4日目。飛鳥に行くか斑鳩に行くか迷ったが、斑鳩へ。
飛鳥は範囲広いもんね。もう少しいい気候の時に行きたいわ。
まあ斑鳩も範囲広いですが。
6:20に目覚ましをかけ、7:00頃ホテルを出ようと思っていたのだが、
テレビでやってた本郷理華の特集をついつい見てしまい、7:15ホテル出。
今日は地上波でフィギュア・女子シングルの番組あるんだよなー。見ようかなー。どうしようかなー。
20分くらい歩いて駅に着くと、斑鳩行きの電車は8:13。
10分ほどで電車は斑鳩に到着。近いですね。電車代も220円。
でもなんか、斑鳩は斑鳩、奈良は奈良、という意識が強い。
一応法隆寺も法起寺も法輪寺も行こうと思っていたので、レンタサイクルを借りて回りました。
駅前にあって、朝早くから開いているので至便。
わたしは自転車に乗るのが7、8年ぶりで、乗れるかどうか不安だったが一応乗れました。
道路も自転車で走りやすい道の方かな。国道?県道?のあたりはちょっとつらいのだが。
8:45に法隆寺に到着。……ほんとに人がいません。せいぜい3人かな。人影は。
あんな広いところを独り占めできるとはなんと贅沢なことであろうぞ。

このアプローチが大変に素晴らしいと思うのだが、どうだろうか。
この直線の道もそうだが、

この中門と五重塔のバランスも気に入っている。
門は単なる門であり、伽藍建築としての重要度ははるかに五重塔の方が上であろうが、
別してアプローチからの眺めは、男性的な堂々たる中門、その背後に楚々として控える女性的な五重塔に見える。


仁王像。金剛力士と仁王は同じものなんだって。初めて知った。
あまりちゃんと見なかったけど、けっこう筋肉ムキムキなので、制作年代はだいぶ下がるのかなと思っていた。
奈良時代だそうだ。奈良時代の彫刻はカラダが顔に比べて貧弱なイメージがあるのだが。
戒壇院の四天王像しかり。

どこを撮ったのか忘れましたけれども、このラインがいいよねえ。
軒と欄干のラインが。パキッと。きれい。

こっちもいい。金堂ですね。
他の部分の質実さと、上部の勾欄の華やかさのバランスが好き。

塔の極まった写真は撮れなかったんだよな。
まあでも造型的に、少し太目ちゃん。基部はちょっとボリュームありすぎと感じる。
興福寺の五重塔はこんな感じ。

まあ大きさは全然違います。高さは法隆寺が31.5メートル、興福寺が50.8メートル。
ただ法隆寺は、それこそ基部に人が入って、釈迦涅槃図を始めとするジオラマを観覧するという作りになっている。
広めの基部を必要とする。また当時の技術ではあまり細身の塔は建てられなかったのだろう。
金堂に入ると、……おお、そうか、あなたがたはここにいたか。
なんの根拠もなく、どこかの博物館に入っているもんだと思ったよ。
あるいは、わたしが奈良に来てなかった時に出来た大宝蔵院に収蔵されているか。
本来あるべきところにいたんだねえ。
金堂の内部は暗く、古びた金網の向こうに何体かの仏さまがその輪郭を表す。
誰もいないところで、金網越しにその仏像を見上げる。
飛鳥の仏像。飛鳥時代の特徴的な面長の顔立ち。まだ渡来ほやほやで、日本の風土に馴染んではいない仏の顔。
古拙。
そこがまた、野にふと石仏を見るような大らかさ。
写真で見ると、脇侍仏なんてまるで少女が愛玩するお人形さんのようではないですか。
ちまちまと可愛い。衆生を救うという大上段な構えではなく、隣でにこにこ笑っている。
――だが何しろブツは金網の向こうにあり、そして金堂はとても暗い。
実際何がどうなっているのかは、正直言って見えませんね。
現物が現地にあり、その雰囲気の中で見られるというのはとてもいいことではあるのだけれども、
それにしてももう少し細部が見えないと、実際に行く旨味がないというものですよ。
もう少し何とかしてください。

法隆寺の回廊は、はるか昔にここを逍遥したであろう聖徳太子の姿を彷彿させる。
ここっていっても、聖徳太子在世当時の伽藍は消失しているから、
まさにこの場所でこの風景を見ていたわけではないですが。でもまあ。
このラインもきれい。
中門・回廊・金堂・講堂を見て、なつかしい気のする聖霊院とかを廻り、そして大宝蔵院へ来る。

平成10年完成。……うへー、建ってせいぜい数年だとばかり思っていたのだが、もう16年も経つんですか。
最近の建物じゃないなあ。全然。わたしが法隆寺に来た時はまだこの建物はなかった。
温湿度管理なんかまったく出来なさそうな、古い建物で百済観音を見た記憶が。
さすがに法隆寺というべきか、ここには目玉がいくつかあり、その有名どころだけが印象に残っている。
ただし、玉虫厨子は現在国宝展のために東京へ出張中。今は復元が展示されている。
まあ玉虫厨子は昔、地元の「法隆寺展」で見ている。
久々の百済観音。
法隆寺といえば百済観音。他のどんな仏像にも似ていない、細くて長くてゆらりとした姿。
焼け落ちる炎の中に立つ亡霊のような。……というような連想になるのは、
昔若い頃にけっこう読んだ梅原猛の「隠された十字架」の影響が多分になる。
まあ当時からトンデモな感じでしたけれども、理性ではトンデモと思っていても、
何しろ面白いからついつい引きずられちゃうんだよね。山岸涼子の「日出処の天子」なんかもね。
しばらく百済観音を見ていた。しかしあそこも、全体的な光量はあるんだけども、顔が見えなくてなー。
周囲ぐるっと回れるようになっているのは良い点なのだが。
仏像にあまり光は良くないというのをわかった上で、もう少し何とかならないかと思う。
橘夫人念持仏。
これも可愛い、お人形さんみたいな仏像。
厨子も含めて、どうしても“ままごと遊び”という言葉が浮かんで来る。
女性の、女性的な仏像。朝な夕なにこれに手を合わせた人の姿。
そしてやはり「隠された十字架」の影響を受けて、そこには悔恨の感情を感じる。
わりとじっくり大宝蔵院を見て、例によってまた腰が(すでに)ぐきぐき。
出たところで丁度休憩所があって、自動販売機のコーンスープを飲みながらしばし休憩。
いや、なかなか寒いですよ、本日は。コーンスープが五臓六腑にしみわたる。
飛鳥は範囲広いもんね。もう少しいい気候の時に行きたいわ。
まあ斑鳩も範囲広いですが。
6:20に目覚ましをかけ、7:00頃ホテルを出ようと思っていたのだが、
テレビでやってた本郷理華の特集をついつい見てしまい、7:15ホテル出。
今日は地上波でフィギュア・女子シングルの番組あるんだよなー。見ようかなー。どうしようかなー。
20分くらい歩いて駅に着くと、斑鳩行きの電車は8:13。
10分ほどで電車は斑鳩に到着。近いですね。電車代も220円。
でもなんか、斑鳩は斑鳩、奈良は奈良、という意識が強い。
一応法隆寺も法起寺も法輪寺も行こうと思っていたので、レンタサイクルを借りて回りました。
駅前にあって、朝早くから開いているので至便。
わたしは自転車に乗るのが7、8年ぶりで、乗れるかどうか不安だったが一応乗れました。
道路も自転車で走りやすい道の方かな。国道?県道?のあたりはちょっとつらいのだが。
8:45に法隆寺に到着。……ほんとに人がいません。せいぜい3人かな。人影は。
あんな広いところを独り占めできるとはなんと贅沢なことであろうぞ。

このアプローチが大変に素晴らしいと思うのだが、どうだろうか。
この直線の道もそうだが、

この中門と五重塔のバランスも気に入っている。
門は単なる門であり、伽藍建築としての重要度ははるかに五重塔の方が上であろうが、
別してアプローチからの眺めは、男性的な堂々たる中門、その背後に楚々として控える女性的な五重塔に見える。


仁王像。金剛力士と仁王は同じものなんだって。初めて知った。
あまりちゃんと見なかったけど、けっこう筋肉ムキムキなので、制作年代はだいぶ下がるのかなと思っていた。
奈良時代だそうだ。奈良時代の彫刻はカラダが顔に比べて貧弱なイメージがあるのだが。
戒壇院の四天王像しかり。

どこを撮ったのか忘れましたけれども、このラインがいいよねえ。
軒と欄干のラインが。パキッと。きれい。

こっちもいい。金堂ですね。
他の部分の質実さと、上部の勾欄の華やかさのバランスが好き。

塔の極まった写真は撮れなかったんだよな。
まあでも造型的に、少し太目ちゃん。基部はちょっとボリュームありすぎと感じる。
興福寺の五重塔はこんな感じ。

まあ大きさは全然違います。高さは法隆寺が31.5メートル、興福寺が50.8メートル。
ただ法隆寺は、それこそ基部に人が入って、釈迦涅槃図を始めとするジオラマを観覧するという作りになっている。
広めの基部を必要とする。また当時の技術ではあまり細身の塔は建てられなかったのだろう。
金堂に入ると、……おお、そうか、あなたがたはここにいたか。
なんの根拠もなく、どこかの博物館に入っているもんだと思ったよ。
あるいは、わたしが奈良に来てなかった時に出来た大宝蔵院に収蔵されているか。
本来あるべきところにいたんだねえ。
金堂の内部は暗く、古びた金網の向こうに何体かの仏さまがその輪郭を表す。
誰もいないところで、金網越しにその仏像を見上げる。
飛鳥の仏像。飛鳥時代の特徴的な面長の顔立ち。まだ渡来ほやほやで、日本の風土に馴染んではいない仏の顔。
古拙。
そこがまた、野にふと石仏を見るような大らかさ。
写真で見ると、脇侍仏なんてまるで少女が愛玩するお人形さんのようではないですか。
ちまちまと可愛い。衆生を救うという大上段な構えではなく、隣でにこにこ笑っている。
――だが何しろブツは金網の向こうにあり、そして金堂はとても暗い。
実際何がどうなっているのかは、正直言って見えませんね。
現物が現地にあり、その雰囲気の中で見られるというのはとてもいいことではあるのだけれども、
それにしてももう少し細部が見えないと、実際に行く旨味がないというものですよ。
もう少し何とかしてください。

法隆寺の回廊は、はるか昔にここを逍遥したであろう聖徳太子の姿を彷彿させる。
ここっていっても、聖徳太子在世当時の伽藍は消失しているから、
まさにこの場所でこの風景を見ていたわけではないですが。でもまあ。
このラインもきれい。
中門・回廊・金堂・講堂を見て、なつかしい気のする聖霊院とかを廻り、そして大宝蔵院へ来る。

平成10年完成。……うへー、建ってせいぜい数年だとばかり思っていたのだが、もう16年も経つんですか。
最近の建物じゃないなあ。全然。わたしが法隆寺に来た時はまだこの建物はなかった。
温湿度管理なんかまったく出来なさそうな、古い建物で百済観音を見た記憶が。
さすがに法隆寺というべきか、ここには目玉がいくつかあり、その有名どころだけが印象に残っている。
ただし、玉虫厨子は現在国宝展のために東京へ出張中。今は復元が展示されている。
まあ玉虫厨子は昔、地元の「法隆寺展」で見ている。
久々の百済観音。
法隆寺といえば百済観音。他のどんな仏像にも似ていない、細くて長くてゆらりとした姿。
焼け落ちる炎の中に立つ亡霊のような。……というような連想になるのは、
昔若い頃にけっこう読んだ梅原猛の「隠された十字架」の影響が多分になる。
まあ当時からトンデモな感じでしたけれども、理性ではトンデモと思っていても、
何しろ面白いからついつい引きずられちゃうんだよね。山岸涼子の「日出処の天子」なんかもね。
しばらく百済観音を見ていた。しかしあそこも、全体的な光量はあるんだけども、顔が見えなくてなー。
周囲ぐるっと回れるようになっているのは良い点なのだが。
仏像にあまり光は良くないというのをわかった上で、もう少し何とかならないかと思う。
橘夫人念持仏。
これも可愛い、お人形さんみたいな仏像。
厨子も含めて、どうしても“ままごと遊び”という言葉が浮かんで来る。
女性の、女性的な仏像。朝な夕なにこれに手を合わせた人の姿。
そしてやはり「隠された十字架」の影響を受けて、そこには悔恨の感情を感じる。
わりとじっくり大宝蔵院を見て、例によってまた腰が(すでに)ぐきぐき。
出たところで丁度休憩所があって、自動販売機のコーンスープを飲みながらしばし休憩。
いや、なかなか寒いですよ、本日は。コーンスープが五臓六腑にしみわたる。
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