遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

井上靖の詩的出発についてのメモ

2017-10-03 | 心に響く今日の名言

(7)
 さて、本題の井上靖の詩の世界に限ってみていくと、詩集『地中海』に、「少年」という作品がある。
  
   少年はフェーン現象のため大火が多いことで知られる東
   北の町へ下車した。大きな石榴の実が八百屋の店先きに
  並んでいる季節であった。少年は二日間そこに居て、真
   赤に燃える空を期待したが何もおこらなかった。

   少年は夜行列車で北陸の町へ移動した。蜃気楼の出る町
で会った。町は祭りで賑わっていて、露地の間から見え
   る海は荒れていた。少年はまたそこで二日過ごした。小
   さい木片の漂っている会場にはいかなる異変も起きべく
   なかった。  (「少年」部分)       

 この詩の第一連では火事のあった酒田市を連想させる。そして、次の北陸の町は魚津の町にちがいないし、その先の第三連では「半島の名も知らぬ駅」に降り立つのだが、その海がひらけ、「はっとするほど美しい夕映えの空だった。それは少年が期待した火事よりも妖しく蜃気楼よりも不思議だっだ。少年はそこから跳んだ。少年は知らなかったが、その地方では自殺者が多いことで知られた場所だった。」と結んでいる。
 この身を投げ出すほどの美しい夕映えの空の魔力から人はのがれられないのだろう。おそらく夢のつばさを焦がして墜落したあのイカロスのように。無垢なものの儚さよりは、力強さを秘めた純粋性に心
がふるえる。だがなぜ、三カ所の街が登場しているのか、考えても何の結論も出ない。そんな整合性など詩に求めても無駄なこととしるべきだろう。
 また「北国」という詩編の中で、この詩の背景は、実は戦後まもないころの富山市ではないかとおもわれる。

   いかにも地殻の表面といったような瓦礫と雑草の焼土一
帯に、粗末なバラックの都邑が急ピッチで造られつつあ
   った。焼ける前は迷路と薬種商の老舗が多い古く静かな
   城下町だったが、そんな跡形はいまは微塵も見出せない。
日々打つづく北の暗鬱なる初冬の空に下に、今生まれよ
   うとしているものは、性格などまるでない、古くも新し
   くもない不思議な町だ。 (「北国」冒頭部分)

井上靖の作品にはなぜか「不思議」という言葉がよく使われわれているようだが、この不思議にどん
な意味がこめられられているのか。森羅万象この世は不思議だらけだが。井上靖の「不思議」には、好奇心のイメージが似合うようだ。「不思議」は、楽しくて嬉しくて哀しくておそろしくて、生きる力の源、
そして詩を書く根源的な動機のひとつに、不思議があるのだとおもいたい。詩と小説の行き来も、詩の
中に小説の核があり、小説の中にまた詩への小さな愛がある。それは人間への信頼という愛だろうか。
 靖には富山と高岡を背景とした「七夕の町」(昭和二十六年「別冊小説新潮」)という短編がある。
 この一編は「北国」の詩をふくらませてしあげたものである。   
 このような靖の「詩 」と「小説」の融合、関わり方はすでに読者によってよくしられているところでもある。
 作品の数が多すぎて以前に読んだものを再度読むと、また初めて読んだときのような感動が、新しく蘇ってくることがしばしばある。
井上靖の詩の活動は、昭和七年(一九三二)あたりから散文詩に移行したといわれている。第一詩集『北国』(昭和三十三年)は、モダニズム退潮後、その水脈を継承しながら独自の詩風を樹立したものとして昭和戦後詩におけるその位置づけは高い。
井上靖の詩集をあげると『北国』をはじめとして『地中海』 (昭和三十七年)、『運河』(昭和四十二年)、『季節』(昭和四十六年 )、『遠征路』(昭和五十一年)とつづき、昭和五十六年には『全詩集』が編まれた。その後も『乾河道』(昭和五十九年)、『傍観者』(昭和六十三年)、『春を呼ぶな』(平成元年)、
『星闌干』(平成二年)が刊行されている。
 このように井上靖の詩は晩年に及ぶにしたがって小説と同様にまた、それ以上に意欲的に書きつがれていることがわかる。 この熱意はなんなのか。少年の日に、霙降る石動の教師の元へ、詩稿を懐にして、その評を得ようと出かけた時の、高鳴る心と見知らぬ土地の侘びしく不安定な心の震え。その頃の
熱く純粋な高校生時代の思い出は、もしかすると生涯、くりかえし作者の心に去来したのではないだろうか。


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