キャロットの新規募集、ついさっき申し込んだ。
この土日、どうしようかとかなり考えた。でも、申し込むときにはもう迷いはなかった。というより、日曜日の夜にはもうほぼ心は決まっていた。
金曜日の夜から日曜日にかけて、あえて情報を入れないようにした。例えばパンフを見たり動画を見たりという行為を全くしなかった。例えばネットでのキャロットの募集馬の情報もいっさい遮断した。全く何も見ないで、全く何も聞かないで、じっくりと自分の気持ちとだけ向き合おうと思った。
前回の記事に書いた5頭に甲乙は付けがたく、極論を言うとどの馬に申し込んでもよいという状況だった。ならば様々な情報を全て断ち切って、自分の気持ちにだけ純粋になろうと考えた。
自分はどの馬に出資したいのか。どの馬がいちばん欲しいのか。いや、もしもたとえ走らなくても、どの馬なら後悔しないのか。それを考えた。頭の中でじっくりとゆっくりとしっかりと考えた。
すると、日曜日の昼を過ぎたあたりから突然、自分でも驚くほど1頭の馬に気持ちが集約されていった。まるでたくさんあった道が一本の道に集まるように、すーっと1頭の馬に繋がっていった。大げさかもしれないが、何だか神秘的だった。僕は無神論者だし唯物論者だが、まるで何かに導かれるような、そんな感じだった。
そうなるともうその馬しかあり得ないような気がして、そこからはもう一切の迷いはなかった。結局、中間発表は関係なかった。
どの馬に申し込んだのか、それは締め切られてからここに記す。
この土日、どうしようかとかなり考えた。でも、申し込むときにはもう迷いはなかった。というより、日曜日の夜にはもうほぼ心は決まっていた。
金曜日の夜から日曜日にかけて、あえて情報を入れないようにした。例えばパンフを見たり動画を見たりという行為を全くしなかった。例えばネットでのキャロットの募集馬の情報もいっさい遮断した。全く何も見ないで、全く何も聞かないで、じっくりと自分の気持ちとだけ向き合おうと思った。
前回の記事に書いた5頭に甲乙は付けがたく、極論を言うとどの馬に申し込んでもよいという状況だった。ならば様々な情報を全て断ち切って、自分の気持ちにだけ純粋になろうと考えた。
自分はどの馬に出資したいのか。どの馬がいちばん欲しいのか。いや、もしもたとえ走らなくても、どの馬なら後悔しないのか。それを考えた。頭の中でじっくりとゆっくりとしっかりと考えた。
すると、日曜日の昼を過ぎたあたりから突然、自分でも驚くほど1頭の馬に気持ちが集約されていった。まるでたくさんあった道が一本の道に集まるように、すーっと1頭の馬に繋がっていった。大げさかもしれないが、何だか神秘的だった。僕は無神論者だし唯物論者だが、まるで何かに導かれるような、そんな感じだった。
そうなるともうその馬しかあり得ないような気がして、そこからはもう一切の迷いはなかった。結局、中間発表は関係なかった。
どの馬に申し込んだのか、それは締め切られてからここに記す。