寮まで歩きながら
先ほどの記事に登場してもらったAさんに、バス発着場のあと、その会社の寮に案内してもらった。Aさんは以前そこから工場に通っていたのだ。道すがら、寮での生活について説明してくれた。
歩いて移動できるものの、けっこう遠い。バス発着場まで30-40分はかかる。辺鄙な町の、さらに辺鄙な場所に寮はある。駅にも、一番近いコンビニにも、同じくらいかかる。自動販売機もちょっと離れたところにある。靴づれした足で動くのは痛かったり通常以上に疲れたりするだろう。
周囲に商店街もないところで、何かと不便だ。暗い夜道はお店もなく、殺風景なコンクリートがための環境で、街路樹ひとつない。わずかに田んぼがあるだけの不気味な路地を二人でてくてく歩いてゆく。
<2006.9.8付記>歩きながら、Aさんは話す。朝はバス発着場まで駆け足すること。工場についてから着替えること。正社員なら社員食堂で従業員割引を使える。けれど、派遣は使えないといったことを。<2006.9.8付記>
都市のドーナッツ化現象によってさびれた市内中心部からさらに外れた住宅街の、あまり目立たない一角にその寮はあった。人の住む世界から外されかけているような周辺の建物だった。
6畳に2人入っているのだとAさんは寮の前で窓のあたりを指差して言う。
「まるでタコ部屋か、それの一歩手前みたい……」と思わずつぶやくわたし。
Aさんは沈黙している。
「こんな目立たない奥まったところに寮を作るなんて、社会的排除の見本みたい」
といささか評論家風の間の抜けた感想をわたしは述べた。
Aさんは軽くうなずいた。
九州出身の人たちが多数入寮していて、寮の中は“リトル九州”だとAさんは言う。「それはどうして? やっぱり地元の人はウワサをききつけて、あそこはコワいところだから行かないほうがいいっていうことで避けちゃうの?」とたずねてみた。「そう」といってAさんはうなづいた。
そういえば、井原 亮二さんの「トヨタの労働現場」でも、自動車工場で働く人は圧倒的に九州・沖縄出身者が多いというデータが紹介されていたっけ。ちなみにAさんは、同じ京阪神圏内とはいえ、かなり方面の違って離れたところに実家と下宿がある。なので、たまたまそこで働くことになったのだとか。事実、派遣会社の人には「気の毒に」ということを言葉や態度で示されたと彼は語った。
寮の食事は、揚げ物ばかりだとはAさんの言。これは、鎌田 慧さんの「自動車絶望工場」ならびに伊原亮二さんの「トヨタの現場労働」にある記述と一致する。「自動車絶望工場」は1970年代初頭の話だった。2000年代の今も、とある自動車工場に人を送り込む会社の寮は、揚げ物ばかりなのか!? ←いまどき冷凍食品でも、焼きナスとかさぬきうどんとかもあるんだけど……。同じように現代の財閥みたいな企業のひとつ・松下なんて、社員食堂に煮物も炒め物も酢の物もそろっていますよ・・・・
当然、重労働で疲れた体がそれで満ち足りるはずがない。なので、近くの100円ショップをよく利用していたという。寮で食事が支給されても、食べられないのでは仕方がない。低賃金のなか、100円ショップで買えるものは買っていたそうだ。
実はその100円ショップはわたしの近所の店でもあり、よく利用している。中国製の食べ物の安全性は不安だし、シャケ缶を買って開けてみたら中骨だらけで身がほとんど入っていないこともあった。傷みかけのおにぎりや豆乳などをムリヤリ販売していることもある。文房具のファイルやクリップが購入後一週間以内で壊れてしまったこともある。一部の問題のないもの以外は、財布に余裕さえあれば利用したくない店だ。しかし、カネがなければ仕方がない。Aさんも同じ状況だったのだ。
「寮の中ではひたすら寝るだけ」、とAさんは言う。その物言いからうっすらと、しかし確実に、つらさが伝わってきた。
「これじゃあ、プライベートは休むか、用事をこなすだけで、充実しようもない?」
「そう」
Aさんは言葉少なに答える。うちひしがれた調子で。おそらく、このことを人にしゃべるのにも大変なエネルギーを要するのだろう。
塀に囲まれた2階建ての寮。その側面から玄関のほうにまわってみる。門前から中をのぞく。監獄を盗み見ているみたいな感じ。工場と同じように合理化されたのか、飾りもゆとりもない建物のなかに、靴箱が見えた。スニーカー風のサイズの大きい靴が靴箱の中に並んでいる。靴はどれもくたくたにくたびている。それだけでも寮に入った派遣労働者の仕事と生活の厳しさを物語っている。
静かな環境は、派遣労働者の若いエネルギーが仕事のために100%搾り取られたことを意味している。Aさんの話によると、寮にはだいたい19-20歳くらいの人たちが入っているのだ。もし少しでもゆとりがあれば、外に出たり、流行の音楽をかけたりしている人たちが、夜遅くまで起きているだろう。そうするだけのゆとりもないのだ。
こんな環境におとなしく従う労働者はどうしてできるのだろう? やはりゆとりのない再生産、とりわけ学校教育によるのだろう。わたしは学校教育を受けなかったので、それを批判することができるにちがいない。
学校教育を受けない落ちこぼれになると、小さいころにゆとりを切り捨てれば大きくなればゆとりが出てくるなんていう教育社会学の文言にひっかかったりはしない。それが偽りの約束だと気づいているからだ。
寮のある環境
あたりは暗く、Aさんはわたしに伝えるべきことはあらかた伝えた、といった感じになった。そこで話をきりあげ、2人は駅に向かって歩いていった。うるおいのない殺伐とした郊外の風景の中を、ひどい労働と生活をもたらす会社の政策への驚きと無力感をかかえ、虚脱の海でおぼれそうになる。それでも必死でボートをこいで家に戻ろうとするような感覚を覚えた。怒りよりも、悲しみ、自分が自分ではなくロボットか何かになるような感触を味わった。気持ち悪さ、疲れる感覚。生命がやせ細ってゆくような学校的な感じ。
駅まで到着すると、なんだかもうくたくただった。やっとシャバに出れた感じ。「自動車絶望工場」でも寮の外はシャバと呼ばれているという記述がある。このことも今日まで変わらないのか。
Aさんはもっとつらかっただろう。よくつらい思いを味わったところに案内してくれたものだ。とにかく、感激、および感謝。
明るい時間の寮
後日。その寮を明るい時間帯に訪れた。
今度は自転車でやってきたので、寮の周囲をぐるりと一周してみる。
付近にあったもの。市のゴミ集積場。旧財閥系企業の製紙工場。中小の住宅。だいたいあまり新しくない。地震が来たら半壊はしそう。
地元鉄道会社が推進する高級住宅地は、山の手のほうに集まっている。遺跡を発掘するための大きな空き地。川べりにもう十数年は人が住んでいないような小さなボロい家が3軒ある。取り壊し寸前といった模様。
近所にあまり商店はない。少し大きな道に出ると、商店街がある。不動産屋もある。借家の広告を見てみると、市内中心部よりもやや家賃が安い。やはり市の中でも周辺的なところなのだ。お世辞にもあまりリッチとはいえない保育園もあった。<2006/9/11付記>建物や子どもの服装、門の外から見える内部の施設のお粗末さなどによって分かってしまうのだ。。<2006/9/11付記>
ぐるっとあたりを一周していると、3軒も針灸院があった。これがこの寮と関係あると言えるのかどうかは、詳しく調べないと断言はできない。それでも、やはり関連を疑ってしまう。つまり、過酷な肉体労働を強いられる人たちの寮の近くだからこそ? と。だがまだ決められない。はっきりとそう言うだけの材料がそろっていないのだ。
それにしても寮の周辺は、山の手の高級住宅街とはなんという違いだろう。自転車で十数分移動するだけで、まったく別世界がひろがっているのだ。
高級住宅街には大きくて立派な家が並び、大型犬を飼育する人も珍しくない。カルチャーセンターやならいごとの広告が立ち並んでおり、ゆとりのある世界だ。人々の着ているものは布の質がよく、言葉づかいもきれいで、上品で鷹揚な感じの人たちが多い。
しかし、こちら側はそれほどでもない。そして寮の人たちは・・・? 味気なく冷たい世界の住人は、疲れた体で工場とバス発着場と寮のトライアングルをまわる。あまり裕福ではない格好で。環境良好とは言えない住宅街の場末の寮で、へんぴなところにある工場での疲れもとれないまま、仕事のためにでかけるのだ。
人に聞く
この収容所のような寮にどんな人が住んでいるのか。どんな仕事をしているのか。どこの出身者が多いのか。地元の人たちは知っているのだろうか? もし知っているのだとしたら、どのくらい詳しく分かっておられるのだろうか?
昼下がりに寮の周囲で通りすがりの人たちに聞いてみた。
年金暮らしとおぼしき女性。「あそこにNって会社の寮があるんですけど、どういう人が暮らしているか知ってはりますか?」「うーんと、ごめんなさい。分からない」
サラリーマンらしき男性。「あのー、あそこの建物が寮になっていっるんですが、ご存知ですか?」「ううん、知らない」「あそこで、派遣とか偽装請負で若い人たちがかなりこき使われているんですが、知ってはりましたか?」「え?いや、わからない」
主婦と思われる女性「えーと、あそこにNという会社の寮があるんです。で、若い人たちが朝早くから夜遅くまで働いているんですがご存知でしょうか?」「は?」
「お盆前に朝日新聞が偽装請負について特集していましたよね? そういう形で葉働いている人がいるんですけど・・・・」「すまないけれど、よくわからないの」
寮に誰が住んでいて、どんな仕事をやっているのか、近所の人たちはさして関心もなく、認知していないようだった。聞いてみた人の数は少ないし、あまり洗練された質問ではなかった。それでも、近くに住んでいるからといって、ひどい労働の実態についてほとんどの人が了解しているとしたら、たぶんこんな反応にはならない。量はともかく質的にはそう考えられる。社会的排除とは、具体的にはこのようなものなのだ。
こんな風に町内会も地域商店街も弱体化した地域社会のなかで、地元に定着すれば、周囲の理解者に恵まれたり、正社員になれたり、労働争議を起こせば支援してもらって成功できる見込みは限りなくゼロに近いのではないか。若者は地域または職域に密着しろと熊沢誠は言う。
それは、若い世代に働かせて年金をとりたい上の世代のエゴの反映ではないだろうか?
そして、現在の地域社会の実情を無視した、19世紀のイギリス・アメリカの労働争議の賛美は、現代日本の地域社会の実情にはそぐわないのではないだろうか?
同じ地域に住んでいるから、近所のものだからといって利害が一致するとは限らない。ツーカーで分かりあえるともかぎらない。そんなの、当然のことではないだろうか? 「みなが同じ着物を着ている幸せなムラ社会(保田 與重郎)」にわたしたちは住んでいない。みなが違う服を着ている個性豊かな都市社会に住んでいる。それを認知したうえで、どんなふうに社会を改善してゆくかが課題なのである。
そもそも、みんなというのが誰と誰のことなのか、地域社会とはどこからどこまでを指すのか、みなが同じ服を着ていれば幸せなのか。それは一般論として誰にも言えないことなのである。そういった恣意的な価値観を違う世代・階層に押しつけられるはずもない。
そこで、若い世代の主体性の間違いを指摘しても、問題は解決しない。というのが管理人の立場だ。読者は?
当ブログ内関連記事 自動車工場シリーズ
派遣のバス発着場
自動車工場への派遣
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先ほどの記事に登場してもらったAさんに、バス発着場のあと、その会社の寮に案内してもらった。Aさんは以前そこから工場に通っていたのだ。道すがら、寮での生活について説明してくれた。
歩いて移動できるものの、けっこう遠い。バス発着場まで30-40分はかかる。辺鄙な町の、さらに辺鄙な場所に寮はある。駅にも、一番近いコンビニにも、同じくらいかかる。自動販売機もちょっと離れたところにある。靴づれした足で動くのは痛かったり通常以上に疲れたりするだろう。
周囲に商店街もないところで、何かと不便だ。暗い夜道はお店もなく、殺風景なコンクリートがための環境で、街路樹ひとつない。わずかに田んぼがあるだけの不気味な路地を二人でてくてく歩いてゆく。
<2006.9.8付記>歩きながら、Aさんは話す。朝はバス発着場まで駆け足すること。工場についてから着替えること。正社員なら社員食堂で従業員割引を使える。けれど、派遣は使えないといったことを。<2006.9.8付記>
都市のドーナッツ化現象によってさびれた市内中心部からさらに外れた住宅街の、あまり目立たない一角にその寮はあった。人の住む世界から外されかけているような周辺の建物だった。
6畳に2人入っているのだとAさんは寮の前で窓のあたりを指差して言う。
「まるでタコ部屋か、それの一歩手前みたい……」と思わずつぶやくわたし。
Aさんは沈黙している。
「こんな目立たない奥まったところに寮を作るなんて、社会的排除の見本みたい」
といささか評論家風の間の抜けた感想をわたしは述べた。
Aさんは軽くうなずいた。
九州出身の人たちが多数入寮していて、寮の中は“リトル九州”だとAさんは言う。「それはどうして? やっぱり地元の人はウワサをききつけて、あそこはコワいところだから行かないほうがいいっていうことで避けちゃうの?」とたずねてみた。「そう」といってAさんはうなづいた。
そういえば、井原 亮二さんの「トヨタの労働現場」でも、自動車工場で働く人は圧倒的に九州・沖縄出身者が多いというデータが紹介されていたっけ。ちなみにAさんは、同じ京阪神圏内とはいえ、かなり方面の違って離れたところに実家と下宿がある。なので、たまたまそこで働くことになったのだとか。事実、派遣会社の人には「気の毒に」ということを言葉や態度で示されたと彼は語った。
寮の食事は、揚げ物ばかりだとはAさんの言。これは、鎌田 慧さんの「自動車絶望工場」ならびに伊原亮二さんの「トヨタの現場労働」にある記述と一致する。「自動車絶望工場」は1970年代初頭の話だった。2000年代の今も、とある自動車工場に人を送り込む会社の寮は、揚げ物ばかりなのか!? ←いまどき冷凍食品でも、焼きナスとかさぬきうどんとかもあるんだけど……。同じように現代の財閥みたいな企業のひとつ・松下なんて、社員食堂に煮物も炒め物も酢の物もそろっていますよ・・・・
当然、重労働で疲れた体がそれで満ち足りるはずがない。なので、近くの100円ショップをよく利用していたという。寮で食事が支給されても、食べられないのでは仕方がない。低賃金のなか、100円ショップで買えるものは買っていたそうだ。
実はその100円ショップはわたしの近所の店でもあり、よく利用している。中国製の食べ物の安全性は不安だし、シャケ缶を買って開けてみたら中骨だらけで身がほとんど入っていないこともあった。傷みかけのおにぎりや豆乳などをムリヤリ販売していることもある。文房具のファイルやクリップが購入後一週間以内で壊れてしまったこともある。一部の問題のないもの以外は、財布に余裕さえあれば利用したくない店だ。しかし、カネがなければ仕方がない。Aさんも同じ状況だったのだ。
「寮の中ではひたすら寝るだけ」、とAさんは言う。その物言いからうっすらと、しかし確実に、つらさが伝わってきた。
「これじゃあ、プライベートは休むか、用事をこなすだけで、充実しようもない?」
「そう」
Aさんは言葉少なに答える。うちひしがれた調子で。おそらく、このことを人にしゃべるのにも大変なエネルギーを要するのだろう。
塀に囲まれた2階建ての寮。その側面から玄関のほうにまわってみる。門前から中をのぞく。監獄を盗み見ているみたいな感じ。工場と同じように合理化されたのか、飾りもゆとりもない建物のなかに、靴箱が見えた。スニーカー風のサイズの大きい靴が靴箱の中に並んでいる。靴はどれもくたくたにくたびている。それだけでも寮に入った派遣労働者の仕事と生活の厳しさを物語っている。
静かな環境は、派遣労働者の若いエネルギーが仕事のために100%搾り取られたことを意味している。Aさんの話によると、寮にはだいたい19-20歳くらいの人たちが入っているのだ。もし少しでもゆとりがあれば、外に出たり、流行の音楽をかけたりしている人たちが、夜遅くまで起きているだろう。そうするだけのゆとりもないのだ。
こんな環境におとなしく従う労働者はどうしてできるのだろう? やはりゆとりのない再生産、とりわけ学校教育によるのだろう。わたしは学校教育を受けなかったので、それを批判することができるにちがいない。
学校教育を受けない落ちこぼれになると、小さいころにゆとりを切り捨てれば大きくなればゆとりが出てくるなんていう教育社会学の文言にひっかかったりはしない。それが偽りの約束だと気づいているからだ。
寮のある環境
あたりは暗く、Aさんはわたしに伝えるべきことはあらかた伝えた、といった感じになった。そこで話をきりあげ、2人は駅に向かって歩いていった。うるおいのない殺伐とした郊外の風景の中を、ひどい労働と生活をもたらす会社の政策への驚きと無力感をかかえ、虚脱の海でおぼれそうになる。それでも必死でボートをこいで家に戻ろうとするような感覚を覚えた。怒りよりも、悲しみ、自分が自分ではなくロボットか何かになるような感触を味わった。気持ち悪さ、疲れる感覚。生命がやせ細ってゆくような学校的な感じ。
駅まで到着すると、なんだかもうくたくただった。やっとシャバに出れた感じ。「自動車絶望工場」でも寮の外はシャバと呼ばれているという記述がある。このことも今日まで変わらないのか。
Aさんはもっとつらかっただろう。よくつらい思いを味わったところに案内してくれたものだ。とにかく、感激、および感謝。
明るい時間の寮
後日。その寮を明るい時間帯に訪れた。
今度は自転車でやってきたので、寮の周囲をぐるりと一周してみる。
付近にあったもの。市のゴミ集積場。旧財閥系企業の製紙工場。中小の住宅。だいたいあまり新しくない。地震が来たら半壊はしそう。
地元鉄道会社が推進する高級住宅地は、山の手のほうに集まっている。遺跡を発掘するための大きな空き地。川べりにもう十数年は人が住んでいないような小さなボロい家が3軒ある。取り壊し寸前といった模様。
近所にあまり商店はない。少し大きな道に出ると、商店街がある。不動産屋もある。借家の広告を見てみると、市内中心部よりもやや家賃が安い。やはり市の中でも周辺的なところなのだ。お世辞にもあまりリッチとはいえない保育園もあった。<2006/9/11付記>建物や子どもの服装、門の外から見える内部の施設のお粗末さなどによって分かってしまうのだ。。<2006/9/11付記>
ぐるっとあたりを一周していると、3軒も針灸院があった。これがこの寮と関係あると言えるのかどうかは、詳しく調べないと断言はできない。それでも、やはり関連を疑ってしまう。つまり、過酷な肉体労働を強いられる人たちの寮の近くだからこそ? と。だがまだ決められない。はっきりとそう言うだけの材料がそろっていないのだ。
それにしても寮の周辺は、山の手の高級住宅街とはなんという違いだろう。自転車で十数分移動するだけで、まったく別世界がひろがっているのだ。
高級住宅街には大きくて立派な家が並び、大型犬を飼育する人も珍しくない。カルチャーセンターやならいごとの広告が立ち並んでおり、ゆとりのある世界だ。人々の着ているものは布の質がよく、言葉づかいもきれいで、上品で鷹揚な感じの人たちが多い。
しかし、こちら側はそれほどでもない。そして寮の人たちは・・・? 味気なく冷たい世界の住人は、疲れた体で工場とバス発着場と寮のトライアングルをまわる。あまり裕福ではない格好で。環境良好とは言えない住宅街の場末の寮で、へんぴなところにある工場での疲れもとれないまま、仕事のためにでかけるのだ。
人に聞く
この収容所のような寮にどんな人が住んでいるのか。どんな仕事をしているのか。どこの出身者が多いのか。地元の人たちは知っているのだろうか? もし知っているのだとしたら、どのくらい詳しく分かっておられるのだろうか?
昼下がりに寮の周囲で通りすがりの人たちに聞いてみた。
年金暮らしとおぼしき女性。「あそこにNって会社の寮があるんですけど、どういう人が暮らしているか知ってはりますか?」「うーんと、ごめんなさい。分からない」
サラリーマンらしき男性。「あのー、あそこの建物が寮になっていっるんですが、ご存知ですか?」「ううん、知らない」「あそこで、派遣とか偽装請負で若い人たちがかなりこき使われているんですが、知ってはりましたか?」「え?いや、わからない」
主婦と思われる女性「えーと、あそこにNという会社の寮があるんです。で、若い人たちが朝早くから夜遅くまで働いているんですがご存知でしょうか?」「は?」
「お盆前に朝日新聞が偽装請負について特集していましたよね? そういう形で葉働いている人がいるんですけど・・・・」「すまないけれど、よくわからないの」
寮に誰が住んでいて、どんな仕事をやっているのか、近所の人たちはさして関心もなく、認知していないようだった。聞いてみた人の数は少ないし、あまり洗練された質問ではなかった。それでも、近くに住んでいるからといって、ひどい労働の実態についてほとんどの人が了解しているとしたら、たぶんこんな反応にはならない。量はともかく質的にはそう考えられる。社会的排除とは、具体的にはこのようなものなのだ。
こんな風に町内会も地域商店街も弱体化した地域社会のなかで、地元に定着すれば、周囲の理解者に恵まれたり、正社員になれたり、労働争議を起こせば支援してもらって成功できる見込みは限りなくゼロに近いのではないか。若者は地域または職域に密着しろと熊沢誠は言う。
それは、若い世代に働かせて年金をとりたい上の世代のエゴの反映ではないだろうか?
そして、現在の地域社会の実情を無視した、19世紀のイギリス・アメリカの労働争議の賛美は、現代日本の地域社会の実情にはそぐわないのではないだろうか?
同じ地域に住んでいるから、近所のものだからといって利害が一致するとは限らない。ツーカーで分かりあえるともかぎらない。そんなの、当然のことではないだろうか? 「みなが同じ着物を着ている幸せなムラ社会(保田 與重郎)」にわたしたちは住んでいない。みなが違う服を着ている個性豊かな都市社会に住んでいる。それを認知したうえで、どんなふうに社会を改善してゆくかが課題なのである。
そもそも、みんなというのが誰と誰のことなのか、地域社会とはどこからどこまでを指すのか、みなが同じ服を着ていれば幸せなのか。それは一般論として誰にも言えないことなのである。そういった恣意的な価値観を違う世代・階層に押しつけられるはずもない。
そこで、若い世代の主体性の間違いを指摘しても、問題は解決しない。というのが管理人の立場だ。読者は?
当ブログ内関連記事 自動車工場シリーズ
派遣のバス発着場
自動車工場への派遣
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