フリーターが語る渡り奉公人事情

ターミネイターにならないために--フリーターの本当の姿を知ってください!

回想ーー日雇い派遣ワールドの人々

2007-03-11 00:34:36 | 歴史
(これはミキシーのわたしの日記からの転載です。)

最近、とある全国紙の記者さんから取材を受けた。

ちゃんと相手の質問に答えられなかったり、話題がそれたり迷惑おかけしたのでは? と後から心配になってしまった。

そのほか、20代初頭からいろいろなアルバイトを少なくとも80社以上でやってきた(主に日雇い・派遣)ことを思い起こした。

つらいこと、それに何も考えられず生き延びるために段々体力が減り、自分が心身ともに壊れていったことを思い出す。
たとえ一日とか一週間・一ヶ月とはいえ、いっしょに働いた人たちは今どうしていはるのだろう?

あるフリーターの男性は、親と折り合いが悪かった。無理を重ねて一人暮らしをしていた。そこは、歴史的に被差別の住む地区だった。たぶん意図的に再開発計画から外された地区だ。京阪神圏の孤島ともいうべき辺鄙で不便なところに彼は住んでいた。

交通事故の後遺症で働けなくなってしまった女性もいた。彼女の場合も家族とは疎遠だった。だから一人暮らしをしているのに、家族や親類が裕福だという理由によって役所は、生活保護の申請を却下していた。
彼女は彼氏との別居問題でもそうとう苦労をしていた。 おそらく生活苦から、互いを責めあって、別居に至ったようなところもあった。
音楽教室の教師をしている彼女は、生徒のうち貧しい子を「くさい」と言って非難
攻撃していた。やめるようにとわたしのほうから言っても、聞き入れなかった。
貧しき者の悲しさである。

生活保護だけでは生活が苦しすぎると言って、日雇いの倉庫内作業にやってきていた女性もいた。見つかって罰されたりしていないだろうか。

服装や髪型が悪いと言われて一日も働かないうちに家に帰された十代後半の女の子もいた。
親・兄弟に何て報告したのだろうか。
会社のほうが違法をやっていると今は知っていることを望む。

ああ、ほかにもずいぶんたくさんのいろいろな人たちがいた。

今はもう体力切れで放逐されたも同然だけれど、今でも荷物運びの仕事に行きたいと思うことがある。時折、とてつもなく懐かしく感じる。
冷暖房もなく、人からはさげずまれ、賃金もロクなものではなかった。腰を痛めて痛み止めを乱用せざるをえない時期もあった。
それでもいっしょに働いた人たちはみんないい人たちだった。ひたむきに生活のために一生懸命働いていた。
ホワイトカラー風の「礼儀」とか、特定の符号のようなものが分からなければ誰かをののしり排除するといった悪習はなかった。
よけいな体力があまっていないからか、陰険で悪辣ないじめの発生率も低かったように思う。

妙に事務能力が高くないためか、人をだましたり、のせたりする人も少なかった。
そのときそのときを懸命に生きていたし、働いていた。

誰が派遣会社のブラックリスト(労働者派遣法では違法)に載っているだろうか? 誰が仕事を干されているだろうか? 誰がうつになったり、自殺したりしているだろうか?

偶然、短くてもしんどい作業に従事し、不安定に耐えた人たち。疲れで崩れ落ちそうになるとき、互いに声をかけあって励ましあった誠実な人たち。体を削る仕事にそれでも勇敢に立ち向かう人たち。

まあ、中には密告なんかをするひどいやつもいたけれど。
いじめをあおっている困ったグループもいたけれど。
派閥抗争に巻き込まれて迷惑したこともあったっけ。

だけど、こういう人たちが幸せになれる世のなかを作っていければなあと思ってしまう。

付記

こういう関係をさして、「本当の人間関係ではない」と熊沢誠さんはおっしゃった。
地域密着ではないし、ネットを通じて見つけた職だから。それにインターネットを通じた関係になるから、というのがその理由だ。
携帯を通じて見つけた派遣の職場で一日にせよいっしょに働いた人たち。自分にとっては世のなかの一端を見せてくれた師匠のようなものだ。
それをエライさんは否定する。侮辱する。喫茶店で大声でひびく声で人に恥辱をくわえる。
たぶんそれが面白いのだろう。

だけど、わたしにとっては大事な、大切な関係だ。
それが携帯やPCから見つけた職で、荷物をひたすら運んで疲れ果てる作業を通じてのものでも。ほとんど会話らしい会話をする余裕もない超疲労世界の同僚だとしても。
わたしのリアリティは地域ではなく、広域のペリフェラル・ワーカーらとともにある。

(2007・13.11 蛇足部分を削除しました。)


自殺者のウワサ

2007-02-13 16:05:24 | 歴史
最近、赤木智弘さんからの紹介によって電話取材を受けた記者さんは、以前、長岡京市の半導体工場に取材に入っていたという。
取材本来の話から逸れた話のおり、その工場で自殺者が出たというウワサがあると聞いた。
去年の夏、自殺者が出たとネットで情報が流れたそうだ。
結局、調べたものの裏づけはとれていないという。

驚きよりも納得、または諦念が脳裏をよぎった。
そこは、わたしがかつて勤めて目を壊しかけたあの工場だった。
http://blog.goo.ne.jp/egrettasacra/e/7d449722996a6e79dd86ab737dc16de9
しかも、今住んでいるところから自転車で十数分のところにあるのだ。
もっとも、恐い思い出に触れたくなくて、クビにされれからというの近づかないように注意してきたのだけれど。
忘れようとしても忘れられない記憶がよみがえる。

その話を聞いたあと胃が痛くなり、2日ほど寝込んでいた。
それでホワイトカラー・エグゼンプション関連の法律家の集いに行きそびれてしまった(泣)。そのくらいにはしんどかった。

自分のブログの過去記事をメールにリンクさせたのを記者さんに送った。もう取材は終わったのかもしれない。それでも、断片的な情報でも相手に知っておいてもらいたかったのだ。
もしも取材を継続することがあれば、他の情報と照合すれば、新しい図が描けるかもしれないではないか。そこに一縷の望みを託するほかない。あの破壊的労働をなくするために、ささやかでもできることはやっておきたかった。

その後、ひさびさに工場の前に行ってみた。工場の門の付近に受付があって、そこで名前・所属・用事・かかわる部署などを伝えなければ出入りできないようになっている。
いきなりたずねてもかえってマイナスだろう。
とりあえずそこの工場の人が使っている近所の店で何か分からないかな?
工場の近くにパンや飲み物やカップラーメンを売る店があった。しかし今では店じまいしており、自動販売機だけが残っている。
機械には話を聞けない。

もうひとつ、工場の近くの小さな喫茶店に入ってみる。胃が痛むのでミルクティーを注文した。
勘定を支払うとき、思い切って切り出した。

「あのー、このおむかいにM社の工場がありますよね。去年の夏、工場で自殺者が出たっていうウワサがあるんですけれど、それについて何か聞いたことありますか?」

店主兼従業員とおぼしき男性は、寒そうに首をすくめて
「いやー、知らないです」
と答えた。
(ここでは地元大企業M様の悪口を言っては生きていけないよ)
と顔に描いてあった。
そのMは、「経営の神様」として高名で、彼の孫はグループのナンバー2の座についている。また、M家は旧華族とも閨閥でつながっている。

今度どんなふうにして工場に入るか、時間帯・理由などをよく考えて中に入ってみたい。その作戦は今はヒミツ。相手にバレると台無しになるので(笑)。












なつかしい飴細工

2006-10-14 14:59:16 | 歴史
ぼやけた写真しか撮れなかったが、ないよりはマシか。
台車に貼った紙(右上の)には、墨と毛筆で「なつかしい飴細工」と書いてある。

おじいさんは、北海道から南九州まで商売のため渡っていると言った。十代のころからずっとこの仕事をしているそうだ。

仕事、というとビシっとしたスーツを着て電車に乗るというイメージもある。一生懸命という価値観が独占的になってしまって、派遣やフリーターのようにあちこちを渡っていればそれだけで信用おけない、かわいそうなどと言う人もいる。
しかし、それらのワーキングスタイルの導入は明治以降のこと。もともと日本列島の人たちは、こういう商売もしながら生きてきたわけだ。
そのことをフリーターをめぐる議論においても忘れないでおきたい。

関連リンク 

↓うえしん さんの「考えるための書評集」
http://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-612.html



飴細工@河原町

2006-10-14 14:55:42 | 歴史
ずいぶんぼやけた写真になって、申し訳ない。京都・四条大橋での一光景。
写真は向かって左より鶴、ピンク色のイルカ、それにピカチュウ。イルカはブルー色のも作る。みんな材料は飴。ひとりの和服姿のおじいさんが、蛍光色のアメを原料に目の前で作ってくれる。
かわいらしい、いかにも日本的な作品が、台車の上に棒にさされて立っている。

以前、東京の浅草に行ったときにも小さなかわいらしいものをたくさん売っているみやげ物屋があった。元祖・萌え~といったところか。
どうして日本にはこんな風にかわいらしいものが売ってあるのだろう。かわいらしすぎてアメリカにナメられてはいけないが、大切にしたい仕事だ。

ふと通り過ぎる街の風景のなかに、こうした歴史の生き証人はさりげなく生きている。以前住んでいた東大阪でも、小さな手押し車をひいて七味唐辛子など和風スパイスを行商するおばあさんたちがいたものだ。

地元商店街や町工場が少なくなって、どうしたら雇ってもらえるかわからない。ならばこうした小さな商いをやっていくほかないのだろうか。
かつて減田政策という農村リストラをやっておきながら、いまさら“徴農”などと言っても、政治家の忘れっぽさとデタラメぶりを世に示すだけだろう。
当の借り出される若い世代にとってはいい迷惑である。


鎌田 慧 さん on InternetTV

2006-10-11 14:46:03 | 歴史
あの「自動車絶望工場」の著者として知られる鎌田 慧さんが、インターネットTVに出演していらっしゃいます!

VIDEONEWS.COM
働かない日本 働けない日本

鎌田慧さんは、工場のほか、日本の原発地帯や愛知県の管理主義教育などの取材で知られるルポライター。

なおこちらのVIDEONEWSは会員制のインターネットテレビ局。クレジットカードまたはウェブ・マネーで月525円支払うと番組が見れるシステムになっています。

過去3ヶ月の番組しか直接見られません。そのため、鎌田さんの番組もあと一ヶ月少しで見られなくなっていまします。
しばらく経つと、DVDになるかCDに落とせるようになるのですが、それまでかなり時間がかかります。
気になる方は早いうちにどうぞ。

フランスのデモ光景ブログ

2006-04-19 04:32:17 | 歴史
日本語の説明つきでフランスのデモ風景を紹介しているブログ発見!

http://parisparis.exblog.jp/i20

暴れる人たちのいるエリア/時期もあれば、子ども連れの家族や老夫婦の歩けるところ/時もある。
ハチマキ風シールを額に貼りつけた学生さんのアピールもユニーク。

派手に暴れ目当てにデモにやってくるカスールという不思議な人たちは、高校や大学に行けないという。


少なくとも主観的錯覚において、登校拒否という呪いのレッテルを頂戴した時期の自分もそうだった。失礼を承知で言うと、高校生とか大学生を同じ人間のようには考えられなかった。

今では、いっしょに会社で働いたり、NGOの交流会でけっこう深い話もできたりしたこともあって、イメージが変わってきた。高校生も大学生もみながみな敵じゃない。
個人やグループごとの違いはあれども、根本的には人類だったり哺乳類だったりするわけだ。
そこではまだお菓子を食べていない人にあまったお菓子を優先的に配ろうとかいうことは、フツーにやっている。
幸運にもいい人・いいグループに恵まれたのか、そこでは学歴や「学力」によってお茶菓子の配分量を決めろなどと言う人はいなかった。教育熱心な家庭なんかとは違う世界だ。

トクヴィルは、身分が違うと人は信じられない残酷さを発揮できると述べている。なにかのおりに共同作業をやるとか、共通の時間・空間をもつということがあれば、人は相手に対してあまり冷酷にはなれない。(ただし、そこは強制ではなく、選んだり選ばれたりする必要があると自分は考える。)
選べないで隔離される極地はアパルトヘイトであり、ゲットーである。
一方、適当に時間的・空間的すみわけをしなければならないのも事実だ。たとえば、朝のラッシュ時、いっぺんに乗客をひとつの電車におしこむわけにはいかない。住宅街に核再処理施設を作るわけにはいかない。(←というよりも地球に?)

正規雇用と非正規雇用を隔離してはいけない。今はふたつの間に壁を作ったり、溝を掘ったりしているのが現状だ。それを今から埋めてゆかねばならない。ちょっとした線とか点線くらいなら引いてもいいけれど。それ以上はダメだ。
具体的には賃金・保証、「誰の仲間か分からない人とはつきあいにくいから」という「理由」による社交の場からの排除をやめさせる。
貧乏人は家賃の安い郊外や旧被差別地区に住むほかないというのもよろしくない。いろいろな人たちが混じり住むコミュニティを再建する必要がある。ただし、いわゆる「封建的」な負の遺産ーー男尊女卑や年功序列などーーは取り去って。



下罪人じゃない!

2006-01-27 23:59:38 | 歴史
歴史家の色川大吉は、明治の下積み労働層に、罪の意識があったと述べている。社会運動家らはその「下罪人意識」を意識のアンテナにとらえることはなかった。かたや、資本家は人々の「下罪人」意識を分かったうえで人をこき使っていたとも言っている。(色川大吉「明治の文化」岩波書店1997:254-255)

これは明治だけの出来事ではない。今日のわたしたちにも、「下罪人意識」は受け継がれていないだろうか?

<2006/2/1付記>

ある派遣会社で知り合った大阪在住の20代後半・男性のアルバイターは、アルバイトをしていることに強い罪悪感をもっていた。彼の場合は、お兄さんが優秀で、東大文Ⅰ→高級官僚になったので、比べられるとつらいという。
あるフリーター(ただし本人の自己申告ではニート)は、テレビなどでフリーターまたはニートを非難する番組を見た後、息苦しくなると語ってくれた。
かく言うわたしも、このブログを建てるまでは同じようなものだった。家族から「下罪人」とまでは行かなくても、それに類するまなざしで見られていた。自己否定意識も今よりも強かった。
ブログをはじめてからというもの、いろんな人たちとのコメント・トラックバック・メールのやりとりによって、少しずつ自己肯定できるようになってきた。いいかえれば、「フリーター=下罪人」という意識が抜けてきたのだ。
その後、ブログを充実させようと、関連サイトを見たり、本を読んだりしはじめた。すると、自分がいかにアルバイトとか下積み労働への偏見でこりかたまっていたか、明らかになってくる。なぜこれまで根拠もなく自分の仕事や職場や同僚を恥じてきたのか。これまで自分が働いた会社や仕事内容を見くびる者がいるとすれば、半分は自分の幻想ではなかったか。そして、真に恥ずべきは、荷物を運ぶことや、ウエイトレスや、チラシを配ることをばかにする考えだ。さらにおかしいのは、そうしたことを公然と語ることではないのか。

テレホン・アポインター、外回りの営業、宛名書きの事務補助、ベルトコンベアを使った作業、冷暖房のない倉庫内作業、あちこちを巡回するディスカウント・ストアの会社、ひたすら服をたたみ値札をつけお客をほめるサーヴィス業……。
それらは、みなひけらかさなくても恥ずかしがることのない仕事なのだ。小さくても立派に人様のお役に立っている。それをいけないとか、ダメだとか、ましてや前世で悪いことをやったからなどと考えるのは、ばかげている。
これからも、そういったことを前提にアルバイトを過小評価し侮辱する情報にはできるかぎり抵抗してゆきたい。わたしたちは下罪人ではないのだから。


<2006/2/1付記>






これってニート? それって悪い?

2006-01-01 22:46:25 | 歴史
(これはさんへのレス兼トラックバックです)

すなふきんさんがコメント欄で問題提起をしてくださった。それへの答えにならなくても、ヒントになるものを記事として書いておく。

以前コメント欄で、派遣・アルバイトは、都会の中の出稼ぎ労働者と言いかえられるとわたしは言いました。経済的に一部を除いて衰退し、疲弊する都市の中で、ひとつの会社だけでは食べられない。なので派遣やアルバイトに出かける。そこには、自営業や土方、サラリーマン、OL,主婦などいろいろな職業で食い詰めたり食い詰めかけたりしている人々が集まってくる。

そこで、何らかの事情で働いていない/働けないと一括して「ニート」と呼ばれる。そこには悪者を責めるようなニュアンスがこもっている。だけど、働かないことがひとくくりに悪だと言えるのだろうか。今の経済について何かよいことをやろうとしすぎるあまり、あせって、冷静な判断を失ってはいないだろうか。

「わたしはこの臨時工労働組合の活動家たちと何回か会って話しあううちに、かれらの多くが自動車工場の経験があることを知って驚かされた。それは、自動車産業が、いかにこれら浮遊労働者に依存し、かれらの若い労働力を使いすててきたかを物語っているし、さらにまた、相対的に高い賃金で狩り集められてきたとしても、いちどはたらけば、たいがいの労働者たちはもうコリゴリになってしまうことをも証明していた。(鎌田慧 「ドキュメント 追われゆく労働者」 第四章 巣篭り pp97)」

派遣会社は現在の〝人夫だし〟会社だと言えば、いま30代のわたしよりも少し上の世代の人たちにはイメージしやすいだろうか。
派遣ということでこれまでわたしは荷物はこびや半導体の検査、焼肉の鉄板洗い、それにただチラシを何枚か集めて所定の位置に持ってゆく、機械に従ってチケットを封入するといった職場で働いた。
そこでは、あまりにも単調でつらく、なおかつ身体破壊的な労働がアルバイトや派遣に押しつけられていた。おどろいて、1日や2日で仕事をやめる人がほとんどだった。ある職場では一ヶ月勤務しつづけたわたしは、例外的な忍耐力の持ち主だったそうだ。

「『どうですか、出稼ぎに行かないで家にいる気分はどんなもんですか』
『いいもんだ』西成さんはそう簡単にこたえた。わたしたちは炬燵に入ってはなしあった。『奥さんはどうですか』彼女も短く『安心できる』とこたえた。西成さんは二町五反の田んぼと、それにりんご畑を三反歩ほどもち、この村でもっとも大きな農家なのである。だから、7年間つづけてきた出稼ぎを、ことし休んだとしても、それほど生活にはひびかないそうである。むしろこれを機会に、ゆっくり農業について考えているようなふうだった。さいきん6頭ほどの肉牛の飼育も始めたという。『出稼ぎしないで、こうして炬燵にあたっているほうがいい』かれは奥さんのこたえにつづいてそういった。
『出稼ぎでいちばん悪いことは何ですか』
『バカになることだな』
わたしは、たちどころにかえってきた、この言葉の確信ある響きに感嘆した。それは、ながい間考えてきた結論であることを感じさせた。『バカになるって、どういうことですか』わたしは膝をのりだしてきいた。
 西成さんは言うのである。出稼ぎに出ると百姓のことを考えなくなる。毎年、何の努力もしないで、同じことをくりかえすだけになる。春さき、家にかえってくると農作業が待っているので、そのときは気がはってやるが、田植えがすんで一段落すると拍子抜けして病気がちになる。そのあとはもう、新しい経営についての意欲が湧かなくなってしまう。(中略)出稼ぎに行くときには農業の本を持っていってても、むこうで読むのは週刊誌のマンガばかりなのさ、西成さんはそう苦笑するのだった。(同上書 第一章ジプシー工場 PP24-26)」

アルバイト、特に派遣労働に行くと、疲れ果てて本も読めない時期があった。勉強するぞと思って、電車の中やわずかの休憩時間に目を通そうとして、英語やスペイン語の本をバッグに入れておく。
しかし、だんだんと集中して読めなくなってしまう。仕事をやっていれば、とても本など読めない。また、軽い雑誌以外の本格的な本らしい本を持ってゆくことは、それだけで周りから白い目で見られる。一度、派遣でつとめることになった工場の休憩時間に、サル学の本を読んでいたら、まるで犯罪者でも眺めるような視線で正社員からにらまれ、萎縮してしまったこともあった。
どうやら組織は、上のほうの1%とか1割の例外以外は、おろかであることを求めるようだ。一般の正社員でもそれを求められる。アルバイト、女性といった条件が重ねれば、なおさらである。
それはほとんど、愚鈍労働といっていいような、身分が下のものに割り振られるシャドウ・ワークであり、アンペイド・ワークなのだ。人間性・創造性を破壊する、サディステイックでアビューシブな労働である。その役割をこなさなかったり、表立って違和感を表明こと、組織不適応とされる。
 そこにハマってしまうともう、将来のことも、もうすぐやってくる公共料金の支払いのことも、ファッションというよりも最低限の身づくろいのことも、考えられない。風呂に入ることも、一日3食食べることも、歯をみがくことも、友人との待ち合わせも、脳裏から消えてしまう。初対面の人の名前を失礼にも忘れてしまい、何度もたずねかえして不快にさせてしまうこともあった。なんと、自分の名前を打ちまちがえてメールをしてしまい、知人から「ワタリさん、ものすごく疲れているみたい。休んだほうがいい。」と強く忠告されたこともあるほどだ。
 ただし、会社が求めるのはそうして組織に埋没して自我を破壊された労働力なのだ。ヘンにNGOの会議や、動物学の好きなアルバイターどうしでラテン語(原生動物の学名に使われる)のまじった会話を楽しむことや、ましてや会社への批判を語り合うことなど、論外なのである。
 このへんの事情を、フリーターやニートの「やる気のなさ」や「自信過剰」や「無知」をまことしやかに語る「識者」たちは認識しているのだろうか? 日本国憲法も、労働基準法やILOの条約も、現場においては「絵に描いたモチ」だというのに。
 鎌田さんの上記の本は、1976年に日本評論社により「逃げる民ーー出稼ぎ労働者」として上梓されたものを、ちくま文庫に再収録したものである。もし、70年代にニート談義がさかんであれば、「ここにもニートがいる! 富裕層型ニートだ!」「農村型ニートの例では~」などとマスコミやシンポジウムなどで騒がれていたのだろう。
しかし幸いなことに、まだそんな言葉もない時代だったので、西成さんは、(農業というもうひとつの職もあったとはいえ)自分を否定したり、家族から寄生虫扱いされたり、教育・訓練施設に閉じ込められずにすんだ。玄田有史のような労働経済学者から「朝早くおきて、あいさつをしましょう」「もっといいかげんなほうがいい」「かたく考えてばかりいないで合コンでもやろう」といった失礼でばかげた指導(実態は恥辱?)を受けずにすんだ。
 ニート、ニートと騒ぐ人々、それにマスメディアは、どうにかしている。視聴率のためか、予算のためか、スキャンダル集団をでっちあげる新手の「やらせ」なのか。

「今回、わたしが経験した職場の仲間の多くは(中略)能力以下の仕事を押しつけられていた。(中略)彼らを過小評価するのをやめればすぐにでも力を発揮しはじめるに違いない。(中略)今回、さまざまな仕事を体験するなかで、そのことが否が応でもはっきりしていったのだった。(ポリー・トインビー著 椋田直子訳「ハードワークーー低賃金で働くということ」東洋経済新報社 2005 90P)

 この本の著者は、ジャーナリストの仕事を一時停止して、取材のために荷物運びやケーキづくりなど多種多様な低賃金の職につき、その様子を報告している。
 上記の指摘は、日本でアルバイターとして似たような職種を経験したわたしの観察とも一致する。たとえば、あるシンセサイザーのプロの音楽家をめざす30代初頭のアルバイターは、お弁当の箱詰めのパート労働にでかけて、いっぺんで嫌になったと語ってくれた。あの仕事はひどい、わたしの創造力を壊してしまう。ワタリさんも絶対やらないほうがいい。文章を書くとか、作曲するとかいったことをやりたいのなら、絶対に行ってはならない職場だ、と険しい表情とかたい声色でわたしに警告してくれた。
そのほか、交通調査の仕事で、タイムやニューズウィークの英語版を、辞書もたずに読みこなす20代のアルバイターもいた。彼もまた、能力以下の仕事で生活を支えようとしていた。喫茶店を経営するご夫婦も、正社員として働くOLやサラリーマンも、明らかに能力以下の仕事をこなしていた。
また、以前は正社員だったがリストラされて、ひ孫受けの派遣から関西で強い大手電気会社の子会社に出向いたある派遣アルバイターも、半導体の検査という、「誰にでもできる」仕事をしていた。それは、目の神経をやられる危険な仕事だった。
<2005/1/5付記>こんな人もいる。高校中退の20代のアルバイター。中国系3世の彼女は、仏教に関心が深い。お経やマントラも読めるし、サンスクリット語も勉強している。恵まれない父子家庭の出身者だが、アルバイターとして誠実に着実に仕事している。勤務中のブテイックでは、明るく落ち着いた人格とポップ文字(販売促進用の丸っこい手描きの文字)をうまくかくため、信頼されている。英語だけではなく中国語も学習している。この人は、ある日を境に連絡がとれなくなった。現在、行方不明だ。<2005/1/5付記>

「かなり苦しいがみなこれで耐えている。病院や学校や地方自治体で、レストランやバーや厨房で、社会がまわってゆくには欠かせない仕事をしながら、報酬はごくわずかで、世間並の暮らしをするには到底足りない。ジャーナリストとしてのわたしはレストランでの一回の食事に、ヘアカットに、ちょっとした楽しみに、こうした仕事で得る一週間分の収入以上の金をとくに考えもせずに使っていた。
 一度だけ本来の暮らしに戻って、BBCの対談番組に出演したことがあった。スタジオでくつろいで、保守党政権で大臣を歴任したケネス・クラークとの30分の対話を楽しんだ報酬は、チェスシー・アンド・ウェストミンスター病院で二週間、80時間ポーターの仕事をしたときの手取りとほぼ同じだった。目に見えない境界線をまたいで、あちらの世界に戻っただけで、時給が160倍にもなったわけだ。ジャーナリストとしてテレビに出ることと、病院の歯車を回転させつづけることの価値を正確に比較することなど不可能だが、両者の報酬にこれほどの差が有る事実を正当化することなどとてもできない。(ポリー・ウォーカー 同上書 98P)」

これは、わたしとしては、正社員、とくに総合職の人たちとつきあうときの金銭感覚の差から推論できる。その人たちが軽く買っている化粧品、ヘアカット代、ちょっとしたコーヒー代、本代、パソコンや音楽CD等に費やせるお金・・・・・・すべてがわたしにとっては別世界の出来事なのだ。そして、そのつどひとりだけ取り残されたような、つらい思いにとらわれる。

これで社会はフェア? ふざけないでよ! と言いたくなってくる。
資格も気休めというか、形骸化して久しいし、もし職業訓練をして職人になったとしても、それだけで食べられなくなったら、また派遣やパート・バイトで働くことになるだろう。
その席さえもたまたま空いていなければ、運悪く失業である。
その状態を無責任に叩き、公衆の面前で18歳以上の人間を幼児扱いして侮辱し愚弄し、教育と労働の二重のワークが人を強く自由にするだろうと予言する有識者たち。

あなたがたは、いったい誰について語っているのですか?
何もあなたがたの労働条件を大幅に引き下げろとは言わない。わたしたちに、あなたがたのせめて8割程度の給与を、保障を、最低限の社会的尊敬をくれませんか?
そうすれば税収も上がり、多くの人が消費すれば、一部の金持ちの浪費よりも着実に消費が伸び、経済も回復するでしょう。
わたしたちの給料を上げるとインフレが心配なのなら、経営者の取り分もこれ以上伸ばさないでいただきたいものです。それが嫌ならば、わたしたちが一日8時間ほど働けば自活できる給与を求めたいのです。

(2005/1/5情報を追加し、一部を読みやすく改めました。大意にちがいはありません。)


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人口調節としてのフリーター?

2005-12-25 23:14:12 | 歴史
 生態学的・進化論的に見て、ヒトには天敵がいない。それゆえに、戦争という人口調整の手法がある。こういった議論が、生物学者の一部にはある。
 ほかにも人口調整の手段がある。生活がかつかつの層を作り上げることである。
若いうちに命を落とす蓋然性が高く、再生産もかなわぬグループを作ることである。(戦争と困難グループ形成との関連性は、「フリーター(または引きこもり・ニート)に徴兵制を」という主張にも暗示されている。)
 これは、地球の生態系という全体を考慮したときに、正しい。しかし一方で人道的・宗教的には悪である。
 
 フリーターとしてのわたしは、失業者や半失業者を作ることによって人口を調整することには反対だ。人権? 人道? 利害? 何よりもそれが傲慢の罪だからだ。
 哺乳類ばなれした哺乳類としてのサル類は、樹上を生活の場とした。そこは食料が豊富で、天敵は少ない。そこで人口調整の手段としては、子ごろしや同種間の共食いを生み出した。あるいは、寄生虫にやられることでも人口調整を行っている。片や人間は、老人を捨てる姥捨てや間引き、それに戦争を作り上げた。そのほか、階級・階層・身分というものを発明し、性や人種、その他のグループによって得られる栄養や文化的な栄養とも言える教育に格差をつけ、乏しい状態の人々をつくりが得ることにしたのではないか?--これがわたしの問題提起である。

 しかし、もしそうだとしても、それにわたしは反対する。人口調整は、エマージングウイルスなどの自然発生的なやり方によって調整されねばならない。人間は、競争や闘争のほかに、協力や共生といった方向性をもっている。誰の中にも差別へ志向と平等志向の双方が存在している。あまりにも殺伐とした環境が実現すると、人権・人情・人格尊重の感情や考えが強まり、行動となって現れる。
 新型インフルエンザウイルスなどのエマージングウイルスが現れたとき、人類は治療法や予防法、拡散を防ぐための公衆衛生などを必死につきとめ、普及させるべく努力をするべきだ。そういう意味ではウイルスと闘っていいのだ。
 それでも、ワクチンや治療もおよばず、亡くなるグループも出るだろう。いたましいことだ。それでいいとか、全体のために個を犠牲にして尊いとする合理化・美化は必要ない。死んでもいいのは、そうして人間同士の助けあいが残念ながら及ばなかった不運の人々だけでいい。
 間引きは、いたしかたがないと思う。個体が危機的状態にさらされた場合、子孫繁栄よりも固体保存の法則が優先するからだ。
 姥捨てについては、よくわからない。
 しかし、生きるのが困難になるグループを政策的に作り上げて人口を調整することは許されない。
 なぜならば、人間は自然から進化してきた。天敵の少ない、食べ物の種類と量の豊富な環境みざして適応放散し、進化してきたわけだ。
 そのなかで、各種の人口調整法を編み出した。
 すべてをヒトの手によって意図的にコントロールできるとするのは、とんでもない錯覚である。いくら科学技術が進歩しても、必ず予期不能の自体は到来するだろう。そのとき、最善を尽くすべきだ。にもかかわらず、悲劇は起こるだろう。それは自然または神のなせる業である。人間は、思いあがって一部のグループの完全切捨てによる人口調節を目指してはいけない。それは、自然(神)によってのみ達成されるのである。
 仮にそれができると主張する勢力があるとすれば、偽救世主である。相手にしては破滅の元である。
 人間が、互いに似通った存在であると同時に違った存在であると信じられること。違いが決して恥辱と傲慢に二極分化しないこと。互いに助けあい支えあい、信じあって生き、信頼のなか息をひきとれること。
 ともに生きいきと存在できる世界を殺す人口調節はーーつまり切り捨てて当然のグループとしての階級・階層・身分確定の政策はーーそれゆえに間違っている。

 身分社会を作り上げたい人々は、それがみなのためになると主張するだろう。そうして人類はやっと生きてゆけると言うにちがいない。
 しかし、ヒトはヒトだけで生きていない。地震などの自然災害の破壊力は大きい。たいていの場合旧型ウイルスよりも感染性が強く、症状も強く出て、死亡率も高いエマージングウイルスは脅威である。それらが地球の人口を調節してくれる。
 そもそも、全体を優先するのならば、人類が滅びたって他の生物にとっては関係ないか好都合かもしれないではないか! 人類の特定のグループ(優位にある性・人種・身分・階層等)の利益を、人類全体の利益や地球の生命の利益だと僭称してはならない!
 もしもフリーターが地球の人口調節のためにあつらえられたグループだとしたら、それは断る。わたしたちはわたしたちの運命を決める権利がある。もし倒れるのだとしたら、貧困と恥辱と世間から忘れ去られる抹消の中ではなく、尊厳ある死ーーということは同時に尊厳ある生ーーを生きる権利がある。
 病気や、自然災害や、寿命によってあの世に行くことはいい。しかし、政策担当者の生態学的全体主義による恣意的な政策の犠牲になることだけはまっぴらごめんだ。それはまた、人間の条件の切り下げにもなる。生き残る他のグループにとっても、生は息苦しく欺まんと偽善に満ちたものになるだろう。
 なお、同じ理由によって、戦争も許されない。ヒトとヒトとの信頼関係を、人と自然との関係を必要以上に断ち切るか悪化させるからだ。フリーターやニートを直すために徴兵制?! 戦争神経症とPTSDの欲しい人は誰なのか? 精神科医か精神分析医か、仁義なき改革マニアだろうか。

 文明批評家イバン・イリイチは、ユダヤの古い話を紹介している。この世を支える7人の人がいる。ひとりが欠けるとすぐにもう一人が表れる。その7人は、自分が世界を支えていることを知らない。そのことを知るとその人は亡くなり、かわりにもう一人の世界を支える者が表れる。

 もう大丈夫と思ったころに火山の大噴火があり、突如出現した新型ウイルスがまだ抵抗力のついていない人々の死神となる。そう、大丈夫なのだ。人工的に人口を調整しようとしなくても、何かのおりに人はあの世へみまかる。人工的にすみわけを設定しなくても、人は自分にとってすみよいところへと移動する。
 政治がなしうるのは、それをさまたげないことだけではないだろうか。
 フリーターは景気の調節弁でもなければ、人口の調節弁でもない。一人一人の人格であり、人生である。わたしたちも東大やハーヴァードを出たえらいさんと同じ人間なのである。
 それが完全に信じられない世界に、わたしは住みたくない。読者はどうか? 
 偽精神医学は「拒絶的な態度が強すぎる」と説教するだろう。だが、医療はそこまで口を出すべきではない。善悪の判断、どう生き、どう死ぬかということがらの決定は本人または親しい他者の決定事項である。戦争や階層分極化といった政策に貢献するか、それともそれらに対して「拒絶的な態度」を示すのか。
 失業でうつ状態になり、洗脳まがいの情報に満ちたマスコミや戦中の内務班に似ている世間(世論?)の圧力で、精神科の門を叩いた若い人がいる。
 このとき医者はどうすべきか。軍隊をすすめるか。パキシル(抗うつ剤)づけにして化学的にいじるのか。カウンセリングで心をいじるのか。それとも、職場の問題や人口調整の歴史と方法について対話により解釈ーー唐詩では心の苦しみをとりさることの意ーーをするのか。
 世間はどの立場を支持するのか。

 わたしたちの運命を、特定のグループの手に渡してはいけない!

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フリーターって新しい職?

2004-08-14 17:46:59 | 歴史
 
 いいえ、違います。何でも新しくなければならない、という強迫観念に満ちたネオコンの潮流が、古いものをも「新しい」としているいい例です。
 フリーターには歴史・伝統の中に先人がいます。
ひとつは古代ギリシャのデーミオエルゴーイ。国民のために働く者たちという意味です。
使者、巫女、職人、医師などがそうです。彼(女)らは、ホメロスの時代までは尊敬され、社会的な地位も高かったのです。(杉浦芳美「よい仕事の思想ーー新しい仕事倫理のためにーー」中公新書1997)
 日本でも渡りの奉公人がいました。江戸時代になって、譜代の大名が重宝されるようになるまでは、主君と短期雇用契約を結び、各国を渡り歩いていたのです。(桜井進「江戸のノイズ」NHKブックス2000)
 そのほか渡りの職人や芸人たちもいました。彼(女)らはかつて「道々の輩」とも呼ばれていました。。「人生は琴の弦のように」http://www.asahi-net.or.jp/~JK9T-OOYM/review1/jinseiko.htmとか「西便制~風の丘を越えて~」http://www.uplink.co.jp/dvd/uld/uld046.htmlといったアジア映画には、かつての渡りの芸人とムラ共同体のありようが描かれています。また、「長崎ぶらぶら節」では、近世より定住を強いられた娼妓・芸人が、再び古曲を求めて各地をたずね歩く「先祖がえり」が描かれており、興味深いことです。
なお、チャン・イー・モー監督「初恋の来た道」http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005M942/qid=1098364739/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/250-9368926-0698610 には、山村に瀬戸物を修理する職人が徒歩にて訪れ、壊れた瀬戸物を修繕するシ-ンが描かれています。
 
 生態人類学者の須田一弘は、半島マレーシアの東海岸にある半農半漁の小さな村ゴンバライの若者たちについて、日本の高度成長期との違いを指摘している。(以下の「」内は要約)
 「若者たちは半年~一年の期間契約の、不安定な雇用だ。しかし、契約期間満了を待たずに転職するものが多い。その理由は給料や親方への不満のほかに、礼拝の時間が確保できないということもある。次の職が決まるまではカンポン(村)に帰って、漁業や畑仕事など親の仕事を手伝ってすごす。若者たちは、転職を繰り返すように見えて、実はしっかり故郷とつながっている。」(エコソフィア編集委員会編 民族自然誌研究会発行 エコソフィア第5号 昭和堂 2000.5:61)

 
 人類生態学者の安高 雄二は、パプア・ニューギニアのアドラルティ諸島の半農半漁の村人について以下のような報告をしている。
「漁労民と比較すると、用いる漁法の種類や魚に関する知識などは豊富でないかもしれない。(中略)しかし、焼畑農耕というおもな正業があるからじし、既存の、そして周りの漁労形態や文化によって規制されず、楽しみや遊びの延長線上にある生業活動として漁労をとらえ、比較的自由な発想のもとに漁を行っていると感じられる。」(エコソフィア編集委員会 エコソフィア第6号 昭和堂 2000.11:58-59Pより要約)
 
 近年まで、技術を持って複数の会社や工場を渡る職人もいました。東京なら大田区、大阪では東大阪にたくさんいます。(小関智弘「仕事が人をつくる」岩波新書2001)
 
 マクドナルド解体で有名な農民にして反グローバル活動家ジョゼ・ボヴェは、次のようなことを言っています。(「地球は売り物じゃない! --ジャンク・フードと闘う農民たちーー」紀伊国屋書店2001 159P)

 「フランスでは高度成長期までは、専業農家は少なかった。農民は休耕期には、サラリーマンとか気のおもちゃづくりとかをして生活をしていた。(趣旨を著者が要約)」
 
 琵琶湖の猟師の戸田直弘は、「昔は琵琶湖では反農半漁で暮らす家庭が多かったんです。」と語る。(「わたし琵琶湖の漁師です」光文社新書2002 92P)

民俗学者の宮本常一は、古典「忘れられた日本人」のなかで、あちこちを渡る職業の聞き語りを描いた。「土佐源氏」ではムラ共同体の人並みから外れたがえゆえに、牛を売買する仕事で各地を渡ることになった男性のナラティブが収められている。また「世間師」においては、日本各地と朝鮮半島の釜山で仕事をした大工の語りが書かれている。(宮本常一「忘れられた日本人」岩波文庫1984-1997 PP131-158、PP214-273)

民芸運動で有名な柳 宗悦は、「手仕事の日本」(岩波文庫1985,2002:30-31)のなかで、商売人よりも半農半工の職人が作った昔ながらの手作りの品のなかに美しいよい品が多いと指摘している。

歴史研究者の網野善彦は、日本の中世に各地を遍歴した人々のことを一般向け啓蒙書で繰り返しとりあげている。(例えば網野善彦「日本中世の百姓と遍歴民」平凡社ライブラリー2003 PP258-292)

「増補 アリラン峠の旅人たちーー聞き書き 朝鮮民衆の世界」によれば、旅の商人、男寺党(ナムサダン)、鍛冶屋が一家で市から市へ渡ることなどが記されている。(安宇植編訳「アリラン峠の旅人たち」平凡社ライブラリー1章、4章、12章 1994)

ほかにもアメリカにも巡回職人というのがいたり、ヨーロッパにも遍歴職人がいたりするのですが、例示しているとキリがないので割愛します。

つまり、一人一業制度というのはごく近年のものだ、ということです。
そもそも、終身雇用といえども全雇用者の約1/3にすぎない大卒の健常な日本人男性でホワイトカラーにしか関係なかったのです。結婚しただけでリストラされた女性たち、その後の就業がパートという半失業/部分就業でしかなかった隠れた失業者たちのことを見逃さないでください。「出向」のために子会社にとばされた人のことも思い出してください。80年代に造船業の不況のために人員整理が行われたことは記憶にありませんか?
終身雇用幻想など思い半ばにすぎるでしょう。

 タイ映画の「忘れな草」では、各地をわたる商人が、素朴な村娘を誘惑し、妊娠がわかると逃げる役として出てきます。
 11月にNHKの芸能花舞台という番組で紹介された、竹屋夢二にモチーフをとった舞踊では、渡り奉公人の女が勤め先の若旦那と「一夜の逢瀬でひきさかれ」たとナレーションが入ります。
 
 保田 與重郎はこう記述しています。「芸能の詩人と共にすでに芸術家になっていた社寺の神官の旅行など、今では文芸史上の事実としても考える必要があろう。(中略)芸能家たちの旅行は、充分に詩人の志を伝えて国家意識の育成にはるかに民衆的な役割を果たしていたのである。(『近代の超克』新学社2002 10P)」

いったいいつから、渡りの人びとの地位が低下したのでしょう? それはどうして起こったのでしょう?

<2005.>
 

(NOW BUILDING)