遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

寺山修司私論③田中勲

2019-10-03 | 近・現代詩人論
 寺山修司は二十九歳の時生い立ちの悪夢を永い叙事詩にまとめた。{地獄変と題したこの作品は、ほぼ二年がかりで四千行を超えるものになって、短歌の部分だけはまとめ歌集「田園に死す」として出版。詩の部分は再度整理しこの仕事にのめり込むことになる。三十才の時には次のような詩を書いた。

 
血が冷たい鉄道ならば/はしり抜けてゆく汽車はいつかは心臓をとおることだろう。
同じ時代の誰かれが/血を穿つさびしいひびきをあとにして/私はクリフォード・
  ブラウンの旅行案内の/最後のページをめくる男だ/私の心臓の荒野をめざして/
たったレコード一枚分の永いお別れもま/いいではにですか/自意識過剰な頭痛の霧
  のなかをまっしぐらに/曲の名は Take the A-train/そうだA列車で行こう
  それがだめだったらはしってゆこうよ

 寺山修司が死の前年「朝日新聞」に発表した作品。珍しい出来事で詩の読者はこの事を待っていた。

 昭和中年十二月十日
   ぼくは不完全な死体として生まれ
   何十年かかつて/完全な死体となるのである
   そのときが来たら
   ぼくは思いあたるだろう
   青森市浦町橋本の
   ちいさな陽あたりのいい家の庭で
   外に向かって育ちすぎた桜の木が
   内部から成長をはじめるときが来たことを

   子供の頃、ぼくは/汽車の口まねが上手かった
   ぼくは
   世界の果てが
   自分自身の夢のなかにしかないことを
   知っていたのだ (「懐かしの我が家」前編)

寺山修司が久しぶりに書いた詩であった。大方の人の目には新鮮に映ったものと思う。
寺山修司について何か書こうとするとどんどん遠くなっていくような気がする。すべては過去の出来事
だから当然と言えば当然のことなのだろう。


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