もしも・・・・・・。
現実の世界で、この言葉を口に出してもほとんど意味がない。
競馬のみならず、この世の中のことすべてにおいてだ。
考えてもどうなるものでもないし、現実が変わるわけではない。
過去を反省することは大切だが、
「もしも」という言葉には反省というよりも後悔の念がほうが強い。
それは前向きではなく、ネガティブな考え方だ。
だけど、やっぱり時折考えてしまう。
もしも、あのとき、別の道を選んでいたら。
もしも、あのとき、ああなっていなければ
意味のないことだとはわかっていても、
心の中で思う分には誰に迷惑をかけるわけでもないし、
また、特に競馬の世界においては、
それを考えることは非常に楽しい行為でもある。
色んなサラブレッドについて、色んな「もしも」を考える。
例えば、サクラローレルを思い出すとき、よくそれを考える。
もしも、サクラローレルが故障せずにダービーに出走していたら?
サクラローレルは青葉賞で3着に入り、
ダービーの出走権を獲得するものの、
残念ながら故障を発症してしまい、
一生に一度の晴れの舞台を断念する。
もし、無事にサクラローレルがダービーに出走していたら、
どうなっていただろう?
むろん、あの時点では明らかにナリタブライアンとは力の差があり、
たとえ出走していたとしても、
ブライアンにはかなわなかっただろうと思う。
ナリタブライアンのダービー制覇という歴史は変わっていなかった。
それは百パーセント、そう言い切れる。
だが、結果は変わらずとも、サクラローレルの出走という、
小さな歴史のズレが生じたことは確かであり、
そのズレはその時点では小さなものだったかもしれないが、
それが後に大きなズレに変化していった可能性はある。
いわゆるバタフライ効果である。
例えば、菊花賞でナリタブライアンの三冠はなかったかもしれない。
例えば、ナリタブライアンの股関節炎はなかったかもしれない。
歴史の歯車とはそういうものだ。
サクラローレルの復帰は、秋、ローカルの佐渡ステークス。
そこから条件戦を勝ち上がりつつ、
ナリタブライアンが有馬記念をも制して年度代表馬に輝くなか、
サクラローレルは金杯で万馬券の片棒を担ぐ。
対照的な二頭の栄冠だが、ここで再び「もしも」を考える。
もしも、ナリタブライアンが故障していなかったら、
彼らが5歳の春の天皇賞はどうなっていただろう?
奇しくもサクラローレルとナリタブライアンは、
4歳のほとんど同じ時期に故障し、
5歳のほとんど同じ時期に復活する。
サクラローレルは、中山記念で皐月賞馬ジェニュインを下して、
ブライアンは、阪神大賞典で菊花賞馬マヤノトップガンを下して。
そして、二頭の名馬の最初で最後の対決、春の天皇賞。
今から思うと馬連1210円はつきすぎだが、
この二頭の名前が並ぶ成績表というのも何だか感慨深い。
ただ、そのときのナリタブライアンが
完全な状態ではなかったことも事実で、
阪神大賞典で1年ぶりの勝利を収めたとはいえ、
3歳時のあの迫力のある走りが未だ復活していなかったことは、
衆目の一致するところである。
4歳の春の故障が、ナリタブライアンを、
「最強馬」から「ただの強い馬」に変えてしまっていたのだ。
だから、今さらいうまでもないことだが、あの天皇賞をもって、
サクラローレルのほうがナリタブライアンよりも強い、
ということにはならないし、むろん、逆もまたそうである。
だから、だからこそ考える。
もしも、どちらも万全の状態で対決していたら?
その答えは、それぞれにあっていいのだろうと思う。
念願のGIを制したサクラローレルは夏場を充電に当て、
秋の緒戦はオールカマー。
そこで、唯一の死角と思われていた道悪もあっさりとクリアして、
まさに5歳にして本格化した姿を我々に見せつける。
デビューの頃を思うと隔世の感があり、
名馬の絶対条件ともいえる、
「どんな条件下でも強い競馬ができる馬」に見事に成長していた。
そして、盾の連覇をめざして府中へ。
結果は、府中の魔物にやられたとしか思えないような、
まさかの3着だったが、騎手を責めるよりも、
3歳にして近年では最強の三強をすべて負かした、
勝ち馬バブルガムフェローに敬意を表すべきだろうと思う。
雪辱を期すべく陣営は、ジャパンカップには見向きもせずに、
悲願の有馬制覇をめざす。
そして、完全な横綱相撲で勝利を収める。
ついには、年度代表馬の栄光も手に入れる。
翌年、明けて6歳の春の天皇賞は、
マヤノトップガンの驚異の末脚に屈するものの、
その威光が衰えるわけもなく、勇躍、海外遠征へと向かう。
フランスへ。
ロンシャン競馬場へ。
父が制した凱旋門賞へ。
そして、三度目の「もしも」。
もしも、サクラローレルが故障せずに凱旋門賞に出走していたら?
サクラローレルを思うとき、これは必ず考えてしまう。
考えても仕方のないことだとわかっていても、
やっぱり考えてしまう。
それが運命だったといえばそれまでだが、
それにしてもフォワ賞を使ったことが悔やまれる。
もしかしたら本当に、
サクラローレルは凱旋門賞を勝っていたかもしれないのだ。
それだけの期待を本気で抱かせる、それだけの強い馬だった。
そして、競馬好きたちの究極のもしも・・・・・・、
もしも、過去の名馬が一堂に会して闘ったなら?
サクラローレルは、その中に入っても、
決して無様な競馬だけはしないだろうと、
確信をもって言えるのである。
現実の世界で、この言葉を口に出してもほとんど意味がない。
競馬のみならず、この世の中のことすべてにおいてだ。
考えてもどうなるものでもないし、現実が変わるわけではない。
過去を反省することは大切だが、
「もしも」という言葉には反省というよりも後悔の念がほうが強い。
それは前向きではなく、ネガティブな考え方だ。
だけど、やっぱり時折考えてしまう。
もしも、あのとき、別の道を選んでいたら。
もしも、あのとき、ああなっていなければ
意味のないことだとはわかっていても、
心の中で思う分には誰に迷惑をかけるわけでもないし、
また、特に競馬の世界においては、
それを考えることは非常に楽しい行為でもある。
色んなサラブレッドについて、色んな「もしも」を考える。
例えば、サクラローレルを思い出すとき、よくそれを考える。
もしも、サクラローレルが故障せずにダービーに出走していたら?
サクラローレルは青葉賞で3着に入り、
ダービーの出走権を獲得するものの、
残念ながら故障を発症してしまい、
一生に一度の晴れの舞台を断念する。
もし、無事にサクラローレルがダービーに出走していたら、
どうなっていただろう?
むろん、あの時点では明らかにナリタブライアンとは力の差があり、
たとえ出走していたとしても、
ブライアンにはかなわなかっただろうと思う。
ナリタブライアンのダービー制覇という歴史は変わっていなかった。
それは百パーセント、そう言い切れる。
だが、結果は変わらずとも、サクラローレルの出走という、
小さな歴史のズレが生じたことは確かであり、
そのズレはその時点では小さなものだったかもしれないが、
それが後に大きなズレに変化していった可能性はある。
いわゆるバタフライ効果である。
例えば、菊花賞でナリタブライアンの三冠はなかったかもしれない。
例えば、ナリタブライアンの股関節炎はなかったかもしれない。
歴史の歯車とはそういうものだ。
サクラローレルの復帰は、秋、ローカルの佐渡ステークス。
そこから条件戦を勝ち上がりつつ、
ナリタブライアンが有馬記念をも制して年度代表馬に輝くなか、
サクラローレルは金杯で万馬券の片棒を担ぐ。
対照的な二頭の栄冠だが、ここで再び「もしも」を考える。
もしも、ナリタブライアンが故障していなかったら、
彼らが5歳の春の天皇賞はどうなっていただろう?
奇しくもサクラローレルとナリタブライアンは、
4歳のほとんど同じ時期に故障し、
5歳のほとんど同じ時期に復活する。
サクラローレルは、中山記念で皐月賞馬ジェニュインを下して、
ブライアンは、阪神大賞典で菊花賞馬マヤノトップガンを下して。
そして、二頭の名馬の最初で最後の対決、春の天皇賞。
今から思うと馬連1210円はつきすぎだが、
この二頭の名前が並ぶ成績表というのも何だか感慨深い。
ただ、そのときのナリタブライアンが
完全な状態ではなかったことも事実で、
阪神大賞典で1年ぶりの勝利を収めたとはいえ、
3歳時のあの迫力のある走りが未だ復活していなかったことは、
衆目の一致するところである。
4歳の春の故障が、ナリタブライアンを、
「最強馬」から「ただの強い馬」に変えてしまっていたのだ。
だから、今さらいうまでもないことだが、あの天皇賞をもって、
サクラローレルのほうがナリタブライアンよりも強い、
ということにはならないし、むろん、逆もまたそうである。
だから、だからこそ考える。
もしも、どちらも万全の状態で対決していたら?
その答えは、それぞれにあっていいのだろうと思う。
念願のGIを制したサクラローレルは夏場を充電に当て、
秋の緒戦はオールカマー。
そこで、唯一の死角と思われていた道悪もあっさりとクリアして、
まさに5歳にして本格化した姿を我々に見せつける。
デビューの頃を思うと隔世の感があり、
名馬の絶対条件ともいえる、
「どんな条件下でも強い競馬ができる馬」に見事に成長していた。
そして、盾の連覇をめざして府中へ。
結果は、府中の魔物にやられたとしか思えないような、
まさかの3着だったが、騎手を責めるよりも、
3歳にして近年では最強の三強をすべて負かした、
勝ち馬バブルガムフェローに敬意を表すべきだろうと思う。
雪辱を期すべく陣営は、ジャパンカップには見向きもせずに、
悲願の有馬制覇をめざす。
そして、完全な横綱相撲で勝利を収める。
ついには、年度代表馬の栄光も手に入れる。
翌年、明けて6歳の春の天皇賞は、
マヤノトップガンの驚異の末脚に屈するものの、
その威光が衰えるわけもなく、勇躍、海外遠征へと向かう。
フランスへ。
ロンシャン競馬場へ。
父が制した凱旋門賞へ。
そして、三度目の「もしも」。
もしも、サクラローレルが故障せずに凱旋門賞に出走していたら?
サクラローレルを思うとき、これは必ず考えてしまう。
考えても仕方のないことだとわかっていても、
やっぱり考えてしまう。
それが運命だったといえばそれまでだが、
それにしてもフォワ賞を使ったことが悔やまれる。
もしかしたら本当に、
サクラローレルは凱旋門賞を勝っていたかもしれないのだ。
それだけの期待を本気で抱かせる、それだけの強い馬だった。
そして、競馬好きたちの究極のもしも・・・・・・、
もしも、過去の名馬が一堂に会して闘ったなら?
サクラローレルは、その中に入っても、
決して無様な競馬だけはしないだろうと、
確信をもって言えるのである。