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或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

やはり仏教に還るのか

2013-10-26 22:36:41 | 日記
中核病院の元副院長であり、現在、

デイケア専門クリニックの院長である先生とは、

月に一回、面談がある。


いろんな話をするのであるが、

人によってもさまざまであるようだ。


私の場合、哲学、宗教、思想、の話が多い。

それで以前、NHKの「こころの時代」を勧められたことがある。


そして今回の「こころの時代」は、

「中村元 ブッダの人と思想 セレクション(1)」、

であった。


これは、平成7年に放送されたものの、アンコール放送である。

ブッダ、つまりは釈尊の事であるが、その、元々の教え、

「初期仏典」を基本とした、「仏教そのもの」、を、

解説、説明してくれているプログラムである。


先生のお話に、「仏教は元々、単純で当たり前だが、

忘れてしまいがちな、人間のあるべき姿を説いたもの」、

という言葉があった。


中村元さんは、まさにその「初期仏典」での、

「本来の仏教」を、教えて下さった。


色々な哲学、宗教、思想、を経巡ってきたが、

結局は、仏教に還ってきそうである。


単純だが、人としてあるべき姿を、端的に伝えてくださっていると思う。

意外とこの「単純に」、というのが難しいことだと思う。


漢籍からの翻訳が多く、お坊さんも普段は、

漢訳仏典を使うことが多いと思われる日本に於いて、

原典の日本語訳をしてくださった中村元さんは、

まさに、私の「廻心」とまでは、いきなりいかなくとも、

曇っていた眼(まなこ)を、綺麗にするきっかけを作ってくださった、

と言える。


勿論、この番組を勧めていただいた先生にも、

感謝、である。

nicht nur N-kun, sondern auch H-kun

2013-10-25 18:38:58 | 日記
結局昨日は本文を書かずに済ました、

「N君やまい考」、

ですが、多分周りの人ならわかっているであろうことが、

このエントリのタイトルです。


構想していた本文中に、「同類」として、

「H君」、

も登場するはずでしたが、知らない人にはわからないでしょう。

でも、今日、二人とも、私とは挨拶も話もしませんでした。

勿論私からする義理もありません。一応、「親しい」と思われている関係ですが。


で、今日もまた、バカなことをしていました。

N君もH君も、「パンセ」によって、

「切って捨てられる」、

のですが。


ま、今日も本文はありません。今私は、心地いいので、あげつらう必要がないからです。

せいぜい、「精神科デイケアライフ」を、「自分たちなりの方法」で、愉しんでくださいな。

気を遣って、「死ね」?

2013-10-24 21:44:10 | 日記
 「ボケるよりリスク低い? 世間は「ツッコミ過多」傾向に」

 「AERA 2013年9月30日号」

より。


締めに、

「ツッコミのうまい人はそういった気遣いができる。気遣いのないツッコミはただの『揚げ足取り』」、

とあります。


メジャーどこの芸人が、

「死ね」「死んでしまえ」「死んだらいいのに」、

と言うのには、気遣いがあるんでしょうか?

ツッコミはツッコミでも、安直、じゃないでしょうか。

しかも、「死」というものを、これだけ簡単に使ってしまうのは、


「脳みそタケヤ味噌」、


以下じゃないでしょうか。


世界的にはどうなんでしょう?

ツッコミ文化は日本だけのものでしょうか。

もしほかの国にもあるとすれば、

こんなに安直に、「死」という言葉を使うのでしょうか?

こんな精神が、

「日本独自の文化」、

だとすれば、まさに、

「日本は野蛮人の集まり」、

と言われても仕方ないでしょう。

レベルも低い、低俗な民族、と言われても仕方ないでしょうな。

N君の病(やまい)考

2013-10-24 19:35:26 | 日記
なぜ精神科デイケアに通っているのか、

他のメンバーからは分からないN君ではあるが、

ちょっと化けの皮がはがれたような気がした今日の朝だった。


「音楽の時間」というプログラムで、―



ここまで書いて、今の彼女から電話があった。

とてもハッピーになってしまったので、

上述の文などどうでもよくなった。

だから、ここでやめておく。

一つだけ書いておくとすれば、

やはり、「パンセ」からの論理展開ではあった。

パスカル「パンセ」~その4

2013-10-19 03:02:36 | 日記
入門書を読み終え、とうとう「パンセ」本体を読み始めた。


いきなり耳が痛かった。

自らの偏向した精神が糾弾されているような感覚がする。

でも、「断章五」に於いて、「自己弁護」に使えてしまえそうな文言が出てきた。


「彼らは、私が自分の時計によって判断しているのを知らないのだ。」。

パスカル「パンセ」~その3

2013-10-18 21:59:32 | 日記
同じく、現時点での理解の範疇内の筆記である。


結局は、人間皆同じ、と書かれているように思う。

だから、統合失調症である私にとっての、

外界の捉え方、他者の理解、自己の分析、

といったものも、大して健常者や他の障害者とも変わりはない、

と思える。


「パンセ」では、「自己愛」=「自我」がベースであると書かれている。

つまりは、皆同じく、「自我ベース」の人生である。

だから、誇大妄想や自己卑下、といったものは、持つ必要性がない。

関係妄想や被害妄想も同じく。

つまり、そのように思われる他者の言行も、自分と大して変わらぬ心で、

行われているだけなのである。

そこに引っかかってしまいがちなだけで、別に他人が笑っていようが、

意味ありげな話をしていようが、自分とは無関係なのである。


当たり前、と思われるかもしれないが、統合失調症の場合、

「何か自分に対して行われている」、「自分は特別な存在」、

と、自分に関連付けて理解してしまいがちなのである。

そこを取っ払ってしまえば、何の苦もない。


入門書を読み終えて、本丸の「パンセ」に挑んだとき、

「同じ人間」として、健常者と変わらぬ読み方ができるか、

更に、「一般的」「普遍的」な捉え方ができるか、

そこが問われてくると思う。

また、そうありたい、と思う。

そうなりつつある、と感じてもいる。

パスカル「パンセ」~その2

2013-10-18 20:34:09 | 日記
まだまだ入門書の途中ではありますが。


「パンセ」によると、人間が恐れる究極のもの、

そこから離れるために、人間の思考、活動がある、というもの、

それが、「死」。

「死」そのもの、というよりも、

「死を考える」こと自体が恐怖であり、

そういうことをしないために、人間らしい生活、というものがある。


だから、恋愛だってそういうものの中に含まれるわけで、

純粋理論として、恋愛は肯定される。


ある意味、私は「死」を恐れていなかった。

しかし、今の彼女との恋愛の中で、

「死んじゃいけない」、

と思うようになった。

そこに幾許かの関係性を、「パンセ」の中に見出した。

つまり、今の彼女との恋愛は肯定されるものであって、

恋愛の中に生きる、ということも、「人間らしい」、

と言えるように思えた。

だからこそ、「死んじゃいけない」し、「死を考える」ことは、

避けなければならない。

情動的にも、彼女を残して早死にすることは、自分でも認められない。

今の彼女にも感謝だし、「パンセ」にも感謝、である。

パスカル「パンセ」

2013-10-18 19:12:18 | 日記
Y.M.さんのセクハラ話なんて、

しょうもないこと、

を書くつもりなんかはなくて、

本当はこっちの方が、本題。


おわかりのように、私は、

統合失調症患者、

ではあるが、本が読めないほどではない。


で、あるきっかけで、「パンセ」、を知った。

実は私は、パスカル、と言えば、物理学者、

としか思ってなかった。

だがこの本に出会って、面白い、と思った。

まぁ実際には、入門書、を読んでいる段階で、

「パンセ」自体はまだ読んでいないのではあるが。


面白い、と書いたが、一般的にわかりやすく言えば、

興を惹いた、

というべきだろう。

色々と考えさせられるし、刺激的である。


今までは、どちらかと言うと、「老子」、にハマっていて、

「無為」こそ目指すところ、であったのだが、

一気に180度、転回してしまった感がある。

まぁ、「老子」や、その流れをくむ、「禅宗」、

への興味も、失せたわけではないが、

西洋哲学にも、興味が出てきた、と言えるかもしれない。


まずはとにかく、「パンセ」。

これが私にとっての、「箴言集」、となるかもしれない。

だからこそ、Y.M.さんへの感覚も、「パンセ」を読んでいくことによって、

変わっていくかもしれない。まぁ、今はまだ、「何ゆうてるんやろ」、

としか思えない、Y.M.さんであるが。

ある意味、笑える

2013-10-18 18:25:58 | 日記
私に無差別のキスをしてきたのは、

Y.M.さんだが、この人が、今日、面白い言葉を口にしていた。


「セクハラ」、


である。

これは笑える。

じゃあ、「あんたがしてきたあの行為は、セクハラじゃないの?」、

と問い返せる。


何の話かいちいち聞く必要性もないので、内容は知らないが、

「セクハラ」と言われても仕方ないことをした人物が、

「セクハラ」について語るというのは、とても面白い。


まぁ、もちろんの如く、精神科デイケアですから。

そういう人もいますわな。

「1984」を望むのか?

2013-10-12 04:31:31 | 日記
NHKの、

「グローバルディベートWISDOM『監視される世界~ネットが変える国家と民主主義~』」、

を見て。


まだ第一部しか見ていないが、本当にこれでいいのか?

アメリカの情報当局や、それに加担した企業は、まさに、

「1984」で描かれる、「ビッグブラザー」による監視管理社会、

及び、その影響下にある、「相互」監視管理社会、

を実現しようとしているようにしか思えない。

しかも、アメリカの世論調査では、今回の、「情報当局による全世界通信傍受」について、

「是」と「非」が、半々になっている。想像力が欠如しているのか?何も考えていないのか?

更に驚いたことには、番組での世論調査(勿論、ほとんどが日本人であろう)の結果も、

ほぼ同じ、なのである。

「自分はやましいことをしていないから大丈夫」、とでも思っているのかもしれないが、

この言葉を知らないのかもしれない。

「痛くない腹をさぐられる」。

まぁ、日本は、明治体制(明治から敗戦まで)による、「軍国主義」、

がまだ残っているのかもしれないし、「ファシズム」や「ナチズム」と手を組んだことを、

未だに「覚えている」というか、逆に、「あの頃はよかった」なんて思っているのかもしれないが。

また、江戸時代も含んで、「隣組」「村八分」「連座制」などが、

未だに息づいている、旧態依然とした、「前近代的ムラ社会」国家、なのかもしれない。

こりゃ近隣諸国から警戒されて当たり前ですなぁ。「国防軍」が実現できるかどうか。


まだ第二部を見てはいないけれども、「この程度の人間」、が半数を占めるのが日本人、

ということですな。アメリカも同じだけれども。両国そろって、

「帝国主義」と言われても、仕方ないですな。甘んじて受けなさい、「是」とした人々。

僕が死のうと思ったのは

2013-10-01 18:43:50 | 日記
ちょっと、世間からは遅れてるけれども、

中島美嘉さんの、

「僕が死のうと思ったのは」、

を聴き、歌詞を読みました。

カップリングの、「Today」も同じく。


何か、この二曲に自分が凝縮されているような気がします。

「だから、これからこうする」という風には、

今のところはなってはいませんが。


少なくとも、「自己認識ができた」というか、

「他者による自己総括の洗礼を受けた」というか。


変に考えすぎると、

またいつものような、

「思考ゲーム」、

が繰り広げられるだけのような気もするので、

「真摯に受け止める」、

だけにとどめておいた方がいいのかもしれません。


結論はありません。人生、についてですから。

ただ、何か変わるかもしれない、という可能性だけは、

ある、と言えるでしょう。

堺市は巻き込まれた

2013-09-29 08:57:22 | 日記
今日、というかもう、

「堺市長選」の「投票」、

が始まっている。


橋下大阪市長が、

「争点を見誤った」、

と語ったらしいが、

やはり、「堺市民」にとっては、

「大阪都構想」、

なんかより、

「経済や生活」、

の方が重要だったことは、当たり前かもしれない。


ただ、維新の会が勝利すれば、

「大阪都構想」へ、「大阪市だけ」でなく、

「大阪市と堺市」が巻き込まれていくのはほぼ間違いない。


しかし、なぜ、今、「大阪都構想」、なのだろうか?

堺市が組み込まれてしまえば、

せっかくなった、「政令指定都市」ではなくなり、

「大阪特別区」とでも言うべきものの、一部を占める存在へと、凋落する。


「ONE大阪」がキャッチフレーズの、橋下大阪市長ではあるが、

これは、単に、「東京都化」するだけである。

それはまず、今の大阪市域を、「東京特別区」のように、

「大阪市」をなくして、独立した5つか7つの「大阪特別区」を作り、

「東京特別区」並の権限しか与えず、

「大阪府」の力を強くするものなのである。


「東京特別区」は、それぞれ独立した存在ではあるが、

圧倒的に、都へと、権限が集中している。

「市町村よりも権限が少ない」、

と言われるほどである。


だから既に、東京都世田谷区には、

「東京都の特別区は現行法上政令指定都市になることはできない。

 そのため世田谷区には、特別区から市に移行し、政令指定都市指定を受けることを目指す議論がかねてより存在している。」、

のである。


これは?


別に「大阪都構想」を「大阪市民」が望んでいようが、

一気に権限を削られてしまうような、

「大阪特別区」へと、「政令指定都市である堺市」が編入されることに、

意味どころかメリットもなく、

「大阪府から移譲された権限を返上して、今まで以上に、大阪府の言いなりになる」、

という結果しか見えてこない。

このあたりを、ほとんど口にしていないのではないだろうか。維新の会は。


ただ単に、「維新の会共同代表同士」の、

橋下大阪市長と、石原前東京都知事が、

「大阪を東京と同じにしよう」、

と思っているだけなのではないだろうか。

これは、「大阪市民」にとっても、

「大阪都構想」は、

「それほどメリットはない」、

事を示しているのではないだろうか。


橋下大阪市長や、維新の会には何の痛みもない。

「大阪市をぶっ潰す」、

と言った橋下大阪市長にとって、

「潰したら、国政へ鞍替え」、

の、ただのステップ、に過ぎないのだから。

「何か一つ、大きなことを成し遂げた!」、

事をアピールポイントにしたいだけなのではないか、

としか思えない。


橋下大阪市長をはじめとする、維新の会が目指す方向が、

もともと、「間違っていた」、のではないだろうか。


これは、「政令指定都市」が、

「大都市用の制度」、

として作られ、

「地方公共団体の最高点」、

と思われてきたことが問題なのではなかったのか、

と考える。


「政令指定都市」がそうなった経緯に、


「1947年(昭和22年)、国は大都市が府や県から独立する制度を設けたが、

 権限を奪われることになる府県が猛反発、これに代えて権限の一部だけを

 府県から移す制度として設けられたのが政令市制度であった」、


からではないだろうか。


「維新」と言うのなら、この、

「独立市」とでも言えるようなものを、

実現させるべきなのではないだろうか。

例にドイツをあげるが、首都ベルリンは、

「都市州」、

として、他の州と同格の、

「一つの州」、

となっている。

「ベルリンが首都やからやろ」、

と言いたくなるかもしれないが、

実際には、ドイツにはほかにも、

「都市州」、

がある。

「ハンブルク」や「ブレーメン」である。

「維新」をかかげるのなら、

「大阪市の大阪府からの独立」、

こそ、その目標とすべきなのではないだろうか。


「維新の会」は、

「維新」、

と言いながら、

その「志(こころざし)」は低い、

としか言いようがない。

誤解でも結構

2013-09-28 09:41:21 | 日記
まぁもう、「気狂いのたわごと」、としかとれなくなっている方も多いかもしれないが、

一応私はデイケアに於いて、「賢いほう」、と捉えられている。

だから今回も、病院側やデイケアスタッフ側が、ちょっとビビった、のかもしれない。


今後どうする気なのかこちらにはわからないが、

とにかく今の彼女との仲をそのままにさえしていてくれれば、

こちらは、別に何の手段をとる気も無い。


あと、もしかすると、私の誤解だったかもしれない。

D氏は、今の彼女のお母さんと二人だけで話した、

らしいが、それはお母さん側からのようだ。

これはまぁ、どこにでもある、

「うちの娘との間で、子供だけは作らんといて」、

というパターンと一致する。


これには、安心してほしい、信頼してほしい、と言いたい。

彼女も子供を作る気はないし、

そんな彼女を無理矢理、何てことをするほど愚かだったり、

狂っていたり、理解できなかったりすることはない。

ただただ普通に、娘さんと交際し続けたい、大好きだから、

ということなのだから。

この、二人の仲をどうにかしようとしている、との疑惑を、

病院側、デイケアスタッフ側に抱いていたからこその、

直近のエントリの内容であり、私のカミングアウトにもつながった。


まぁ誤解ならばそれで結構。こちらも安心できる。

カミングアウトの不利益はあるかもしれないが、

それはこちらが自己責任として、受け止めたり、受け流していく。


実は色々と更なる手段を考えてはいたが、

それもまぁ誤解なら、実行には移さない。

一応、今回のことでは、誰の実名公開もしていないし、

実害はないはず。あるほうがおかしい、と言える。


さて、このまま収束、となりますかどうか。

カミングアウトしましょう

2013-09-28 06:57:21 | 日記
「カミングアウト」とは、Wikipediaにもあるように、

欧米で始まった、「同性愛の告白」、が原義ではあるが、

「日本的」には、「薬害エイズ」が端緒となって、

転用好きな日本人の手になる、日本語の意味内容の拡大、

により、「マイノリティであることの告白」、にも使われるようになった。


「大辞泉」から引用すれば、

「カミングアウト【coming-out】

 [名](スル)1 公表すること。人に知られたくないことを告白すること。
       2 同性愛者であることを公言すること。
       3 性同一性障害者が、自分がそうであると告白すること。」、

となる。私の場合は、「1」に当たる。


「goo辞書」の、「国語辞書」でも、

「カミングアウト【coming-out】  [名](スル)
  1 公表すること。人に知られたくないことを告白すること。
  2 同性愛者であることを公言すること。
  3 性同一性障害者が、自分がそうであると告白すること。」、

となる。同上、私は、「1」である。


まぁ、私の場合、文章で、すぐに、「それ」、とわかっていた方のほうが多いではあろうが。

ブログタイトルで、やってしまってはいるが、エントリ内でも行っておくと、

 「私は、統合失調症患者です」。

一応、日常社会生活が、ある程度、支障なく行えるレベル、ではありますが。


こんなことをしなければならなくなったのも、私の所属する組織、

つまりは、「ある病院の傘下にある、名ばかりの『クリニック』、

で行われている、デイケア」、がそうせざるを得なくさせた、

のであって、私は、そこの「メンバー」、つまりは、「利用者」、

であって、「体制側」とは、「病院側」であり、「デイケアスタッフ側」のこと、

である。今までのエントリも、そう思って読んでいただきたい。


さて、順序が逆になったかもしれないが、前のバージョンのブログ、

 「遅くても、青春!」~Version 22,00. 青春は恋と革命! ―瀬戸内寂聴~、

は終了。でもいつものように、残しておく。これが私が残した言葉たちだから。


しかし、やっぱり、デイケアスタッフも、病院も、

「革命!」に、過剰反応したんでしょうな。

これは笑えるでしょ?

まぁ、結果として、私は自分のことを公表しないといけなくなってしまったんですがね。

「ケ・セラ・セラ」、

かな?

自殺したくなってた

2013-09-27 22:44:02 | 日記
あれからどんどん、鬱になって、

自殺したくなってた。全部、Dのせい。

多分O課長も同類やろう。

「死をもって、グループ全体への批難を公にする」、

というところもあった。


あんな風に、「搦め手」にばっかり攻撃するのは、

多分、私を責めれば、「『社長』のハラスメントの実名告発」に踏み切るだろう、

との判断があるからこそ。そんな斟酌はできるのに、

私が自殺までしようとするところまで行くことは、

考えがつかなかったらしい。人の心がわかってないのではないか?

そんな程度の奴らなのである。


ただ、一人だけ、私を責めてくる奴はいる。

別の部署の課長級のTである。

一応、「(体制側にとってだけの)大義名分」、があるからだろう。

直接の関係者なら、Tも何も言えないだろう。

Tとの関係も、考え直さなければならないかもしれない。


こんな風に書けるようにまでなったのは、

今の彼女からの電話があって、少し、心が持ち直したからである。

あのままやったら、「事実上の人殺し」、に、

Dはなっていたのである。