャグチャと誤魔化すこともできるが、小学校で習う字ではそうも行かない。
そのときは恥を忍んで漢字帳で調べた。
生徒はどう思ったろう.....。

(その二)
昔「○○ん」式の本部に勤めていたことがある。
当時から早期教育にも力を入れていたが、幼児向けの教材の一つに「漢字カード」をいうのがある。
オモテ面にはイラストと漢字、ウラ面は漢字のみ。
繰り返し見せて漢字を刷り込む。
誤解している人が多いが、漢字を覚えるのが目的ではなく、「パターン認識」という幼児ほど豊かな能力をさらに伸ばすための教材である。

トランプの「神経衰弱」で子どもが強いのは、1枚1枚を覚えているのではなく、全体をあたかも一つの絵のように丸ごと覚えているからだそうだ。
漢字も「なに偏」とか書き方にこだわらず、絵として認識する。
そのため「九」よりも「鳥」、それらより「鳩」の方が幼児はすぐ覚える。
手がかりが多いということだろうか。
私が簡単な漢字に時折不安を覚えるのも、似たようなところに原因があるのかも知れない。

(その三)
名前の漢字が難しい人は気の毒である。
姓と名の画数を足すと、その数は人によって大きな開きがある。
つい、テストの時に名前を書くだけでも損をしてるのでは?と同情してしまう。
同じように住所でも、これは度々書くのは大変だろうなと思う例がある。
10年ほど前住んでいた「長野県南安曇郡」でも面倒だったが、全国を見ればもっと画数が多い地名はいくらでもあるだろう。

県の名で一番画数が少ないのは?
正解は「山口」の6画。ついで「大分」の7画。
多い方は「鹿児島」と「新潟」が同数の28画で首位である。

以前新潟の長岡市に住んでいたことがあるが、新潟県の人は自分の住所を書く際、「潟」の字をサンズイに「写」で済ませていたことを思い出す。
因みにこの「潟」という漢字、生徒のほとんどが「臼」の部分の横棒を1本多く書いているので、大人でもチェックを要する字である。

(その四)
恥ずかしながら、浪人時代までずっと間違えて覚えていた漢字がある。
一つは「教」。偏の部分を「考」にしていた。
そんな私が今は人を教える仕事に就いているのだから皮肉である。
もう一つは「備」。旁の「用」の部分を「扁」の下部のように縦4本にしていた。
いずれも習ったときは正確に覚えていたのが、何かのきっかけで間違って刷り込み直されたのだと思う。
浪人のとき必死に勉強した成果の一部が、この二つの字の再発見である。
現役で失敗した原因はこのあたりにあったかも.....。おそまつ!


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勤労感謝の日によせて

2005年11月23日 | ことば・国語
昔は祝日になると日の丸を掲げる家が多かったが、最近では本当に少なくなりました。
「旗日」という言葉も「絶滅危惧種」ですかね.....。

国旗を掲げるどころか、今日が何の日で休みなのかということも知らずに遊び回っている若者よ。
今日は昔で言えば新嘗祭。農作物の恵みに感謝する日でした。
今の法律では「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」日ということになっています。
働けること、それによって物や金を手にできることに感謝し、子どもであれば働いてくれる大人に感謝する日なんですよ。
フリーターとかニートとか気取っている人、今日ばかりは「働く」ということをもう一度じっくり考えてみてはどうでしょう?

「働く」という語は平安時代以降に生まれたようですね。
で、もともとは単に「体を動かす、動く」という意味だったものが、後に「精を出して仕事をする」「努力して作業をする」という精神的な意味も加わったとのこと。
この過程で「人」と「動」を合体させた「働」という国字ができたようです。

おもしろいのはその語源。
「ハタ」から派生したようです。
「ハタ」というのは物の動く様子を表す言葉で、バタバタとかパタパタという擬態語、擬音語もここから生まれているそうです。
「ハタとひらめく」というときの「ハタ」も同じでしょうか?
「バッタバッタとなぎ倒す」の「バッタ」もそう?

それが「はたらく」という動詞になったということは、やはり「働く」とは「バタバタする」ことなんですね。
バタバタ働いて、心を亡くして「忙しく」なる。
うまく辻褄が合いますね。
因みに、関西でよく言われているという「ハタが楽やからハタラクや」というのは完全な俗説のようです。
でも、これはこれで哲学的だと思いますが.....。

外国の言葉に目を向けると、アメリカで勤労感謝の日にあたるのがLabor Day。
laborはwork、task、jobなどと比較して「つらい」「苦しい」というニュアンスが含まれるようで、laborだけで「産みの苦しみ、陣痛」という意味もあります。

また、よく知られているように、フランス語で「働く」を表すtravail(トラバーユ)がえいごではtravel(トラベル)
昔は旅も命がけの労苦だったことは想像に難くありません。
ドイツ語で「働く」はArbeitだそうで、これが日本ではちょっとした仕事を表す「アルバイト」として使われています
彼らの労働は日本人には「ちょっとした仕事」にしか見えなかったということでしょうか.....。

なんだか、西洋の「労働」に対する考え方がかいま見えますね。
彼らには日本人の「ワーカホリック」など絶対に理解できないでしょう。
苦痛なら少しでも減らしたいのはあたりまえ。
チェコ語で「強制労働」を意味するrobotaからrobotという造語が生まれたのも納得がいきます。
「ロボット」に代わりに働いてもらい、人間は苦痛から解放されたい。
そんな思いが伝わってきますね。


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いただきます&ごちそうさま

2005年11月15日 | ことば・国語
朝日新聞の「声」欄にこんな投書が載っていました。
「いただきます言わせない親」というタイトルです。
北海道のある中学校で、生徒の母親から「学校側に給食費を払っているのだから、うちの子に『いただきます』を言わせないでほしい」という要望があったと知り驚いたという話。
私もこれを読んで唖然としてしまいました。

金を払っているんだから「いただきます」は必要ない.....なんと貧しい発想なのでしょう。
お金を貰う側のときはペコペコしているくせに、払う側になるととたんに態度が大きくなり上からものを言う.....私が一番嫌いなタイプの人間です。
ウェイトレスや料金所のおじさんに横柄な口をきく奴、よくいませんか?

本来「いただきます」は、食卓に上ってくれた動物や植物に対して「あなたの命をいただきます」という感謝の言葉です。
もちろん食事を作ってくれた人に対する「ありがとう」の気持ちも含まれます。
よく英語では「いただきます」にあたる言葉がないと言いますが、その代わりに神に対する祈りを捧げることが一般的ですね。
洋の東西を問わず、今日も無事食事を摂ることができる感謝の気持ちを自然や人すべてに対して表しているのです。

ところで「いただきます」に比べて語源がわかりにくいのが「ごちそうさま」です。
調べたところ、「馳走」というのは漢字からもわかる通り、馬に乗って走り回ること。
何のために走り回るかと言えば、食べ物を得るためですね。
それが、客のために走り回ることから「もてなし」の意味になった。
で、もてなされた側がそのことに感謝する言葉として「ご」「様」が付いた形に変化し、江戸時代後半頃から今のように食後に使う習慣ができたようです。

結局、あたりまえですが、「いただきます」も「ごちそうさま」も根本にあるのは「感謝」の思いですね。
合掌して言う人も多いせいか、仏教色を強く感じてそれを嫌う人も多いようですが、言葉自体は宗教を越えて日本人の生活に根づいているのではないでしょうか。
いや、根づいてきたと言うべきか.....。
伝え残したい日本語の一つですね。

冒頭の話のような、お金を払えば感謝は要らないとうのが資本主義の究極の考え方だとしたら、あまりにも淋しい.....。
物を買うためにお金は必要だけど、売った側だけでなく買った側にも「ありがとう」の気持ちはあると思うし、あるべきだと思います

そう言えばアフリカのある部族では、プレゼントを貰った方ではなく、あげた方が「ありがとう」と言う習慣があるそうです。
小学生の国語教材で読みました。
「もらってくれたお陰でいい行いができた。ありがたいことです。」という意味だそうです。

今の殺伐とした世の中を少しでも変えられるのは、日常の何気ない感謝の一言かも知れませんね。


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まる まる まる

2005年11月12日 | ことば・国語
またまた地元の信濃毎日新聞からのネタです。

温暖化で桜などの開花は早くなり、紅葉は遅くなっているという気象庁観測についての記事。
具体的なデータが表になっていますが、ツバキやタンポポ、サクラなどの開花の方は「早まり」、そして紅葉や落葉の方は「遅まり」とまとめてあります。
.....「遅まり」???

皆さん違和感ありませんか?
私は思わず「そんな言い方しないだろ!」と声に出してしまいました。
「早まる」はあっても「遅まる」なんて聞いたことないぞ.....。
この場合「早まり」に対しては「遅れ」ではないのか.....。

辞書を引いても「遅まる」は載っていません。
さっきから苦労しているようにワープロも「お染まる」としか変換してくれません。

でもなぜ「早まる」は使うのに「遅まる」はないのか?
ということで、他の「形容詞+まる」も探してみました。
以下、○は普通に使われるもの、×は聞いたことがないもの。
もちろんすべて私の独断です。

強まる...○ 弱まる...○
広まる...○ 狭まる...○(ただし読みは「せばまる」)
高まる...○ 低まる...△(ビミョー)
深まる...○ 浅まる...×
近まる...○ 遠まる...×
薄まる...○ 濃まる・厚まる...×
暖まる...○ 涼まる...×


「~まる」を「~める」に変えて他動詞にしても同様です。
「低まる」は「低める」の方が○に近い気がしますね。

片方だけ○というパターンが結構多いのが不思議です。
「大きい・小さい」「多い・少ない」など頻繁に使う形容詞が、両方とも「~まる」を伴わないのも不思議ですね.....。

歴史的には形容詞にいきなり「まる」が付いたというより、「強む」「広む」などの形を経て「強める」「広まる」になったと考えるべきでしょう。
そうすると「涼し」→「涼む」→「涼まる」も不自然じゃないかな?

体や心が「やすまる」というとき、どういう漢字を使いますか?
「休まる」と書くことが多いのではないでしょうか。
私も何の迷いもなくそう書いてきましたが、今回いろいろ調べて考えが変わりました。
「安し」(値段じゃなく安心、安全などの意)→「安む」→「安まる」という流れを重視すべきではないか。
「休む」ももとは「安む」ではなかったか.....と思うのです。

「静か」→「静む(鎮む)」→「静める(鎮める)」と同じように.....。

ところで私が違和感を感じる「遅まる」「遠まる」なども、検索をかけてみると意外に使われているようで驚きました。
特に詩や俳句などの世界では多いようですね。

ということで今日の記事は、気になる日本語にイチャモンをつけるというより、それを追究する中で出会った新たな発見についての話でした。

あ、そう言えばよく使う「○○まる」、もう一つ忘れてました。
そう、「○○」=「まるまる」=「丸まる」!
.....おあとがよろしいようで.....。


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「文化住宅」

2005年11月09日 | ことば・国語
NHKのBS1では昼の1時過ぎから、全国の主要局で12:15から放送した地域のニュースをまとめて流してくれます。
ちょうど昼食の時間にあたり、ローカル色豊かな話題が楽しいのでよく見ています。

先日大阪局のニュースで「大阪市○○区の文化住宅で火事」というのがありました。

文化住宅?何それ?.....なんか聞いたことはあるけど実態がよくわからない.....。
文化的な住宅?.....いまどき、文化的じゃない住宅を探す方が大変です。
昭和40年頃までの言葉じゃないの?.....死語でしょ.....。

と思って調べたら、いやぁ、驚きました。
辞書に「関西地方で、木造二階建ての棟割りアパートの俗称」というのがしっかり載っているじゃあーりませんか!
東京で言う「アパート」を関西では「文化住宅」と言うんですか.....初耳です。

全国ニュースで聞いていれば馴染みがあるはずですから、大阪の事件でも全国に流すときは「アパート」などに言い換えているんでしょうか?

もともとは近代的で合理的な新しいスタイルの住宅をそう呼んでいたのが、関西では集合住宅を指す言葉として残ったということでしょうね。
昔はもっと全国的に使われていたんでしょうか.....?

「文化」という言葉自体、非常に漠然としていて広い意味に使われますね。
文化の日、文化革命、平安文化、文化人、文化村、文化的、文化人類学.....。
一言で定義するのはとても難しい。

「文明」と言うと少しニュアンスが異なるけれど、「文化的」な暮らしを支えている道具を「文明の利器」と言ったりしますね。
「文化の利器」とは言わない。
このへんも突っ込んで考えると面白そうです。

ところで「文化住宅」と同じように「文化」が使われている物、ほかに何があるか探したら、「文化包丁」「文化鍋」くらいしかありませんでした。
研がなくても長持ちするから「文化」包丁、吹きこぼれしない「文化」鍋.....。
どうも「便利な」という形容動詞の代わりに「文化」を付けているようですね。
「文化放送」は関係ないですね.....。)

どれにしても世に出た当時はオシャレなネーミングだったのかも知れませんが、今となっては逆にノスタルジーを感じさせます。
3つしか思い浮かびませんが、よくぞ残ってくれたと言いたいところです。

なかでも関西における「文化住宅」の使用頻度はずば抜けているのでは?と推察します。
「文化包丁を持った男が.....」というのもニュースで聞いたことはありますが.....。

関西の方、教えてください。

「文化住宅」のほかに「アパート」とか「コーポ」とかあるんでしょうか?
あるとしたらその境い目はどこ?
「マンション」は別ですよね?
鉄筋コンクリートだと「マンション」?
(←これ、他の地域の人にも訊きたい!)

よろしくお願いします!


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デシメートル&センチリットル

2005年11月03日 | ことば・国語
「弟」や「湖」は仮名にすると4文字、「志」や「詔」は5文字.....。
もっと多いのがないかと探していたら、「糎」(センチメートル)という字を見つけました。
他に「粁」(キロメートル)「粍」(ミリメートル)なども.....。
「米」=「メートル」はよく知られていますが、それを偏にして旁を変えることでいろいろな単位を表しているんですね。
「米」の代わりに「立」=「リットル」「瓦」=「グラム」を使うとさらにバリエーションが広がります。

もちろんすべて日本で作られた国字ですが、特に旁の方はよく考えたなあと感心させられます。
たとえば旁に「百」がくれば100倍、「千」がくれば1000倍。
小さい方は「厘」が100分の1、「毛」が1000分の1.....。

ん?「分」が10分の1、「厘」が100分の1というのは普通の割合の「○割○分○厘」とは一桁ずれてますよね。
これって「九分九厘」のときの使われ方と同じです。
ああ、ややこしい!

ところで漢字で10分の1(デシ)を表す旁は「分」
すると「デシメートル」は「米」に「分」で「粉」.....あれ?「こな」?
漢和字典で「粉」を調べても載っていませんでしたが、理屈ではそうなるようです。

でも、そもそもほとんどの中学生が「センチ」は100分の1、「ミリ」は1000分の1などが理解できてないですね。
おそらく新しい単位が出てくるたびに丸覚えしているだけです。
「ミリ」や「キロ」の意味を正確に知っていればmAだってkAだって覚える必要なんか全然ないのに.....。

小学校で習うデシリットルって、日常生活ではまず使わないですよね?
まあそれでも、そういう単位があるってことは知っておいてもいいでしょうが、だったらセンチリットルデシメートルも教えてほしいものです。

長さなら「メートル」が基準でその10分の1には「デシ」、100分の1には「センチ」、1000分の1には「ミリ」がそれぞれ頭に付く。
重さなら「グラム」、容量なら「リットル」を基準に同様に考えればよい。
ついでに10倍、100倍、1000倍も.....。
これらを体系的に理解しておけば、中学で「ミリアンペア」や「ヘクトパスカル」が出てきても応用がききますよね。
豆知識的に漢字も教えれば、こちらも規則的に作られていることに面白みを感じてくれるはずです。

因みに、先日取り寄せたアメリカの算数の教科書にはちゃんと「デシメートル」も載っていましたよ。

といろいろ調べていて、恥ずかしながらこの年になって初めて知ったことがあります。
「ヘクタール」って「ヘクト」+「アール」で「ヘクトアール」なんですね!
う~ん、とても得した気分です。勉強は楽しいですね!


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住みよい、読みよい、学びよい?

2005年11月01日 | ことば・国語
地元の有力紙、信濃毎日新聞の販促キャッチフレーズは「早い、読みよい」です。

「早い」は「速い」じゃないですかね。
「朝早く」届くことより「ニュースを速く」伝えることを訴えていると思うので.....。

それはともかく、今日採り上げたいのは「読みよい」の方です。
私はどうもこれが気になって仕方ありません。
何回聞いても違和感が拭えないのです。

「気持ちよい」「心地よい」「形よい」など、名詞に「よい」が付いて形容詞になっているものはすんなり受け入れられるのですが、「動詞+よい」の形はすべてダメですね.....。

同じように感じている人がいるだろうとネットで検索してみましたが、そんな話題は見つかりません。
もしかして、私だけの感覚なのでしょうか.....?

辞書で調べると、「よい」の使い方には確かに「(動詞について)その動作を良い気分ですることができる。むずかしくない。たやすい。」(by広辞苑)とあり、万葉集での使用例も載っています。

最も普及しているのは「住みよい」でしょうか。
「住みよい町作り」「住みよい環境」などと広く使われています。
「住みやすい」と言うと「たやすい」ニュアンスの方が強く感じられるので、「良い気分で」が前面に出る「住みよい」が好まれるのだと推測します。
自治体などがやたら使いたがるのが納得できますね。

でも、これって最近の傾向だと思うのですが.....。
もともとは「住みやすい」の方が主流だったのでは?
因みにYahoo検索では、「住みよい」88万件に対し、「住みやすい」は115万件.....いい勝負です。

これだけ私以外の人々に受け入れられている「住みよい」ですが、ではこれ以外の「動詞+よい」はどうでしょう。

「使いよい」47,000件、「食べよい」11,000件、「暮らしよい」7,500件、「見よい」4,000件.....。
あとはぐっと減って「行きよい」「走りよい」「書きよい」「聞きよい」、そして冒頭の「読みよい」も3けた止まり。
「話しよい」は32件、「遊びよい」16件、「着よい」13件
という結果でした。

「住みよい」の使用例が際だって多いのは、やはりお役所などが好んで使うことのほかに、地名や神社名などに「住吉」が使われていることも影響していると思われます。

ところでこの「動詞+よい」、上に書いたように元はあまり使わなかったものが今増えているんでしょうか?
それとも昔は結構使われていたものが減ってきて、「住みよい」など一部のみが根強く残っているのでしょうか?

私はどうも前者のように感じています。
「住みよい」のヒット件数が「住みやすい」を抜くのも、おそらく時間の問題でしょう。
私は今後も絶対使いたくありませんが.....。

さあ、それでは今日も「わかりよい」(19,500件)教材作りと「学びよい」(22件)環境の整備に励むことにしましょうか.....。


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ラブレター~漢字のこだわり~

2005年10月30日 | ことば・国語
ワープロの普及で、難しい漢字でも簡単に出てくる時代になりました。
だからと言って漢字ばかりが目立つ文章を書くことの愚かさは、以前の記事で述べました。

今日は漢字にする一段階前の話です。
つまり変換して現れた候補の中からどの字を採用するかということについて.....。

単語レベルで考えても同音異義語はたくさんある日本語です。
ワープロがあるからと言って、漢字を知らなくてもいいわけではありませんね。

「暖かい」と「温かい」、「暑い」と「熱い」、「影」と「陰」など、意味の違いで使い分けなければならないものは、知らないと恥をかきます。
ただ意外と多いのが「速い」と書くべき所を「早い」としている例.....。
特に「はやく解く」「はやく作る」など、時間に関わることに誤用が多いように感じます。

「早い」は時刻的に前であることを表すのですから、「早く起きる」「早く着いた」などと用います。
一方「速い」はスピードが大きいことを言うわけですよね。
解いたり作ったりするのが「はやい」のはスピードについてのことですから当然「速い」です。

こういう例と違って意味的にもいろいろな漢字が使える場合は、どの字にするか決めるのがなかなか面白い.....。
ここで悩むのは結構好きです!

たとえば、いつも楽しみながら気を使うのが「とる」を漢字にするとき。
広く使える「取る」ばかりでなく、対象に合わせて「穫る」「獲る」「摂る」「撮る」「採る」「執る」などなど、的確に使い分けたいと思っています。

迷うのが「おそろしい」「さびしい」「すすめる(推薦する意)」など.....。
特に「すすめる」は「勧める」「薦める」「奨める」で悩みます。

あえて漢字を使わないというのも一つの手なんですけどね.....。


さて、タイトルのラブレターの話です。
今の若い人たちはラブレターなんて書かないかな?
電話(しかもケータイ)やメールでは今一味気ない.....。
何度も書き直しては便箋を無駄にし、投函してから(あるいは手渡してから)返事が来るまで悶々とした日々を過ごす.....。
あのアナログさ、待つ時間の長さが捨てがたいのです。

何通も書いたラブレターですが、字が下手というマイナス面をカバーするため、内容はもちろん、漢字にもずいぶんこだわったものです。
「会う」をわざわざ「逢う」と書いたり、「思う」ですむ所をあえて「想う」にしてみたり.....。
その方がどこか重みや深みが感じられませんか?

今の若者もメールを打つとき、こんなこと考えているのかな?
あの速さでは1字1字にこだわっているヒマはないように見えますが.....。



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紅葉狩り

2005年10月25日 | ことば・国語
信州では、高い山の頂上付近には雪が見え始めました。
私の住む町でも場所によって木々がチラホラ色づいています。
紅葉は美ヶ原、栂池高原はもうおしまいで、今は戸隠や黒姫、八ヶ岳あたりが見頃のようです。

桜に比べたら旬の時期は長めとはいうものの、やはり最盛期の全山紅葉(+緑も少し)のシーンを見てみたいと毎年「紅葉情報」を気にかけています。
「世の中に絶えて紅葉(もみじ)のなかりせば.....」の心境です。

そもそも「もみじ」という正式名の植物は存在しないんですよね。
秋になって木々が色づく現象そのものを「もみじ」=「こうよう」というわけです。
私はそれを知るまで、カエデの一回り小さい種類でモミジという木があるのだと思っていました。
一般に「もみじ」と言うとき頭の中にあるのは、やはりカエデのイメージではないでしょうか(例:もみじのような手、もみじ饅頭)。

「もみじ」の語源は「もみつ(黄葉つ、紅葉つ)」という動詞で、秋になって木の葉が黄色や赤に変わることを表現したもの。
万葉集には「毛美照」という表記もあるようです。
この名詞形「もみち」が「もみぢ」になり、現代仮名遣いでは「もみじ」になりました。
今では「紅葉」の方がポピュラーですが、古くは「黄葉」が多く使われていたようです。
確かに赤くなる葉はカエデやナナカマドが目立つくらいで、黄色くなるものの方がずっと多いですね。

さて、紅葉を見に行くことを「紅葉(もみじ)狩り」と言いますが、ただ風景を見に行くだけなのになぜ「狩り」を使うのでしょう?

この言葉も万葉集にすでにあるそうです。
「狩り」という言葉、元々はもちろん動物相手の「狩猟」の意味ですが、古くから植物(薬草など)を採ることにも転用されています。
今で言うイチゴ狩り、梨狩り、キノコ狩りなどがこれですね。

「紅葉狩り」の語源については諸説あるようですが、この記事を書いている途中で偶然NHKラジオでもこの言葉を採り上げていたので、そこからの情報も参考にさせてもらいます。

いわく、狩りの途中でみごとな紅葉に出会い、本来の目的を忘れてさらに紅葉を追い求めたことから.....とか、狩りをしない貴族が狩猟になぞらえた.....とか、昔は実際に紅葉した枝を手折って持ち帰ったから.....とか.....。

ま、謂われはどうあれ、今では純粋に風景を眺めるだけになった行為に「紅葉狩り」という優雅な言葉が生き続けていること、嬉しく思います。
何も取って来ないのに「狩り」を使うのは、現代では他に思い浮かびません。
「ホタル狩り」は微妙なところですね。
観光地化しているところでは「紅葉狩り」の用法と同じだと思いますが.....。

試しに「狩り」を辞書で引いてみると、「花や木を探し求めて観賞すること」という意味も載っています。
ただ、都会で公園のイチョウの紅葉を見に行くときに「紅葉狩り」って似合いませんよね。
ラジオでも言ってましたが、「狩り」には山野へわざわざ出かけて行くという行楽のイメージがあります。
「桜狩り」という言葉もあるにはあるようですが、都市の中や近場に桜の名所がたくさんでき、そこで花見と称して宴会をやっている状況ではこの言葉もピンとこないでしょう。
自然の山桜を求めて山に入っていくのであれば「桜狩り」もしっくりきます。
「桜の森の満開の下」の鈴鹿峠のような.....。

ついでに夏の「新緑狩り」、冬の「樹氷狩り」なんてどうしょう.....?

なんてバカなこと言ってないで、さて今度の週末はカメラ片手にどこへ「狩り」に行こうかな.....。


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虫の名前

2005年10月21日 | ことば・国語
オオムラサキ、ミヤマクワガタ、ムクドリ、セイタカアワダチソウ....。
先日の朝日新聞に、生物名を何でもカタカナ表記することへの記者からの苦言が載っていました。
もともとは理系の学術文書で使われていたこの表記法が教科書や事典などでも踏襲され、世間へ広まってきたのではないかとのこと。
書き物によっては意味や情趣を大切にして漢字で書くことを提案しています。

私もブログの中では専らカタカナを使ってきましたが、確かにカタカナは機能性だけで味気ない感じがします。
余談ですが、世界史が苦手なのも人名にカタカナが多くて特徴がつかみづらい=覚えにくいからです。
同じような名前ばかりでもまだ、家康、家光、家斉などの漢字の方がイメージが湧きやすいのです。

ゲンノショウコという植物名は知っていましたが、漢字では「現の証拠」と書き、「薬効がたちまち現れる」ことから名づけられたそうです。
私は何となく「ゲン」から「幻」や「玄」を連想していたので、真実を知って驚きました。

さあ、そうなると他の生物名の漢字表記も知りたくなります。
手元にあるのは「日本の昆虫」(小学館)というポケット版の図鑑....。
他にも表記の仕方はあるのかも知れませんが、とりあえずこれに従います。

オオムラサキは「大紫蝶」、ミヤマクワガタは「深山鍬形」....。
このあたりはなるほどというだけで、別に新たな発見もありませんね。

タガメ=「田亀」....まあ、亀に見えないこともありません。
シロスジカミキリ=「白條髪切」....「紙切」だと思ってました!
オオヒラタシデムシ=「大扁死出虫」....動物の死体を食べる虫です。「埋葬虫」とも!
センチコガネ=「雪隠黄金虫」....糞を食べる虫。「cm」とは関係ないんですね。


ここからは当て字と思われます。
これでは名前の由来はわかりませんが....。

ベニシジミ=「紅小灰蝶」....イメージは納得です。
オオオサムシ=「大歩行虫」....羽が退化して飛べないそうです。
ナナホシテントウ=「七星瓢虫」....瓢箪とどういう関係が?「天道虫」とも。
そして極めつけの当て字は
オニヤンマ=「馬大頭」!....「鬼蜻蛉」より断然インパクトがありますね。


もちろん漢字ばかりでは前にも書いたように読みにくいし、雑学をひけらかしているようなイヤらしさが出ます。
ただ場合によっては、記号でしかないカタカナ表記を捨て、文化的背景の感じられる漢字をあえて使うのも一興かも知れませんね。


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読書の秋

2005年10月13日 | ことば・国語
各地の小・中・高校で行われている「朝の読書」、長野県は実施率76%で全国5位だそうです。

朝10分ばかり形だけ「読書」して、いったいどんな効果があるのか....私も初めはそんな覚めた見方をしていました。
けれど半ば強制的なそういう時間でもなければ、自分からは決して本を読もうなどと思わないであろう子どもも大勢見てきました。
むりやり「課題図書」を読まされて感想文を書かされる夏休みの宿題は、どちらかというと本嫌いを作り出す面の方が大きいと思いますが、好きな本を自分のペースで読めばいい、感想文も求めないという方法は長く続ける上でも有効です。
周りの雰囲気でページを繰るスピードが上がるということもあるでしょう。

04年度の調査によると、1ヶ月に1冊も本を読まなかった割合は、小学生で7%、中学生で19%なのに対し、高校生では43%にまで上っています。
大学でも、読む学生と読まない学生の二極化が進んでいるようです。
「朝の読書」の実施率が中学校までで高いことも、この要因の一つと考えられるのではないでしょうか。
言い換えれば、その時間がなくなったら読まない、つまり習慣化していないということにもなりますが....。

この「朝の読書」をやめる学校が増えているそうです。
理由はいわゆる「学力低下」です。
先日の朝日新聞「声」欄には、「東京都の学力テストの成績が悪いので、朝の読書は中止し、具体的な成果を上げる学習に回すことになった」中学校の例が紹介されています。
要するに計算練習や英単語テスト、漢字書き取りなどに当てようということでしょう。
朝の10分でできることと言ったらその程度です。
そんなことで学力低下が収まると本気で思っているのでしょうか。

まさか学校側も、これで目立った成果が期待できるとは考えていないでしょう。
ただ、学力、学校教育に対する世間の声を前に、何も手を打たないというわけにもいかないので、手をつけやすい所からお座なりの対策を立てている、というところではないでしょうか。
「読書は自分でヒマなときに」「それより少しの時間も惜しんで練習を」という論理に反対の声が上がりにくい空気が現場を支配している気がします。

読書の効用については、今さらここで触れるまでもないでしょう。
やはり本をよく読んでいる人にはかなわない。
何事にも深みがあり、余力があります。
私が繰り返し重要性を主張している思考力も、読書による語彙の獲得、理解力や想像力の向上なくしては養成は困難です。

目先の結果を追い求めるあまり(実際には結果も出ませんが....)、子どもたちが読書の楽しさに目覚める機会を狭めてしまっていいのでしょうか?
すぐには表に現れない力を育むための朝のたった10分間を、どうして子どもたちのために守れないのでしょうか?
残念ながらここでも学校の塾化が進んでいるようです。

昨年文化審議会は、急速に変化していく今後の社会では、今まで以上に国語力が必要だと答申し、そのために「自ら本に手を伸ばす子ども」の育成を提言しています。

それに逆行するような「朝の読書」の中止には断固反対!
学校がやらないなら塾がやります。
「塾の真価は教材以外の蔵書数で決まる」という言葉がありました。
....塾の図書館化、ますます進行中です。


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Arakawa River

2005年10月08日 | ことば・国語
富士山は英語で Mt.Fuji ですね。
浅間山は Mt.Asama、阿蘇山は Mt.Aso.....と、「○○山」という名前のときは読みが「○○やま」であろうが「○○さん」であろうが問題なさそうです。
赤石岳、乗鞍岳も Mt.Akaisi, Mt.Norikura でいいかな....。

では北岳は?....槍ヶ岳は?....仙丈ヶ岳は?
普通に考えたら Mt.KitadakeMt.Yarigatake となるんでしょうねぇ。
北岳はともかく、Mt.Yariga とか Mt.Senjoga なんて変ですもんね。
それとも Mt.Yari, Mt.Senjo でしょうか?

どこまでを固有名詞と捉えるかという問題ですが、いろいろ調べてもよくわかりません。
「○○さん」と読むもの以外は「○○ざん」も「○○やま」も、すべて「山」まで含めて固有名詞扱いする(Mt.Asamayama, Mt.Asosan)という見解もありましたが、これは少し極端すぎるような....。

そう言えば、「岳」じゃなくて「山」だけど困るのもありますね。
北アルプスの立山や鳥取の大山。....これはどう考えても Mt.Tateyama, Mt.Daisenでしょうね。


川の名前も迷います。
よく橋のたもとなどにある国土交通省の看板。
「○○川」に添えた英語表記を見ると、「かわ」や「がわ」の部分の扱いが様々です。

信濃川、利根川、隅田川あたりは Shinano River, Tone River, Sumida River でいいと思うのですが自信がありません。
荒川や犀川(長野県と石川県に別々にあり)は間違いなく Arakawa River, Saigawa River でしょう。(昔埼玉のどこかで Ara River という表記を見た記憶もありますが....。)

わからないのが多摩川や江戸川です。
Tama RiverEdo Riverでいいような気もするのですが、Tamagawa River, Edogawa River が普通のようです。

実は川の名前に関しては(社)日本河川協会というところのHPに見解が載っていて、それを参考にしましたが、要は「特に決まっていない」ので「どちらが語呂がいいか」程度のことだそうです。→「日本の川の英語名での表記について」


寺や橋は、読みに関係なくほぼ100% Zenkoji Temple, Meijibashi Bridgeのようです。
神社はデータがないんですが、これは「じんじゃ」まで入れると固有名詞部分が長くなりすぎるかな....。
と思って、世界遺産の厳島神社を調べたら、登録名は Itsukushima Shinto Shirine でした。
でも明治神宮や出雲大社は Meiji-jingu Shirine, Izumo-taisha Shirine になるんでしょうね....。

まあルールを決めるほどのことでもないと思いますが、一つ私なりの案を....。
基本的には「山」「岳」や「川」まで含めて固有名詞とし、Mt.Kitadake, Arakawa River などのように言う。
ただし、日本語で慣用的に「山」「川」などを付けずに使うこともあるものは、その部分だけを固有名詞と考える。
たとえば「富士に登る」「四万十の風」→Mt.Fuji, Shimanto River
江戸川や多摩川の「江戸」や「多摩」は河川名より地域を表わすことが多いのでダメ。

と、ここまで考えたところで、今度は城の名前は?という疑問が浮かびました。
城と言えばこれも世界遺産の姫路城!
さっそく調べると登録名は....Himeji-jo....あれ?!


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漢字力=国語力ではない

2005年10月06日 | ことば・国語
昨日の朝日新聞に「大学生、漢字が苦手」という見出しの記事がありました。
漢字検定2級の過去問を使った調査で正答率が4割を切り、特に「四字熟語の書き取り」や「誤字訂正」「対義語・類義語」では10数%の正答率しかなかったという内容です。

記事はこの結果から大学生の国語力低下へと話を進め、対策に動き出した大学の実践例を紹介しています。

しかし、これは少し短絡的すぎないでしょうか?
「分数ができない大学生」のように、些細なことから話を広げすぎています。
漢字力も国語力の一部であることに異論はありませんが、あくまでも「一部」に過ぎません。
しかも国語力の本質からはかなり遠いところに位置する「一部」だと考えます。

漢字の読み書きは、わからなければ調べれば済むことです。
私もちょっとあやしい漢字はすぐに辞書を引きます。
仕事や私信で日常使う漢字もあやふやでは大変でしょうが、「安寧秩序」や「軽挙妄動」がすぐに書けなくても、それほど支障があるとは思えません。

四字熟語にしても、大切なのは意味を正確に理解し使いこなせることであり、漢字でスラスラ書けるかどうかではないはずです。
高度な漢字力より、むしろ語彙の豊かさや読解力、言語表現力の高さこそが、大学生にも社会人にも求められているのではないでしょうか。

世は資格・検定ブームのようで、公から民まで実に様々な検定があります。
それについても言いたいことがあるのですが、また別の機会に譲るとして、中でも老若男女問わず人気なのが「日本漢字能力検定」いわゆる「漢検」です。

この漢検がなぜそんなにもてはやされるのか、私には理解できません。
入試でも、英検や数検と並んで内申書でのプラスポイントに考慮されるようです。
履歴書に書ける資格として、2級以上を目指している人も多いと思います。

でもよく考えてみてください。
漢字の読み書きがどれだけできるか、熟語の構成を知っているか否かを測ることにどんな意味があるのでしょう。
しかも2級や1級になると、まず普段は使わない特殊な漢字ばかり....。
先に触れた四字熟語や対義語・類義語にしても、意味がわかって書いているとは限りません。
英単語をどれだけ正確に書けるかで資格が取れますか?

漢検は漢検としてあってもいいのです。
挑戦したい人はがんばって勉強すればいい。
そのこと自体にケチをつけるつもりはありません。
でも漢字にいくら詳しくなっても、それは所詮「ものしり」「雑学王」にすぎないと思うのです。
それだけでは趣味や特技の域を出ないということです。

言い換えれば、自分の楽しみ、知的な遊びとして捉えれば、漢検はとても魅力的なものだと思います。
それ以上でもそれ以下でもありません。

むろん検定のために努力した過程は評価されるべきであり、入試でのプラス査定もそこに根拠があるならわかります。
ただ、英検や数検と同じレベルで評価するのはどうなんでしょう?
国語力という観点で考えれば、むしろ文検(文章能力検定)などの方を高く評価すべきだと思いますが....。

最後に一言。
ワープロで簡単に漢字が出てくるので、注意しないとつい漢字が増えてしまいます。
私もそうなりがちなので、いつか読んだ本にあったこんな言葉を肝に銘じています。

  「漢字が多い文章はバカに見える」

難しい漢字を多用することが賢いのではないのです。
知っているけどあえて使わない....そんな上品な文章を書きたいものです。


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