Mo.の事件簿 A diary of Mo’s trips

事件簿などという大層なタイトルだが、実は単なる旅行記です。

8.おのぼりさん。

2013-05-07 | 東京/Tokyo:2013
そしてしながわ水族館に3時間もいたせいで、その後行こうと思っていた
旧岩崎邸と寛永寺には行けませんでした。
ま、無理すればどっちか1つには行けたかもしれない。しかし特に無理をする必要はなかった。


帰りのバスは17:30新宿発です。
ちなみに利用したバスはWILLER TRAVELで、バスの集合場所は新宿住友ビル内1F。
しかしわたしはてっきりバス発着場があるもんだと思っており、
「こんなオフィスビルの1Fにバスターミナルあるか?」とちょっと迷いました。
そうしたら、バスが停まっているのではなく、ビルの1Fに待合室があり、
そこで呼び出されて、バスが停まっている場所まで案内されるというシステムらしい。
そういうことを知らずに探していると、何しろ探している目標が違うのだから、
見つからなくてけっこう焦ります。見知らぬ場所へ行く時には、時間に余裕を持ってた方がいいという好例。


ホテルへ戻って荷物をとって、新宿駅へ行ってバス待合室を見つけても、まだ16:15。
まだまだ時間がある。

場所は新宿。しかも西口。目の前には東京都庁。
上りましょう。なにせわたし、おのぼりさんですから。
















まあそんなにスゴイ景色が見られるわけでもないけどね。
でも無料で、1時間弱の時間つぶしとしてはとても妥当な場所でした。

そしてあとはバスで帰ってきただけ。




しかしこのバスがツラかった……。
今回初めて、夜行以外のバスで東京―仙台間を移動してみたのですが、
いや、昼間の5時間?5時間半?はツライねえ。

今どきは女性の隣には必ず女性が座るように塩梅してくれるそうなので、
4列シートでもいいかな?と思って(3列シートより運賃が安い)それに乗ってみたのだが、
やっぱり女性とはいえ、見ず知らずの人と隣同士というのは緊張感が消えない。
わたしは自分の周りに他人がいるのがキライな方だし。カウンターとかも間隔によってはかなり苦手。
最初の1時間は眠っていたので良かったんだけど、目が覚めてからの4時間は大変にツラかった。
あまりの閉塞感に、「降ろしてくれえっ!!」って叫ぼうかと思ったくらい。

飛行機のエコノミーの狭さも相当なもんだけど、それでももう少し幅はあるし、
何より、飛行機ならその気になれば立って歩けるじゃないですか!!
バスは2時間ごとの休憩でサービスエリアに停まる時以外は全く逃げ場がない。
5時間で東京なら、12時間かけて飛行機でヨーロッパに行った方がマシだ!!

そんなことを思っていると、ますますツライ。
もう乗りません、おそらくきっと。少なくとも4列シートには。
わたしには向かない。



そんなわたしに朗報が。
今まで、各地域で続々と就航する各格安航空会社を指をくわえて見ていることしかできなかったが、
ついにピーチ航空が仙台―関西空港便を飛ばしてくれました!!
4月就航で、料金は可変ですが、例えば現時点で6月の平日は往復1万円!
これは嬉しい!!関西空港ならば、京都にも奈良にも、徳島にも和歌山にも行ける。
今回の旅行とは全然関係ないけど、あまりに嬉しいので書いておく。

近いうちに行っちゃおうかな、と心密かに考えてます。
海外へは、……ほんとは5月か6月に行こうと思っていたのだが、
3月以降、体力気力が払底しており旅行の手配が出来なかった……。
秋かなあ。




というわけで、以上、思い立ったが吉日の東京旅行でした。







7.しながわ水族館へ。

2013-05-01 | 東京/Tokyo:2013
前日の夕食はホテルの向かいのバーミヤンでとんこつラーメンを食べた。
いやー、やっぱりいいわ。このお手軽な食環境。
朝食はアパホテルの地下で1000円払って朝食バイキング。
バイキングというほどのバイキングではなかったが、美味しかったのでそんなに不満はなかった。
ただまあ、割安感はないやね。

わりとぐだぐだしつつ、10:00にチェックアウト。荷物は預かってもらう。
アパホテルはスタッフの笑顔も良かった気がするな。
ホテルからはJR新大久保駅の方が近いようだったので、今度はそっちへ歩いてみる。
新大久保駅付近は知る人ぞ知る?韓国街だそうで、ほんと、ここは韓国か!というような佇まい。
看板ハングルばっかり。読めませんよ。



今日はしながわ水族館へ。
これも知っている人は知っていることだが、品川には水族館といえる施設が2つあるんですねえ。
プリンスホテル内にあるエプソン品川アクアスタジアムと、しながわ水族館。

実はTさんに「Yくんが前に行って、良かったって言ってましたよ」と言われたので、
今回、横浜中華街を変更してしながわ水族館に来ることになったのだが、
Yくんが行ったのはアクアスタジアムの方だったらしい……。
まあ自分でネットで調べた結果、大きい方に行ったわけで。結果オーライ。


しながわ水族館、11:10着。







入口付近は全く人影がない。休館日?と思うくらい。
建物内に入ればそこそこ人はいたけど。

水族館なんて久々。うーん、10年くらい前にいわき水族館に行ったか。
近くにあればたまに行くような気がするけど、最寄りの松島水族館はわたしご幼少の頃に行ってから
建物が変わってないらしいので、……相当年代物です。水物が年代物だとちょっとコワイ。
再来年を目途にもっと近くに引っ越す予定らしいです。
新しくなったら行こう。そんなことを言って、プラネタリウムにも移転後まだ行ってないんだよなあ。





ペンギン♪





タツノオトシゴ♪





クラゲ♪






サメ、こわい。





えーと?






不明。












アザラシ。

コイツらが面白かった!
回遊式の水槽を、実に気持ちよさそうに目を閉じて、すいーすいーと流れていく。
しかもアザラシの口元って、基本、笑っているように口角が上がってるじゃないですか(?)。
なので、すごく楽しそう。平和な光景でした。



実は、わたし、ここに3時間ほどいたんです。
そのうちの2時間は多分イルカを見ていた。












イルカにはアコガレがあって……。
だが、今回のイルカはそんなにわたしのことを気にかけてはくれませんでした(T_T)。
イルカの目は円らなイメージがあるが、実はヤツらの目は鋭くてワルイ感じですよ。
いつかはイルカと泳ぎたいなあ。






ちなみに、このイルカはずっとこんな風に倒立の練習をしていました。
調教師?がいるわけではないのに、延々と。なんか可哀そうになるくらいひたすら。
まあ本人は楽しんでやっているのだと思われるので、いいんだけどさ。


併設のレストランで食べた品川丼の海苔が美味しかった。
品川丼とは、穴子、アサリ、海苔?をご飯に載せて穴子のタレをかけたもの。
(一般名詞なのか、このレストランの独自メニューなのかは知らない)
もう少し具が欲しい気がした……。味は良かったけど。

しかし、この海苔は特筆すべき美味さだった気がする。
今までの長い人生で、飲食店に入って数々の海苔がかかったメニューを食べてきたけれども、
海苔が美味いと思ったことなんて初めて。
あとで調べた所、品川海苔はブランドとして確立してるんですね。さすがだ。








6.白い椿。

2013-04-24 | 東京/Tokyo:2013
こないだやった白洲次郎のドラマでは、周囲に平らな畑がずっと続いた奥にある、里山裾の農家という
イメージだったが、敷地は当時よりおそらくだいぶ狭くなったんだろう。
ドラマよりも小さい建物。いくら“ただの農家”を買い取ったと言っても、
元伯爵令嬢の正子と、金が唸るほどあった(多分この頃はもうオカネモチじゃないとはいえ)
次郎の家なんだからもっと大きいと思っていたのだが。








今は周囲に当時の面影はない。
何しろ50メートルくらい離れてユニクロ鶴川店があるほどですから。
しかしわずか50メートルで、武相荘は静かな雰囲気を現在も保ち続けていて、
これは関係者のお手柄であろう。

ところで、武相荘。ぶあいそう、ですね。
一応表向きの名前の由来は、武蔵と相模の間にあるので武相荘。――そういう説明も出来るそうだが、
裏の本当の意味は、無愛想。らしいです。







思い入れたっぷりの人だからこそ、あまりオオゲサに訪れたくはなかったが、
結果としては多少芝居がかった訪問になりました。
まあ芝居がかったと見るのはわたしの自意識が過剰だからであって、
単にぼーっと見てぼーっとケーキを食べて帰って来ただけですけど。


入口には桜の花。







中に入った途端、その温かさに心が反応する。
温かさの種類が――蓄熱式床暖なのか、囲炉裏の火なのかわからないけれど――違う気がする。
暖色系の照明の色のせいかもしれない。灰色の冬の夕方の色彩とは全く違う色鮮やかな世界。
引き戸を開けて入って、広がるのは昔は農家の土間だった、そこにソファを置いた洋風の居間。
ソファが置かれ絨毯が敷かれ、テーブルの上には、若干あざといような、イギリスで発行された
昔の絵入り新聞が置かれている。ああ、次郎は青春時代をイギリスで過ごした人だから。

居間には展示物がところ狭しと置かれており、典型的な居間にも見えず。多少骨董屋がかってもいる。
多分、何も知らずにここに連れてこられたら、どういった建物なのか全くわからないだろう。
そのわずかな奇妙さが、彼ららしいというべきなのかもしれない。
――まあ、正子が住んでいた時はこんなに物を並べていなかっただろうから、
この状態を見て「奇妙」と言われれば、正子は心外でしょうけれどね。

「物」は、たとえば、
正子が気に入って買い求めたランプとか、愛用のグラスとか、イギリスの骨董食器棚とか、
次郎が日曜大工で作った床置き型の竹製電気スタンドとか。
そこに彼らがいたことを感じさせるもの。

なんといっても、その電気スタンドが良かったね!
次郎お手製の家具はいくつもあって、どれもこれもが――全くの素人。
斜めに傾いている、バランスがおかしい、とか、素人感ありあり。
しかしそういうものを、おそらく次郎は適当に目分量で作り(設計図とかきっちり作らなそう)
「出来たぞ」と言って、得意になって正子に見せ、
正子はにやりと(にっこりではない)笑って、「あら、いいじゃない」などと言ったのではないかと。
美意識で物を書いているような人が、夫の素人仕事に。
そういうことを想像させるのが愉しい。



家の南西側は和室が二間。ここは事前に想像出来るような正子の展示スペース。
時期が時期だったので、時代物のお雛様が飾ってあった。それから部屋の畳部分をほぼすべて使って、
正子の収集品がみっしり並べてあった。椀。盆。水差し。皿。蕎麦猪口。籠。普段使いの着物。
わたしは正直、骨董の良さはほぼわからないが、こうやって、ある好みによって統一されたものは、
全体で調和を作り上げていて気持ちがいい。
割合に丁寧に見たと思う。良さがわからないわりには丁寧に。

それよりも丁寧に見たのは正子の書斎だった。
北西部、日の当たらない和室に本棚と机が並んでいる。本棚の本の題名を丹念に見た。
昔の本がほとんどだった。だいたいは、彼女の著作に関連する資料で、
仏教とか古典とか、ここにこれがあるのはよくわかる、というラインナップ。
新しい本はと見れば、これは車谷長吉や赤瀬川原平さん。彼女と交友があった、これもよくわかる類。
それから彼女自身の著作も端っこの方に、適当に。
意外だったのは南方熊楠関連が少し目についたこと。南方熊楠を書いたというイメージはないのだが。

机は、意外に小さかった。
筆記用具が並ぶ、ごく普通の座机。勿体ぶったところのない佇まい。
わずかに主張を感じさせるのは、机の上に置かれた愛玩したのであろう小さな骨董だけ。
机の前に座れば目の前が窓で、名もないような草だけが目に入る。
しかしその緑は正子の目を休めただろう。
背中を丸めて、この机で書いていた人の姿を想像する。
わたしが想像する白洲正子はオッカナイおばあさんだけど、その背中は意外に小さかったに違いない。


母屋を見終わって、庭に出て、一回り。
西側には山というべきか盛り土というべきか、超ミニチュア登山な感じの盛り上がりがあり。
標高差2、3メートルくらいか。それでも雑木林に囲まれているし、地面はたしか熊笹を
一面に生やしているので、意外に歩き甲斐を感じる盛り上がり。
そのさらに西側には、無愛想とはまた別の、何か趣ありげな住宅も見えたけれども、
武相荘と何か関係はあるのかな。


建物の方へ戻って、喫茶スペースでコーヒーとケーキ。
普段コーヒーは飲まないけれど、他になかったので。
いつもなら何かを読みながら飲食するけれど、なんだかぼんやりしていたかったので。
青みがかってくる夕暮れの庭を眺めながらぼんやりしていた。








庭には、白椿。

花びらのわずかな斑点が残念だけど、久々にきれいに撮れた花。
正子は椿が好きだったそうだ。












次郎は日本でまだ車が珍しかった時代にこんな車を乗り回していた人。
とにかくやんちゃだったようですよ。




17:00に武相荘を出た。






5.武相荘へ。

2013-04-19 | 東京/Tokyo:2013
13:30に江戸東京たてもの園を出て武蔵小金井駅へ(幸福なことにバスで)戻り、
一旦新宿駅へ。新宿駅から小田急小田原線で鶴川駅下車。
目指すは武相荘。


武相荘とはこんなところ。



最近(というのはおよそここ7、8年くらい?)、白洲次郎が人気ですかね?
去年だか一昨年だか、NHKでしっかりしたドラマにもなっていたし。
だがわたしにとっては白洲次郎はむしろ、白洲正子の旦那なんですな。
わたしは正子の方と最初に出会っていた。

十数年前に図書館で。彼女の本を手に取った。
その時まで全く縁もゆかりもない、名前も聞いたことのない人だった。
そういう人の本を手に取るのは、わたしには珍しいこと。
たしか「雨滴抄」か……。彼女の随筆のベストエッセイを編んだものの、五巻か六巻組の一。

読んで、しかし遠近感が狂う。
本って、ある程度予備知識がないと立ち位置が混乱しませんか?
ミステリだと思っていたら青春小説だったり。エッセイかとおもいきや小説だったり。
書いているのは学者なのか、コラムニストなのか、小説家なのか。
味覚で例えれば、目かくしして何を食べてるか知らない状態で食べると、
味が全然わからなかったりするでしょう。
そういう状態。え、これ、なに?という相当な混乱。

そもそもこんなエラそうに物を書いているのはダレなのだ、というのが混乱の元。
こんなエラそうな人なら、文壇でもけっこうな位置を占めているだろう、しかしわたしは
この人の名前、耳にかすめたこともなかったぞ。という戸惑い。
それはその後何冊か、とりわけ「白洲正子自伝」を読むまで続きました。

なるほど。強烈に自意識を持って生きた人なんだ。
旅と古きものを愛し、美しいものと対峙する。
それはもしかすると、わたしが目指す方向と同じなのでは。
――という美しい?誤解のもと、彼女の著作はだいたい読んだ。
(そもそも今、白洲正子全集を4巻まで読んでいる。ので、これが20巻まで行けば全部ですな)

この人は、安全妥当なことを書かないんです。別にとんがったことを書くわけでもないけど。
本人が、ほんとに思ったことだけを書く。それは時に、幼かったり我儘だったりするけれども、
書き手の姿勢として、実は稀有なるものではないかと。

常識や知識で書きたくなるものでしょう、普通は。特に書いてることが骨董、仏像ならば余計。
知識で書いていれば、後ろ指をさされることもないのだし。
しかし彼女はそこで、考えたこと感じたことを書く。わたしが好きなのは、そういうところ。
潔い。書くことの精髄はここにある。




そんな思い入れがある白洲正子。
住んでいた場所が公開されているというのは、もうずっと前に知っていたのだけれど、
東京とはいえ端っこの方だし、そもそも東京にはあまり行かない。
いつかは行かずはなるまい……
そう思いつつ十数年。



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今回ようやく訪れることが出来て感慨深い。
小田急線鶴川駅に降り立った時にもう感慨深い。
正子が疎開して来た時、おそらくこのあたりはほぼ何もなく。多分畑が広がっていただろう。
東京の真ん中から、文字通りの田舎暮し。
まあ彼女らには英国貴族風カントリーライフの考えはあったと思いますが。

だが今は駅前にこじゃれたスーパーや学習塾がある、典型的なベッドタウン。
このスーパーで正子も買い物をしただろうか。
(彼女は15年前に亡くなっている。――もう15年も経ったか……!)
小さいバスプール。その一角に交番があり、人の良さそうなおまわりさんがこちらを見た。

地図を持っていたし、特にその必要はなかったんだけど、
持っていた地図を見せて、「武相荘はこっちでいいですか?」と聞いてみる。
待ちかねたように答えてくれたおまわりさんは、
「ほぼ同じものだと思いますけど、地図ありますよ」と渡してくれる。

わたしが持っていた地図は武相荘のホームページからダウンロードしたもので、
おまわりさんが渡してくれたのも同じ地図。
同じ地図を右手と左手に持って、微笑ましい気分になる。
あそこの交番のおまわりさんは何度も武相荘の場所を訊かれたんだろうな。
利用者の便宜を図って、駐在しているおまわりさんの誰かが「地図を用意していた方がいいな」って。
鶴川にとって、正子と次郎は地元の名士だろうからね。
おまわりさんの挙措にも、そこはかとない華やぎを感じる。


そして地図の通りに歩いて、武相荘到着。







駅から徒歩10分ほどだろうか。15:20着。
……到着まで前置きが長かったが、この後がまた長くなりそうなので、一旦ここで切ります。








4.江戸東京たてもの園。

2013-04-15 | 東京/Tokyo:2013
ついに来ました。長年の懸案事項。
やたらと立派なこの建物は、たてもの園の入口で、
「1940年(昭和15)に皇居前広場で行われた紀元2600年記念式典のために仮設された式殿です。
1941年(昭和16)に小金井大緑地(現在の小金井公園)に移築されました。 江戸東京たてもの園の開園にあたり、
ビジターセンターとして改修しました。」(HPより)だそうです。
立派過ぎて違和感。







江戸東京たてもの園は、大雑把に言ってかなり面白かったが、
詳しく写真の内容を説明したいというほどの熱意を生む感動はなかった。なのでさくっと。






三井八郎右衞門邸。
あの財閥の三井ですかね?細かいところまでびっちり手間と金をかけている、
……というところまではいかなかったけど、なかなかでした。










これはルネ・ラリックだそうだ。言われてみれば。











奄美大島の倉庫で、どう見ても屋根にしか見えないところが倉庫本体。
高床式にもほどがある!というツッコミを入れたくなる。









建築家・前川国男邸。







家としては狭めだが、落ち着いた雰囲気のある。













これは「千と千尋の神隠し」の風呂屋のモデルになった風呂屋と言われる。
まあ、部分部分を参考にするんだろうし、わたしが違うというのも野暮だけれども、
モデルとしては道後温泉本館の方がはるかに雰囲気だなあ。

























上記3枚は「看板建築」と分類されるもの。
それって何?と聞かれてもわたしは説明出来ないので、Wikiご参照のほどを。
藤森照信さん命名。どの程度市民権を得ている用語なのか不明。



江戸東京たてもの園は、だいたい30棟くらい。
写真は他にもあるけど、面白かったのはこんなところ。


しかし、ここはもう少し飲食コーナーを充実させるべきだ。

わたしはここで10時半から13時半を過ごした。まあそれなりにちゃんと見ようとすれば
そのくらいはかかるわけですよ。
3時間もいたら当然昼ごはんを食べる可能性は高いし、そうでなくてもお茶でも飲んで
足を休めたい人は恐らく多いでしょう。

それなのに、ビジターセンター内にある喫茶コーナーは、テーブルが……どのくらいだったかね、
6、7卓くらいかね?座席数だと20席くらいかね?
まあとにかくスーパーのパン屋の横に何となく設けられている飲食コーナー並みのしょぼさで、
並ばないと座れなかった。しかも飲み物メインで、食事ってほどの食事が……ほぼない。
しょうがないので食事になり得るカツサンドを頼んだけど、これが紙箱に入った
(昔の国内)機内食並みのカツサンド。
それに紙コップの紅茶で870円てんだから呆れかえる。

博物館にはちゃんと飲食施設を併設しましょう。
まあそれを言ったら宮城県美術館の喫茶店も、中身はともかくスペースは狭すぎるけどな。






3.武蔵国国分寺跡。

2013-04-08 | 東京/Tokyo:2013
タンポポ・ハウスからほぼ真西へ向かい、さらに歩く。
だってまだ7:30だし、ファミレスとかファストフードの店以外でいられる所と言ったら……
営業時間がない、古寺古跡くらいでしょう。わたしは古寺古跡好きです。

藤森さんの家から徒歩10分程度で武蔵国国分寺跡。
何もなさそうなところだけど、多賀城跡でけっこう愉しめるのだから、
きっとここもちょっと面白いだろう。古跡を歩くのも久々だしね。


そうしたら、ここがけっこう良くって。


何があるということもないけど、何もなさ加減がのんびり感を増幅する。
天気が悪ければまた印象は全然違うだろうけど、この日は日差しは明るく(寒いけど)
こういう場所を歩くにはベストコンディションだったかもしれない。
いやまあ、それでも若干寒かったか。

……何もないので撮るべきものがなく、従って写真もありません。
仕方がないので、猫でも見てやって下さい。














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その後、その辺をぶらぶら歩く。





この辺りは軽く歴史地区みたいな感じで整備されていて、散歩が愉しそうな小道でした。
というか、散歩が楽しかったです。途中、何かいろいろ……何だったか忘れたが、
えーと、資料館?みたいのもあったし。(わたしは入ってないけど。)
あとは寺とか神社とか……観光客は来なさそうな、ちっちゃいところばっかりだけど。
昔ながらの農家の佇まいもあって、こういう場所の近くに住んでいる藤森さんはシアワセだ、
と彼の身の上に思いを馳せた。





















まあなんてことのない所なんですけど。
良かったなあ。久々にのんびりした感じ。
こういう地道なところを何の意味もなく歩くのは、わたしの性に合っている。


だがいい気になって歩き回って、そろそろ10時近く、ということになると、
――足腰にガタが来るわけですよ。
ガタが来る前に休む、座る、というのが長時間歩きの鉄則。
しかし毎回うかうかと歩き過ぎ、気づくと「やばい……」という状態になっているわけであって。

もう疲れていたので、ここから江戸東京たてもの園にタクシーで行こうかと迷ったが、
タクシーが見つからなかったことと、歩いていると何となくJRの西国分寺駅に着いてしまったので、
江戸東京たてもの園の最寄駅である東小金井駅へ電車で移動する。
さらにそこから、バス路線がわからなかったので徒歩でたてもの園を目指してしまう。
そうすると、駅から30分歩く羽目になり……


もうガタガタ。足腰が痛い。ああっ、やっぱりタクシーにのるべきだったのだ!


やっとの思いで江戸東京たてもの園前に着いたはいいが(小金井公園の中にある)
公園のベンチに座ってたっぷり時間をかけて茫然とした。
なかなか動けません。今後が思いやられます。

まあ天気はいいし、ボール遊びをしている親子連れの姿は平和だし、
いい時間だったですけどね。……足腰の痛みさえなければ。







2.タンポポ・ハウスへ。

2013-04-02 | 東京/Tokyo:2013
ホテルからJR新宿駅へ歩く。ま、若干遠い……。
でも中央線に乗りたいので、乗換しなければならないことを考えると、地上を歩いた方がいいかと。
知らない場所を歩くのは楽しいしね。

中央線でどこを目指すのかというと、国分寺駅。
実はそのあたりに、私の好きな大学教授が住んでいるんです。
……というと真面目にストーカーっぽいが、いや、そういうわけではなくて。

藤森照信さん。職業:大学教授・建築史家・建築家。
この人はとても面白い(変な)人で……って、実際の人柄がどうか知らんが、著作がとにかく面白い。
大学の頃に読んだ「アール・デコの館」でファンになり(この本はそこそこマジメな本だった)、
その後硬軟とりまぜて、けっこう読んだ。専門が明治~昭和期の擬洋風建築で、
一般向けの本をずいぶん書いてる人なんです。
もちろんテーマに興味があるから読むんだけど、コノヒト、文章も読ませるんですよー。


だからといって、それだけで自宅まで行くとなるとこれはやっぱりストーカーだろうが、
彼の自宅は彼の自作で、まあちょっと変わった建物。
建築関係の本にもたどり着ける程度の地図は載っているので、
これは見に行ってもいいということだろうと。
長年、機会があれば見てみたいと思っていた。
そして今回の目的地である「江戸東京たてもの園」は国分寺駅の隣駅。
これを機会と呼ばずして何としょう。




何しろ、夜行バスで早朝に新宿に着いているので、国分寺駅に着いてもまだ7:00くらい。
営業時間があるようなところはまだ開いていないという意味でもタンポポ・ハウスはちょうど良かった。
……あ、タンポポ・ハウスって、藤森さんの自宅の名前です。







こういうおうち。

建築関係の本にこの家の写真はいくらでも載っているから、載せても大丈夫だろうと思うんだけど……
それとも何かを侵害するだろうか。


この家の何がタンポポかというと、
なんていうかね、……説明がムズカシイんですけど、壁にタンポポを生やしていた。
少なくとも竣工当初は。(今もやっているかどうかは知らない)
壁が横ストライプになっているが、ここは石造りのプランターというかポケットみたいになっていて、
ポケットに土を入れ、タンポポを植えていた。だから春が来れば全面タンポポ。

まあ実際はタンポポってイメージよりもはるかに地味に咲く植物だったらしく、
期待したような“全面タンポポ”ってのは実現しなかったようなんですけどね。
野原一面にタンポポの黄色、というのはよく見かける光景のような気はするけど、
あれはやはり面的に広がる多数のタンポポだからこそのことであって、
プランターに一列に並べたような状態だと、花期が長いことが逆に仇となり、
部分部分で黄色い花がちょこっとずつ見える、という状態になるらしい。

この辺の顛末は、朝日文庫「タンポポ・ハウスのできるまで」に詳しく正確に書かれてますので、
ご興味のある方はどうぞ。ご希望の方にはお貸しします。
ちなみにどうして藤森さんがタンポポを家から生やそうかと思ったかというと、
……単に面白いから。



国分寺駅から、そうねえ、10分ちょっとくらいかねえ。
地図はわりとわかりやすく、間違えないで行く自信があったのに、……少し行きすぎて戻る。
そうか、この道を藤森さんが日々歩いているわけか。と少々感慨深い。
この辺りは昔ながらの住宅地で、気取らず、今はいい感じにひなびている。
探検をする気分で歩く。まあ、若干宝探しみたいなもんですよ。



それだけに、見つけた時は「あった!」と結構気分が盛り上がった。



印象としては、想像よりも小さい。もっと石の量感がドシンと来るもんだと思っていた。
竣工当初は、さすがの藤森さんも(←野蛮人。←いい意味で。by赤瀬川原平)周囲との違和感を
気にしたようだが、わたしが見たこの時は、もう溶け込んでいたね。
家が建てこんでいるのも溶け込んだ理由の一つだと思う。おそらく建てた時より、
周りに家は増えたと思うんだ。

建て増しをした部分の建て増し感がいかにも藤森さん的大雑把。でも特におかしくない。
あまりにも別物なので、一体化して見ないのがむしろ奏功なのかもしれない。
写真で見るとどういう状態かわからないだろうが、右のクリーム色の部分が建て増し部。

まあ実際に見ていたのは5分とかそこらなんですが、わりと満足した。
なんというか、万人向けとは思わないけど、見てほっこりしましたよ。
わたしは建築物は、使い勝手をまず考えるべきだと思っているし、
藤森さんの建築のデザインは(遺憾ながら)好きとは言えない方向のものだけど、
(だいたいのところ、住むには奇抜すぎます……)
「あれがこれか!」的感動があった。

でも彼の近年の建築は全然知らないんだよなー。
というか、wikiを見たところ、知らない建築の方が多い。
なんだよ、「空飛ぶ泥舟」って。
使い勝手無視の建築には怒りまくるわたしだが、ここまで来るともう何も言えません……。
(まあ茶室はね。面白さ優先で許されると思う。少しアマイか。)




あ、タンポポ・ハウスを見つける前にこんなところを通った。




















多分造園業の人の畑かな……。
そういえば、全然意識にのぼらなかったけど、もう梅の季節だった。
そういうことにも気づかずに時は経っていく。




1.そうだ「     」、行こう。

2013-03-27 | 東京/Tokyo:2013
「そうだ 京都、行こう。」というのは某JR東海の(某を付ける必要がどこにあるのか)
史上屈指の名コピーですが、うちから京都は、思い立って行くにはちと遠い。
1泊で行けるようなところはどこだろう?……と、2月27日火曜日の夜に考え始め、
水曜日の夜に往復のバスとホテルを予約し、3月2日土曜日の深夜バスで旅立ちました。





行先は東京です。





盛岡とか平泉とか、日本征服の一環としての新潟とかも多少考えたんだけどね。
この季節、この辺は身動きがとりにくいっぽい。
東京も、多分東京として行ったのはたしか古田の引退の頃……。神宮球場に行った時。けっこう昔。
実はあんまり行ってないですね、東京は。


今回はいい機会なので、長年の懸案である「武相荘」と「江戸東京たてもの園」へ。
横浜中華街にも少し気を惹かれたが、横浜は昔何度か行って、興味のあるところは
だいたい見た気がするし。中華街で一日過ごすというのもちょっと無理。
東京はほんというと、行きたい美術館で行ってないところがゴロゴロあるのだが、
今回日曜日月曜日の日程で、武相荘も江戸東京たてもの園も月曜休館。
つまりここを日曜日に行くしかない。
なので、今回美術館で他に行けるところはありませんでした。


かなり地味な旅行でしたが、自分としてはけっこう愉しんだので、
メモとしてさくっと書いておきます。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




行きのバスは23:30仙台発。

夜行バスは成田空港行きで何度も乗っているとはいえ、着いた後に一日歩き回るという日程は久々。
大丈夫だろうか。体力は保つだろうか。
オシゴト終わってから出発まで、K子さんにゴハン付き合ってもらって、定刻出発。




わりとまあまあ寝られて、(さすがに熟睡というほどではないが)
ふと目覚めると降車地の新宿直前。5時過ぎ。

バスから降りると超~~~~~~~~寒かった。

予期せぬ寒さに、慌てて使い捨てカイロを取り出す。
お守り代わり程度な感じで持って来ていたのですが、これのおかげで何とか乗り切れました。
良かった、持って来てて。
……いや、使い捨てカイロなんてそのへんでいくらでも買えるんですが。
わたしはカイロをほとんど使わない派で、実はこのカイロも最低5年くらい経っている年代物。
まずその在庫を使い切ってから新しく買いたいものです。



市営地下鉄大江戸線に乗って一駅の東新宿駅へ。
今回のホテルは「アパホテル東新宿駅前」です。
ここ、良かったです。大変気に入りました。

どこがどのように良かったかというと、

値段が5800円とお手頃。
市営地下鉄大江戸線東新宿駅至近。けっこう便利。
JR新宿駅からは徒歩十数分な感じだが、JR新大久保駅だと10分程度か。
部屋は狭くても新しくてきれいで、特に文句をいうほどのことはない。
大画面テレビがあり、安ホテルの侘しさを感じさせない。
インテリアも値段に比して趣味がいい。

何より。
ホテルの極近に、
ロイヤルホスト
バーミヤン
マクドナルド
バイキング弁当屋
タリーズカフェ
コンビニ
ステーキアンドペッパーランチ(古い牛丼屋のような雰囲気のカウンターレストラン)
東新宿食堂?(半田屋的定食屋。しかし半田屋より数等美味い。)

があり、その選択肢の多さがとても魅力。

……まあ旅行の時くらい美味しいものを食べたいと思わないことはないんですけどね。
実際はそこまで食事にこだわってないというか、一日散々歩いて、もうてきとーに食べたいよ、
ということが多いわけです。そういう時にホテルの近くに、一人で気兼ねなく入れる種類の店が
いろいろあるというのは、わたしには大変魅力的でした。


夜に撮った部屋の写真。





あ、不満はロビーとエレベーターと、エレベーターを降りた後の廊下が激狭なこと。
人混み恐怖症気味のわたしには、特にロビーの混雑が(もしあったら)ツライ気がする。


ホテルに荷物を預けて、ホテルの隣の東新宿食堂で朝ごはん。
えーと?ご飯と味噌汁と、目玉焼きと鶏唐揚げでしたかね。600円ちょっとだった気がする。

あ、写真があった。








食べて若干体は温かくなり。カイロの助けを借りて、いざ出発。