サンパウロの庶民的生活

わたしの半径1メートル以内で考えたことや感じたことをつづってみようと思います。

黄緑インコのつがい

2013-02-17 05:20:47 | Weblog

 

 黄緑インコのつがいが出没。

 どこかの籠から逃げてきた鳥でもなく、野生のインコのよう。

 茶色い野バトとか灰色のハトとは違って、景色も明るくなる鮮やかな羽の色合い。


所変わっても

2013-02-15 07:51:01 | Weblog

 松とか杉とか針葉樹林は寒い土地のイメージだけど、熱帯に属する気候区分のサンパウロとかでも見かけられるのは、標高が高いせいか、熱帯性の松でもあるのか・・・

 街路樹の松の葉は、よく見ると一カ所から細長い葉っぱが3本のびていた。

 

 とりあえず懐かしいゲームを。

 ブラジルではするのかな?

 

 


アウトバン

2013-02-14 07:43:26 | Weblog

 しばらく前のエストラーダ(高速道路)では、アウトバンなる言葉はブラジルにはなかった気がする。

 ここの所、サンパウロ郊外の高速道路の工事現場なんかに、ドイツのアウトバーンをもじったような「AutoBAn」という文字の入った立て看板が目に留まる。

 アウトバンを作らなくてもアウトバーン並みに飛ばしている人がいたのに、今度からは決められた車線でしか飛ばせなくなるのかもしれない。


博物館いろいろ

2013-02-11 06:37:04 | Weblog

 カタベント、カタベントという名前の方が意味も分からず頭にこびりついていたけれど、ちょっとした科学博物館になっているカタベントの意味は風車らしい。

 子供好きのなかなかという雰囲気のミュージアムだけれど、同じ場所から丸見えの橋の下にいるホームレスの人がアリの行列のように出てくる景色が、そっちの方も社会科学博物館的な様相。

↓ブラジルによくいるアリの模型


オリーブオイルスプレー

2013-02-10 08:03:04 | Weblog

 スプレータイプになったオリーブオイル。どこにでも見かける製品でないと思ったら、フランス製だった。一応、ブラジルでも購入できるらしい。霧状ではなかったけれど、霧状スプレーの容器だったらもっとまんべんなく、でもかけ過ぎすで使いやすいかな。


サンパウロこそあった方がいいHB

2013-02-09 06:46:49 | Weblog

 サンパウロなら、日本移民が存在してきたおかげで、今も最低限の日本食の原料が手に入る。日本食と言えば、うるち米、もち米。

 最近のインフレでブラジル製の出来合いの餅は10年前に比べて倍の値段になっている。ブランドも以前より増えた感があるけれど、弾力も膨らみも、どうも求めるものと違ったりする。だけど、輸入品のパック餅はさらに数倍お高い。

 日本食材店に売っているもち米も高くはなったけど、出来合いの餅よりは安い。でも、もち米だけあったって、おこわか赤飯ぐらいしかできない。人によっては、ミキサーで餅を作ってしまう人もいるけれど、まだその勇気もなく・・・と、そんな時の助っ人、日本のホームベーカリー。別に回し者でもないけれど、サンパウロにこそ、あると活躍しがいのある日本の電化製品ホームベーカリー。

 日本は餅だってパンだって、家で作っても悪くないけれど、買った方がおいしくて安くて楽でと、何拍子もそろっている。その点、サンパウロは原料はあるけど、日本食が主流の国であるわけでもない。うすと杵がどこの家にあるわけでもなければ、あったって年がら年中つけるわけでもない。

 重宝するホームベーカリー。出来合いの餅やパンよりも、味も作る楽しみも、サンパウロなら絶対期待を裏切らない。

「裁縫屋で起業」


日本ゲットー

2013-02-08 07:57:20 | Weblog

時々サンパウロにはっきりと現れる前線↓

 いわゆる旧大陸の陸続きで暮らす人にとっては、共通文化を有する人だけで集まる教会やら結社やらがあって、異文化の人にはあまり開かれていない組織があったりする。ブラジルでもそんな組織がある。開かれていないからと言って別に危険なわけではなく、来たい人は迎え入れてくれるし、むしろその中に入れば、誰もが安心できる空間だったりする。ただ、迎え入れられても、一時的にはよくてもお客さんの方がいつまでも落ち着いてその場にいられないというのが本当のところだと思う。極端な例えだけれど、ものすごいきれい好きの人がゴミ屋敷では居ても立っても居られない様な。

 異郷の地で異文化の人が隣にいて、隣人に異う匂いを感じれば感じるほど、ゲットーを求める気持ちは強くなる。

 国際社会は、誰にでも開かれて人が交わる社会と一瞬思いがちだけれど、それは短期旅行とか一時滞在の場合に必要な発想で、島国日本がややもすれば陥りやすい国際化というものへの認識であると思った。異文化に生活基盤をおこうとする時は、より閉鎖的になっていくことが国際化ではないかと思うことがある。

  異文化の人と深く付き合わない間は、「ヤアヤア、アミーゴ」の関係で済ませられるけれど、一歩異文化の生活に身を投じはじめて、家の中、心の中に異言語異習慣の人に入りこまれ始めると、ヤアヤアでは済まされない、決定的な文化摩擦があって、自らの精神衛生を保つのには、ゲットー化する必要が生じたりする。小規模では個人の心のゲットー、それが集団化すると組織的なゲットーになる。もっとも、結婚こそが同民族同士であれ、異民族とであれ、もっとも身近なカルチャーショックだったりする。

 当たり前だけれど地球上はとっくの昔からグローバルで、日本は天然のゲットーで、ゲットー内では必要以上にゲットー化する必要はなかったので、島の中だけを見ているとコソコソとした存在で閉鎖的な構造の人工的なゲットーは見えにくい。危機感も薄く開かれた国際社会にいるような錯覚に陥りがちだけれど、なんせ恵まれた天然のゲットーに比較的単一の民族が暮らしている。つまり、とっくの昔から日本列島というゲットーにいるわけで、地球規模でみると類まれな素晴らしい大きなゲットーと見てとれる気がする。ゲットー内には立派な文化も花開いている。

 ゲットーらしき組織を昔から作ってきたブラジルの日系移民や世界各国の移民の気持ちが、ここのところなんとなく分かるような気がしてきた。