「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

人間を映す鏡としてのAI 「共感」のすすめ―『AIの時代を生きる』

2021年12月04日 | Science
☆『AIの時代を生きる』(美馬のゆり・著、岩波ジュニア新書)☆

  本書『AIの時代を生きる』は『理系女子的生き方のススメ』以来、久しぶりに読んだ美馬のゆりさんの著書。
  実はAI(人工知能)そのものに関する本を読むのはたぶん初めてである。AIに関する本といえば、AIで世の中はますます便利になるといったバラ色の夢を語るものか、AIで仕事が奪われたり個人情報の監視や漏洩といった不安を煽るものに二分化されているような印象を持っていた。そのどちらにもついて行けない気持ちだった。本当はそのどちらでもないというか、そのどちらの可能性もあるので、中庸の道を探るのが本筋だろうとは思っていた。しかし、自分の身近に直接AIを感じさせるモノがないこと、AIについての認識も不足していたことなどで、これまでAIについて考える必要性はあまり感じていなかった。
  ところが、ここ数年、いろいろな場面で機械翻訳を使う機会が増えてきた。それも一般的な内容ではなく、それなりに専門的な文章の翻訳である。初めて機械翻訳のツールを使ったのはたぶん十年近く前ではないかと思う。その当時と比べると、いま使っている、ある翻訳ツールは格段に進歩していて、しばしば驚かされる。もちろん、現時点で、その翻訳文をそのまま公にできるほどの品質ではないが、そう遠くない将来、ごく簡単なチェックだけで、そのまま公表できるようになるにちがいない。わたし自身は翻訳者でも通訳者でもないが、AI関連の未来予測にもあるように、少なくとも「翻訳するだけ」の翻訳者や「通訳するだけ」の通訳者は確実に失業するだろう。
  また、数年前、スマート農業や配車サービスについて調べる機会があったのだが、その時も、その背後にAI的なものを感じた。大量生産ではない非均一化した農業を実現しようとすると、さまざまな要素が複雑に絡み合い、言ってみれば農業者の個人的な技の集積であったりする。配車サービスもまた利用する個々人のニーズをうまくマッチングしなければならない。この問題を解決するには、これまでのコンピュータプログラミングを超えたAI的な技術の必要性を何となく感じたのである。
  そんなこともあって、そろそろAIについて少し知っておくべきではないかと思うようになってきた。そんな折り、美馬さんが本書を上梓されたと知った。美馬さんは教育工学や認知科学的な分野を横断的に研究されていることはSNSなどを通して存じ上げていたし、発想の豊かさも前著『理系女子的生き方のススメ』で折り紙つきなので、早速アマゾンで購入。すぐに本書の目次を眺めてみたのだが、正直なところ、とても驚かされた。「共感」という言葉や「ケア」という言葉さえ出てくるのである。少なくとも自分の中にあるAIのイメージとはかけ離れていた。AIは進歩したコンピュータ(ある意味そのとおりなのだろうが)、翻訳ツールや病気の診断ツールとしてのコンピュータ、つまり「エキスパートシステム」程度の認識で止まっていたからだ。
  本書はAIの「現在」からはじまって「未来」の可能性を紹介し、AIの技術的な側面や社会的な影響へと話題が及んでいく。技術的な話題ではAIと機械学習・深層学習との関係はとても興味深く、また新鮮だった。とくに「深層学習」は、その名前だけは知っていたが、その意味するところはまったく知らなかった。先の機械翻訳や日々利用しているインターネットが深層学習と無縁でないことが理解できた。社会的な面では、いまさまざまなメディアでも取り上げられているSDGsとの関わり合いやジェンダーギャップについても触れられている。そこから本書の主題は「共感」へと収斂していく。
  ここでまた驚きがあった。コールバーグやギリガンの道徳論(「ケアの倫理」)はどこかで読んだ覚えがあるのだが(内容ほとんど忘れてしまったけれど)、まさかAIの本で出会うとは思ってもみなかった。今後AIには、この「ケアの倫理」すなわち人間は一人では生きられない存在であるとする「関係論的視点」を取り込む必要性を説いていく。最終的にAIエンジニアは「共感デザイナー」の役割を担うべきだと美馬さんは指摘している。ここで一つ注意しなければならないのは「共感」(エンパシー:empathy)は「同情」(シンパシー:sympathy)ではないということ。同情は他の誰かの苦悩や悲哀を感情として受け止めることであるのに対して、共感は他者の意図を理解し共有する「力」であるということ。この「共感力」とケアの倫理を掛け合わせることで、「他者」の枠組みは人間から社会や自然へと広がっていく。共感デザイナーは、そこに横たわる問題を発見し解決していく要となり、そしてAIはその問題解決のためのツールとして期待されることになるのだろう。
  残りの章では、ジュニア新書らしく、現役の学生、生徒や、若い方々、子どもたちを対象として、AIに関する具体的な「学び」の方法論や活用法について展開されていく。ここでとくに興味深かったのはSTEM教育(Science:科学、Technology:技術、Engineering:工学、Mathematics:数学)にA(Art:芸術)を加えたSTEAM教育について紹介されていたことだ。近年、個人的な趣味としての芸術を超えて、芸術の持つ力について、その重要性が再認識されてきているように思われる。しかしここでは、単なる芸術という意味を超えて、表現する能力やモノづくりを意味し、デザイン思考と理解すべきだろう。
  それともう一つ、最近急速に必修化が進みはじめている日本のプログラミング的思考(教育)について、日本のそれは「コンピュータのように考える」という比喩が用いられるが、美馬さんは「コンピュータサイエンティストのように考える」べきであると指摘している。ここを読んでちょっとほくそ笑んでしまった。いや、膝を打ったと言うべきかもしれない。われわれ人間はコンピュータではないし、コンピュータになるべきでもなく、コンピュータを作ったのは人間であることをあらためて思い出させてくれた。AIもまた然りだろう。「不便益」や「便利害」についても触れられているのも、美馬さんならではの偏りのない視野の広さゆえだろう。
  本書は、とりあえずAIについて基本的なことを知りたい、自分のAIについての思い込みや誤解を解くためにも基礎的な知識を知りたいと思い読みはじめた。しかし、読み進めるうちに、AIを知ることは人間を知ることなのではないかと思うようになった。AIの特性すなわちAIが得意なことは、基本的に人間が不得意なことであるはずだ。そうであるならば、人間は何が得意で何が不得意なのかを知る必要がある。結局のところ、AIを知ることは人間を客観的に眺めてみるための鏡のようなものではあるまいか。実に凡庸な結論に行き着いてしまった。しかし、注意しなければならない。鏡に映った自分の姿が自分自身ではないように、AIは必ずしも人間を映した像ではないかもしれない。そこはもはや哲学的な議論の場になるのかもしれないが、AIも「他者」として捉えたとき、そこにどのような可能性や、あるいは危険性があるのか、そういった議論もいずれ必要になってくるかもしれない。
  それはさておき、本書を読む直前、たまたまツンドク状態だった『未来をはじめる』(宇野重規・著、東京大学出版会)を読んだ。この本は政治学についての本だが、学校で習うような政治の話や用語はほとんど出てこない。東京にある中高一貫の女子校で行われた講義が元になっていて、とてもわかりやすく非常におもしろい本だった。サブタイトルは、「人と一緒にいること」の政治学、である。「人と一緒にいること」は人間の本質だけれども、一人ひとり違いのある人間が集まれば対立も必然的に生じる。その違いや対立を乗り越えていかに一緒に暮らしていくか、そこに政治が生まれる。本書の「関係論的視点」と相通じるものがある。この本にもほんの少しだがAIのことも出てくる。AIはまちがいなく政治を変えるだろうと。政治はとてもシビアな問題である。だからこそ、AIが政治と関わりを持つようになれば、果たしてどのような問題が生じるのか、いまから考えておくべきだろう。
  『AIの時代を生きる』も『未来をはじめる』も、そこに明確な答は示されてはいない。むしろ、若い人たちに、未来のこと考えようと、いろいろな問いかけがなされている。いずれにしても、これからの時代は、一人ひとりが「共感デザイナー」としての資質を求められるようになるのではないか。そうでなければ、いまここで、とりあえず不自由もなく、ものを食べ、本を読み、ネットを見て、友だちと楽しんでいる人々が、将来確実にツケが回ってくる気候変動の問題など解決できるはずがないだろうと、気が付けば「高齢者」の仲間入りをしてしまったわたしは考える。SDGsは目標を設定してくれるが、「共感」なしに目標の達成などあり得ないだろう。いま世界中で多くの(とはいえ、まだ一部ではあるのだろうが)若者たちが気候変動問題について声を上げている。それを見て一部の大人たちは揶揄、嘲笑している。しかし、少なくとも若者たちの「共感力」を、わたしは評価したいと思う。そして、そんな若者たちが端緒となって、AIを駆使し、AIと共存する未来を夢見て、わたしはこの世を去りたいものだと思う。
  本書の「おわりに」で「22世紀まで生きる読者のみなさん」に対して「チャンスというバスが来たら乗ってみてください」と呼びかけている。乗ってみれば、そこには今まで見たことのない世界が広がっていることでしょう、と。そして、乗らないことには始まりません、と。『未来をはじめる』でも、哲学者のハンナ・アーレントの「人間が生まれてきたのは始めるためである」という言葉が紹介されている。
  高齢者だってバスに乗るのに遅いことはない。何かのチャンスがあればAIのことをもっと勉強してみたいと思うようになった。ものになろうがなるまいが、それはどうでもいい。乗ってみれば、今までとはちがう世界が見えてくるかもしれないではないか。とにかく、乗ってみよう。乗らないことには始まらないのだから。
  本書は、来世紀まで生きられなくても、今日を明日につなげる希望を抱かせてくれた本である。
  最後に一つだけ残念に思ったことを書き留めておく。本書には参照した本や参考になる本が何冊も紹介されている。しかし、巻末(章末)にその書名の一覧が載っていない。いわゆる「参考文献」がないのである。本文を読んでいて気なったあの本、もっと勉強してみたいと思ったとき読みたい(読むべき)本を、もう一度ページを繰って探さなければならない。その点だけがちょっと残念であった。でも、面倒なことを、面倒だなと思いながらやるのも人間らしくて良いかもしれないと思い直している次第である(笑)

  


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2 コメント

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参考図書リスト (美馬のゆり)
2023-03-27 08:30:05
おかげさまで、増刷が決まりました。5月に第2刷が出ます。
それにあわせ、ご指摘のあった、参考図書リストを掲載しました。
https://noyuri.jp/living-in-the-age-of-ai-introduction
対応が大変遅れ申し訳ありません。
昨年末ごろから、生成型AI、とくにchatGPTが世界中で話題になっています。そのような状況にあって、本書で示した内容は、ますます重要になってくると考えています。
ありがとうございました! (euler)
2023-03-27 12:20:36
美馬のゆり さま
ご丁寧にありがとうございました。そのうち何冊か読んでみようと思います。それにしてもchatGPTの出現には驚かされました。正直なところ恐怖感すら覚えました。今後AIという「他者」とどのように関わっていくのか、哲学的、倫理的な洞察がますます必要になってくるように思います。

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