明治四十二年に自由詩社から「自然と印象」が創刊。人見東明の「酒場と夢見る女」が発表され、その第九号には暮鳥の作品が掲載されている。福田夕咲「春の午後」、今井博楊「Deaty only日の歿しゆく時」にならんで、暮鳥の「航海の前夜」の総タイトルのもと四編の詩が掲載されている。そのうちの二編を次に掲げる。
鉛の如(やう)に重く、ゆく方無き夕べの底。
織りは大(おほひ)なる 悲哀に飛廻り、さ迷ふ。
三階の窓より
sよ
おまえの胸にもたれて滅びゆく日のかがやきを
見た。
五月、
その五月の青い夕べ
しずかに静かに
黄昏れゆく。 (「病めるsに」部分)
秋風よ、わが師のためにその弾奏の手を止め。
聴くに堪へざる汝の悲しい恋歌
見よ、野の鳥の歓楽を泪ぐませ
ほろほろと夢より憂愁の落葉をすべる
さては悲しいわが秋風よ。
ああ、やせ衰ふけれども心あるものに
弾奏の音よ、
おそろしき不滅を注射するであろう。 (「秋風の悲しき弾奏」全行)
「青い夕べ」や「不滅の注射」の比喩に非凡さを感じることが出来るが、詩としてはまだ未完成の域を出ていない。ここで暮鳥二十歳のころの第一詩集「三人の処女」のいわゆる代表作を掲げておこう。つぎに出版され詩界を賛否の渦に巻いた「聖三陵玻璃」の中の詩編と比べるまでもないだろうか。(つづく)
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