遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

中野重治編集『裸像』の詩と雑記について(一) 

2017-10-04 | 近・現代詩人論
ー文学の第一歩を印した大正の文芸誌

 大正十四年一月創刊の同人雑誌「裸像」は、中野重治の詩的出発の雑誌でもあった。
ながらく幻とされていた「裸像」が一九八九年八月に桂書房より編集工房の手によって復刻版が発刊、ようやくその全容を識ることができた。

その当時の中野重治(一九二五年・二十三歳)の詩作品は、創刊号が七編、二号が六編、三号が五編、四号が三編、計二十一編が掲載されている。ここでは(天蚕糸通信)、毎号一編の詩作品と、同人雑記の中の文章を転載していきたい。中野は詩作品の他にも、二号から四号までは「アンデルゼン自叙伝(翻訳)」を発表掲載している。
 創刊号の詩は「浦島太郎」「しらなみ」「爪はまだあるか」「あかるい娘ら」「眼のなかに」「挿木をする」「わかれ」の七編である。「しらなみ」という詩の後半「あぁ越後の国親不知市振の海岸/ひるがえる白浪のひまに/わが旅の心はひえびえとしめりを帯びてくるではないか」でしめくくられていてよく知られている作品でもあるが、あえてそれを外して、今回は「爪はまだあるか」「わかれ」を書き写したい。

(一)詩作品/中野重治    
 

爪はまだあるか

お前は
ひろい瞼をまどかけのように下ろして
底の蔭からいつまでものぞいて居た
お前は
そのあいだ中爪を噛み
つばきはお前の指尖をぬらした
   
爪はまだあるか
   
お前の俤を尋ねて私は鏡の中に眼をつぶる
私の瞼は美しいあのかあてんのようでない
私は十本の指を伸ばして一枚一枚に爪をしらべる
爪のおもては曇って
哀しいくれないの色が浮んでいない
それに私の爪は
恐らくおいしくはないだろう

爪は
お前の爪はまだあるか  (以上、全行」

   
わかれ

あなたは黒髪を結んで   
やさしい日本のきものを着ていた
あなたはわたしの膝の上に
その大きな眼を花のように開き
また徐かに閉じた

あなたのやさしいからだを
私は両手に高く差し上げた
あなたはあなたのからだの哀しい重量をしって居ますか
それは私の両手をつたって
したたりのようにひびいて来たのです
両手をさし伸べ眼をつむって
私はその沁みて行くのを聞いていたのです
したたりのように沁みて行くのを  (以上、全行)


(二)同人雑記/中野重治

酒廛に居て書く(その一)(註)下宿先がいとこの家で、福田屋という酒屋を営んでいた。

僕は一個の古朝鮮の人形を持っている。他に何か手離すものがあるとしても、之ばかりは手離したくない。蝋石で刻んであって、頭が大きく、耳なぞは、右と左と、大きさも異う。顔面だけがたんねんに磨いてある。おりおり僕はそのなめらかな頬に手をふれる。また手の平に載せてまわしながら、刻々に変化するその陰翳を楽しむ。人中の深いその唇は、時には仄かに笑いをおび、時には哀しげに慄えている。そして切れの長い目は恒に半眼にとじている。僕はこの人はきっと音楽を聴いているのだと思う。でなければ、ただここにこうして坐っているに違いない。そして居睡りをしているのかも知れない。この人は、居睡りをしている時口辺に幽かな微笑をたてて居るそういう人だ。我心有有駕言出遊以寫我憂というような言葉はこういう口から洩れて来るのであろう。この人に対する僕の心持ちは殆ど情痴とも言えるくらいだ。この人に対する僕の愛は既に妹にも嗤われた。僕は僕の死後之を誰に譲ろうかと心配になること冴えさえもあるのである。  (了)


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