遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

中原中也ノート8

2019-04-15 | 近・現代詩人論

 ここに「一つの境涯」の抜粋をかきうつしていきたい。

一つの境涯
=世の母びと達に捧ぐ==

 寒い、乾燥した砂混じりの風が吹いている。湾も港市――其の家々も、ただ一様にドス黒く見えてゐる。沖は、あまりに希薄に見える其処では何もかもが、たちどころに発散してしまふやうに思はれる。その沖の可なり此方と思はれるあたりに、海の中からマストがのぞいてゐる。そのマストは黒い、それも煤煙のやうに黒い、――黒い、黒い、黒い……それこそはあの有名な旅順閉塞隊が、沈めた船のマストなのである。
(中略)つまり私は当時猶赤ン坊であつた。私の此の眼も、慥かにに一度は、其のマストを映したことであったろうが、もとより記憶してゐる由もない。それなのに何時も私の心にはキチッと決つた風景が浮かぶところをみれば、或ひは潜在記憶とでもいふものがあつて、それが然らしめるのではないかと、埒もないことを思つてみてゐるのである。
(中略)
「あんよが出来出す一寸前頃は、一寸の油断もならないので、行李の蓋底におしめを沢山敷いて、そのなかに入れといたものだが、するとそのおしめを一枚々々、行李の外へ出して、それを全部だし終わると、今度は又それを一枚々々行李の中へ入れたものだよ。」――さう云われてみれば今でも自分のそんな癖はあつてなにかそれはexchangeといふことのおもしろさだと思ふのだが、それは今私も子供が、ガラスのこちらでバアといつて母親を見て、直ぐ次にはガラスのあちら側からバアといつて笑い興ずる、
そのことにも思い合わされて自分には面白いことなのだが、それは何か、科学的といふよりも物理的な気質の或物を現してゐまいか。その後四つ五つとなると、私は大概の玩具よりも遙かに釘だの戸車だの卦算だのを愛するやうになるのだが、それは何かうまく云へないまでも大変我乍ら好もしいことのやうに思はれてならない。何かそれは、現実的な理想家気質――とでもいふやうなものではないのか。
 (中略)
左を苦境時代のはじめに用ふ事
ほんとに悲しい日を持った人々は、その日のことが語れない。語りたくなのではない。語ろううにもどうに    も手の附けようがないから、ついには語りたくなくなりもするのである。
 (未発表随筆「一つの境涯」より抜粋、推定制作時期は一九三五年後半ごろ)

 中也は、生まれて半年後には旅順に渡り柳樹屯へ移っ後、山口に半年ほどいて広島へ行く。二歳になるすこし前のことである。軍医である父謙助は広島の病院付きになったからである。
 「その年の暮れの頃よりのこと大概記憶す」と後年語っている。記憶力のいい人だと思うが、先に記した詩編では、「なんだか怖かったと」当時を振り返っている。

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