鳥取県 曹洞宗 松風山 永明寺

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永明寺の御本尊 釈迦牟尼仏坐像の由来

2012-12-19 13:54:52 | 【永明寺の由来・歴史】
  永明寺は、大正元年に茅葺屋根の旧本堂を葺き替え中に出火し、地区の象徴となっていた壮大な伽藍(本堂、位牌堂、開山堂、回廊、書院、庫裡などの堂宇)を全焼失しました。
  火災後、鳥取藩士であった永明寺十四世の良宣佛英大和尚(慈眼寺十六世)とお檀家の皆様の尽力により、但馬は田井(兵庫県新温泉町)にある臨済宗天龍寺派の佛頂山楞厳寺塔頭の舒陽庵(楞厳寺二世の太初周廓禅師の開基、明治四十三年廃庵)が永明寺本堂とするために購入、解体移築されました。
  それは鳥取市栗谷にある鳥取藩主菩提寺の広徳山龍峯寺(臨済宗妙心寺派)本堂(間口10間、奥行7間)が火災で本堂を失った兵庫県美方郡新温泉町居組の虎嶽山龍雲寺(曹洞宗)によって明治期に購入され移築された事情とよくにています。
  舒陽庵の建材は、田井の浜から浦富の浜まで船によって運搬され、馬車でひいて新井の上屋敷まで運ばれました。楞厳寺は、延文五年(1360年)に創建された古刹であり、夢窓疎石国師の法孫で権中納言の平宗経の二男である南溟昌運禅師(1328~1412年)を開山としています。楞厳寺は、「絹本著色夢窓国師像」(弘和三年)「絹本著色仏国国師像」(應永二十二年)「絹本著色山名時熈像」(正長元年)など兵庫県指定文化財の宝庫で、「楞厳寺文書」(四巻四幅)といえば山名家の研究者の間では有名です。
  移築再建された本堂の上棟式と入佛式は、大正十二年八月に執り行われました。その折に、瑞松山景福寺(鳥取市新品治町)の塔頭のひとつであった周源院の御本尊「釈迦牟尼仏坐像」を永明寺に遷座して当寺の御本尊としました。この遷座にあたっては、永明寺十三世をつとめたのち景福寺四十三世となった眞應天龍大和尚の力添えもあったのでしょう。
  なお、現在の本堂は、永明寺十五世の黙翁玄笑大和尚のときに本堂を一度解体し、舒陽庵の部材のうち虫食いなどで損傷の見られる部材を一部交換して、昭和四十八年に修築されています。

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