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Mo.の事件簿 A diary of Mo’s trips

事件簿などという大層なタイトルだが、実は単なる旅行記です。

22.奈良は。

2015-03-02 | 奈良/Nara:2014
奈良は良かった。ほんとーに良かった。

20年近くぶりに行ったわけだが……いいね!奈良はね!
こないだテレビを見てたら、国宝の仏像の半分以上が奈良にあるそうで……。やっぱり仏像を見るなら奈良なんだね!
京都も好きだが、そういえば奈良と違って仏像どっぷりという感じにはならない。
むしろ建物や庭、それらを含めたエリアの魅力ですかね、京都の場合は。




美しいものを視界いっぱいにとらえる、という見方が好きだ。
例えば、屏風を展示ガラスぎりぎりまで近づいて見る。そうすると(大きさにもよるが)、視界のほぼ全てが
屏風で占められ、美に包まれる雰囲気になる。これが至福感に繋がる。
もちろん全体像は見えなくなるけど、細部のみを愉しむ見方が出来る。
こういう見方は、おそらく日本美術特有のものである気がする。

西洋美術は、基本的に対象との距離が日本美術よりも長い。
そして細部ではなくて全体を見るような性質を持っている。
もちろん「モナリザ」の手の重なりの美しさだけを見るような、瞳だけを見るような見方をしてもいいけれど、
それをベースには置いてない。基本はあくまでも全体のバランス。

でも日本美術だと(特に日本画はその傾向があると思うが)何しろ茶室の軸や寺の襖絵などを基本として
発展してきたために対象距離が短いよね。まれには御所や二条城の大広間といったような
そこそこの大空間を飾る絵もあるけれど、一部屋の容積を考えた場合に、比較すれば日本の建築は細かい。

なので、全体よりもむしろ細部に真骨頂を発揮する。まさに描き手の視点の距離で一番真価を発揮する。
「洛中洛外図屏風」なんてのは最たるものでしょう。
全体もキンキラキンでそれなりに美しいものだが、でもああいう絵は目を近づけて、細かく描かれた
庶民の暮らしを見てこそ。


仏像はそこまで寄りで見なくてもいいものではあるが、わたしはだいぶ近寄って、顔をじっと見上げてるのが好きだ。
耳を澄ますように物を見る。目の前の物が語るか語らないかは物の良し悪しというのもありつつ、
こちらの好き嫌いと、精神的肉体的コンディションによるところが大きい。
なので常に最高の出会いがあるわけではないのだが……今回の奈良でも常に最高とは言えないけれど、
なかなかいい出会いもありましたよ。



やはり今回は浄瑠璃寺の阿弥陀仏が筆頭。美的にどうかといえばそこまでではないのだが、
とにかく出会いに感謝出来る、いい出会いだった。
浄瑠璃寺の庭も建物も、派手さはないけれど心地よい場所。開放されるとでも言えばいいのか。

次には二月堂・三月堂付近の風景。静けさや雨催いの空気も相俟って、印象深かった。
ラインの美しさ。絵でも建築でも彫刻でも、これだ!というラインがすっと通っているものは、
……言葉で言い表すのが難しいが、“気持ちいい”。すーっとする。

法隆寺の百済観音。あれは数ある日本の仏像のなかでも特異なもののうちの一つ。
聞こえてくる気配が他の仏像とは違う。衆生を救う温かさではなく、別な世界へのむしろ誘惑。

大仏殿を入口直前から見上げるアングルも印象深い。あれは今まで知らなかった今回の発見。

興福寺の五部浄像と阿修羅像。にらめっこのようにずっと見ていた五部浄像。
勝負に近いですよ、わたしの方はね。先方は特に何も考えてないでしょうけれども。

山田寺の仏頭も、運慶作「木造釈迦如来頭部」も思い出すとそのラインが“気持ちいい”。

あ、忘れてはいけない、戒壇院の四天王とその辺りの佇まい。
宝くじに当たったらこの辺に家を買って住むんだ。

平城宮跡のエキゾチックさも目を開かれた部分。



今回の奈良では、主に上記の場所でセロトニンが分泌されていた気がする。


こういうセロトニンが分泌される場所が家から30分以内にあるといいなあ。
こないだ初めて行ったカメイ美術館の蝶の展示は、視界全てを美しい色彩で埋められるという点において
セロトニン分泌可能な気はするけれども、ぼーっと蝶の標本を見ている人というのも客観的に見て
コワイ気がするので何とかして欲しい……。

わたしの野望?は、ジョー・プライスさんに自身のコレクションの中から作者不詳の「紅白梅図屏風」を
仙台市博物館に寄贈していただくことだな。あれは可愛くてとても素敵。視野いっぱいにとらえて幸せ。
野望でもなんでもなく、ただのおねだりにすぎないが。



また行きたいです、奈良。
しかし高野山にも行かなならんし、積年の課題である大阪の陶磁器博物館にも行かなならんし、
日本征服まではあと9県……。とりあえず近場つっちゃ近場の、新潟・富山に行っておくかー。

ほんとは久々にイギリスに行きたいんだけどねー。
しかし現在のイギリスはレートが超高く、まあ今後も安くなることはしばらくなさそうだが、
多分物価の体感は日本の2倍くらいと思われる。ううう。それでは行けません。



ではまた、いずれ。ごきげんよう。





















21.シルクロード!

2015-02-27 | 奈良/Nara:2014
平城宮跡資料館を出て、また1キロ弱離れた平城宮歴史館へ。建物名が似ててわかりにくいですね。
平城宮歴史館は南の端、朱雀門の近くにあります。







直線で行く道がないから、一度復元大極殿前の広場に出てから朱雀門を目指す。

まー、この広大な空間に、……ふきっさらしの風が大変にツラかった!!
奈良は盆地で底冷えがするというのがよく言われることだが、今回行った限りにおいては、
底冷えよりも何よりも、風の冷たさがきつかった。
こっちだって風の冷たさでは日本で有数の土地柄から来てる者だけれども、奈良は地元といい勝負。
そして地元では、こんな風の強い日にはお利口にしてお外には出ないんだから、これはもう久々の試練。

そこで振り返ると、そこにはシルクロードを行く旅人が。







どこの国の人かはわからなかったんだけど、異国の服装をした人がパラパラと歩いていらっしゃる。
この強い風と荒涼とした沙漠(?)、異国の衣装とあいまって、まさにシルクロードを旅してる気分になった。
古えの隊商もこんな思いをして沙漠を越えたに違いない。
……まあ若干大げさですか。


一人に一人のガイドがついているようなので、VIPな感じがする。
あとで平城宮歴史館の入口で訊いてみたところ「学会のようです」と言っていたが、
学会にしては物々しい感じ。政治がらみのゲストだろうか、というのはわたしの考えすぎですか。
どこの人か、大変知りたかったが迷惑になるかと思い、突っ込んで訊けなかった。







逆光で暗いが朱雀門。



その傍らに平城宮歴史館があり、これは遺構館や資料館と比べるとだいぶエンタメ寄り。
遺物とかの展示は少なく、ほぼ映像作品。お金かけて、よく作ってあった。
……だが学会の人たち以外に観光客は大変に少なく、客とスタッフではスタッフの方が多いのではないかと思った。
これは“学会の人”たちのために人数を増やしたか?
だっていくらなんでもスタッフ多すぎ。おかげでわたしもうっすらとVIP待遇気分。


映像作品を2、3見て。
でもそろそろ時間が押してたんだよね。この時点で11時。
余裕を持って12時半くらいまでには近鉄奈良駅を出発出来る態勢でいたいし、
ここから中心部まで戻る交通手段もはっきりしてないから、最後の映像一本は割愛した。残念。



平城宮歴史館の外には遣隋使船が復元されている。















帆が、竹で網代に編んだものだったとは……。意外。だいぶ重そうだけどね。
船としては小ぶりだと感じたが、それでも1艘に100人から150人乗ったらしい。
すし詰めじゃないですか?これで中国まで行くのは命がけ。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



11:10に平城宮歴史館を出て、最寄のバス停の場所を訊いたところ、
駐車場誘導のおじさんが、「バスは1時間に1本しかなく、時間的に通過したばかりの筈」と言われ、衝撃。
そうすると……あとはタクシーか、近鉄に乗って中心部まで戻るかしかないわけです。
そして、ここは近鉄西大寺駅へも近鉄大宮駅へも、ちょうど中間くらい(涙)。

やっぱりまた歩くわけですね……。

西大寺まで歩く。1キロ強はあったでしょうねー。
わたしとしては、平城宮観光については、
奈良県・奈良市、関係各処に熟考をお願いしたいと思います。
こんな広いところなんだから、ループバスとか走らせてくれませんか?健脚じゃない人のために。
そして公共交通機関に接続して欲しい。そうすればせっかくの施設が活きると思うのですが。


お昼を再度「元喜神ラーメン」で食べて、ホテルに預けた荷物を取りに行って、
今晩の夕食のため、柿の葉寿司を買う。
12:53、近鉄奈良駅発。早めだろうとは思ったが、やっぱり時間は早くて16:20離陸の飛行機に対して
関空に着いたのは14:40。
時間をぴったり使えたら、見残した吉城園なり他の庭園なりどっか見られたな。
でも仕方がない。飛行機に乗り遅れたら大変だし。







ピーチ航空の待合室は、椅子が若干変わって、収容人数が増えたように思う。
狭いんだよね。どうせ作るならもっと広く作って置いた方がいいんじゃないかといつも思っているのだが。

18時頃仙台着。
柿の葉寿司は結局機内では食べず、家で食べた。


19:00、帰着。










20.平城宮跡資料館。

2015-02-24 | 奈良/Nara:2014




こんな風景を見ると臨場感があるなあ。




復元大極殿を見たあとは、西側にある平城宮跡資料館へ。ここが今のところメインのミュージアムらしい。
ここは見ごたえがありました。面白いものいっぱい。





大極殿の模型。






お部屋のしつらえ。左側はベッドですからねえ。エキゾチック。







お食事風景。足つき膳ではなく、置き場所が低いだけで、途端に遊牧民族の食卓に見えてくる。
絨毯もペルシャっぽいですし。






読めるかどうかわからないが、メニュー。けっこう凝ったもんを食べている。







夜光杯。(復元。あ、この辺のものはみな復元です。)

中学時代に習った漢詩で「涼州詞」が好きだった。


葡萄美酒夜光杯

欲飲琵琶馬上催

酔臥沙場君莫笑

古来征戦幾人回


……コピペしてみて、漢詩の横書きのヒドさに衝撃を受けた。
漢詩は縦書きじゃなきゃ絶対ダメですな。


葡萄の美酒、夜光の杯

飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す

酔うて沙場に伏す、君笑うなかれ

古来征戦幾人か帰る



1行目の綺羅綺羅しさが大変に美しい。
それにしても1行目と最終行の内容の落差がすごい。1行目がこう始まってこう終わるとは誰も思わない。
起承転結というが、起承転転という内容だ。







発掘されたものがこれで、







こう復元されると、……椅子はどっから持ってきた?と疑問に思う。
どう考えても椅子を使う高さじゃないが。まあ丈高いバージョンも出土しているのなら、
わたしが文句を言う筋合いでもない。








ベルトなんか、見て、現代そのまま。
この通りの形のものがその辺で売られていても全く不思議ではない。










19.平城宮跡。

2015-02-21 | 奈良/Nara:2014
本日最終日。奈良を出るのは12時過ぎなので、午前中を使って平城宮跡へ。
ここがね。予想以上になんだか良かった。


20年前に来た時にはまだ復元大極殿などはなかった。
当時は大極殿の柱跡を木の刈込みで表現していた。なかなかいいアイディアだと印象深かったが、
今は立派な復元された建物になっている。
でもまず行くのは復元遺構館。



ちなみに、平城宮跡は1キロ強四方という広大な面積にわたっており、
県庁所在地の一等地にこの広さを残すのも大英断、未来に向けてきっと良い結果を生むと思うが……

何しろ広い。広すぎる。
そしてその広い敷地の端っこ端っこに、数か所のガイダンス施設が点在している。
それはまあ見事に東西南北に分かれている。なので、全部を歩こうとすると、これはちょっと並みではない。
素直に考えて最短4キロ。……そんなに歩く根性があるかい!
なんでこんなに離れ離れに作るんだろうね?結果的に、東院庭園跡には行けなかった。
テレビで見る限り、それほど大した施設ではないと思うけれども、ちょっと行きたかったんだよなー。

わたしが行ったのは、復元遺構館→第一次大極殿→平城宮跡資料館→朱雀門跡→平城京歴史館。
このルートだけでも3キロはカタイ。と思う。建物内部もそれなりに歩きますしね。


近鉄奈良駅からバスに乗って平城宮跡へ。意外に距離がある。
9時の開館を待って入ろうと思っていたので、復元遺構館の前でウロウロ。
そしてこの日は……寒い!すっごい寒い!風が強い!
それなのに9時になってもドアは開いてくれず、10分くらい遅れてようやく開きました。
遭難するかと思った。


復元遺構館は、すでにあんまり記憶にないんだけど、まあそれなりの内容。
物というより、発掘現場を再現してエリアとして残してくれてる感じ。
意義深いが、見た目に派手さはない。
復元の模型がちょっと良い。





日本の建物は、屋根ですよね。普段あまり上から見るアングルに馴染みがないけど。
檜皮葺のこの美しいライン。



復元遺構館から外に出ると、こんなのがあって少し楽しい。











いずれはこういうのをこの広大な敷地に増やし、一大奈良時代テーマパークに!という方向かね?
だとしたら嬉しいなあ。日光江戸村とか、えさし藤原の郷とかのレベルでロケなんかまで出来るようになれば、
奈良時代のドラマなんかも作れそうな気がするし。
……あ、しかしそもそも奈良時代を舞台をした、原作となり得る小説の絶対数が少ないんだった。
うーん。ここはネック。



そして目玉の復元大極殿。







まあ立派な建物。金もかかったに相違ない。








高御座の復元。なかなか間近に見られるものでもないので、ここに作ったのはエライ。














四神。南の朱雀(←雉にしか見えないが)、西の白虎、北の玄武。装飾のわりにちょっと地味目ですな。
四神なのに3枚しかないのは、東の青竜を撮り忘れたからです。









大極殿から。向こうにある門は朱雀門だと思うけど。
そうだとすれば1キロ弱は離れている。カメラのズーム機能を効かせているのでだいぶ近く見えるが。







欄干のこんな飾りを見て、やはり奈良時代は今とは異質な文化・美意識だったんだなあと思った。
日本文化のベースは平安時代に多くを負っているよね。奈良はむしろエキゾチック。
それはそれで大変面白いと思うので、今後奈良時代の風俗をやる学者がたくさん出てくればいいな。
文献の少なさがネックだが。








軒の端っこに吊り下げられているコレ(風鐸?)が、この日の強風にあおられてガランガランうるさかった。







18.踏んだり蹴ったり。

2015-02-18 | 奈良/Nara:2014
早めに斑鳩を出たのは寒かったことも大きいけど、市内まで帰って奈良国立博物館に行こうと思ったから。
4回目の奈良だというのにまだ一度も行ったことがなかった。今度こそ。

電車もバスも接続がスムーズで、国立博物館前に15:30頃着いた。
上手くいったじゃないか!天才!……と、自画自賛したのに、――奈良国立博物館の本館は3月まで休館中でした。
おーまいがっ!

そもそも、国立博物館のネーミングが悪い。
「なら仏像館」が休館中なのは知ってた。で、西新館と東新館だけ開いてることも知ってた。
だが「なら仏像館」=本館だということは知らなかった。
だって普通、新館があったら本館あるでしょ!?本館があった上で仏像を集めた「なら仏像館」があるべきでしょ!?
それをなぜ本館と呼ばずにわざわざ「なら仏像館」と名づけるか!
グローバル・スタンダードを追求せんかい!

……と八つ当たりして、八つ当たりついでにえらく立派な新館のミュージアムショップで
買わんでもいいお土産をついつい買ってしまったりして、さらになんだか癪に障る。
急いで帰って来た意味がまるでない。



ここからどこへ行こうか……。もう16:00を過ぎているので行けるところはあまりない。
それでは「吉城園」行ってみましょうか。今回の奈良では一つくらい庭を見たいと思っていて、
「依水園」「大乗院庭園」どれにしようかと思っていた。
「吉城園」と「依水園」が近い。より入場料が安い方の「吉城園」を目指して。

しかし驚いたことに、博物館の入口の人に「吉城園に行くのに氷川神社を抜けて行けますかね?」と訊いたら、
「吉城園」の存在を知らなかった。
「依水園」は知っていたらしい。この二つの庭は隣り合っている筈で、博物館とは目と鼻の先だと思うのだが。
大なり小なり観光に関わっているであろう人が知らないのはびっくりした。

だがこの庭園、実は奈良在住の人には相当マイナーな存在ではあるらしく、
……そもそもわたしがこの庭の存在を知ったのは「百年名家」というテレビ番組で訪れていたからなんだけど、
奈良出身の八島智人が、「興福寺の辺りなんて庭みたいなもんだ」と豪語(?)していたのにも関わらず、
やはりその存在を全く知らなかったという。
番組で行く事になって、お父さんにも訊いてみたが、お父さんもその存在を知らなかったそうだ。

地図で見ればわかりますが、東大寺と博物館の間の、まさに観光客がぞろぞろ歩くエリアの
ど真ん中にあるんですよ。たしかに一本、道は裏に入っているけど。
それで誰も知らんとは。何かの結界があるのか?と思うほど。


――そして結果的に。


吉城園にも行けませんでしたッ!
道は複雑ではないので、(氷川神社を抜けられるかどうか行ってみた上で裏道がなさそうだったので地図通り歩いて)
わかりやすかったのだが、吉城園入口に着いて16:25。
営業時間は17:00までだし、入場は30分前までというのが通例なので、ぎりぎり間に合ったなーと
思ったら「本日終了」の札が。

えええええ~。なにそれ~。

まあ寒い季節の、しかも国立博物館の人も知らないようなマイナーさでは、短縮営業も仕方ないか。
仕方ないが、……心がサムイ。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


じゃあどうする?今は16:30。
ホテルは、近いと言えば近いけど、一度帰って休んじゃうと、晩ご飯食べに出るのが面倒になるからなー。
かと言って、さすがにまだゴハンを食べるには早い時間。足腰もイタイから、あまり長い距離を歩きたくはない。

……じゃあ……しょうがないから……奈良県美術館に行くか。

なんでこんなに渋々なのかというと、地雷臭がして仕方ないから。
奈良県美術館では「大古事記展」というエキシビを開催中なんだけど、
このポスターから漂ってくる気配が、なんかダメダメな感じ。ポスターはきれいだが……中身はどうだろう。

しかしこの日は何の因果か、夜間営業(19:00まで)の曜日であった。
吉城園から県美術館は目と鼻の先。これはもう行く運命なのかもしれない。


わたしと同じように開館時間の長さに惹かれた観光客で中はかなり盛況。
この時間、他に行くとこないもんね。観光客としては、来たからには何でもかんでも見ようと欲張るし。

そして結論として……やっぱり予想通り地雷でしたッ!

ちっとも面白くない。展示物がさー。もー全然見るべきものがなく。
ほぼ覚えてないけど、どっかの神社の神像とか面とか、誰だか有名画家が描いた神話の人物の絵とか、
古事記が書かれた時代の遺物の模刻とか。モノとしてちっとも魅力がない。

面とか絵でも、良いものは良い。しかし名品よりは並みの品の方がはるかに多いわけで。
並の品を安く借り出して来て、それっぽいテーマに沿って並べただけでは、面白くも何ともないわけですよ!
良いモノを見たいんだ。せっかくミュージアムに行くのなら!並んでいれば何でもいいってわけじゃないんだ!
奈良県立美術館にはその辺りのところをとくとお考え頂きたい。
あれでは古都という地の利と観光客の多さに胡坐をかいたズサンな企画にしか見えない。

まあ、博物館・美術館の予算は限られていて、なかなかド~ンという企画を打ち出すのも難しいとは思いますがね。


16:40に入館して、17:50に出た。時間が1時間以上になっているのは、
展示物を見ていたわけではなくて、椅子に座って休んでいた(そして旅ノートを書いていた)
時間がたっぷりあったからです。
見物は15分位かな。ただ通り過ぎただけ。

あまりにもモノとしてつまらないので、ギャラリートークでも聞けばちょっとはタメになるかと思い、
参加しようとしたのだが、参加人数が多すぎる上にこのギャラリートークもモノについてのトークというよりは
古事記についてのほんの一般的な解説のようで、それってギャラリートークじゃないやん!と
途中で離脱しました。


ほどよき夕食の時間になったので、もちいどの商店街かひがしむき商店街のお店で
きのこのクリームソースのオムピラフを食べて帰る。








そしてデザートに大仏プリン。320円でチョット高い。








本日の後半は何だか踏んだり蹴ったりでした。
まあ大仏プリンは美味しかったですが。





17.斑鳩めぐり。

2015-02-14 | 奈良/Nara:2014
レンタサイクルの利を活かして、法隆寺からちょっと西へ行ったところの藤の木古墳へ。











歴史好きのわたしだけれども、……やはり古墳の石室はコワイと感じることが多々ある。
そもそも洞窟なんてコワイもんですよ。現実的に。でもちょっと幽霊的にコワイのも否めない。
物理的には土を盛っただけの小山なんだけれども。
まあでも中に入れる古墳ではなかった。





藤の木古墳から自転車で2、3分のところに斑鳩文化財センターというところがあって、
ここは藤の木古墳のガイダンス施設(というらしい)。
けっこう新しめの施設で、小さいけれども立派な上映室があり、そこで藤の木古墳にまつわる映像を見せてもらう。
なかなか良く出来ていた。

その後、ボランティアガイドの人に展示室の説明をしてもらう。
ここの出土物、……ほとんどの本物はそれこそ研究機関に行ってしまって、ここにあるのはだいたいのところ
模作なんだけれども、それを見ただけでびっくりする。
こんなちいさな古墳にこんなに豪華な副葬品?

しかも被葬者は(あくまで少数者の仮説の域を出ない段階らしいが)、
穴穂部皇子、宅間皇子、崇峻天皇という、いわば当時の嫌われ者。
嫌われ者だったかどうかは確言出来ないとはいえ、権力者ではなかった。それなのにあんな副葬品の数々。
だとしたら、天武天皇クラスならばどれだけ豪華な副葬品が……。想像出来ない。


奈良で4泊する人は珍しいらしく、ボランティアの人に「え?奈良だけで4泊?」と軽く驚かれたが、
行けてないところはたくさんあります。

飛鳥も行ってないし、薬師寺にも唐招提寺にも行ってないし、法華寺にも秋篠寺にも海竜王寺にも、
時間があれば新薬師寺や白毫寺にも行きたかったけどなあ。
でもまあこの辺は行ったことはあるんだ。20年くらい前に。

大和文華館は行きたい気がしているのだが、今回も行かなかった。
ここは優先順位を上げて、行くべきだったろうか。
でも当時の特別展は「茶湯の人と造形」で、――もうちょっとキャッチィなタイトルをつけるべきではないだろうか。
地味すぎて、おっ、行ってみようか、という勢いに欠ける。



※※※※※※※※※※※※



あとは……あ、その前に。藤の木古墳に行く前にお昼ご飯を食べたんだった。








昨日の東大寺で喰いっぱぐれた茶がゆにどうしても執着があったらしく、芋粥。
まだ炊き上がってないのでお粥はあまり美味しそうに見えないけど、実際に食べたら美味しかったです。
グリーンピースを取り除いて食べたけど(^_^;)。


それから中宮寺を出たあと、いかるがiセンターなるところにも寄ってみた。
あまり面白くなかった。あったかかったので座って居眠りしてしまった。30分くらいか。



文化センターを出てからは、あとは法起寺と法輪寺。
温かい気候の時ならとても楽しいサイクリングだと思うが、……少々寒かった(^_^;)。
なので、ほんと行ったってだけで帰って来た。
法起寺なんか、あったかい時なら、いつまででものんびり出来そうないいところ。







法輪寺の塔と、









法起寺の塔。双子のよう。



15:00に斑鳩駅に戻ってレンタサイクルを返す。








16.さらに法隆寺。

2015-02-03 | 奈良/Nara:2014
法隆寺は敷地が広いのでまだ終わらない。大宝蔵院の後は東の端にある夢殿へ。

夢殿って、不思議なほどロマンティックな名前ですよね。
――そして実際に見ると別にロマンティックな建物ではない。ただの八角堂。
中に入れもしないので、大して印象に残るわけでもなく。
秘仏救世観音が安置されてるというのはどことなく浪漫の香りが漂うが、それを見られるわけでもなく。

そもそも夢殿の立地は残念なんだよなー。
あの八角堂の大きさに対して、回廊がだいぶ狭い。回廊があるせいでキツキツの距離感になってしまう。
もっと遠くから見られれば建物が美しく見えると思う。








久々に苔の接写をしてみた。







こういう木の状態。







コンパクトデジカメ、手持ちにしてはピントが合った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



広い法隆寺の敷地の、東の端の方に夢殿があり、その近くに中宮寺があります。
一応法隆寺とは別なお寺。とはいっても、聖徳太子の母の間人皇后のための寺と言われているので、
まあ子会社みたいな(?)もんです。






ここにある如意輪観音は――日本美術史上のカワイイ仏像として、広隆寺の弥勒菩薩と双璧。

これは本当に、誰が作ったんだろうなあ。
数々の文章を読んで来た(筈)だが、作者について触れられたものはほぼなかった気がするな。
鞍作止利あたりと製作年代が同じくらいかと思われるのに、技術的には相当差があったように思う。

これは完全にプロですよね。止利作の仏像にはまだまだ生硬さがつきまとうけど、
これは完璧なプロポーションでありライン。足と手の位置は人体的にはだいぶおかしいらしいが、
それを全く感じさせないまろやかさ。

日本人が作ったようには思えない。当時まだそんな技術はない気がする。
秦氏か。秦氏が連れてきた百済の工人か。一番可能性が高いだろうな。
ここまでの熟した技術を持つ幾人かの集団。そんな想像をする。


……だがここでも言うが、せっかくの如意輪観音の置かれている位置が奥過ぎて……
光が入らないので見えない。黒い仏像なので本当に見えない。
日光の加減で、午後なら見えるのか?せっかく見に行ってこれだとなあ……。
以前に行った時は、位置関係同じでももっと見えた気がするのだが。

鳥のさえずりがよく聞こえた。庭の方を向いて、鳥の声に耳をすますのはそれはそれでシアワセだった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



ちなみに法隆寺は今年1月1日から入場料を1000円から1500円へ値上げしたそうです……。
高い。高いよ。1000円でも寺の入場料としては高い方なのに。
神社仏閣好きのわたしでもいきなり1500円はたじろぐ。

まあ寺院としてよりは観光施設としてわたしも行くわけだから、宗教施設としての在り方を求めるのは
調子のいい考え方だとは思うが、寺でコレかという意識もある……。
入場料が高いと、観光客としてはコスパも考えるわけでしょう。
……わたしの知ったことではないとはいえ、あの美しい伽藍を目にする絶対数が減るのは、
大きく言えば日本人の損失ですな。残念な話だ。






15.法隆寺。

2015-01-31 | 奈良/Nara:2014
4日目。飛鳥に行くか斑鳩に行くか迷ったが、斑鳩へ。
飛鳥は範囲広いもんね。もう少しいい気候の時に行きたいわ。
まあ斑鳩も範囲広いですが。

6:20に目覚ましをかけ、7:00頃ホテルを出ようと思っていたのだが、
テレビでやってた本郷理華の特集をついつい見てしまい、7:15ホテル出。
今日は地上波でフィギュア・女子シングルの番組あるんだよなー。見ようかなー。どうしようかなー。

20分くらい歩いて駅に着くと、斑鳩行きの電車は8:13。
10分ほどで電車は斑鳩に到着。近いですね。電車代も220円。
でもなんか、斑鳩は斑鳩、奈良は奈良、という意識が強い。


一応法隆寺も法起寺も法輪寺も行こうと思っていたので、レンタサイクルを借りて回りました。
駅前にあって、朝早くから開いているので至便。
わたしは自転車に乗るのが7、8年ぶりで、乗れるかどうか不安だったが一応乗れました。
道路も自転車で走りやすい道の方かな。国道?県道?のあたりはちょっとつらいのだが。


8:45に法隆寺に到着。……ほんとに人がいません。せいぜい3人かな。人影は。
あんな広いところを独り占めできるとはなんと贅沢なことであろうぞ。







このアプローチが大変に素晴らしいと思うのだが、どうだろうか。
この直線の道もそうだが、






この中門と五重塔のバランスも気に入っている。
門は単なる門であり、伽藍建築としての重要度ははるかに五重塔の方が上であろうが、
別してアプローチからの眺めは、男性的な堂々たる中門、その背後に楚々として控える女性的な五重塔に見える。













仁王像。金剛力士と仁王は同じものなんだって。初めて知った。
あまりちゃんと見なかったけど、けっこう筋肉ムキムキなので、制作年代はだいぶ下がるのかなと思っていた。
奈良時代だそうだ。奈良時代の彫刻はカラダが顔に比べて貧弱なイメージがあるのだが。
戒壇院の四天王像しかり。







どこを撮ったのか忘れましたけれども、このラインがいいよねえ。
軒と欄干のラインが。パキッと。きれい。








こっちもいい。金堂ですね。
他の部分の質実さと、上部の勾欄の華やかさのバランスが好き。








塔の極まった写真は撮れなかったんだよな。
まあでも造型的に、少し太目ちゃん。基部はちょっとボリュームありすぎと感じる。


興福寺の五重塔はこんな感じ。






まあ大きさは全然違います。高さは法隆寺が31.5メートル、興福寺が50.8メートル。
ただ法隆寺は、それこそ基部に人が入って、釈迦涅槃図を始めとするジオラマを観覧するという作りになっている。
広めの基部を必要とする。また当時の技術ではあまり細身の塔は建てられなかったのだろう。


金堂に入ると、……おお、そうか、あなたがたはここにいたか。

なんの根拠もなく、どこかの博物館に入っているもんだと思ったよ。
あるいは、わたしが奈良に来てなかった時に出来た大宝蔵院に収蔵されているか。
本来あるべきところにいたんだねえ。

金堂の内部は暗く、古びた金網の向こうに何体かの仏さまがその輪郭を表す。
誰もいないところで、金網越しにその仏像を見上げる。
飛鳥の仏像。飛鳥時代の特徴的な面長の顔立ち。まだ渡来ほやほやで、日本の風土に馴染んではいない仏の顔。
古拙。

そこがまた、野にふと石仏を見るような大らかさ。
写真で見ると、脇侍仏なんてまるで少女が愛玩するお人形さんのようではないですか。
ちまちまと可愛い。衆生を救うという大上段な構えではなく、隣でにこにこ笑っている。


――だが何しろブツは金網の向こうにあり、そして金堂はとても暗い。
実際何がどうなっているのかは、正直言って見えませんね。
現物が現地にあり、その雰囲気の中で見られるというのはとてもいいことではあるのだけれども、
それにしてももう少し細部が見えないと、実際に行く旨味がないというものですよ。
もう少し何とかしてください。







法隆寺の回廊は、はるか昔にここを逍遥したであろう聖徳太子の姿を彷彿させる。
ここっていっても、聖徳太子在世当時の伽藍は消失しているから、
まさにこの場所でこの風景を見ていたわけではないですが。でもまあ。
このラインもきれい。




中門・回廊・金堂・講堂を見て、なつかしい気のする聖霊院とかを廻り、そして大宝蔵院へ来る。








平成10年完成。……うへー、建ってせいぜい数年だとばかり思っていたのだが、もう16年も経つんですか。
最近の建物じゃないなあ。全然。わたしが法隆寺に来た時はまだこの建物はなかった。
温湿度管理なんかまったく出来なさそうな、古い建物で百済観音を見た記憶が。


さすがに法隆寺というべきか、ここには目玉がいくつかあり、その有名どころだけが印象に残っている。
ただし、玉虫厨子は現在国宝展のために東京へ出張中。今は復元が展示されている。
まあ玉虫厨子は昔、地元の「法隆寺展」で見ている。


久々の百済観音。

法隆寺といえば百済観音。他のどんな仏像にも似ていない、細くて長くてゆらりとした姿。
焼け落ちる炎の中に立つ亡霊のような。……というような連想になるのは、
昔若い頃にけっこう読んだ梅原猛の「隠された十字架」の影響が多分になる。
まあ当時からトンデモな感じでしたけれども、理性ではトンデモと思っていても、
何しろ面白いからついつい引きずられちゃうんだよね。山岸涼子の「日出処の天子」なんかもね。

しばらく百済観音を見ていた。しかしあそこも、全体的な光量はあるんだけども、顔が見えなくてなー。
周囲ぐるっと回れるようになっているのは良い点なのだが。
仏像にあまり光は良くないというのをわかった上で、もう少し何とかならないかと思う。



橘夫人念持仏。

これも可愛い、お人形さんみたいな仏像。
厨子も含めて、どうしても“ままごと遊び”という言葉が浮かんで来る。
女性の、女性的な仏像。朝な夕なにこれに手を合わせた人の姿。
そしてやはり「隠された十字架」の影響を受けて、そこには悔恨の感情を感じる。


わりとじっくり大宝蔵院を見て、例によってまた腰が(すでに)ぐきぐき。
出たところで丁度休憩所があって、自動販売機のコーンスープを飲みながらしばし休憩。
いや、なかなか寒いですよ、本日は。コーンスープが五臓六腑にしみわたる。

















14.東大寺戒壇院。

2015-01-28 | 奈良/Nara:2014
ゴハンを食べた後は、前にはなかった東大寺ミュージアムへ。ここは若干地雷臭が漂わないでもなかった。
入場料取るわりに小物ばっかり、というパターンは往々にしてある。そうでなくても東大寺は、
三月堂や大仏殿、戒壇院にもたっぷり仏像が置いてあるから。それの残りってことでしょ?
そういう邪念を持って入館したところ、――狭いは狭いけど、ラインナップには不満は感じませんでした。










日光・月光菩薩が三月堂から移されていたことが大きいけど。
あれはやっぱり主役級の感じがありますからね。
中国っぽい雰囲気が強い。あれがそのまま中国にあっても驚かない気がする。
ああいう白さの塑像はこの辺りにはあんまりない気がしますけど、どうかね?

そのそばに展示されていた弁天と吉祥天は、日光・月光と大きさ揃ってたし、色も似てるし、
セットかな?と思った。完成度には若干差があると思うが。

わりと長いこと見たし、展示物そのものにはさほど不満はなかったけれども……
建物には不満があった。


建築物というのは、何よりもまず使い勝手が追求されるべきだ。


これはわたしの持論なのだが、けっこうそこから逸脱する建築物ってありますよね。
わたしがとにかく攻撃したいのは宮城県図書館だけれども……それは話が違うから置いといて、
今回この東大寺ミュージアムで思ったのは、

音響き過ぎ。ということ。

建築家はもっと音響に気を使わんかい!くぉらぁ!
巻き舌で凄みたくなるほど、音響に気を使ってない。
メインの展示室にいると、入口から人が入ってくるだけで、その足音がうるさくて仕方がない。
たしかに直線距離ではそれほどじゃないけど、動線としてはけっこう遠い筈なのに。
こんなに響く建物を作って、建築家は何をしたかったのか。

メイン展示室内もひどくてねえ。
そう広いところじゃないから当然とはいえ、誰かが喋ってると声が室内に充満する感じ。
カップルが普通の声で話しながら同じ部屋にいたんだけれど、もう耐えられないほどの音響。
始末が悪いのは、――多分、発話者はその響き具合に気付けないんだと思うんだ。
近い距離にいる当人同士には普通の音量に聞こえる。だが遠ざかるにつれて音量がむしろ大きくなる。
話の内容はごく常識的な話だったので、そこは不幸中の幸いだったけど、とにかくうるさい。
もう「なんでこんな建物を作ったのだ!」と大変に腹立たしかった。


建築家は、(特に公共建築を建てようと思う建築家は)
まず動線と音響と光量を考え、
次に建築コストとランニングコストとメンテナンスのしやすさを考え、
さらに外観を考え、
その上でさらに余力があれば自分の好きに(かっこつけた)基本コンセプトを立てれば良い。
建築家の自己満足に税金を使うな。




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……どうも宮城県図書館のことを考えると血圧が上がる。
心穏やかに、東大寺戒壇院に行きましょう。最近は戒壇堂と呼ぶようにしているようですね。
わたしは戒壇院の方が好き。








戒壇院は――
はるか昔に来た時は、待ち番のおじいさんが「こんなにええ仏さんがいらっしゃるのに大仏様だけ見て、
こっちにはほとんど人が来はらへん。こないだなんか偉い大学の先生も調査に見えたのに……」と
わたしを相手にずっと愚痴をこぼしていて閉口したという、ナツカシイ思い出のある場所。
今回の人にも愚痴られたらどうしよう、と思ったが今回の人は普通でした。

だが相客の人が、……手に持った靴入れのビニールを、ずーっとシャカシャカシャカシャカ言わせてて
すごいイライラした。静かなところでのシャカシャカってけっこう気になるでしょう。神経に障る。
ゆっくり見ているわたしの視界に入って来ないということは、
彼もけっこうじっくりを観仏をしているのであろうと思われるのに、
あのシャカシャカ具合は何なんだろう。
釈迦だけにシャカシャカ?……あ、いかん、大変なことを言ってしまった。

まあとにかくそのシャカシャカに業を煮やして、文句を言う寸前までいったのだが、
何とかその人は先に帰ってくれました。なのでその後はゆっくりと観仏。
どうも東大寺ミュージアムでもここでも、音に悩まされる。



東大寺戒壇院の四天王は。
四天王といえばまずこれ!という有名な彫刻。

シブイおっさんたちですよ。顔だね、彼らは。顔が命。
体はさておき、顔のラインがとても完成されていて……ライン一本動かない、という感じ。
広目天なんかは見ようによっては、――やくざ映画の若頭、というような風貌だがね。
体は、もう少しがっちり体型でもいい気がする。ちょっと細すぎる。
いや、趣味嗜好の話ではなくて彫刻のバランスとして。

ただしここも、やはり一方向からしか眺められないのが不満。
全方位から眺めて、一番好きなアングルを見つけたい。


東大寺ミュージアムで時間をとってしまったので、戒壇院には結局30分弱しかいられなかった。
ぎりぎりまでいて、16:30に戒壇院を出る。階段を降りてしばらく歩き……しまった!傘忘れた!!






走って戻る。閉館時間時間ぎりぎりに出たので、門はもう閉まっている。
――自分で叩くはめになるまで全然気づかなかったけれど、
ああいう厚みが厚い門扉は、普通にノックしても「コン」とも音がしないんですね。
手のひらでけっこうな力を入れてベシベシ叩く。それでも音はほとんどせず。
しかし幸いなことに、待ち番のおじいさんがまだチケット売り場付近で後片付けなどをしていてくれたらしく。
すみませーん、と言うと門を開けてくれた。
近くにいなかったら全然気づいてもらえなかったと思う。ラッキーだった。

「傘、忘れました……」
見ると傘置き場には他にもいくつか傘があった。
「よく忘れたのに気づかれましたな。あれみんな忘れ物ですわ」とおじいさんが笑っている。



再び戒壇院の階段を降りると、そこはもう東大寺の敷地と言うよりは普通の住宅地で。
日除け地もなければ塀もなく、戒壇院とはご近所付き合いが出来るようなところ。
誰もおらず、しかし由緒正しげな家々の佇まい。静か。
宝くじが当たったら、この辺りに住みたい。是非住みたい。







その後は、だいぶバスを待って、ホテルよりもだいぶ先のJR奈良駅まで行って、
奈良駅から三条通りを歩きながらホテルに戻る。お土産の物色をしたかったので。
さらに、今日の夕食は柿の葉寿司にしよう!と思っていて、歩きながら探していると、
6個入り830円の柿の葉寿司がセールで売っている。量は少な目だがデザートも買ってあるし、ちょうどいいか。
鮭と穴子と焼きサバは組み合わせとしてはお得な感じだし。

柿の葉寿司の老舗の「平宗」のお店でした。他にもちょうどいい配り菓子もあったので、まとめてお土産を買う。
ホテルに帰って食べたところ、柿の葉寿司、美味しかったです。焼きサバ初めて食べたかな。








あ、そうそう、しかしホテルに帰ると衝撃の出来事が!
ホテルが見えて来たなーと思ったところ、すーっとバスが近づいて来て、ホテルの前で止まる。
そこから団体客が降りる。ひえええ、団体客!?団体客なのか?
ホテルは安さに応じた壁の薄さしかなく、しかしわたしの部屋は、両サイドが今までは空き部屋だったらしいところで
助かっていたのだが。

しかもホテル内に入ると、彼らが中国人団体客であることがわかる。うわー……
それからしばらくはロビーにいて、(エレベーターは彼らに占有されていて割り込む根性がなかった)
部屋に戻って、聞こえてくる物音に戦々恐々としていたのだが、
……でも結果的には、彼らが部屋まで行く時のお喋りがちょっと大きかっただけで、
その後は全然問題はなかった。多分一般旅行者とはフロアも別にするようにはしてただろうしね。
「今静かなのはみんなで食事にでも行ってるからだろうなー、戻って来たら夜中まで大声で喋ってんのかなー」
と心配していたのだが、夜も帰って来た物音にも気づかないほどだった。
良かった。

13.東大寺大仏殿。

2015-01-24 | 奈良/Nara:2014




大仏殿が大きいのはわかっていたことだが、今回は改めてその大きさを実感した。
ある一定の大きさを超した建物にはそれだけでオーラがある。ドキドキするよ。
入口の階段付近まで来て見上げると、のしかかってくるような重量感。
昔はもっと大きかったっていうんだから。国際規格だね。






堂の中は暗くて、写真のピントが合わなかった。
ブツ多数。大仏以外の仏像もだいたいデカイ。


ここで一番興味を惹かれたのが、大仏蓮華座の復元。









大仏の座っている蓮華座の花びら一枚を復元して、そばで見られるようにしてくれている。
横3メートル、高さ1.5メートルくらいだろうか……。そこまででかくはないか?
線描で、菩薩像などがみっしりと描かれている。














実際に人目にふれることは少ないであろうこんなところまで、ここまで手の込んだ装飾を施しているとなると、
天平の大仏開眼は本当に国家の財力を傾けた巨大プロジェクトだったんだなあ。

こういう宗教的巨大イベントって、
……伊勢神宮の式年遷宮、出雲大社の式年遷宮くらいは思いつくが、
それらはたしかに巨大プロジェクトだろうけど、反復性のあるものなので、一回ごとの規模は比較にならないと思われる。
匹敵するのは――日光東照宮造営くらいか。わたしの知識の範囲内では。

この線描の菩薩と、全然巧みさのない落書きみたいな天人の出来栄えの差がオモシロイ。
なんでこうなってるんでしょうね?天人は、わたしでも描けそうな下手さ加減。超適当。
そこがまた良い。



とにかく大仏殿は観光客が多い!奈良の観光客は大仏しか見ないのかと思うほど!
いろいろあるでしょう、見どころは。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



なんだかんだ言って、14時くらいになっていて、オナカすいた。
大仏殿の門前町に食べる所なんかいくらでもあるだろうと思ったが……けっこう歩かないと無いんですね。
わりと妥協して、角の店に入って親子丼を食べる。950円のわりには若干不満な内容。
観光地価格だししょうがないけど。だからさっき茶粥を食べておけば良かったのだ!まだクヤシイ。


だが、この店では外国人の客が多くて面白かった。
隣の隣のテーブルの一人旅の外国人が、食事の後に「何か甘いものない?」と訊いていて。
メニュー少な目の店だったので、甘いものといったらぜんざいくらいしかない。

さて、そこでぜんざいを英語で説明出来るか……わたしは店の人が何て言うか、興味津々で聞き耳を
たてていたのだが、さすが観光地奈良の食べ物屋、動じず全て日本語。
外国人の方も言葉も通じない日本で一人旅をしようってくらいだから、動じず
「じゃあそれ食べてみるよ」。
やはりコミュニケーションは言葉ではない。意志だ。

なんですかね。sweet beans soup?with stickey rice cake?
でもよく考えてみると、わたしは粒あんギライでぜんざいそのものを食べたことがなく、
中に入ってるのが団子なのか餅なのか、白玉なのかよくわからないなあ。
日本語でもわからないのに英語で説明出来ないなあ。
そもそも団子と餅と白玉の差を英語で説明出来ない。
ちなみに、隣の隣のテーブルからは「美味しい!」という声は聞こえてきませんでした。


奈良はわたしが今まで行った日本の観光地の中で、一番外国人観光客が多かったところ。
アジア系は区別がつかないのではっきりしたことはわからないが、半分内外は外国人ではないかと思った。
日本人はあんまり奈良には行かないんだよね、きっと。
古都としては京都と同じくらい魅力的だと思うのに、京都ファンはやたらといるイメージに対して、
奈良のファンは根拠はないがその1割くらいだろう。
いいとこなのにねえ。奈良。