自分のためにだけ時間を使うと
不徳になります。
私の経験を例にあげさせてもらいます。
私の妻の母が認知症と診断されて以降
義母のために多くの時間を私と妻は費やしています。
しかし。
義兄夫婦は全くと言って良いほど
自分の母のために時間をさいたことは殆どありません。
勿論、私達夫婦にも全く協力はしていません。義兄にとっても実母の事です。
妻は仕事も時折、休む事もありました。
義兄が協力してくれれば
私達夫婦の時間も、もう少しマシにはなっていのです。
義兄夫婦が自由な時間を増やす分
私達の不自由な時間が増えてました。
私達夫婦は別に、そんな事は今ではなんとも思っていません。
ほんの一例で申し上げています。
義兄にとって実の母の認知症に伴う時間だけでなく母への愛を与えてない行動。
そして
間接的に私達夫婦の時間を奪っているのです。
義兄のこのような自己中心的な行動は知らず知らずに周りへ不徳を撒き散らしているわけです。
今は義兄夫婦に、この因果応報があるかないかは分かりません。
いつか
必ず因果応報となる。と私は思っています。
私は、ある日を境に義兄夫婦を恨んだり憎んだりする事を辞めました。
そして反省しました。
それをすれば私達夫婦に良くない因果が出来るから。
義母だけに向き合っていこうと。
そのとき、その時には
『あの野郎!』と思ったものです。
こうしてやろうか!あーしてやろうか!
などとも思ってもみたりしました。
でも、それを辞める。
私達夫婦の魂の成長は
そんな義兄夫婦とは向き合わないこと。
素直に義母への愛を注ぐこと。
私は義兄夫婦の、これまでの行動と言動による不徳は
私達が罰することをしなくても
この世の法則で勝手に自分達に跳ね返っていくのなら
それが一番。
人の振り見て我が振り直せ
亡くなった母がよく言ってた諺です。
人は無意識のうちに
他人の心をかき混ぜていたり
時間を奪っていたりしているもの。
それらを少しでも少なく、小さくするには
日頃から小さな『徳』を積んでおくこと。
難しいことではありません。
社会のルールを守ること。
交通ルールも守ること。
人を怒鳴らないこと。
蔑まないこと
差別しないこと。
ゴミのポイ捨てしないこと。
痰やツバを道に吐かないこと。
そして
優しくすること。
挨拶は元気に明るくすること
困っている人を助けること
支援すること。
お年寄り、子供には明るく親切に。
道の落ちてるゴミはゴミ箱に捨てる。
飲食店でお金を払ったお客でも
御馳走様と
美味しければ
美味しかったですよ。と声をかけてみる。
笑顔を増やす
などなど。
簡単で自分に出来る事から始めると
少しずつ
少しずつ運は向上し
魂が成長すると
過去の因果が跳ね返って来ずに
知らず知らずに解消されるのです。