或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

近所の「ヤカラ」を見て思う

2012-07-18 04:47:24 | 日記
「矯正」とは「語学の習得」に似ている。

歳をとればとるほど、難しくなってくる。

図体ばかりがでかくなって、

「成長」というものがどこにも見当たらないような、ただの、

「ヤカラ」と化した青年たちを見ていて、深く思う。

もっと早くに、「教育」されていれば、どうにかなったのかもしれないが、

真宗的に見れば、

「ヤカラはヤカラにしかなり得ない」、

とも言えるわけで、そういった、「縁の集合体」にしか過ぎんのだと、割り切るしかない。

また何らかの、矯正へとつながるような「縁」を得れば、修復される可能性は、無くもない。

ただ、あのような、「ヤカラ」、にそういった縁が巡ってくる日が来るのか、はなはだ疑問ではある。

しかし、私自身もまた、阿弥陀様の御心によって、有り難い「仏縁」を頂いたのであるから、

可能性が皆無、というわけではない。

いくつになってそうなるのかはわからないが、何とか死ぬ前に、「縁」の巡りあわせで、

良い方向へと導いて頂けるのならば、「ヤカラ」、から抜け出せる日が来るかもしれない。