「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

女性天文学者を可視化する見事な試み―『女性と天文学』

2022年02月05日 | Science
☆『女性と天文学』(ヤエル・ナゼ・著、北井礼三郎・頼順子・訳、恒星社厚生閣)☆

  言うまでもないことだが、人類の半分は女性である。それにもかかわらず、人類の歴史は男性の歴史であるかのように書かれてきた。少なくとも現在、わたしたちが学校などで習う歴史はそうであるように見える。
  人類の歴史の一部である科学の歴史は、人類一般の歴史以上に、男性中心の歴史観で貫かれている。科学の中でも最も古い起源を持つ天文学の分野も変わりない。もしあなたが少しばかり天文学に詳しかったとしても、天文学史上に名を残した女性を何人挙げることができるだろうか。ひょっとすると一人の女性も挙げられないかもしれない。
  天文学に携わった女性がいなかったわけではない。女性の天文学者はたしかに存在していた。しかし、さまざまな理由から、女性天文学者の名前は歴史の表舞台に現れることは少なかった。結果的に彼女たちの名前も残らなかった。
  現在では、女性天文学者個人の伝記や、それに類するような本は少しばかり出版されるようになった。それは、業績云々以前に、女性だからという理由、女性天文学者が珍しい存在であるからということの裏返しであるのかもしれない。
  たとえそうであったとしても、女性天文学者の生涯や業績が紹介されることは、素直に喜ぶべきことだろう。天文学や宇宙に興味を持つ女性たちを励まし、まだまだ男性社会の性質を色濃く残しているかもしれない天文学の分野で、いま活躍している、まさに羽ばたこうとしている若い女性天文学者たちに勇気を与えるだろうから。また、男性天文学者に対しては、女性天文学者についての認識を新たにする機会となるだろう。
  本書は、そういった励ましや勇気、新たな認識をさらに広げてくれる、すばらしい良書である。女性天文学者個々人の枠を超えて、古代ギリシャから現代に至るまで、女性天文学者の生涯に焦点を当てながら、彼女たちの業績を中心として、天文学の歴史を振り返ることができる。
  前述した女性天文学者個人の伝記の類いは何冊か持っていたが、女性天文学者全般を対象にした天文学書を読んだのは初めての経験であった。かなり以前から、天文学に限らず科学とジェンダーの関係について興味を持っていて、さらに天文学についてはアマチュアながらそれなりの知識もあったので、女性天文学者の名前はかなり知っているつもりだった。
  しかし本書を読み始めて愕然としてしまった。ひいき目に見ても半分程度の女性天文学者の名前は本書で初めて知った。もしプロの天文学者であったら、すべての名前を知っているのだろうか。天文学の分野も細分化が進んでいるので、そんなことはないであろう。ならば天文マニアのような博識家ならばどうだろうか。
  いや、個人的に名前を知っているか、知っていないかということよりも、天文や宇宙の話をしているときに、ふつうに女性天文学者の名前が出てくるような、そんな環境になることが重要なのだと思う。女性の天文学者や天文愛好家が珍しがられたり、特別視されたりしない世の中になることが大事なのだ。
  最後に一言付け加えておきたいと思う。科学や天文学に限らないことなのだが、女性が少ないのは業績を上げた女性が少ないからだろうという人がいる。しかし、業績を上げるためには、その前提としてさまざまなチャンスが男女に公平に与えられなければならない。業績の評価についても同様である。
  ところが、そういったさまざまなチャンスが、そして公平性が、社会では可視化されず、透明なガラスのように、その存在が見えなくなってしまっている。「ガラスの天井」と言われる所以である。本書が、天文学における「ガラスの天井」を可視化し、打破していくきっかけになることを願いたい。同時に、天文学だけでなく、物理学でも生物学でも、同様の主旨で書かれた本が出版されることを望みたい。

  


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