町工場 職人の声

職人と現場人間の想いを誰かに伝えたい!

金色のコルダ 3

2008年10月06日 | ブログ見物人
間違いやすい教義の部分で妖精リリにより間違う事無く学ぶ手段を会得出来る
学ぶ心の会得だけに集中出来るので物事に十分な能力を得られます
そして物事を扱う経験を重ねる事で次の物事が近づいて来ます

同じように繰り返す事で幾つかの物事を進める事が出来ますがやがては能力の
不十分な点、不完全な部分が出てきます。学ぶ心を得る教義自体を取り扱う
経験の不足です。これがより高い段階での心の学び方に影響を与えます
こうして物事を取り扱う十分な能力、無学を失うのです。

主人公は教義の大切さに気が付いて最初から身に付け直すのですよね
苦しさに耐え学ぶ手段を身に付けようと決意し練習という教義に身を任せる。
そして得た学ぶ手段と学ぶ心により無学を会得し物事(演奏)を成し遂げる

手段(教義)と心は大切です。技と心とも言えるのです。
釈尊の教えがこのような物であり1000年以上日本社会で続いて来たなら
当然、私も教えの影響下に在るのです。コルダを何度もみたいのはその為か
と想うのですよね~~~

無学とは完成ではなく完成を目指す無数の段階を自覚し会得する事。
その無限の道なのでしょう。釈尊の教えが無限ならアニメも無限と叫びたい。