「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

牧野富太郎の実像に迫る快作―『牧野富太郎の植物学』

2023年08月20日 | Science
☆『牧野富太郎の植物学』(田中伸幸・著、NHK出版新書、2023年)☆

  現在放送中のNHK朝ドラ「らんまん」を毎回楽しく見ている。モデルは高知県(土佐)出身の植物学者・牧野富太郎(1862 – 1957)。ドラマはタイトル「らんまん(爛漫)」のように花が咲き乱れ光り輝くような人生を送った主人公「槙野万太郎」を描いている。しかし、ドラマの「槙野万太郎」はモデルとなった実在の「牧野富太郎」のように愛する植物に一生を捧げることになるのだろうが、二人は完全にイコールなわけではない。ドラマのストーリーはあくまでオリジナルである。
  牧野富太郎は独学で植物学の研究を究め、「日本の植物学の父」と称されることが多い(わたしもかつてそのように書いたことがある)。また、牧野が命名した植物は1500種とも2500種とも言われている。こういった牧野にまつわる英雄伝説・逸話について本書は植物分類学の視点から真実を解明し、その実像に迫っていく。著者の田中伸幸氏は現在国立科学博物館植物研究部陸上植物研究グループ長であり、朝ドラ「らんまん」の植物監修をつとめている。「槙野万太郎」と「牧野富太郎」がどこまでイコールであり、どこが異なるのかを知る上でうってつけの植物学者である。
  ただし、気をつけなければならないのは、本書は牧野富太郎の人物像を考察するものではなく、牧野の研究業績に関する学問的な意味や影響について、科学的な考察を中核に据えた書籍である。そのため、できる限りわかりやすく書かれているように思われるが、植物分類学の専門的な用語や知識について、とくに前半ではかなりのページ数を割いている。その部分は、植物学や植物分類学になじみのない読者にとって一読して頭に入るはずもなく、流し読みもやむを得ないかもしれない。
  しかし、不思議なもので、著者は多くの具体的な例を挙げながら植物分類学の専門的知識を読者に説明してくれるのだが、そのレクチャーを読みながら、著者の植物分類学への深い愛情を感じてしまう。このことは、とりもなおさず著者の牧野富太郎に対する敬愛の念にも結びついているように思われる。
  本書の後半では、門外漢にとっては研究業績以上に目を奪われてしまう繊細極まりない植物画や、教育者や随筆家などとして活躍した牧野の後半生に焦点が当てられている。いわば「サイエンスコミュニケータ」としての牧野富太郎である。一般読者にとっては前半と比べてページを繰る手指は少々軽くなるかもしれない。しかしそれでも後半から読むのではなく、前半で「フロラ」「タクソン」「学名」「和名」「二名法」などについてざっと目を通しておいた方が良いと思う。
  と言うのも、先に「牧野が命名した植物は1500種とも2500種とも言われている」と書いたが、「牧野富太郎は、生涯に1355(約1400)の学名を発表した」が最も正しいという。この表現には「種」が入っていないが、それを理解するためには「タクソン」の概念について理解しておく必要があるからだ。
  著者の田中氏は、あれほど精密な植物画を描ける牧野には表面に現れない「緻密な計算高さ」が備わっていたのではないかと推測する。また、牧野は標本の整理をほとんどしなかったという。実際に標本という形にしたのは東京都立大学に設立された牧野標本館の教官やスタッフだった。さらに、われわれは植物を愛した牧野ならば、さぞかし自然保護にもこころを砕いたのではないかと思ってしまう。ところが、牧野の植物愛は一種の支配欲の現れであって、牧野はタクソノミスト(分類学者)ではあってもエコロジストではなかったという指摘も興味深い。植物を採集した後に牧野がとった行動には驚かされてしまう。
  科学者と呼ばれる人たちの写真は、たいていすまし顔で堅物の印象を受ける。しかし、牧野富太郎の写真は笑顔や無邪気なポーズの写真が多く、いかにも天真爛漫である。講義や観察会の指導でも茶目っ気にあふれていたという。牧野は幼くして両親を亡くし、郷里の野山で草木と過ごす孤独な子どもであった。著者は「孤独な人間ほど、道化師になる」「写真の中で戯けて見せる笑顔の奥には、佐川村での幼少期の孤独があるような気がしてならない」と書いている。
  牧野富太郎は「独学の研究者」と言われるが、独学とはどういう意味だろうか。いわゆるアカデミズムと無関係に研究を進めたという意味ならば、牧野は一時期であれ当時の東京大学というアカデミズムの中核で研究に取り組んだのは事実であって、けっして独学の人ではなかった。また、日本の植物学の基礎を築いたのは矢田部良吉であり、牧野を「日本の植物学の父」と呼ぶのは正確ではない。牧野が命名した植物の数や標本数にしても科学的には正確さを欠いている。
  牧野富太郎は、科学的な根拠に欠ける大袈裟な数字や、数多くの逸話や伝説の類いに彩られ、われわれ一般人には煌びやかな存在に見えている。しかし、実際の牧野は、そういった不正確な情報で装飾や形容される必要がないほど、日本のフロラ(植物相)研究に大きな業績を残し、その影響は現在も続いており、さらに未来へと引き継がれるものだという。
  著者によれば、牧野富太郎は「天下一品の植物オタク」として生涯を植物研究とその知識の啓蒙に費やし、自分らしく自由に生き抜いた。牧野が生きた時代は、そういう人生を送ることが可能な時代でもあったのである。われわれは牧野富太郎の天真爛漫な外見に隠された孤独感や植物愛(それがある意味偏執的であったとしても)、そして何よりも偉大な業績の真の価値にこそ目を向ける必要があるだろう。

  以下の画像は、2012年に国立科学博物館で開催された「牧野富太郎生誕150年 植物学者牧野富太郎の足跡と今」展を見に行ったときのパンフレット。植物学や植物分類学には疎かったが、見応えのある展示が多かった覚えがある。

        

  


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