鳥取県 曹洞宗 松風山 永明寺

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永明寺と長谷寺の関わり

2012-12-23 19:10:47 | 【永明寺兼務寺 長谷寺】
  永明寺の歴史において、永明寺七世の佛母信元大和尚(福島県田村郡三春町の天澤寺三十三世、福井県小浜市の興禅寺十八世)の代は特筆すべき多くの事業がなされました。永明寺本堂に奉安されている七世縁者の祠堂位牌には七世の代の文政五年(1822年12月14日)に焼失した本堂が再建されたことが記されています。それが大正元年に焼失した本堂です。その他、七世代の事業として、参道入口の大きな延命地蔵尊(七世縁者と三界萬霊の供養塔)と常夜燈の建立、檀家の渡邉家からの雲版、半鐘の寄進、山門の瓦葺(鳥取藩城代家老の荒尾家の家紋の入ったの鬼瓦が現存)などがあげられます。祠堂位牌には、七世両親の戒名と父の名が茨木彦左エ門(但馬美組郡米地村)であることが記されています。祠堂位牌で「美組郡」とあるのは「美含郡」のことです。
  その祠堂位牌には、鳥取藩四代藩主の池田宗泰正室で紀伊大納言の徳川宗直の二女である桂香院殿久姫(以下、桂香院)が帰依し、開基となって開創された鳥取藩主菩提寺の雲門山長谷寺開山の道肝徹要尼和尚(以下、徹要尼)と交流があった尼の戒名が刻まれています。その尼は、永明寺歴代住職墓所に墓がある「永壽軒良山惠淳尼首座」(文政十三寅七月廿九日入寂)です。惠淳尼は、永明寺六世の高雲一崇大和尚の一住随侍をしていました。惠淳尼の墓には雅な筆跡で記された歌が刻まれ、「靈鷲山嫡子 前長谷寺徹要 寛政九巳年吉旦」とあります。これは墓の建立に徹要尼が関わっていたからでしょう。墓石に「霊鷲山」とあるのは、徹要尼が奈良県吉野郡大淀町比曽にある霊鷲山世尊寺の雲門即道大和尚を師としており、その弟子(嫡子)ということです。長谷寺は、この世尊寺を本寺としています。
  長谷寺開基の桂香院は、鳥取県立博物館の企画展『女ならでは世は明けぬ』の図録によれば、寛保三年に鳥取藩四代藩主の池田宗泰に嫁ぎ、宗泰との間に五代藩主の池田重寛を授かりました。延享四年に夫の宗泰(大廣院殿義山衍隆大居士)が逝去すると受戒し、初め圓泰院と号しましたが、後に桂香院(桂香院殿圓月妙諦日照大姉)と改称し徹要尼に深く帰依しました。桂香院は、夫の宗泰を亡くしてのち、重寛、治道、斉邦という鳥取藩の五代から七代までの藩主を幼時より教育し、内外の政事を治め、藩校「尚徳館」(鳥取西高前身)の設立にも関与し、藩政に絶大な貢献をした人物だったようです。
  出雲国の生まれの徹要尼は、当初、鳥取市滝山にあった耕月寺に隠居していましたが、長谷寺を桂香院より賜り開山となりました。ただし、「長谷寺留守居は弟子の惠教尼に任せ、公用は永明寺へ相談せよ」と申し付け、実質的に、徹要尼は江戸にあった長谷寺末寺の道肝庵に滞在して国元に指示を出していました。例えば、徹要尼の江戸滞在が延長したことを藩に届出るにあたり、長谷寺留守居の惠教尼(長谷寺二世)と連名で永明寺が寺社御役所に書状(天明四年辰七月廿五日付)をしたためていることなどからも長谷寺の公用に際し、永明寺が関与していたことがうかがわれます。ちなみに、耕月寺の本堂は、現在、永明寺開山の日外宗旭大和尚が開山で岩美町宇治にある長安寺の本堂として移築されています。
  長谷寺の開創にあたって、永明寺五世の旭山道曜大和尚(本光寺二十世、龍岩寺五世、播州 積清寺十一世)は、徹要尼に大坂へ勧進行脚して「三千仏名」を集めて、長谷寺の改修維持にあてるよう助言しています。この「三千仏名」とは三千名分の戒名を集め永代供養すること約束して浄財を募る難行でした。長谷寺には、その「三千仏」の掛軸(二幅)が現存しています。
  鳥取藩には、江戸表に牛頭山弘福寺(黄檗宗)、鳥取に龍峯山興禅寺(黄檗宗)、広徳山龍峯寺(臨済宗)などの菩提寺がありますが、桂香院が徹要尼のために建立した雲門山長谷寺(曹洞宗)は、鳥取藩主家の私的な菩提寺です。長谷寺は、江戸時代には藩主の庇護を受けていた別格の寺院であったため、寺紋は「三葉葵」(紀州葵)「揚羽蝶」(松平因州蝶)を用い、聖観世音菩薩を御本尊としています。
  長谷寺本堂の鳥取藩主家の御霊屋には蓮の襖絵(岩美町保護文化財指定)が描かれており、桂香院、岱嶽院殿(鳥取藩五代藩主の池田重寛)、聖諦院殿(池田重寛正室、徳川御三卿の田安中納言宗武の四女の仲姫)、大機院殿(鳥取藩六代藩主の池田治道)などの位牌が奉安されています。長谷寺は、武家の奥方などの女性から外護され、鳥取藩だけでなく加賀藩の前田家、御三卿の清水家、田安家などからも御進物を賜っており、それらの貴重な品はすべて鳥取県立博物館に寄託収蔵していただいています。
  藩政期の歴史を伝える有形文化財として現存している長谷寺は、護持会がなく実質的に永明寺が維持管理しているのが現状です。この地域の活性化のためにも、将来的には本堂、庫裡などの歴史的建造物も何らかの文化財に指定されたうえで専門家の指導のもと修築され、後世にひきつがれていけばよいと思います。

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