或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

パスカル「パンセ」~その3

2013-10-18 21:59:32 | 日記
同じく、現時点での理解の範疇内の筆記である。


結局は、人間皆同じ、と書かれているように思う。

だから、統合失調症である私にとっての、

外界の捉え方、他者の理解、自己の分析、

といったものも、大して健常者や他の障害者とも変わりはない、

と思える。


「パンセ」では、「自己愛」=「自我」がベースであると書かれている。

つまりは、皆同じく、「自我ベース」の人生である。

だから、誇大妄想や自己卑下、といったものは、持つ必要性がない。

関係妄想や被害妄想も同じく。

つまり、そのように思われる他者の言行も、自分と大して変わらぬ心で、

行われているだけなのである。

そこに引っかかってしまいがちなだけで、別に他人が笑っていようが、

意味ありげな話をしていようが、自分とは無関係なのである。


当たり前、と思われるかもしれないが、統合失調症の場合、

「何か自分に対して行われている」、「自分は特別な存在」、

と、自分に関連付けて理解してしまいがちなのである。

そこを取っ払ってしまえば、何の苦もない。


入門書を読み終えて、本丸の「パンセ」に挑んだとき、

「同じ人間」として、健常者と変わらぬ読み方ができるか、

更に、「一般的」「普遍的」な捉え方ができるか、

そこが問われてくると思う。

また、そうありたい、と思う。

そうなりつつある、と感じてもいる。