遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

明眸皓歯めいぼうこうし

2009-01-22 | 四字熟語と遊ぶ
明眸皓歯とは。
岩波親書の「四字熟語ひとくちばなし」によると、余る意瞳と白い歯。これで美人の形容、にしくは美人そのものを表す。徒歩の詩に「明眸皓歯、いまいずくにか在る」といういっせつがあり、その「明眸皓歯」は楊貴妃をさしている。と書かれている。
なるほど楊貴妃の形容だったのか。

ところで美人の反対の醜人については、いつごろかブスがテレビでもとうじょうして市民権を得ているが、ブスの生まれ所在地はある人に言わせると新宿二丁目当たりとか。彼ら、彼女ら?がオブス等と使っていたらしい。これは全くの聞きかじりで当てにならない。

現在では人物評価でもつねに外貌が云々されて、かつての「器量」という言葉も今は才能や特の意味から離れてもっぱら容貌そのものをいうようだ。
器量よしは美人のことをさす。面食いはいつの時代もいる。
そしていつの間にか男子も二枚目からイケメンに変わって久しい気がする。

かつては求人広告にずばり「容姿端麗」などという大胆不敵な募集条件を書いた物が在ったらしい。最近は「端麗」という飲み物?もあるが、

どんなとき、どの言葉を使うか「明眸皓歯」「眉目秀麗」「容姿端麗」は男女でもって使い分ける必要があるらしいが、今は若い男女ともに綺麗になりたがっているというから、どれを使ってもまちがいというわけではない時が来るかも知れない。
みんな見目麗しくなりたいというわけで、間違ってはいないんだけど~。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿