平城宮跡資料館を出て、また1キロ弱離れた平城宮歴史館へ。建物名が似ててわかりにくいですね。
平城宮歴史館は南の端、朱雀門の近くにあります。

直線で行く道がないから、一度復元大極殿前の広場に出てから朱雀門を目指す。
まー、この広大な空間に、……ふきっさらしの風が大変にツラかった!!
奈良は盆地で底冷えがするというのがよく言われることだが、今回行った限りにおいては、
底冷えよりも何よりも、風の冷たさがきつかった。
こっちだって風の冷たさでは日本で有数の土地柄から来てる者だけれども、奈良は地元といい勝負。
そして地元では、こんな風の強い日にはお利口にしてお外には出ないんだから、これはもう久々の試練。
そこで振り返ると、そこにはシルクロードを行く旅人が。

どこの国の人かはわからなかったんだけど、異国の服装をした人がパラパラと歩いていらっしゃる。
この強い風と荒涼とした沙漠(?)、異国の衣装とあいまって、まさにシルクロードを旅してる気分になった。
古えの隊商もこんな思いをして沙漠を越えたに違いない。
……まあ若干大げさですか。
一人に一人のガイドがついているようなので、VIPな感じがする。
あとで平城宮歴史館の入口で訊いてみたところ「学会のようです」と言っていたが、
学会にしては物々しい感じ。政治がらみのゲストだろうか、というのはわたしの考えすぎですか。
どこの人か、大変知りたかったが迷惑になるかと思い、突っ込んで訊けなかった。

逆光で暗いが朱雀門。
その傍らに平城宮歴史館があり、これは遺構館や資料館と比べるとだいぶエンタメ寄り。
遺物とかの展示は少なく、ほぼ映像作品。お金かけて、よく作ってあった。
……だが学会の人たち以外に観光客は大変に少なく、客とスタッフではスタッフの方が多いのではないかと思った。
これは“学会の人”たちのために人数を増やしたか?
だっていくらなんでもスタッフ多すぎ。おかげでわたしもうっすらとVIP待遇気分。
映像作品を2、3見て。
でもそろそろ時間が押してたんだよね。この時点で11時。
余裕を持って12時半くらいまでには近鉄奈良駅を出発出来る態勢でいたいし、
ここから中心部まで戻る交通手段もはっきりしてないから、最後の映像一本は割愛した。残念。
平城宮歴史館の外には遣隋使船が復元されている。



帆が、竹で網代に編んだものだったとは……。意外。だいぶ重そうだけどね。
船としては小ぶりだと感じたが、それでも1艘に100人から150人乗ったらしい。
すし詰めじゃないですか?これで中国まで行くのは命がけ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
11:10に平城宮歴史館を出て、最寄のバス停の場所を訊いたところ、
駐車場誘導のおじさんが、「バスは1時間に1本しかなく、時間的に通過したばかりの筈」と言われ、衝撃。
そうすると……あとはタクシーか、近鉄に乗って中心部まで戻るかしかないわけです。
そして、ここは近鉄西大寺駅へも近鉄大宮駅へも、ちょうど中間くらい(涙)。
やっぱりまた歩くわけですね……。
西大寺まで歩く。1キロ強はあったでしょうねー。
わたしとしては、平城宮観光については、
奈良県・奈良市、関係各処に熟考をお願いしたいと思います。
こんな広いところなんだから、ループバスとか走らせてくれませんか?健脚じゃない人のために。
そして公共交通機関に接続して欲しい。そうすればせっかくの施設が活きると思うのですが。
お昼を再度「元喜神ラーメン」で食べて、ホテルに預けた荷物を取りに行って、
今晩の夕食のため、柿の葉寿司を買う。
12:53、近鉄奈良駅発。早めだろうとは思ったが、やっぱり時間は早くて16:20離陸の飛行機に対して
関空に着いたのは14:40。
時間をぴったり使えたら、見残した吉城園なり他の庭園なりどっか見られたな。
でも仕方がない。飛行機に乗り遅れたら大変だし。

ピーチ航空の待合室は、椅子が若干変わって、収容人数が増えたように思う。
狭いんだよね。どうせ作るならもっと広く作って置いた方がいいんじゃないかといつも思っているのだが。
18時頃仙台着。
柿の葉寿司は結局機内では食べず、家で食べた。
19:00、帰着。
平城宮歴史館は南の端、朱雀門の近くにあります。

直線で行く道がないから、一度復元大極殿前の広場に出てから朱雀門を目指す。
まー、この広大な空間に、……ふきっさらしの風が大変にツラかった!!
奈良は盆地で底冷えがするというのがよく言われることだが、今回行った限りにおいては、
底冷えよりも何よりも、風の冷たさがきつかった。
こっちだって風の冷たさでは日本で有数の土地柄から来てる者だけれども、奈良は地元といい勝負。
そして地元では、こんな風の強い日にはお利口にしてお外には出ないんだから、これはもう久々の試練。
そこで振り返ると、そこにはシルクロードを行く旅人が。

どこの国の人かはわからなかったんだけど、異国の服装をした人がパラパラと歩いていらっしゃる。
この強い風と荒涼とした沙漠(?)、異国の衣装とあいまって、まさにシルクロードを旅してる気分になった。
古えの隊商もこんな思いをして沙漠を越えたに違いない。
……まあ若干大げさですか。
一人に一人のガイドがついているようなので、VIPな感じがする。
あとで平城宮歴史館の入口で訊いてみたところ「学会のようです」と言っていたが、
学会にしては物々しい感じ。政治がらみのゲストだろうか、というのはわたしの考えすぎですか。
どこの人か、大変知りたかったが迷惑になるかと思い、突っ込んで訊けなかった。

逆光で暗いが朱雀門。
その傍らに平城宮歴史館があり、これは遺構館や資料館と比べるとだいぶエンタメ寄り。
遺物とかの展示は少なく、ほぼ映像作品。お金かけて、よく作ってあった。
……だが学会の人たち以外に観光客は大変に少なく、客とスタッフではスタッフの方が多いのではないかと思った。
これは“学会の人”たちのために人数を増やしたか?
だっていくらなんでもスタッフ多すぎ。おかげでわたしもうっすらとVIP待遇気分。
映像作品を2、3見て。
でもそろそろ時間が押してたんだよね。この時点で11時。
余裕を持って12時半くらいまでには近鉄奈良駅を出発出来る態勢でいたいし、
ここから中心部まで戻る交通手段もはっきりしてないから、最後の映像一本は割愛した。残念。
平城宮歴史館の外には遣隋使船が復元されている。



帆が、竹で網代に編んだものだったとは……。意外。だいぶ重そうだけどね。
船としては小ぶりだと感じたが、それでも1艘に100人から150人乗ったらしい。
すし詰めじゃないですか?これで中国まで行くのは命がけ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
11:10に平城宮歴史館を出て、最寄のバス停の場所を訊いたところ、
駐車場誘導のおじさんが、「バスは1時間に1本しかなく、時間的に通過したばかりの筈」と言われ、衝撃。
そうすると……あとはタクシーか、近鉄に乗って中心部まで戻るかしかないわけです。
そして、ここは近鉄西大寺駅へも近鉄大宮駅へも、ちょうど中間くらい(涙)。
やっぱりまた歩くわけですね……。
西大寺まで歩く。1キロ強はあったでしょうねー。
わたしとしては、平城宮観光については、
奈良県・奈良市、関係各処に熟考をお願いしたいと思います。
こんな広いところなんだから、ループバスとか走らせてくれませんか?健脚じゃない人のために。
そして公共交通機関に接続して欲しい。そうすればせっかくの施設が活きると思うのですが。
お昼を再度「元喜神ラーメン」で食べて、ホテルに預けた荷物を取りに行って、
今晩の夕食のため、柿の葉寿司を買う。
12:53、近鉄奈良駅発。早めだろうとは思ったが、やっぱり時間は早くて16:20離陸の飛行機に対して
関空に着いたのは14:40。
時間をぴったり使えたら、見残した吉城園なり他の庭園なりどっか見られたな。
でも仕方がない。飛行機に乗り遅れたら大変だし。

ピーチ航空の待合室は、椅子が若干変わって、収容人数が増えたように思う。
狭いんだよね。どうせ作るならもっと広く作って置いた方がいいんじゃないかといつも思っているのだが。
18時頃仙台着。
柿の葉寿司は結局機内では食べず、家で食べた。
19:00、帰着。
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