朝日新聞の「声」欄にこんな投書が載っていました。
「いただきます言わせない親」というタイトルです。
北海道のある中学校で、生徒の母親から「学校側に給食費を払っているのだから、うちの子に『いただきます』を言わせないでほしい」という要望があったと知り驚いたという話。
私もこれを読んで唖然としてしまいました。
金を払っているんだから「いただきます」は必要ない.....なんと貧しい発想なのでしょう。
お金を貰う側のときはペコペコしているくせに、払う側になるととたんに態度が大きくなり上からものを言う.....私が一番嫌いなタイプの人間です。
ウェイトレスや料金所のおじさんに横柄な口をきく奴、よくいませんか?
本来「いただきます」は、食卓に上ってくれた動物や植物に対して「あなたの命をいただきます」という感謝の言葉です。
もちろん食事を作ってくれた人に対する「ありがとう」の気持ちも含まれます。
よく英語では「いただきます」にあたる言葉がないと言いますが、その代わりに神に対する祈りを捧げることが一般的ですね。
洋の東西を問わず、今日も無事食事を摂ることができる感謝の気持ちを自然や人すべてに対して表しているのです。
ところで「いただきます」に比べて語源がわかりにくいのが「ごちそうさま」です。
調べたところ、「馳走」というのは漢字からもわかる通り、馬に乗って走り回ること。
何のために走り回るかと言えば、食べ物を得るためですね。
それが、客のために走り回ることから「もてなし」の意味になった。
で、もてなされた側がそのことに感謝する言葉として「ご」「様」が付いた形に変化し、江戸時代後半頃から今のように食後に使う習慣ができたようです。
結局、あたりまえですが、「いただきます」も「ごちそうさま」も根本にあるのは「感謝」の思いですね。
合掌して言う人も多いせいか、仏教色を強く感じてそれを嫌う人も多いようですが、言葉自体は宗教を越えて日本人の生活に根づいているのではないでしょうか。
いや、根づいてきたと言うべきか.....。
伝え残したい日本語の一つですね。
冒頭の話のような、お金を払えば感謝は要らないとうのが資本主義の究極の考え方だとしたら、あまりにも淋しい.....。
物を買うためにお金は必要だけど、売った側だけでなく買った側にも「ありがとう」の気持ちはあると思うし、あるべきだと思います。
そう言えばアフリカのある部族では、プレゼントを貰った方ではなく、あげた方が「ありがとう」と言う習慣があるそうです。
小学生の国語教材で読みました。
「もらってくれたお陰でいい行いができた。ありがたいことです。」という意味だそうです。
今の殺伐とした世の中を少しでも変えられるのは、日常の何気ない感謝の一言かも知れませんね。
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「いただきます言わせない親」というタイトルです。
北海道のある中学校で、生徒の母親から「学校側に給食費を払っているのだから、うちの子に『いただきます』を言わせないでほしい」という要望があったと知り驚いたという話。
私もこれを読んで唖然としてしまいました。
金を払っているんだから「いただきます」は必要ない.....なんと貧しい発想なのでしょう。
お金を貰う側のときはペコペコしているくせに、払う側になるととたんに態度が大きくなり上からものを言う.....私が一番嫌いなタイプの人間です。
ウェイトレスや料金所のおじさんに横柄な口をきく奴、よくいませんか?
本来「いただきます」は、食卓に上ってくれた動物や植物に対して「あなたの命をいただきます」という感謝の言葉です。
もちろん食事を作ってくれた人に対する「ありがとう」の気持ちも含まれます。
よく英語では「いただきます」にあたる言葉がないと言いますが、その代わりに神に対する祈りを捧げることが一般的ですね。
洋の東西を問わず、今日も無事食事を摂ることができる感謝の気持ちを自然や人すべてに対して表しているのです。
ところで「いただきます」に比べて語源がわかりにくいのが「ごちそうさま」です。
調べたところ、「馳走」というのは漢字からもわかる通り、馬に乗って走り回ること。
何のために走り回るかと言えば、食べ物を得るためですね。
それが、客のために走り回ることから「もてなし」の意味になった。
で、もてなされた側がそのことに感謝する言葉として「ご」「様」が付いた形に変化し、江戸時代後半頃から今のように食後に使う習慣ができたようです。
結局、あたりまえですが、「いただきます」も「ごちそうさま」も根本にあるのは「感謝」の思いですね。
合掌して言う人も多いせいか、仏教色を強く感じてそれを嫌う人も多いようですが、言葉自体は宗教を越えて日本人の生活に根づいているのではないでしょうか。
いや、根づいてきたと言うべきか.....。
伝え残したい日本語の一つですね。
冒頭の話のような、お金を払えば感謝は要らないとうのが資本主義の究極の考え方だとしたら、あまりにも淋しい.....。
物を買うためにお金は必要だけど、売った側だけでなく買った側にも「ありがとう」の気持ちはあると思うし、あるべきだと思います。
そう言えばアフリカのある部族では、プレゼントを貰った方ではなく、あげた方が「ありがとう」と言う習慣があるそうです。
小学生の国語教材で読みました。
「もらってくれたお陰でいい行いができた。ありがたいことです。」という意味だそうです。
今の殺伐とした世の中を少しでも変えられるのは、日常の何気ない感謝の一言かも知れませんね。
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当ブログでの発想は、戯言がゆがんでしまいすいませんでした。
では、このことについて。
いただきます、ごちそうさま。
今食べることができることへの慈しみ、食べることができたことへの慈しみ、という意味ではありませんでしたか?神云々よりも、すべての慈悲に...合掌じゃあなかったかい!アサピーに兼ね云々いっているクソ親よ、てめーらがクソな子供を育てるのだ、いい加減気付けバーローめ!もうちょっと本格的に書かせてください。
買い手への感謝。売り手への感謝。つまり両方だ!
ものを買っているから、金を払った方がえらいんだという気でいるクソが多い。俺の嫁もそうだが...(爆)。でも、最近の商売人はまたこれが増えてきていますね。これは商いとはいえません。
もぅ本当に日本もいよいよ終わりですね・・・
最近は、子供の手本となるような大人が激減しているような気がします。
18歳人口の激減よりも、
このまともな大人の激減を心配したほうがよいのでは・・・
って思えますね。
「いただきます」を言わせないで欲しい?? 笑っちゃいます。でも、世の中には変な人がいることは僕も知っているので、無理やり納得してます。
ありがとうございました。
こんにちは。
そんな親がいたとは驚きです。
感謝の気持ちがない親の子供が勉強ができるようになるとは思えません。たとえできたとしても、正直そんな子供の能力は認めたくないです。勉強はできなくても感謝の気持ちの篤い、そんな子供になって欲しいものです。
これはしばらく前に別のところで私が書いたものなのですが。
私は若い頃、この仕事に就く前は中学校相手の模擬試験や問題集を扱う、いわゆる「出入りの業者」をしていました。
優しくしてくれる先生もいましたが、すごい高いところから見下ろす先生もいて、とても胃が痛くなる仕事でした。
何言われても、相手からお金をもらう以上、けっして言い返せません。
今は教員の側で、もう長いこと、この仕事をしていますが、あの頃会った一部の先生を反面教師として、公平に人と接するよう、心がけています。
まあ、あの頃があったからこそ、ちょっとくらいの辛いことなら耐えられるようになりましたけどね。f(^^;)
特に教員という仕事は、いろいろなタイプの人がいますが、「俺は人より上の立場だ」と口には出さなくても、そういう態度をありありと出す人が多くいるように感じます。
特に公立。 厳しい教員試験を勝ち抜いて、日頃もストレスがたまる仕事を抱えてたいへんなのはよくわかりますけど、そのことを威張るのはどうかと・・・。(もちろん、そうじゃない先生もたくさんいますよ)
消費者対お店、役人対市民(国民)・・・どちらが上だという意識を持つと、世の中殺伐としてしまうような気がします。
そうではなくて、どちらの側も相手を敬う、そして自分が謙遜する態度が、世の中を円満に巡らせる潤滑油になるのではないかと思います。
長くてすいませんf(^^;)。
・・・このまま自分の記事にしちゃおかな、なあんてf(^^;)。
感謝の気持ちがわからない親に育てられた子供は不幸です。
私愛用の名言集。本日の言葉「感謝して受ける者にこそ豊かな収穫がある」です。
感謝が出来ない人は、収穫もないのです。
勉強は、ある程度、学校、塾に任せたとしても、人間としての基本的なことは、きちんと教えられる親でいたいです。
買い手、売り手、両方に感謝がない。おっしゃる通りですね。いっそのこと物々交換に戻しましょうか?
それにしても、こういう話題のときはテツさんの文体の方がピッタリですね。クソ親!!
まともな大人の激減、全くです。毎日片道30~40分車に乗りますが、マナーの悪い奴が本当に目につきます。交通ルールだけでなく、窓からゴミや火のついたタバコを捨てるバカども。義務も果たさず権利ばかり主張する「民主主義者」.....。やはり教育が間違っているんでしょうか.....。
お忙しそうですね。コメント欄閉鎖されたので淋しいです。毎日お邪魔はしてるのですが.....。
その人自信が「変な人」であるのは一向に構わないのですが、この件は子どもや周りに悪影響を与えるので私は絶対納得したくないですね。この親とサシで話をしたいくらいです。