「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

「文化の発展」への期待―『ひとはなぜ戦争をするのか』

2017年01月01日 | Arts
☆『ひとはなぜ戦争をするのか』(A・アインシュタイン、S・フロイト・著、講談社学術文庫)☆

  本文は50ページにも満たない薄い本である。「訳者あとがき」(浅見昇吾)、「解説Ⅰ ヒトと戦争」(養老孟司)、「解説Ⅱ 私たちの「文化」が戦争を抑止する」(斎藤環)を加えても100ページあまりである。アインシュタインとフロイトがこのような往復書簡を交わしていたことを数年前までまったく知らなかった。斎藤さんの「解説Ⅱ」によると、二人は1926年にベルリンで実際に会って対話もしていたという。二人にはユダヤ人であるという共通のルーツがあり、戦争への関心と平和への願いもお互いに持ち合わせていた。その想いがこの往復書簡に結実している。
  1932年アインシュタインは国際連盟からの依頼で、好きな相手を選び「いまの文明でもっとも大切と思える問い」について意見を交換することになった。アインシュタインは相手にフロイトを選び、「戦争」をテーマとした。当時53歳のアインシュタインも76歳のフロイトもすでに碩学といっていい著名な物理学者、心理学者だった。だからフロイトも当初「今日の知のフロンティアにあるような問題」をアインシュタインが選ぶのではないかと思っていたが、取り上げたテーマが「戦争」と聞き驚きを禁じ得なかった。しかしナチスが勃興してきた当時の時代背景を考えると、二人のユダヤ人にとって「戦争」は切実な問題でもあった。
  アインシュタインがいわゆる「世界政府」の構想を持っていたことはよく知られている。ここでもアインシュタインは「すべての国家が一致協力して、一つの機関を創りあげ(中略)この機関に国家間の問題についての立法と司法の権限を与え」ることを提案している。しかし皮肉なことに、依頼主の国際連盟にそのような権限はなく、数多くの人々の努力の甲斐もなく国際平和は実現しそうになかった。そこでアインシュタインは平和への努力に抗う人間の「権力欲」と「権力にすり寄るグループ」の存在を挙げ、そこに憎悪と破壊という人間の本能的な欲求を見る。この前提に立ってアインシュタインはフロイトに問いかける―「人間を特定の方向に導き、憎悪と破壊という心の病に冒されないようにすることはできるのか?」と。
  フロイトはアインシュタインの問いかけに対して、自らの精神分析研究の発想をもとにして答えていく。そこで用いられるのが「生の欲動」(エロス)と「死の欲動」(タナトス、この「死の欲動」が自分の外の対象に向けられると「破壊欲動」になる)という概念である。斎藤さんの解説から引用すれば、これらは両価的で表裏一体ともいえる存在であり、どちらも人間にはなくてはならないものであって、単純に善悪の評価を下すことはできない。結局のところフロイトは「人間から攻撃的な性質を取り除くことなど、できそうにもない!」と結論づける。
しかしフロイトはこの結論に失望することなく、戦争を克服する間接的な方法を提案する。つまり「死の欲動」に対抗する「生の欲動」すなわちエロスを呼び覚ますことである。人と人との間の感情と心の絆―「愛するものへの絆」と「一体感や帰属意識」を作り上げることが、すべての戦争を阻むはずであるという。さらにもう一つフロイトが提示したのは「文化の発展」である。フロイトによれば、文化の発展が人間の心と体のあり方に変化を引き起こす。すなわち人間は文化によって獲得された知性を強めることで欲動がコントロールされ、攻撃欲動は外ではなく内へと向かうようになる。文化の発展によって、究極的には戦争への拒絶反応が「体と心の奥底からわき上がってくる」ようになるという。
  フロイトの精神分析理論は思弁的であり、「実在」にこだわる人々―とくに科学者にとってはなかなか受け入れがたいところがあるかもしれない。そのことを思うと、物理学者であった(それも量子力学に疑義を抱き続けた)アインシュタインがフロイトに対して人間の本能的な心のあり方について問いかけたことに、アインシュタインの深い知性を感じる。個人的なことをいえば、天文学や物理学に興味を持ち続けてきた一方で、精神分析や臨床心理学といった一見自然科学とは水と油のような学問にもかなりの関心を抱いて啓蒙書などに接してきたので、フロイトの応答書簡にも斎藤さんの解説にも違和感を覚えることはなかった。むしろ養老さんの解説に―アルゴリズム的な視点など興味深い点を感じながらも―やや平板な印象を持った。
  二つの世界大戦のはざまで交わされたアインシュタインとフロイトとの往復書簡の時代から見れば、新たな大規模な世界大戦の危機は遠のいているようにも見える。しかし一方で、アメリカの次期大統領にトランプ氏が選ばれ、ヨーロッパでは右傾化の傾向も見え隠れしている。日本にもそのような傾向がないとはいえないであろう。このような状況はフロイトのいう「文化の発展」に逆行する「反知性主義」の現れのようにも思われる。「文化の発展」を促すのは教育の力である。経済発展や短期的な利益に資する教育ではなく、先々の長い未来を見据えた教育にこそ、われわれは人類の未来を託さなければならない。そのことが結局は、フロイトのいう「文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩みだすことができる!」と思うからである。

  

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 月と金星と土星がつくる三角形 | トップ | それでも最大の天文学者だっ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Arts」カテゴリの最新記事