みなさん、お知らせです。
赤木智弘さんの言論をめぐる「希望は戦争?ブログ ~丸山真男をひっぱたきたい Returns~
http://d.hatena.ne.jp/t-akagi/」のオーサー陣から撤退することにしました。
理由は、いろいろあるのですが、まあ一口で言えば、ハイパーメリトクラシーへの抵抗をするために、そのコミュニティにわたしがいることが不適切になったためです。
そのブログを作るグループの連絡用のmixiのコミュで、管理人からわたしへの中傷がありました。抗議はしたものの、管理人側からは誠実な応答は得られませんでした。わたしが「ひとり」だというだけ、あるいは主語を示さない日本語(←両方とも何が悪いの?)を使用したことにより、それはまともな意見ではないと管理人は言っています。
共同体から離れて都市で家や職のないものを、「」身分に組み入れていた江戸期の下層民政策を髣髴とさせる管理人の言説には悪い意味で驚きました。従順に管理人に従う優等生のような参加者。そこに女性憎悪も絡み、精神的にちょっと参ってしまいました。
管理人の交代についての話し合いをきっかけに始まった議論を、管理人は日本語改造論に持っていくなど、不必要な話題の転換によって、自分の正統性や自信のなさを覆い隠そうとしていました。
彼はまた、わたしが中卒であることで、「勉強している質が大卒とは違う」と主張しています。実は、そこの管理人も中卒とカムアウトしているのです。彼は、自分だけは努力している「道徳的によい中卒」であり、エリートの資質がある、しかしその他は努力していない「道徳的に悪い中卒」だ。それに次の管理人に立候補する資格などないと主張しているのです。彼を除けば中卒だとカムアウトしているのはわたし一人でしたから、「ワタリは孤立しているぞ!!(だから悪いんだ。いくらやっつけてもいいんだ。)」とする、コミュ世論にむけたいじめのためのアナウンスでもあります。
新自由主義のプロパガンダに弱い管理人とその追従者らは、エリート主義を掲げ、エリート以外は公共の場であるこのコミュにはふさわしくないといいました。
彼の言うエリートというのは、旧華族でも六本木ヒルズ族でもなく、ある元公立大学の準教授で東大名誉教授の女婿でもある男性を崇拝する儀式に、そのコミュの中で参加することです。
その男とは、イリイチの脱学校化論から「社会の分極化」という概念を抜いた人畜無害化をしたうえで、大手メディアで「豊かな社会のまったり革命」を広告していた人物でもあります。
わたしは、自らの体験と読書による独学によって、その名誉教授の女婿の権威を崇拝する儀式を拒否しました。
すると、人身攻撃がはじまったのです。なおわたしのほかにも、2人のメンバーが管理人からの攻撃を受け、議論がケンカというよりもいじめに近いものとなり、脱退しています。
それから、別のタイミングのことですが、そこに参加していたある編集者が、旧日本軍でもあるまいに「空気の読めないやつはこのコミュにはいらない」とする発言をしていました。いくら流行語とはいえ、その編集者の見識のなさにはあきれてしまったのです。
そうそう。もうひとつ、公共論について。
管理人は、おそらく彼が意図的にひきいれたコミュの新規メンバーにも分かるように意見を言え、ここは公共の場なんだからと言い張ります。
しかし、彼は何百回言っても、自分と少しでも言葉たがえるものにはすぐさまキレたりスネたりゴネたり…を繰り返します。
彼が私的に気に食わないもの、賛成できないもの、即座に共感できないものならすべて反公共であったり、彼自身の表現によれば「デンパ」なのです。
デムパ扱いというのは、高度成長期に「生産阻害因子」とされた精神障害者を、次々と地域社会から新設精神病院へ移していった歴史を復古させようとするものです。
炭鉱産業から石油産業への転換期、九州や北海道という炭鉱地帯から太平洋ベルトの石油産業地帯に労働力を動員させる政策がありました。そのとき、地域がかかえていた各種の障害者が、労働力移動の邪魔になったのです。なので、にわかに病院を建て、普通の病院と比べて医師は1/3、看護士は1/2でもいいということにして、閉じ込め作戦が展開されました。都市部では、ホームレスや浮浪者のなかに精神病患者がいるということで、浮浪者狩りのようなことも行なわれました。作業療法が実質強制労働だった病院もあります。(精神科医は病院というもうひとつのドヤ街/遊郭街に人をいざなう手配師となったのです。)
もちろんその中には、炭鉱労働のために一酸化酸素中毒になり、そこから精神疾患だと診断された人達も含まれます。
仮にも労働問題を扱う集団ブログの管理人が、このように産業発展や病院制度のために個人を犠牲にすることをいざなうことを言うのを見て、大変驚きました。
また異なる意見の持ち主や「積極性がない」ときめつけた人物に、精神障害者差別用語を用いて誹謗することは、コミュの生産性のために人権をふみにじっていることになります。
私企業のわがままを、会社だけで形成されているわけではない「公共の場」において主張することは、それこそおかしいことです。
公共の場には、私企業の求める人材もいれば、そうではないタイプの人物もいます。
公園にホームレスが寝起きすることは、公共の場の不正使用だ。なぜならば散歩の邪魔だからだ。とする、散歩という私的目的による公共の場からのホームレス排除とよく似た論理を管理人から聞かされ、本当に吐きそうになってしまいました。
さらに、管理人は、自分の問題発言をごまかそうとするかのように、わたしの発言の一部を議論の文脈から切り取って引用して、問題発言であるかのように装いました。現代思想用語を必要も無く引用するある種の教養主義を「グロテスク」と言ったり、自分だけががんばっているが、他のコミュ参加者はがんばっていないとするエリート主義に「反吐が出る」と言ったことが、批判ではなく中傷になるか、卑猥語か、古すぎて今では用いられない表現であるか、人権上問題のある発言であるかのように騒ぎ立てたのです。
赤木智弘支持をわたしは撤回するつもりはありません。
ただ、あのブログを作るコミュは、わたしにはあわなかったということです。
中卒だから、女性だから、「積極性」「ネットワーク力」がないからといって人を叩くコミュにはこれ以上いられません。
結局彼らは、経営者の奴隷が欲しいだけなのでしょう。
まあ経営者からすれば、失業だか半失業で、労働問題の取材だのブログだのなんだのをやっているほうが、仕事への「積極性がない」ということになるのかもしれませんが。
これ以上、ハイパ-メリトクラシーに無批判な集団ブログに参加することはやめにします。
そのサイトのリンク、それにわたしに対して「ネットワーク力が低い」と優越感のために人を出汁にするカキコをしたあるライターのブログもブックマークから消しておきました。
あしからずご了承のほどを。m(__)m
周囲もそれを放置し、一部の参加者は、管理人のやっている問題行為をわたしのせいにした、いわば偽装苦情ともいうべきものをmixiのメッセージにしてわたしに送りました。
別の参加者は、彼の方がわたしよりもネットワーク力がもっと高い、と自らのポスト近代化能力の高さを誇る文書を、諸事情によりネットワークを奪われたわたしの日記のコメント欄につけました。
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