goo blog サービス終了のお知らせ 

Mo.の事件簿 A diary of Mo’s trips

事件簿などという大層なタイトルだが、実は単なる旅行記です。

14.ジャパニーズ・レイディーズ。

2017-11-09 | イギリス/England:2017
わたしと文通が始まった後、Pは日本に興味を持つようになった。
ある時、別な日本人に会って、世間話で日本人のペンフレンドがいるという話をしたらしい。
そこから、「じゃあ私が英語を教えるから、あなたは日本語を私に教えて!」ということになったそうだ。
その人がNさん。名前は何度も聞いているけど、わたしは直接の面識はない。

イギリス在住(当時)のNさんは他にも在イギリスの日本人をたくさん知っており、
Pと日本人の交友関係はだんだん広がっていく。
そういう人たちと、たしか「16年前に始まった」と聞いたと思うが、
月に数回、日本語のレッスンも兼ねてお茶会・昼食会をするようになったと。
Pはそれを「ジャパニーズ・レイディーズの会」と呼んでおり、


実は今日これから、わたしが来るのに合わせてそのメンバーが集まってくれるそうです。













今日のメンバーは7人だそうだ。
Pのおうちで集まったり、近所に食べに行ったり、その辺りはフレキシブルなんだって。

ジャパニーズ・レイディーズの皆さんが(っていうとレディースの皆さんのようだな)12時頃、三々五々来る。
「初めましてMoさん~」
「お話は聞いてました~」(←わたしはいわばThe first Japaneseなので、皆さんだいたい話は知っている)
「いつ着かれたんですか?」
「お疲れでしょう~」
途端に華やかになるPの家。

いや、皆さんすごくパワフルで元気な方々でした。
在住期間が十何年の人、数年滞在の予定の人、お子さんが小さい人からだいぶ大きくなった人。
特に集まる人に共通項があるわけでもないようで(共通項があるとしたらみんな元気)、
Nさんが別な日本人を紹介して、その人がまた別な人を連れて来て、またその人が……ということで広がっていったらしい。
その間には日本にもう帰国した人もあれば、16年前からずっとメンバーである人もいて、
帰国した人も時々イギリスに遊びに来たりして、入れ替わり立ち替わり、のべ数十人のグループになっている。

正直、わたしは人の顔と名前を覚えるのが苦手で、一度に7人分の名前と顔を一致させるのは難しかったわけだが(^^;)
あとからPに聞いたことも含めて、記念写真で誰が誰だったかはわかるようにメモをした。

くみこさん。ひろこちゃん。ひろこさん。えりこさん。ゆかりさん。ゆかこさん。まゆみさん。


堰を切ったように日本語が飛び交う。Pがいる間は原則「in English please!」なのだが、
お料理を運んでくれる時なんかにPが席を外すと、その間は日本語。
やっぱりね。日本語話したくなるよね。相当に英語が話せるようになったとしても、やっぱり母語がいいもんね。

そしてPがいない席で皆さんが言うことには、「私たちは本当にPに感謝しているんです」。
今までわたしへのメールではPはそういう風には書いたことはなかったが、
Pは相当に皆さんへの手助けをしているらしい。

たとえば、お医者さんに行くときに症状を英語でどんな風に説明したらいいか。
英語の提出書類や手紙などの英語のチェック。
子供たちの学校で起こったことについての相談。など。

小さくてとても大使館には相談できない、でも大きな生活の上での困りごと。
実際に外国で生活をしたことのない(3ヶ月のホームステイは生活は単に長期の旅行)わたしには
思い至らない事柄だったが、そうか、そうだよなー。考えてみれば色々あるよね。手続きとか申し込みとか山ほど。
そういう時にお友達として相談に乗ってくれる人がいれば本当にありがたいよね。
普段の考え方や性格を知っているから、より実際に合ったアドバイスも出来るし。


ああ、まことにPは地の塩なのであった。


……と、わたしは“地の塩”をPの形容として一番相応しいと思って使っているのだが、
この言葉にはいろいろな解釈が可能だそうで、さくっと検索してみただけでもそれぞれ意味が相当に違う。
(ネット上の辞書はたまに間違っていることがあるので注意。)
わたしの使っている意味は、主に「自分の労力や時間を顧みずに人のために尽くす人」で、
なくてはならない。奉仕の心のある人。理想的なキリスト教徒。などの様々な意味を含んでいる。



食卓の写真を撮り忘れたのが悔やまれるなー。
ガモンハム。ラザニア。ガーリックトースト。ロメインレタスときゅうりのサラダ。ミニトマト。
デザートにクランブル2種(ルバーブ、プラム)、まゆみさんが持ってきてくれた山盛りのプチシューとイチゴ。
お腹いっぱい。他にも手土産を持って来てもらっていたが手が出せなかった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



だいたい皆さん14時頃帰る。
イギリスでも場所によって違いはある様子だが、子供の送り迎えは原則として親が毎日行わなければならないそうだ。
日本人の感覚からすると、それってかなりの負担だなあ。


その後、わたしはJに車を出してもらい、ATMにお金を降ろしに行く。
帰ってきてから今度はHも含めて車に乗り、まずはガーデンセンターへ。
ロイのお墓参りに行くの。お墓に供える鉢植えを買いに。













イギリスに来るたびに来ているので、お墓ももう3度め。
イギリスにも色々なお墓のスタイルがあるが、ロイのお墓は墓石がないタイプ。わりと珍しい方だと思う。
見た目公園みたいだね。ところどころにお花もあるしね。

「われわれの関係は、ロイが残してくれたものだねえ」といってしんみりする。


その後、家へ帰ってしばらくHと遊び、JがHを家へ送って行き、夜はわたしたちは写真鑑賞会。
PとJのスマホに入っている孫たちの写真をテレビで見る。
大画面でみんなで見られるのはいいね。日本の人たちもテレビに映して見てるの?
わたしはガラケーなのでスマホよくわからないけれど。





13.物語の始まりは。

2017-11-06 | イギリス/England:2017
さてこの辺で、みんなが謎に思っている(?)Pとわたしの関係についてご説明しましょう。


Pとわたしの馴れ初めはですね……
はるか20年前にさかのぼる。

わたしはその頃、3ヶ月ほどロンドンに滞在をしていた。ホームステイ。
特に明確な理由も大した目的もなかったが、一度外国で暮らしてみたかったのだ。

当時からイギリスの入国は厳しく(とはいっても9・11後に比べたらまだ大したことないけど)、
“なんとなく”の入国が難しかったことと、若干は何かの役に立つかと思い一応英語学校に通った。
英語学校は半日コースを選択したので、英語力はつかない代わりに、自由時間は毎日たっぷりあった。
美術館と小旅行とミュージカル三昧の日々。
この頃のことを語ればそれはそれで長い話になるが、そっちの話はPと関係ないので省略。

滞在の3ヶ月が終わり、わたしは、せっかくなので最後に旅行をして帰ろうと思った。
滞在中は遠くて行けなかったイギリス北部と、その後大陸に渡ってベルギー、フランス。約1ヶ月。
出来ればヨーロッパ全部回って帰りたかったが、さすがにそんな金はなかった(^^;)。



ロンドンを発ってエディンバラ、湖水地方、そしてハワース。
ハワースは小さい村だが、ブロンテ姉妹が住んでいたことで有名な観光地。
小さい村の、いくつかしかない観光名所の一つに、ブロンテ姉妹の弟のブランウェルが通って飲んだくれていた
「ブラック・ブル」というパブがある。

――このパブというのは日本でいうところのパブとは全然違い、定食屋+ファミレス+居酒屋、という感じだろうか。
街のパブと田舎のパブでは若干雰囲気が違うが、田舎だとランチもティータイムもパブ、
ビールを飲みに来る客は多いけれどもアルコールなしでもまったくOK、
そんなに遅くなければ子供がいても違和感がない。
接待をするお姉ちゃんなどはおらず、基本的にセルフサービス。夜も夜中前には閉まってしまう。
いつでも誰でも、な感じの飲食店です。


まあ行きますね、ここは。ハワースに来た観光客ならほぼ100%。だって見る場所少ないんだもん。
なのでわたしも行った。何しろ飲食店なのでランチだったかお茶だったか……とにかく何かかんか食べて、
「ここがブロンテ姉妹も来たであろうパブか」という感慨も催して。
飲んだくれてる弟のブランウェルを連れ戻しに来たりもしていたかもしれない。
そしてふと目に入る、「CELTIC HEART」という看板の文字。

看板によると、今晩ここで「CELTIC HEART」というグループの音楽会があるそうです。
ほほー、ケルティック・ハートかー。たしかにこの辺りもケルト文化圏だろうなあ。
ってことはアイルランド音楽的な感じだろうなあ。面白そうだし、夜に聴きに来てみましょう。

……と思って、うかうかと出かけて行ったら、ナンデスカ、ケルティック・ハートって!
演奏を始めたのは十代の若いお兄ちゃん。まあ別に年齢はいくつでもいいんだけど、始めたのはごく普通のロック!

うえー。勘弁してくれー。これって看板に偽りありだよー。
まさかケルティック・ハートってバンド名でロックとか!絶対思わない!
周りを見回すと、まさにわたしと同じように何とも言えない顔をしている観光客が多数。
ハワースなどという、文学散歩とウォーキングコースの観光地に来るくらいだから、
けっこう年配の人ばっかりで……正直ロックを聴く客層では全くない!

「ブラック・ブル」は田舎の小さなパブなんです。
バンド演奏のためにそこそこの人が集まっており、当然相席。
演奏の合間に、同じテーブルについた50歳前後であろう男の人が、楽しんでますか、と話しかけて来た。

楽しんでいるとはとても言えない。むしろ驚いている。
しかし日本から来たワタシには、初対面の人に真っ正直に自分の考えを述べる習慣はない。
「……まあinterestingだよね」と返答すると、
男の人の連れの女の人に、「interestingというのは便利な言葉よね」と返され。
うっ、見透かされてる。

その後、大音響の演奏の合間にぽつぽつ会話していき、自分が3ヶ月英語学校に行ったこと、
今は帰国途上の旅の身の上であることなどを述べた。
相手も自分のことを話してくれるんだけど、……何しろ3ヶ月英語学校に行ったくらいでは
そんなにそんなに英語力はつきません。しかもそこは人でガヤガヤしているパブの中。
なかなか話は聞き取れず、相当しばらく会話してから、
しきりに相手がmy sister、my sister、と言っているのに気づき、
「あ、連れの人は奥さんじゃなくて妹さんなのか!」とようやくわかった次第。

男の人はロイといった。妹さんの名前がパット。
演奏終了後「じゃあ手紙書くよ。英語の勉強になるでしょ」と言われアドレスを交換した。
アドレスっていってもメアドじゃありませんよ。実際の住所。
20年前ですから、まだ当時はメールを始めた人がぽつぽつ、程度の頃。


わたしはその後、3週間くらい旅行をしたあと8月に日本に帰った。
帰ったらもうロイから「お帰り!」というハガキが来ていた。
その後、ロイは1ヶ月に2通3通の割合で手紙やハガキをくれた。わたしは英語で返事を書くのが面倒で、
1ヶ月に1度くらいしか返事を出さなかったと思う。

ハワースの小さい絵、シャーロット・ブロンテについての小冊子、
ハワースの後で行った旅行の写真、「JAPANESE FAIRY TALES」という本、
こまごまとしたものを見つけては色々送ってくれた。
ロイの字はとても細かくて几帳面で、見ればすぐわかる。多分日本で言うところの達筆。

クリスマスプレゼントも送られて来て、こちらからもなにがしかのプレゼントを送り、年が明けた頃。
見慣れない筆跡で手紙が届く。パットからだ。パットから手紙を貰うのは初めてだった。
「ブラック・ブル」でも話していたのはほとんどロイだったし。
珍しいなあ、と思いながら開封した。


ロイが亡くなったって。


ハワースで初めて会った時には、もう具合が悪かったらしい。なので一人で旅行が出来なくてパットが付き添っていたとか。
秋から冬にかけては寝込むようになっていた。亡くなってからパットが遺品を整理すると、
「Moに送ること」とメモがついた小さいものが出て来て……
「亡くなったことをお知らせするとともに、それを一緒に送ります」と書いてあった。

バラの模様の靴下と、花柄の財布だった。靴下は実際履いたし、財布もしっかり使ったので
どっちももうボロボロだけど、物としてはまだ手元にある。


――以来20年、今度はパットとやりとりが続いているわけです。
パットにとっては亡くなったお兄さんが縁を作ったわたしを大事に思ってくれる気持ちがあっただろう。
せっかく英語を勉強している(と一応は言っていた)日本人を応援してくれる気持ちもあっただろう。
さすが兄妹だというか、人の世話に尽力するところは兄妹よく似ている。
ロイも人の世話をよくした人だったという。


お互いに時々言うけどね。
たまたま旅先で出会って、会話をしたのは正味でいえば10分15分くらいではないか。
「それが20年の交友の始まりになるなんて」ねえ。





12.再会!

2017-11-03 | イギリス/England:2017
と、前回アオったわりには、わたしは待合せ場所でやはり静かにPを待っているのだった。

だってどうしようもないし。Pからの返信がないことは心配だったけど、
最終的にはタクシーの運転手さんにPの住所を見せるなりして十分対応できる。
公衆電話……もおそらくイギリスでもあまり見かけなくなっているだろうけど、どこかにはあるはずだから
そこからPに電話をすればいいことだ。

Pから「今向かってるから!」とメールが来たのが、待ち合わせ場所に着いて5分か10分後。
あとで聞いたが、こちらからのメールが到着したのが、発信してから15分ほど経ってからだそうだ。
Pの家から最寄駅までは車で15分くらい……。もう駅に着くじゃない!!と慌てて車に乗ったそうだ。
慌てたのでメールに返信をするのを忘れておった。とメールが来た。
10年ぶりにお邪魔するというのに、初っ端から嵐を巻き起こすワタシ。


――しばらくのち、改札の向こうになつかしいPの姿が。
「ああ、P!」と、こちらは思ったけど、わたしは念のために改札の中にいたので、Pの視界には入らない。
人探し顔に改札の隣の本屋の辺りをうろうろしている。慌てて改札から出て行った。

「ああ、Mo!良かった!会えて!」
「P!ひさしぶり!10年ぶりだよ!」

……ワタシは生粋の日本人だが、やはり異国では異国なりのボディアクションがあるもので、会えた途端にガシッとハグ。
これが日本で日本人相手になるとなかなか照れてそういう方向には行かないのだが(ほぼお辞儀から始まる)、
ここはイギリスである。

出会いのテンションの高さのまま、車に向かって歩き出し、しゃべり続ける。
テンションが高いと英語も若干出やすいです。なぜならノリで行けるから。
わたしの英語は、文法的にシンプルかつ大変ブロークンなものなのだが、だいたいこういうシチュエーションで
話すことって限られてますしね。


車のそばにはジョンがいた。Pの旦那さん。以下Jと略。
「わー、J、ひさしぶり~」
Jとは普通にお辞儀。Jがわざと日本風にしゃちほこばってお辞儀をするので、こっちもあえて日本語で「ヨロシクオネガイシマス」。

……はっ。そして後部座席になんだか人の存在が!
「ヘンリーが乗ってるのよ」
ヘンリーはPのお孫さん。長男の息子。もうすぐ4歳。以下Hと略。
ドアを開けると、なんかちっこいのがいる~~~~。チャイルドシートに座って、誰かなあ、この人?ってオボツカナイ顔をしている。
「わたしはMoよ~。ないすとぅーみーとゆ~」
テンション上がりっぱなし。Hのハニカミ笑顔が可愛い♪


――今から思い出しても、この時は相当にテンションが高いですね。
ゆえにここからしばらくは写真がありません。
以下、おうちに着いてけっこう経ってから撮った写真。








Pの家の前の通り。ここ大好き。緑がいっぱいでゆったりしていて平和。気持ちいい。
家の前には、そんなに大きくないけど桜の木があって、花の頃にはきれいだというよ。











泊めてもらった部屋。B&Bをやったらいいよ!と10年前に初めて来た時には本気で言ったものだが、
居心地が良くて素敵。







はるか昔にわたしが送ったウサギの花瓶が飾ってあり、








はるか昔にわたしがイタリアから出した絵はがきと、Pが日本へ来た時に撮ったうちの写真も飾ってある。
(絵はがきの文面を見てみると、何か所もスペルミスがあって苦笑。)
「うちの写真飾ってあったね」とPに言うと、「家にいるようにくつろいでもらおうと思って」と。
もうすでに家にいる以上にくつろいでる。


イギリス的ホスピタリティの精神。ありがたいです。





11.入国審査について。

2017-10-31 | イギリス/England:2017
香港からロンドンへの12時間のフライトは、前の席の赤ちゃん2人と、隣に座ったおっさんに戦々恐々とし、
……しかし結果として特に問題はなかった。よく眠れた方。



朝6:20、ロンドン・ガトウィック空港着。







やれやれ。長い旅路の末、やっとここまで来たよ。家を出てから数えると、……あんまり考えたくないけど、実に40時間。


何しろ早朝だから、空港でゆっくりして、程よい時間にパット(以下P)の家に着くよう案配するつもりでいた。
ここでもトラヴェラーズチェックを替えるミッションがある。


しかしその前に、まずはイミグレ。

ロンドンの空港といったらヒースロー空港に着くのが一般的。
が、わたしは今回ガトウィック空港利用。日本における羽田みたいなもので、規模は少々小さめな筈。
こっちの方がPの家に近いし、最寄駅まで電車があるので自力で行ける。

実際に降りてみると、まあ小さいってほどでもないよね。入国審査の列はけっこう長くて。
どのくらい並んだったかなあ。30分強かかった気がするが。
わたしは一番最後くらいに飛行機を降りたんだけど、

……スーツケース、大丈夫だよね?

だんだん心配になってくる。このくらい時間がかかっていれば、荷物はもうターンテーブルを回り始めていると思われる。
わたしのスーツケースはどうなってしまうんだろう。ターンテーブルにポツンと乗っているだけならいいが、
盗まれないまでも、放置されている荷物だと認識されて、担当者にどこぞへ持っていかれたらどうしよう。
空港内でスーツケースを探して当てのない旅に出る羽目になるのは避けたい……

そんなことを考えながら、ようやく窓口まで来て。
ヤレヤレ、やっとか、と思ったのだが――実はここが一番面倒だったのであった。



ガトウィックの入国審査は厳しい、特に有色人種には、という個人ブログの記事を読んでいた。
そもそも一般的にイギリスの入国審査は厳しい筈だしね。10年前どんなんだったかは忘れてるけどね。
でもわたし程度の怪しさに目くじら立てていたら、入国審査なんて何時間経っても終わらなかろう……


しかし長かった。10分くらいはかかったと思う。
「目的は?」
「一人で?」
「目的地は?」
「アルフリストン?どんな理由でそこへ行くの?」
「直接このホテルに行くの?」
「バウチャーはある?」
「アルフリストンの前は?後は?」
「友達の住所は?」

色々訊かれましたよ。
アルフリストンというのは、おそらくイギリスの中でもマイナーな観光地なので、
(なんとなくだが、羽田空港についたイギリス人が「銀山温泉に行く」というような?)
人情としても「なんでまた」と訊きたくなる気持ちはわからんでもないが。

アルフリストンのホテルのバウチャーは手荷物に入れていたけど、
その次に泊まるアランデルのホテルのバウチャーはスーツケースの中。
Pの住所も、たまたま旅行メモに書いておいたからいいけど、うっかりしてたら書き忘れてたかもしれない。
まさかそんなに念を入れて訊かれるとはね。
一応覚悟はしていたとはいえ。別室に連れていかれなかっただけいいのか。


しかし審査官も、質問と質問の間に無意味に時間をかけるんだよなー。
こっちとしては訊くことはさっさと訊いて、早いところ何とかして欲しいわけだが、
(何とかといっても入国拒否・強制送還とかは嫌だけど)
パスポートを何度もめくったり、ホテルのバウチャーを何度も眺めたり。

いや、何度見ても同じですから。
なんか根拠があって疑ってるというよりは、機械的に時間をかけている印象。
時間かければボロが出るってもんじゃないんだよ。実はボロが出るのか?後ろめたい人はソワソワしだすとか?

間違いなく自分の旅行史上一番長いイミグレでした。


まったくもう、と思いながら入国する。やっとイミグレを出て7:45。
わたしの真っ赤なスーツケースは、ターンテーブルの脇にポツンと置いてありました。
放浪する羽目にならなくてよかった……。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



無事に?入国したのだが。

一難去ってまた一難。
何とこのタイミングで携帯電池切れ!
いや、キミにはこれから一番活躍してもらわないと困るんだよ?
今から電車に乗って、最寄り駅に着く時間をPにメールしなきゃならないんだから。


日常生活において、わたしの携帯の使用頻度は極端に少ないので、普段の生活であれば充電は下手したら1週間に1度くらい。
今回は旅行前に当然充電し、これで2、3日は余裕で使えるはずなのに……
海外で携帯を使うといつもより電池を食うのだろうか。その可能性は大いに考えられるとはいえ、
……そういうことは先に言ってくれないと!

でもまあ空港だからね。当然充電スペースなんかもあるわけで。
そういうところを探して、スーツケースから充電のコードとコンセントアダプタをごそごそ取り出す。
イギリスはコンセント形状が日本と違ってミツマタなので、日本のコンセントはそのまま差せないんですよ。
10分ほど充電する。メールのやりとり1往復分だから、ちょっとで大丈夫。な筈。

やや気持ちが急いているのは意外にこの時点で時間が経っているため。
6:20に着陸したのに、そろそろ8時近い。イミグレで溜まっていた時間が長かったし、
その間携帯の充電も出来なかったわけで、Pも気を揉んでいるだろう。
おっと。その前にトラヴェラーズチェックを換えなければ。


――しかし結果的に、ガトウィック空港にある両替所は2ヶ所とも、トラヴェラーズチェックの交換を断られてしまったの。
片方なんて看板にはトラヴェラーズチェックのマークを使っているのに「もう扱ってない」と言われたんだよ!
「でもそこにマークがあるよね?」「あれは前のが残っているだけだ」
ええ~。なにそれ~。
しょうがないのでお金問題はそのまま。まあ電車の切符はクレジットカードで買えるし、特に問題はなし。


空港からロンドン方面へは鉄道路線が接続していて交通機関はとても便利。
細かい時間は忘れたけど、8:20くらいの電車に乗ったんだったかな。
駅員さんにPの最寄り駅までの時間を聞くと「20分くらい」というので、「あと20分くらいで着くよ」とメールをし。
……送信したら、途端にまた電池が赤くなった!メール1通で電池切れなんて、お前はどれだけ根性がないのだ!

この辺はドキドキでした。
だって返信が来る筈だから、電源は切れないでしょう?
駅の待ち合わせ場所は日本を発つ前にすでに打合せ済みだったとはいえ、その場所が実際に行ってわかるかどうかは、
行ってみないとわからない。

そして、実は電車は30分以上経って最寄り駅に着いたのでした。
駅員さんが言っていた「20分」は、一番早い電車に乗った時の時間で、わたしが乗った電車は36分かかるようだ。
20分で着くとメールしたわたしが30分経ってもまだ着かない……
パットが心配しているだろうと思うと気が気ではない。
駅で降りて、教えられた待合せ場所に向かう。心配しているPの姿があるだろうと予想していたのだが、
――Pがいない。


さあ、異国の駅で立ち尽くすわたしの運命はいかに!?
待て、次回!


10.シンフォニー・オブ・ライツ。

2017-10-28 | イギリス/England:2017
けっこう楽しみにしていたシンフォニー・オブ・ライツ。
フェリー降り場に近いここは、いい場所だから混んでるかなと思ったがそうでもない。
場所を確保するために15分くらい早めに行ったんだけど。


で、結論を言ってしまうと、シンフォニー・オブ・ライツは、あまり大したことがなかったのでした。

















これらは普通の夜景。


香港の夜景って特に何もしなくても、十分きれいなものじゃないですか。
シンフォニー・オブ・ライツって、そこにレーザー光線とか音楽とかを足してイベントにした感じなのね。
でもレーザー光線は人の目にはっきり映るほど濃くもないし、写真にはなおさら写らないし、
音楽に合わせて対岸のビルのライトアップがビシバシ変われば、おお~と思うだろうが、
実際音楽に合わせているのは、四辺形を斜めのハシゴのように繋いだ中国銀行タワービルと他2、3棟。
全夜景の中の2、3棟では迫力がない。

正直、金と手間の無駄ではなかろうか。
でもまあわたしのように、そういうイベント名をつけることで見に来た?観光客もいることだし、
完全に無駄というわけではないのか。お金を出すのはわたしではないので、まあいいけど。
むしろジャンク船型の観光船の方が面白かった。もうちょっと近くで見たかった。


20時から始まって15分くらい、最後のDJ?が終わるまでいたけど、これといった感慨はなく。
……感慨があるとしたら、ここは暑いぞ!という心の叫びくらい。夜でも暑いです。
だいぶ疲れてきたな。目の前の大きな建物に避難しよう。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇







ここは香港文化中心という建物。コンサートとか演劇とかやるところ。
中央にでーんと巨大な現代彫刻があって、壁にはどーんと、







でかい久石譲の看板がある。2018年の5月に香港でコンサートやるんだねえ。
今からこんなのぶら下げてるってことは、かなり扱い大きいですね。

ここのロビー、寒かったな。冷房きついの。
そんな中、売店に入って小物を物色してたりしたせいか、なんだかうっすら具合が悪くなっている気がする。



これから10時頃までは街なかで夕食を食べたりトラムに乗ったりしようとしていたんだけど、
これ以上歩き回るとだめかも……。早めに空港まで戻っておいた方が安全。
空港へ戻りましょう。


再度スターフェリーに乗り、出発点だった香港駅からエアポートエクスプレスに乗る。
水が欲しい気がしたけど自販機も見当たらないし、いいや、空港に行けば店があるだろう。そっちで買おう。
でもエクスプレスに乗っている27分の間に、だんだん不安が募ってくる。

わたし、脱水症状恐怖があるんですよね。
半年前くらいにスーパー銭湯に行った時に、脱水症状だったのか、視神経の酷使なのか、運転による肩こりか、
冷房が強すぎたのか、多分原因は複合的だと思うのだが、すごく調子が悪くなったことがあって。
大量の冷や汗をかきながら何とか家までたどり着いたけど、その後ヒドイ思いをした。
それ以来、脱水症状がコワイの。


実際少々脱水症状気味だったんじゃないかな。頭少しイタイ。若干クラクラする。
空港に着いて、「コンビニどこ?」とお土産屋さんのおばさんに悲壮な顔で訊いて、
(気分的には)やっとの思いでコンビニにたどり着き、ポカリスエットを買ってごくごく飲む。
……治るまで1時間弱かかったけど、とりあえず大丈夫みたい。ちょっとコワかった。
こんなところで倒れた日にはアンタ。これからの旅行が台無しですよ。

本当は空港でお粥を食べたかったのだが、前述の通り、具合が悪かったので警戒して止めておいた。
なんだ~、結局香港で食べられたのは飲茶だけじゃないか。あ、エッグタルトもか。
焼豚飯とか食べたかったよう。


金ならあるんだ!――超ミクロなレベルの話だけど。
何しろ飲茶が1000円、チョコレートミルクに500円使ったくらいでさ。
あ、でも香港文化中心で、自分と家族にお土産2000円分くらい買ったのと、パットへの香港土産でクッキー買ったな。
それでも手持ちが……もう覚えてないけど、7、8000円あったんじゃないか。
これどうしよう。帰りも香港乗り換えだからその時に使うしかないのだが、8000円無理くり使うのもヤダ。
お茶を買えばいいか。でも本当は空港でより、街なかのお茶屋さんで買いたかったなー。

ちなみにオクトパスカードは、解約すると使わなかった分は手数料が引かれて戻ってくる仕組み。
帰りの飛行機では空港外へ出ないので、この時点で解約した。手数料引かれて、100ドル戻って来た。


具合が悪くならなければもう少しはね。ちょっと残念。




9.天星小輪。

2017-10-24 | イギリス/England:2017
スタンレーからセントラルまで戻る時は2階建てバスの1番前に乗ったんだけど、
けっこうなアップダウンをけっこうなスピードを出して走っていくので、運賃のみでジェットコースターも味わえるのか、と
若干のお得感。――って、そんなわけないやないか!
ちょっとコワイのです。道路沿いの木の枝がバシバシ窓ガラスに当たりまくる。







あんまり写真良くないけど、夕暮れ。もっときれいな風景があったけどな。

途中の道で、八木山そっくりの道があったなあ。いつの間にか日本に戻って来たか?と思ったくらい。
台湾に行った時も、街なかで晩翠通り辺りの雰囲気にそっくりの道があって、日本に戻ったかと思ったが。

そしてバスの中で眠りに落ちる。何しろハードですから。スケジュールが。暑いし。



セントラルに戻って19:00。



予定ではこのタイミングで夕食を食べる筈だったんだけど、オナカは空いてない。まあ15時に飲茶、エッグタルトではね。
暑いからそれほど食欲もない。

フェリー乗り場へ向かう途中の通路で大道芸。







インドっぽい音楽に合わせて水晶玉をいくつも回し(←自転)、体の表面を移動させたりなんだり。
わりと神秘的で素敵なんだけど、惜しむらくは。――大道芸として地味。
水晶ってところも神秘性を高めはするが、見て映えるかどうかでいえば、もっとカラフルな球体を使った方が映えるだろう。
自転していることがはっきりわかるデザインの方がいいと思う。
水晶って透明だから、下手すると回ってるかどうかすらわからないんだよね。


大道芸を見ている間に思ったよりも時間が経ったらしく、19:30近くになった。
20時からのシンフォニー・オブ・ライツは海を渡った尖沙咀(チムシャツイ。九龍半島側と言ってもいい。)側で
見るつもりだったので、そろそろフェリーに乗ってもいいか。
ああ~なんか水分が足りない~。慌てて自動販売機でお茶を仕入れる。

海を渡るスターフェリー(天星小輪)。1等になぞ乗るつもりはさらさらなかったのだが、流れで1等に乗る羽目に。
まあ1等38円か2等30円かという料金の違いしかないですけどね。







だいぶボケてますがフェリ―内部。渡るのはほんの数分。


夜景。ですよね、香港はやはり。












撮れなかったけど、下の写真の一番背の高いビルは外壁ライトアップが最新式らしくて、動画?なの。
プロジェクションマッピングまではいかないけど、ウサギやハトやハートを動かすんだよ。
ネオンだと思えば動くことは珍しくないのかな。でもビルの外壁でここまでやるのはすごいなー。
お金は誰が出してるんだろう。
中で働いてる人は全く光の影響を受けないんだろうか。


九龍側に着く。ほんの数分の船旅。









これは撮るよね。お約束。
昔あった鉄道駅の名残で、「前九廣鐵路鐘楼」だそうだ。時計台。駅の移転後も時計台だけが残ったんだって。










8.さくっとスタンレー。

2017-10-21 | イギリス/England:2017
レパルスべイとスタンレー(赤柱)はそんなに離れていない。
それでも海沿いの崖を回っていくから、バスで10分か15分くらいか。


レパルスベイのバス停でスタンレー行きのバスをけっこう待った。
その間に目の前をミニバスが何台も通り過ぎて行く。普通のバスじゃなくてマイクロバスの路線バス。
ローカル色が強すぎて乗れなかった。広東語で「降ります!」と言わないと降りられないらしいし。

でもスタンレーなら多分運転手に漢字を見せればわかってもらえただろうな。
何事も経験なんだから乗ってみれば良かった。運賃は2香港ドルらしいよ。格安。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



普通のバスに乗って17:10にスタンレー着。


バス停を降りたすぐのところにあるショッピングモールの展望台がカップルの恋愛祈願場所になっているようだ。







見晴らしがいいだけの今出来のところで祈願をしてご利益があるのか?まあいいけど。








ショッピングモールの中に入っているアイスクリーム屋さんでチョコレートミルクサンデー。

これは牛乳に小さなチョコレートアイスをコロンと乗せたもんなんだけど、
……蓋がついてるし、スプーンもついてないから、アイスクリームを溶かして飲むのが正解でいいんだよね?
悩みながら飲む。

後ろの緑のワニはなんだと思います?
これは「黒ひげ危機一髪」のようなおもちゃ。ワニの歯を1つ1つ押し下げていって、いつかはバクっとワニに噛まれる。
噛まれるとけっこうイタイ。おもちゃはおもちゃでいいとして、なんでこんなところにあるのかは不明。
テーブル1つに1個置いてあった。



スタンレーも高級住宅地らしい。見た感じが地中海の保養地みたいな町。
写真でいえば、左側の高いビルの1階はカフェレストランが並んでいる。







しかしスタンレーの風景に見覚えはほとんどなかったな。
当時はなかったショッピングモール(こればっかだが)も出来ていたし。
昔はもっとごちゃっとした路上マーケットが広がっていた記憶なんだがね。











これは昔、中環にあった歴史的な桟橋を移築したものらしい。
100年くらい前、英国高官が上陸に使っていたものだとか。
なんか素敵な建物でした。

そのそばにはこんな建物も。







これも昔、中環にあった建物で、今の名前は美利楼という。英語ではMURRAY HOUSE。
「地球の歩き方」を引き写すと、
「ヴィクトリア様式による香港最古の建造物の一つ。当初は軍営、後に政府のオフィスとして使用され、
戦時中は日本軍が司令部として接収していた」らしい。
1982年に解体されたが、いつかは復元しようと石材をきちんと番号をつけてとっておいたんだって。
ちょっといい話。

しかし現在は、こじゃれたレストランとか、H&Mが入っているのであまり歴史的なアリガタミはない。
中には入らなかった。


そういえばスタンレーで海に入ろうと思っていたが、岩場だったんです……。
レパルスベイで入っておけばよかった。


18:23のバスでスタンレーを出る。もう夕暮れ。





7.時の流れ。

2017-10-18 | イギリス/England:2017
これからレパルスベイ(浅水湾)へ行きます。


バスターミナルに行く途中に小さなパン屋さんがあった。ショーケースには焼きたてほやほやっぽいエッグタルトが!
6香港ドル≒90円。1個買う。バスターミナルでさっそく食べる。サクサクしていてとても美味い。
飲茶を3皿にしなくて賢明。


バスターミナルはさっきの香港駅のすぐそば。やっぱりペデストリアンデッキを通って行くんだけど、
さっきよりは時間がかからずにたどり着いた。
バス停がいくつも並んでおり、コンクリートの建物の内部でだいぶ暗いところ。
何回か右往左往した後、レパルスベイ行きのバス停を発見。
他にも乗ろうとしている観光客はいるようだ。次のバスは20分後くらいみたい。

が、その隣のバス停をふと見ると、このバスもレパルスベイに行くみたい。こっちは急行で、各停より少し値段が高いようだ。
でもまあいいか。高いっていっても100円の運賃が150円になるくらいの話。
そしてすぐ出発するらしい。こっちにしましょう。


さっき買ったオクトパスカードを持っているので、ピッとやって終わり。
そもそもコインの見分けがついてないので、やっぱりこういうカードを持っていると非常に楽ですな。ストレスフリー。



16:10、レパルスベイ着。




















レパルスベイは遠浅の海で、そしておそらく高級住宅地でもある。

まだまだ暑いので、海水浴客はそこそこいた。おばさま方が大勢いてはしゃいでいる。
わたしも波打ち際まで歩いて、海に触ってみる。靴脱いで海に入ろうかな。
でもまあ、ここじゃなくてもスタンレーの方でいいか。スタンレーからなら後は帰るだけだから、時間はどうにでもなるし。








この穴の開いた建物は昔来た時の記憶にある。まだピカピカで建ってるってすごいね。
メンテナンス力があるんだろう。



しかし暑いですよ。海辺。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



ちょっとショックだったのが。












鎮海楼公園。
ここは、初めて香港に来た時に半日観光で団体で連れてこられた場所だった。
わたしのなかではけっこう印象的でね。オシャレな?海水浴場のすぐ横にあって、この中国的なキッチュさは斬新。
タイガーバームガーデンみたいなイメージでいた。
当時は観光客もかなりいて、ずいぶん混みあっていた印象がある。

が、今回行くと、人っ子一人いなくてさー。こんなに狭かったかなあ。
写真ではそこまで写ってないけど、あちこちだいぶほころびている。タイルにヒビとか入っていたりして。
一言でいえば、大変ワビシイ。廃墟とまでは言わんが、もう忘れられたような場所。


ああ。時の流れの残酷さよ。







これは「月老」。≒月下氷人。日本でもお仲人さんの別名ですね。
当時の日本語ガイドのおっさんの、「縁結びの神様」という独特のイントネーションも
(縁、で切れて、結びの、で下から上へぐぐっと上がる)耳に残っているというのに。

……でもまあ、こんなに赤テープが張り巡らされてるということは、誰かは来て縁結びのお参りをしたんだな。




昔はなかった、ちょっとこじゃれたショッピングモール(というほど規模は大きくないけれども)に入って涼む。
けっこう暑さがキてます。それでも想定よりはだいぶ楽なんだけどね。
この辺は犬を連れた人でいっぱい。住民らしき欧米人比率も高く、やはり高級住宅街ではなかろうかと思う。

レパルスベイはこのくらいでいいか。次のスタンレーに行ったら休憩しましょう。







6.蓮香楼。

2017-10-15 | イギリス/England:2017
そして蓮香楼までたどりついたのは、14:50。
道を知っている人が歩けば5分程度だろうが、わたしは迷って迷って20分。主に地上に降りる部分で迷った。
腹が減ったぜ。







しかしこの時間でこの混雑ぶりは想像してませんでした……。







多少肖像権は侵害している気がするが、見よ、この盛況ぶり!
しかもどう見ても全員地元のおっちゃんやないかい!(まあ当然女性もいますけどね)
家族連れで来ている人もいる。みんな元気に広東語を話す。
観光客らしい人はほとんど見当たらない。

ニコリともしないお店の人が、数少ない空席に「そこに座れ」と言ってくれる。
8人くらいの大きな円卓に他におっさんが1人ずつ、2人座っている。どっちも新聞を読んでいる。
テーブルの上にはお茶とかお湯が盛大にこぼれていて、“昔ながらの”迫力。


お茶は水仙茶を頼み。……しかし来たお茶を飲むとどうもプーアル茶だった気がするなあ。まあいいけど。
待ってもなかなかワゴンが回ってこないので(ここはワゴン飲茶が売り。近年は注文飲茶が増えているようだけど、
やはり飲茶の醍醐味はワゴン飲茶ではないかと思う。)、ワゴンのところまで出向いて取りに行く。

1つのワゴンに3種類くらい載っているうち、何だかわからないものを何だかわからないがゆえに選択。







肉。ですね。
優しい味で美味しかった。軟骨?欠片が多くて、わりと食べにくくはあったけど。
小さい皿でペロッと食べられそうなんだけど、見た感じより若干ボリュームがある。






次に来た別なワゴンを覗きに行って、今度はこれ。
肉のかたまり。正直、前の皿と味がかぶる。だがこっちには何か一味、爽やかな風味のものが足されていた。レモン的な。
写真には写ってないが、下に湯葉が敷いてある。






後で気づいたメニューを見ると、多分わたしが食べたのは鼓汁蒸排骨と猪潤焼賣だと思われる。値段と字面的に。

もう1皿行きたいなーと思ったけど、何しろ時間も時間で新しいワゴンも回ってこないし、肉まん的なものしかないので
まあ2皿でいいとする。飲茶だからもっとお茶もたっぷり飲んでゆったり、と思うが、あんまり飲むと胃に来そうだし。
飲茶はのんびり、無為の時間を楽しむべきものだと思うんですけどね。
そういうことをするにはわたしはまだ小物だ。

お茶と点心2皿で64香港ドル≒960円。
後でファミレスのメニューを見ると、一食30香港ドルで食べられるメニューもあるようだから、
安い!とまでは言えないが、十分に満足した。
でもやっぱり2、3人で行ってたくさんの種類を食べられた方が楽しいね。


15:20、蓮香楼を出る。
この辺は表通りから一本入った裏通りで、大変にごちゃごちゃしたところ。
近場に超高層ビルはあるんだけどねえ。この混在が香港。





表通りの店で売ってる、スイカの雨がっぱ。
八頭身のマネキンに着せていいもんだろうか……。



5.旅行者の敵。

2017-10-12 | イギリス/England:2017
まずは香港中心部に行くために、エアポート・エクスプレスのチケットを買う。
10年前に香港でやっぱりトランジットで観光した時は、この路線はまだなかった気がするなあ。
どうやって中心部まで行ったかは、正直全く記憶にないんだけど、
帰りはバス乗り場をお茶屋さんで教えてもらった記憶がある。

空港にはわかりやすくエアポート・エクスプレスの切符売り場が。
「地球の歩き方」には終点香港駅までの往復割引が180香港ドルと書いてあって、
だいたいこの時のレートは14円か15円だから、2700円かー、ちょっと高いなーと思っていたのだが、
窓口のお兄ちゃんが「日帰り?」と訊いてくれて。
多分日帰りだと安いんだと思うんだ。115ドルだった。だいぶ違う。
これをクレジットカードで払う。



実はこの時点ではまだ気づいてないんだけど、これをクレジットカードで払う必要は実はなかったのだ。
T/C、100ユーロを109円で買った時のがメインなので(買った時期が色々のが混ざっている)
自分は1万円くらいを香港ドルで持っているつもりだったんだけど、今回のレートだと、
多分13000円くらいになっている。

……カネにつつましいワタシが、半日観光+帰国時の軽食代で13000円も使うか?いや使わない。
別に全然現金で払って良かったんじゃないか!むしろ現金、余るぞ、間違いなく!

でもこの時点ではまだそのことに気づいてないから、エアポート・エクスプレス以外に欲しかった
オクトパスカード(ほとんどの交通機関・コンビニエンスストア・レストランなどで使えるプリペイドカード)は
現金でしか買えないといわれて購入を諦める。
なぜだか、現金が少なめだと思い込んでいたのよ。感覚としては5000円くらいしか持ってない感じ。
なので、なるべくクレジットカードで払わなければと思っていた。


エアポート・エクスプレスで14:00に空港を出る。










島に作られた空港だから、線路はずっと海沿いを行く。電線がなければけっこういい感じなんだが……
町が近づくと、香港ではお約束の、あり得ないほどの高層マンションが林立する。
このオモチャ感といったらね。こんな軽そーな建物にほんとに人が住んでるのかね。と毎回同じ疑問を抱く。
人の指でつっつくと壊れそうなんだもの。

14:30、香港駅着。
空港から25分で中心部まで着くんだからありがたいわー。
香港駅っていうと、全体が香港だからイメージしにくいけど、中環地区にある。

ここで思い直してオクトパスカードを買う。
エクスプレスの中でようやく自分の持っている現金の価値を計算したのかもしれない。
150香港ドル。≒2250円くらいなので、まあ大きいといえば大きいのだが。




さて、お昼♪お昼♪
この近くには食指が動く店がけっこうあるけど、ジャンルで選べばやはりファースト・チョイスは飲茶でしょう。
るるぶに載っていた「蓮香楼」。るるぶに載っているくらいだから観光客御用達だろうけど、
“昔ながらの飲茶店”という謳い文句に惹かれた。食べログでも熱烈にお薦めしていた人がいたし。
(しかし食べログに外国の店も普通に載ってるのね。世の中ワールドワイドになっとるなあ……。)

ガイドブック自体は重いから持って来なかったけど、ちゃんと周辺地図をコピーして来たし、
香港駅から出て、こう行ってこう行ってこう行けば蓮香楼、と場所については自信満々だった。
地図も見ないで行けるんじゃないのか。

……でも実際のところは、そう甘くはありません。
建物のすぐ外はバスターミナルっぽいところで、車は走っているけど歩道がないっぽい。
歩行者は2階を歩くのか?ペデストリアンデッキ?とりあえず2階から外に出てみる。

外に出ると、それまでは全然感じていなかった暑さが押し寄せる。
天気が薄曇り程度で、直射日光がないのが幸いだ。これ直射日光だったら死んでた。

そして……そして……一体どこから地上に降りればいいん?
わたしはすぐ下の、この手すりの向こうの地上に降りたい。
見えてるのに!すぐそこなのに!2階から降りられる場所がわからないよう!


コレが全世界的に有名な(?)旅行者の敵、



高低差。



です。甘く見てるとほんとにコレに翻弄されるのよ。
地図を見て位置関係を完璧に把握したと思っても、地図上の、なんてことない直線が5メートルの高低差ということは実は多々ある……。
そうなると、疲れた体に鞭打ってものすごく遠回りしなければならなかったり、
下手すると迷子になったりとか、色々な困難が立ちはだかる。

地元の駅前もペデストリアンデッキを採用しているけど、
あれは正直、一見さんには酷だと思って見ているわ。
うかうかすると、地元民でさえ、普段使わないところなんかは大回りするはめになったりするもんね。






ようやく地上に降りられてからの写真。
道路を横切っているあの通路辺りから、「ああ、すぐ下なのに……」と思って見ていた。
何とか降りられて良かった。






これはまだペデストリアンデッキから降りられてない段階で撮ってるんだが、ここらへんでようやく、
「あ。わたし今、遠くへ来ている」と気づく。
それまでは流れで。ぼーっとしたままここまで来た。
猥雑な香港のパワーに触れて、ようやく目覚めた感じ。……目覚めても、暑いからぼーっとしていることは変わりないのだが。

香港の人の多さ。
近代的な高層ビルと、前近代的な古いビルが隣り合っているところ。
車の運転もランボー。
八角の匂い。

過去に来た時よりもっと猥雑に、パワフルになっている気がする。
これが、香港。