『私の青春文学紀行』(松本侑子・著、新潮社)
羨ましいの一言につきる。旅は日常からの離陸である。読書とりわけ物語の世界に遊ぶことも慌しい日々を一時忘れさせてくれる。そんな物語の舞台を訪ねる旅となれば、それは至福の時間以外の何物でもない。自らの足で小説のストーリーを追い、自らの目で有名なシーンが演じられた場所を見てみたい。あるいは科学史上の発見の舞台となった大学や、思想を育んだ街並みを訪ねてみたいと何度も思ったことがある。文学・科学・哲学の現場に立ち、そこで見たことや思ったことを拙い言葉であれ文章に綴り、それを本にできたならばどんなにか幸せだろうと夢見た。思いはあっても実現するのは難しい。それが現実だ。時間的な制約や経済的な問題が壁になっていたり、ときには運不運も作用しているかもしれない。それでも紀行の旅が実現しないのは、結局は意志の問題なのではないかと思う。愛情の深さと言い換えてもいいだろう。
ここに載せられた『赤毛のアン』を含む16作品に対する松本侑子さんの愛情にはなみなみならぬものを感じる。松本さんの『赤毛のアン』への思い入れは『赤毛のアンへの旅~秘められた愛と謎』をはじめ一連のアン関連の著作を読めばわかるが、他の15作品についても強い愛着が感じられる。作品や作者を語る松本さんの目線がつねに暖かく、批判的な評価が感じられないからだ。たとえば『風と共に去りぬ』では人権意識に関わる負の側面を指摘しながらも、作品に脈打つ普遍的な生命力を評価する。モームを読んだことはないが、松本さんによればモームは辛辣で、人嫌い、女嫌いだそうである。それでも、モームの圧倒的な言葉の力によって表出された南太平洋のロマンチックな情景は忘れることができないという。また、名作『月と六ペンス』のタイトルに秘められた意味を初めて知ったが、松本さんは「月」と「六ペンス」の両方を大切にして生きていきたいという。そこに松本さんご自身の人間としての姿勢というか誠実さを感じる。マーク・トウェインの楽天的な世界観が消えた晩年の作風にふれて、作家の幸福とは何だろうかと自問する。その真価が生前に理解され後世も読みつがれることが最上の幸せと自答されるが、そこにも「松本侑子」という作家・翻訳家の衒いのない誠実さが感じられる。戦争の責任は名もない一般の人たちにもあるというアンネの問いかけや、ナチスに抵抗したケストナーの人生を紹介することで、単なる文学紀行で終わらない社会的な視角を松本さんが堅持していることもわかる。ここまで広く深く作品を読み込もうとする意志、すなわち愛情がある松本さんだからこそ紀行の旅が実現したのだろう。その愛情を超えることは容易ではない。だから、旅を現実のものとするのは難しい人が少なくないだろうが、16編の物語と自らが交差するところに思わぬ発見をするかもしれない。
青春とはいつまでのことをいうのだろうか。あるいは中年とは何歳のころで、いくつになったら熟年というのだろうか。たしか歌謡曲の歌詞にもあったと思うが、青春の真っ只中にいるときは「青春」などという言葉は口にしないものだ。その意味でも、いまはもちろん青春の域にはない。自分が中年であれ熟年であれ、人生の秋(「白秋」)を感じ始めているのはたしかだ。松本さんもまた青春を終えたからこそ「青春文学紀行」が書けたのではないかと思う。ヘッセは青春の挫折と中年の危機を乗り越えた作家だそうである。松本さん同様、青春や若さは掛け値なしにすばらしいと自分も思う。一方で、中年になって新しい創作を続けたヘッセの人生にふれて、別の深い力が潜み新たな可能性を秘めている中年の日々もまた、松本さんは評価する。青春を後にしたものにとっては励ましの言葉である。同時に、ほぼデビュー当時から「松本侑子」を読んできたものにとっては―たいへん失礼ながら―若い「松本侑子」の口からは出そうにない言葉に思えた。あくまで個人的な印象だが、前面へと向かっていた鋭さは、いまや深みを掘り下げる方向へと転化したように思える。時間が移ろうように当然のことなのだが、中年の域を迎えた「松本侑子」をあらためて発見した思いだ。そんな松本さんのガイドに従って、たとえば「若きウェルテルの悩み」のところを読むと、ロッテを思うウェルテルの気持ちに自分を重ねていたころが思い出され、青春の懊悩にひとり赤面した。この『私の青春文学紀行』は、年来の「松本侑子」ファンのみならず、青春を顧みる年頃になったものにとっては、自らの青春時代の読書を振り返るだけではなく、再び自分の内面へと旅するきっかけになってくれるように思う。
先の『赤毛のアンへの旅~秘められた愛と謎』でも、掲載された写真の多くは松本さんご自身が撮影されたものだ。そこで失礼をかえりみず「玄人はだし」と評した。ところが、本書に収載されたすべての写真(数えてはいないが270点余りにのぼるそうだ!)も松本さんが撮られたものだと伺い、「作家・翻訳家」の肩書に「写真家」を加えるべきではないかと思った。本書は「写真集」としても十二分に通用するだろうし、そもそも数多くの美しい写真にひかれて手に取る人も少なくないと思う。どの写真も優劣つけがたいが、「はるかなるわがラスカル」の扉につかわれている森と湖沼の写真は奥深い緑がみごとだ。個人的にはディープエコロジーと関わりの深いアメリカの原生自然(wilderness)を思わせる。同じ緑でも「アンネの日記」の扉は若々しい新緑の色に彩られている。けれども隠れ家から見た外の風景だと思うと、芽吹きの色は逆にアンネの悲哀をきわだたせているように見えてくる。アムステルダムを流れる運河(クリークというそうである)やチューリップの咲きほこる公園の写真も平和なたたずまいを見せているが、この街もかつてはナチスに蹂躙され、街の景色さえ自由に楽しむことができなかったアンネのことを思うと心が痛む。風景だけでなく建物や街並みの写真も少なくない。旅で訪れた街並みをそぞろ歩くのは、そこで生活する人たちの息吹が感じられて楽しいものだが、動きのある街並みの一瞬をカメラで切り取るのは意外とむずかしい。ザルツブルク旧市街の繁華街を仰角で撮った写真は小さなあつかいだが、街並みを飾る華やかな看板を大きくして見てみたいものだ。他にも作品の舞台となった建物の内部、作品を執筆した室内、さまざまな装飾品や博物館などに所蔵されている資料まで、あらゆる角度から作品・作者に迫っている。書誌データ(本の表紙の写真)に至っては、現在一般的に流通している本と並んで、ごく一部だが松本さんご自身が当時読まれた本まで載っている。心憎いまでの配慮である。「旺文社」だの「高橋健二訳」などという文字を見ると「感涙もの」と言いたくなってくる。自分にかぎらず中年読者が青春時代にタイムスリップするときの手助けになるだろう。
最後にもう一言。『赤毛のアン』はブラウニングの詩で始まり、ブラウニングの詩で終わっている。この『私の青春文学紀行』も「赤毛のアン」で始まっている。それでは終わりは? 別れ、再会、郷土愛、やまと言葉に絡めてフィナーレもまた心憎いばかりだ。長旅もいずれは出生の地にもどってくるものなのかもしれない。
羨ましいの一言につきる。旅は日常からの離陸である。読書とりわけ物語の世界に遊ぶことも慌しい日々を一時忘れさせてくれる。そんな物語の舞台を訪ねる旅となれば、それは至福の時間以外の何物でもない。自らの足で小説のストーリーを追い、自らの目で有名なシーンが演じられた場所を見てみたい。あるいは科学史上の発見の舞台となった大学や、思想を育んだ街並みを訪ねてみたいと何度も思ったことがある。文学・科学・哲学の現場に立ち、そこで見たことや思ったことを拙い言葉であれ文章に綴り、それを本にできたならばどんなにか幸せだろうと夢見た。思いはあっても実現するのは難しい。それが現実だ。時間的な制約や経済的な問題が壁になっていたり、ときには運不運も作用しているかもしれない。それでも紀行の旅が実現しないのは、結局は意志の問題なのではないかと思う。愛情の深さと言い換えてもいいだろう。
ここに載せられた『赤毛のアン』を含む16作品に対する松本侑子さんの愛情にはなみなみならぬものを感じる。松本さんの『赤毛のアン』への思い入れは『赤毛のアンへの旅~秘められた愛と謎』をはじめ一連のアン関連の著作を読めばわかるが、他の15作品についても強い愛着が感じられる。作品や作者を語る松本さんの目線がつねに暖かく、批判的な評価が感じられないからだ。たとえば『風と共に去りぬ』では人権意識に関わる負の側面を指摘しながらも、作品に脈打つ普遍的な生命力を評価する。モームを読んだことはないが、松本さんによればモームは辛辣で、人嫌い、女嫌いだそうである。それでも、モームの圧倒的な言葉の力によって表出された南太平洋のロマンチックな情景は忘れることができないという。また、名作『月と六ペンス』のタイトルに秘められた意味を初めて知ったが、松本さんは「月」と「六ペンス」の両方を大切にして生きていきたいという。そこに松本さんご自身の人間としての姿勢というか誠実さを感じる。マーク・トウェインの楽天的な世界観が消えた晩年の作風にふれて、作家の幸福とは何だろうかと自問する。その真価が生前に理解され後世も読みつがれることが最上の幸せと自答されるが、そこにも「松本侑子」という作家・翻訳家の衒いのない誠実さが感じられる。戦争の責任は名もない一般の人たちにもあるというアンネの問いかけや、ナチスに抵抗したケストナーの人生を紹介することで、単なる文学紀行で終わらない社会的な視角を松本さんが堅持していることもわかる。ここまで広く深く作品を読み込もうとする意志、すなわち愛情がある松本さんだからこそ紀行の旅が実現したのだろう。その愛情を超えることは容易ではない。だから、旅を現実のものとするのは難しい人が少なくないだろうが、16編の物語と自らが交差するところに思わぬ発見をするかもしれない。
青春とはいつまでのことをいうのだろうか。あるいは中年とは何歳のころで、いくつになったら熟年というのだろうか。たしか歌謡曲の歌詞にもあったと思うが、青春の真っ只中にいるときは「青春」などという言葉は口にしないものだ。その意味でも、いまはもちろん青春の域にはない。自分が中年であれ熟年であれ、人生の秋(「白秋」)を感じ始めているのはたしかだ。松本さんもまた青春を終えたからこそ「青春文学紀行」が書けたのではないかと思う。ヘッセは青春の挫折と中年の危機を乗り越えた作家だそうである。松本さん同様、青春や若さは掛け値なしにすばらしいと自分も思う。一方で、中年になって新しい創作を続けたヘッセの人生にふれて、別の深い力が潜み新たな可能性を秘めている中年の日々もまた、松本さんは評価する。青春を後にしたものにとっては励ましの言葉である。同時に、ほぼデビュー当時から「松本侑子」を読んできたものにとっては―たいへん失礼ながら―若い「松本侑子」の口からは出そうにない言葉に思えた。あくまで個人的な印象だが、前面へと向かっていた鋭さは、いまや深みを掘り下げる方向へと転化したように思える。時間が移ろうように当然のことなのだが、中年の域を迎えた「松本侑子」をあらためて発見した思いだ。そんな松本さんのガイドに従って、たとえば「若きウェルテルの悩み」のところを読むと、ロッテを思うウェルテルの気持ちに自分を重ねていたころが思い出され、青春の懊悩にひとり赤面した。この『私の青春文学紀行』は、年来の「松本侑子」ファンのみならず、青春を顧みる年頃になったものにとっては、自らの青春時代の読書を振り返るだけではなく、再び自分の内面へと旅するきっかけになってくれるように思う。
先の『赤毛のアンへの旅~秘められた愛と謎』でも、掲載された写真の多くは松本さんご自身が撮影されたものだ。そこで失礼をかえりみず「玄人はだし」と評した。ところが、本書に収載されたすべての写真(数えてはいないが270点余りにのぼるそうだ!)も松本さんが撮られたものだと伺い、「作家・翻訳家」の肩書に「写真家」を加えるべきではないかと思った。本書は「写真集」としても十二分に通用するだろうし、そもそも数多くの美しい写真にひかれて手に取る人も少なくないと思う。どの写真も優劣つけがたいが、「はるかなるわがラスカル」の扉につかわれている森と湖沼の写真は奥深い緑がみごとだ。個人的にはディープエコロジーと関わりの深いアメリカの原生自然(wilderness)を思わせる。同じ緑でも「アンネの日記」の扉は若々しい新緑の色に彩られている。けれども隠れ家から見た外の風景だと思うと、芽吹きの色は逆にアンネの悲哀をきわだたせているように見えてくる。アムステルダムを流れる運河(クリークというそうである)やチューリップの咲きほこる公園の写真も平和なたたずまいを見せているが、この街もかつてはナチスに蹂躙され、街の景色さえ自由に楽しむことができなかったアンネのことを思うと心が痛む。風景だけでなく建物や街並みの写真も少なくない。旅で訪れた街並みをそぞろ歩くのは、そこで生活する人たちの息吹が感じられて楽しいものだが、動きのある街並みの一瞬をカメラで切り取るのは意外とむずかしい。ザルツブルク旧市街の繁華街を仰角で撮った写真は小さなあつかいだが、街並みを飾る華やかな看板を大きくして見てみたいものだ。他にも作品の舞台となった建物の内部、作品を執筆した室内、さまざまな装飾品や博物館などに所蔵されている資料まで、あらゆる角度から作品・作者に迫っている。書誌データ(本の表紙の写真)に至っては、現在一般的に流通している本と並んで、ごく一部だが松本さんご自身が当時読まれた本まで載っている。心憎いまでの配慮である。「旺文社」だの「高橋健二訳」などという文字を見ると「感涙もの」と言いたくなってくる。自分にかぎらず中年読者が青春時代にタイムスリップするときの手助けになるだろう。
最後にもう一言。『赤毛のアン』はブラウニングの詩で始まり、ブラウニングの詩で終わっている。この『私の青春文学紀行』も「赤毛のアン」で始まっている。それでは終わりは? 別れ、再会、郷土愛、やまと言葉に絡めてフィナーレもまた心憎いばかりだ。長旅もいずれは出生の地にもどってくるものなのかもしれない。