Mo.の事件簿 A diary of Mo’s trips

事件簿などという大層なタイトルだが、実は単なる旅行記です。

6.朝もはよから清水寺へ。

2012-01-17 | 京都/Kyoto:2011
昨日と同じ理由(混む前に動く!)で7時にホテル発。
よーがんばるわ、我々。自画自賛。

最初の目的地は清水寺です。タクシーで乗り付ける。オトナはこんなことも出来ていいですね。
この時間だから、清水寺近辺も混んでるというほどではない。
しかし同じことを考える人はいますので、そこらへんの坂道を観光客は歩いている。




Kiyomizu-dera temple.Have you been there?


とりあえずお約束の清水寺。清水寺といえばこのアングルだあね。





朝早いせいか、境内は山の影になっており、色が上手く出ない。









A monument of historical person named Aterui and Mo-re.
It says they were in Iwate prefecture next to Miyagi, 1200 years ago.....


舞台から見下ろしたところにアテルイとモレの碑。
何年も前に、顕彰碑が建てられたことは聞いていたが……

アテルイとモレは坂上田村麻呂によって“征伐”された蝦夷の長。1200年くらい前の話。
坂上田村麻呂は都から蝦夷を平定するために来た侵略者のわりには、
なぜか東北地方でも人気がある。
面倒なので、どういった歴史的な経緯があるのか、あえて調べることはしないが、
素直に考えれば坂上田村麻呂は人格者だったのだろう。
アテルイとモレ(それぞれ漢字では「阿弖流爲」「母礼」と書くことが多い)が戦いののち
降伏したのも、その人柄に信を置いてという話になっている。

だが、都へ降伏者として連れて行かれたアテルイとモレは、坂上田村麻呂の助命嘆願も空しく、
朝廷によって処刑されてしまう。
このあたり、実際に何が起こっていたのかというのは藪の中だが、
わたしとしては、清廉な武将である坂上田村麻呂とアテルイ・モレとの友情を信じたい。
そう信じればこそ、清水寺に彼らの顕彰碑があるのもむべなるかなと思える。
清水寺は、坂上田村麻呂の創建とされているんです。

彼らの間にもし友情がなかったのなら、この寺に蝦夷の顕彰碑があるのは
これ以上はない皮肉ではある。
何しろ攻めた方と降伏した方だ。坂上田村麻呂が甘言でアテルイたちを釣ったとすれば、
顕彰碑は1200年前から続く恨みの記念碑。ということになるわけで。
うん。どうなんでしょうね。アテルイ。





Kiyomizu-dera temple,either.


こっちはあんまり清水寺っぽくないアングル。
この写真を見て「清水寺だ!」と気づく人はそう多くはないのではないか。





Buddhism morning service.


朝の勤行風景。



清水寺を出て二年坂、三年坂。








Traditional street.There are many shops,but we went to there very early.all closed.....





A pickle store.



まだ8時前なので人が少なく、風景としては良し。
……お土産屋さんはまったく開いてないわけだが。



※※※※※※※※※※※※



あ、そう言えば朝食をまだ食べてなかった。

結局、朝食場所に困り「どこも開いてないねー」と言いながら八坂神社の方へと向かう。
八坂神社近くにラーメン屋(餃子屋?)とスターバックス。
……やっぱりスターバックスでしょう。朝からラーメンはツライわー。
マフィンで朝食。

八坂神社を通って高台寺へ。













Kodai-ji temple.





The art objects of dragon in the traditional dry landscape garden.


この龍がさー……。
白砂を敷き詰めた枯山水の庭に龍を作ったのは、まあそんなに奇天烈でもない。
しかし(この写真ではよく見えないが)龍の頭部にライトが埋め込んであり、
どうも夜は光るらしいんですよね……。ツノも光るようだ。いいのか、それで。
うーん。日本のワビサビはどこへ行った。

高台寺を出たところで10時。予定をサクサクこなしている。

まあ少し休みましょうということになり、入ったところは長楽館。
日本の洋館建築では有名どころ。














次は知恩院。




The main gate of Chion-in temple.


山門のところで舞妓さんの撮影会をやっていた。便乗して何枚か撮った。
そのうちの1枚が、非常にいい表情で撮れたんだけど、……記事にあげるのは遠慮しておきます。




Chion-in temple.


写真で見ると多分伝わらない巨大建築の迫力。中に入るとまたでっかい。
もちろんヴァチカンのサンピエトロ寺院などと比べれば、空間という意味ではささやかなのだが、
日本にもある巨大空間。という感じですね。



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1 コメント

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現在の3人 (通りすがりです)
2012-08-16 10:59:39
>うん。どうなんでしょうね。アテルイ。


現在のアテルイ、モレ、田村麻呂の標を受け継ぐ者を知っている通りすがりです。

3人の友情は続いています。

田村麻呂は女性に生まれ変わっていますが、あとの二人は
男性の実の兄弟で、現在支えあいながら未来の子供たちのためにと、
兄弟でできることを一生懸命しています。
(実際は妹さんとの三兄妹で活動しています)
田村麻呂さんだった女性は、外部からその3人を支える立場です。
不思議な縁と友情が再び3人を結び付けました。

元々アテルイ達が20年の戦いをやめ、投降したのも
不毛な戦を終わらせ、自分たちの子供、子孫のために
未来を残そうと考えたからです。その意志を田村麻呂は
汲みました。当時蝦夷というだけで人には非ずと石を
投げつけた京の民、無情に処刑した朝廷。
麻呂さんは少々そういう表面の善悪判断しかしない
一般の人々、官僚に嫌気をさした思いも魂に刻んでしまった
ようです。

現代のアテルイも当時のままに熱い魂と気概をもった行動派の
リーダーです。心広きモレさんがブレーンとしてしっかり支えています。
幾度かの処刑されてきた歴史は彼らの魂に刻まれ、命は限りあるものと
常に意識し、自分の為、人の為と今の生を精いっぱいに生きています。
アテルイ達の生き様が死後も多くの人の心に根付くように、
現在の彼らの生き様も、その死後に多くの人の心になんらかの証を
残すことでしょう。


ちょっと不思議な話ですが、彼らの友情にちなんだ
こぼれ話として読み流していただければ、と思います^^

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