「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

余韻は続く(続・フォスフォレッセンス)―『恋の蛍 山崎富栄と太宰治―取材ノート』(『小説宝石』)他

2009年12月29日 | Yuko Matsumoto, Ms.
☆『恋の蛍 山崎富栄と太宰治―取材ノート』(松本侑子・著、光文社『小説宝石』2009年12月号掲載)、『ブック・インタビュー・旬の作家―松本侑子』(光文社『HERS』2009年11月号掲載)、『太宰治の津軽をたずねて』(松本侑子・著、ヒロ・コミュニケーションズ『私の時間』2009年12月号掲載)、「太宰治~その文学と生涯、最後の恋」(朝日カルチャーセンター立川)、「ヴィヨンの妻と山崎富栄~尽くす女の幸せとは」(三鷹ネットワーク大学)☆

  まだまだ『恋の蛍』の余韻が続いている。昨年に引き続き今年も介護と仕事に追われた一年だった。最良の息抜きはその合間に暇を見つけての読書だ。“商売”用の本はほとんど読めなかったものの、何冊かの好みの本に出会うことができたのは幸いだった。なかでも『恋の蛍』は最大の収穫だった。
  『恋の蛍』の感動をもっと味わいたくて、『小説宝石』の「取材ノート」や『私の時間』に載ったエッセイを読み、『HERS』の著者インタビューの記事にも目を通した。
  さらに、立川の朝日カルチャーセンターで開催された松本侑子さんの講演会「太宰治~その文学と生涯、最後の恋」と、三鷹ネットワーク大学での松本さんの講座「ヴィヨンの妻と山崎富栄~尽くす女の幸せとは」にも足を運んだ。
  立川での講演会は太宰の話がメインだったが、取材の過程で松本侑子さんご自身が撮影した多くの写真も映写された。『私の青春文学紀行』などにも見られるように、松本さんの取材と写真は切り離せない。写真を見ることで、その作家―いまの場合は太宰治―の生い立ちや作品の背景などが視覚的に捉えられる。さらに、写真をよく見れば、著者・講演者である松本さんの意図もより理解できるように思う。
  『私の時間』のエッセイにも、松本侑子さんが撮影した何枚かのカラー写真が掲載されている。太宰の故郷である津軽を旅した短い紀行文だが、写真を見ながら読むと、津軽時代の太宰のこころについつい思いを馳せてしまう。大地主の家に生まれた苦悩や、母性愛に飢えていた太宰の心情が「斜陽館」や「子守・たけの胸像」の写真からも見えてきそうだ。



  三鷹の講座ではタイトルどおり、山崎富栄や太田静子、妻の美知子がメインとなっている。立川での講演会とは異なって、写真の上映は最後に少しあっただけで、『ヴィヨンの妻』、『フォスフォレッセンス』、『おさん』などの太宰の作品と女性たちとの関わりについて手際よく話された。立川と比べると、より『恋の蛍』の内容に近い感じがした。
  印象深かったのは、富栄がなぜあれほどまでに太宰に魅かれたのか、それに対する松本侑子さんの解釈である。恋愛感情はもちろんあっただろうが、それを超えて、戦争ですべてを失った富栄は「骨太の」太宰を「敬愛」していたからだろうという。太宰といえば暗くて自虐的なイメージをまず思い浮かべるが、実は「骨太の」作品も少なくない。松本さんは何度も「骨太の」という言葉を使っていたが、「社会批評的」と言い換えてもいいだろう。
  日本はアメリカを中心とした連合国側に敗れ、価値転換が迫られた時代だった。そんな中にあって、富栄も太宰も日和見的な態度をよしとしなかった。二人が出会い魅かれあったのは、ある意味で時代が用意した必然だったのかもしれない。富栄にとって太宰との出会いは「彼女の心と体と知性を満たすものでした」と、『HERS』のインタビューで松本侑子さんは答えている。『恋の蛍』に描かれているように、富栄は「頭の悪そうな女」などではなく、当時としては最高の知性をもった女性だった。



  もちろん太宰の側から見れば、恋愛感情とともに、看護婦や秘書役としての富栄はかけがえのないものだった。闘病、経済的な困窮、様々な心労、情死に憧れる美学などの要因が重なって(『小説宝石―取材ノート』)太宰の心は自殺へと傾き、やがて富栄を伴って死へと旅立つ。常人の倫理に照らし合わせれば身勝手きわまりない行為である。(ちなみに、松本さんは当時の検視の状況や事件性の有無についても、綿密な取材で明らかにしている)
  その一方で、富栄に対する心遣いからか、富栄の夫・奥名修一を鎮魂しているかのような作品も残している。それが『フォスフォレッセンス』である。松本侑子さんによると、太宰治の研究書などでも『フォスフォレッセンス』は一般的な幻想小説としての解釈がなされているという。しかし、小説に描かれた供花の情景は、富栄が実際に自分の部屋で行っていたことだという。もちろん証言の裏付けもなされている!
  富栄と太宰の情死はたんなる恋愛感情としてだけ語るべきものではなく、ましてや富栄が太宰を独占しようとした情痴的な事件などではない。情死の背景には時代や戦争に翻弄される人間の姿がある。三鷹の講座で松本侑子さんが最後に力説したのは、時代背景や戦争が二人に与えた影響についてだった。『恋の蛍』を読み終えたとき、自分もまた強く感じたことである。著者・松本侑子さんの想いが読み取れたように感じ、わが意を得た気分がした。
  もちろん講座ではかたい話ばかりでなく、ときにはユーモアをまじえ、受講者から小さな笑いがもれることもあった。講座の最初と最後に簡単なクイズもあった。太宰の妻・美知子の出生地はどこか、太宰の墓の向かい側の墓は誰の墓か、の二問である。太宰を読んでいる人たちにとっても意外と盲点らしく、正解者は多くなかったようだ。(正解は『恋の蛍』をお読みください)
  以前にも書いたことだが、太宰治については中学・高校の教科書程度の知識しかなかった。もちろん入水自殺したことは知っていたが、山崎富栄さんのことは名前さえ知らなかったし、とくに興味を持つこともなかった。今年ほぼ一年を通じて『恋の蛍』を読み、太宰治という人間のことが少しはわかったように思う。そして、太宰と情死した山崎富栄さんが揶揄されるような存在ではなく、むしろ希有な知性と情熱をもった女性であったこと、その富栄さんと太宰が死へと至る背景には社会の動乱があったことを知った。
  二人の死を美化するつもりはない。しかし、松本侑子さんの徹底した取材と冷静な筆致で描かれた富栄さんと太宰は、いま自分の中でいきいきと甦っているように感じる。このことだけでも、『恋の蛍』との出会いは決して小さくなかったと思う。
  『恋の蛍』のメディアなどでの紹介は、まだまだ少ないように思うが、もっと読まれてしかるべき本である。近年、松本侑子さんは「赤毛のアン」シリーズで知られているが、それこそ「骨太の」作家であることも知ってほしい。松本侑子ファンとしての個人的な想いではあるが。
  

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