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フリーターが語る渡り奉公人事情

ターミネイターにならないために--フリーターの本当の姿を知ってください!

窮鳥、懐に入れば猟師も撃たず。されどサヨクは…ある人へのメール

2007-11-11 17:20:34 | 現状
最近、赤木智弘さんの議論をきっかけに、昔の知り合いと連絡をとった。
彼はいわゆる平和とか左翼とかいわれる世界の人である。
ただし、彼はメールのなかでわたしに道徳的説教をすることはなかった。
30代半ばで日雇い・派遣であることは告げたものの、それについてあてこすったり、なじったり、嫌みを言ったりしてこなかったのだ。
彼はとても上品な人だ。残念なことに、平和系のなかにこういった人は、経験的に言ってめったにいない。特に上の世代では珍しい。

相手の名前と自分の本名は伏せたうえで、そのメールの自分が書いた部分のみを転載する。
点線以下、転載。

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Aさま

お返事、ありがとうございます。
返事が遅れて申し訳ありません。

いきなりややこしいことをお願いしてしまい、すみません。

いつ亡くなっても仕方ないなあと思いつつ、生きていたらいろいろできることもあるだろうなと考えています。
 
なお、自分が日雇い・派遣をやっているにもかかわらず、道徳的お説教をされなかったのは、ありがたいです。
経験的に言って、平和を唱えるリベラル・左翼・フリースクーラーたちは、懐に舞い込んだ弱った鳥に銃をぶっ放すような反応ばかりです。説教ゼロだったのはAさんがのほか、ハラナ・タカマサさんやkuriyamakoujiさんなどごく少数です。
「(派遣ではピンハネがある、労働基準法無視であるなどの)知識がないからフリーターになる(だからお前が悪い)」「日雇いのフリーターは仕事に対して責任感がない」「グッドウィルユニオンに入りたいというのは、堕落した物質主義だ。精神的価値を尊重していない。腐っている。」「(心身ともにぼろぼろになっているのに)いっしょうけんめい働く気がない」「甘えるな、ふざけるな、逃げるな」「もっと消費しろ(←吉本隆明かぶれの平和主義者)」「人間関係をよくしない(から使い捨てになる)」「(幼児的)万能感が強すぎる(ので正社員になれないでいる)」……。
この種の平和主義者風の攻撃的言辞がなかったことを意外に思うほどに、平和主義者らの非正規雇用者や就職氷河期世代に対する憎しみと見下し意識は激しいのです。
以前、イラク反戦のグループにいたのですが、失業者や半失業者らに対するいじめ・いやがらせのすごさと殺伐とした雰囲気に驚き、グループをやめたこともありました。

世の平和主義とか左翼とかいう人たちが、Aさんみたいに弱った鳥に銃を向けられない人が大勢だったなら、「希望は、平和」となるでしょう。
だけど残念ながら、どうやら大半の平和主義とか左翼やリベラルの人たちは
、懐に舞い込んだ鳥を殺そうとするような人たちみたいです。わたしたちの世代または階層は、それゆえに辛酸をなめているのです。

赤木智弘さんの結婚や家制度への過剰なこだわりには賛成していませんが、
わたしたち就職氷河期世代、ブラック企業経験者、日雇い・派遣等プレカリアートの窮状を軽視できないところまで平和・左翼・リベラルの勢力を追い込んだのは、彼の功績です。その点においてのみ、自分は赤木さんを支持します。

今日はこのへんで失礼します。お元気で。

ワタリ

トラックバック用URL:希望は戦争? 丸山真男をひっぱたきたい~Returns

飲水権の侵害!ーー(転載)日雇い・派遣の真実より

2007-11-09 16:26:04 | 現状
mixiに「日雇い・派遣の真実」というコミュがあります。
そこへの「ブラック企業としての日雇い・派遣」のトピックスに、次の投稿がありました。派遣社員の水を飲む権利を侵害する会社ーー特に現場の正社員ーーの告発です。これでは、「若者を見殺しにする国」というタイトルの本が売れるわけだ。赤木智弘「若者を見殺しにする国」装丁
投稿者の了承を得たうえで、転載します。

点線以下、転載。
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2007年11月04日 04:28
imiないdas
私以前に、日雇いのバイトをしていたのですが、マジで最悪でした
はじめての現場だったので、仕事がわからなくやり方を聞いたら、にらみつけて‘舌打ち’をし「テメェーふざけんなよ」と怒鳴って言ってきて全く仕事を教えてくれませんでした。
その現場は真夏の炎天下での外の作業で、12時間休憩なし、おまけに水も飲ませてくれなく、熱中症で倒れそうになり何度か意識をなくしました。
派遣には飲ませてくれなく、現場の正社員だけが、ガブガブと水を飲んでいる姿を見た時はマジで腹が立ちました
それ以降、ほかの派遣仲間には、「その現場だけは絶対やめときな」と伝えています。
なんというか、派遣というのは正社員から見たら、ただの使い捨てのコマにしかみえないてないと思います。
私が思うに、派遣の会社があるかぎり、フリータ・ニートが減ることはないです。

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今更、ワタリからコメントすることもないように思う。

最近ではマスコミの報道でもやっと、「格差」とか「日雇い派遣」とかいうことが当たり前にとりあげられるようになった。
ネットを通じたネットワークによって、こうした情報も表出しやすく、共有もしやすくなってきた。
少しずつ状況がよくなりつつあるのだと信じたい。
じっさい、自分のところにも全国紙の記者から2件取材もやってきた。十年遅れでも十五年遅れても、取材ゼロよりも取材のあるほうがマシにきまっている。
また、世の中がよくなっていくように、言論を出してゆきたい。

トラックバック用URL: http://d.hatena.ne.jp/t-akagi/20071109
http://d.hatena.ne.jp/watanabe9105/20070801

反・反貧困運動

2007-10-14 00:17:58 | 現状
「ヘレナ・ノーネンバーグ=ホッジの話によると、1975年に彼女がはじめてラダクを訪れたことには、その地には貧困という観念がほとんど存在していなかったのに、『いまでは、その地方の言葉の一部になっている』という。8年ほど前に辺鄙な村を訪ねたヘレンは、一人の青年に『村で一番貧しい家はどこか』と尋ねた。そのときには、『この村に貧乏な家はありません』という誇らしげな答えが帰ってきた。ところが、最近、そのラダク人が、アメリカ人観光客を相手にこう言っていたというのである。『あなた方の援助が得られるといいんですが。なにしろ、この村は本当に貧しいものですから』」(ウォルフガング・ザックス編 ヴォルフガング・ザックス、グスタボ・エステバ、C・ダグラス・ラミス、マリアンネ・グロネマイアー、ジェラルド・ベルトぅー、イヴァン・イリッチ、マジッド・ラーネマ、アルトゥーロ・エスコバル、バーバラ・ドゥーデン、ジャン・ロベール、ホセ・マリア・スベルト、ヴァンダナ・シヴァ、クロード・アルヴァレス、ハリー・クリーヴァー、セルジュ・ラトゥーシュ、アシス・ナンディ、オットー・ウルーリッヒ著 『脱開発の時代ーー現代社会を解読するキイワード辞典』227P マジット・ラーネマの「貧困」の章より 晶文社1996)

何が貧乏や貧困なのか? 
反貧困運動側は、国際的に貧乏はOK、だけど貧困はあってはならないものだとコンセンサスができていると主張する。

しかし、前述したラーネマの記載によると、ペルシャ語では何らかの意味で『貧しい』という印象を与える人々を形容する語は30以上ある。アフリカでは少なくとも3-5語が使われている。旧約聖書にはそれに担当する単語が8つ、中世ラテン語においては40語を超すという。
貧しい者を救おうとする専門家社会のなかでは、国際的に貧困はあってはならないのだろう。
しかし外のコミュニティに目を向けてみれば、決して貧困が単一の概念でもなければ、絶対悪でもないことは理解できる。

第三世界では、開発独裁という形で、国民を貧困から救うためと称して言論・表現の自由がないことに象徴される圧政がしかれることがある。また、そういった国の場合、金・ダイヤ・鉱物・石油・ダム・水など、人々の日常生活から離れた産業が盛んになる。
そうなると、貧富の差が大きく、経済学で言う「オランダ病」になる。(この辺の話は、videonews.comにメコン・ウォッチ
の松本さんが出演したときにも話されているhttp://www.videonews.com/on-demand/181190/000286.php

もっと詳しくこれからのエントリーでつめていく予定だけれど、経験的に言って反貧困運動が、文化多様性を無視した、貧困者にさらなる苦痛・屈辱・混乱を与える運動になるであろうと今から予測される。
今の日本で反貧困運動に反旗をひるがえすことは、貧乏人を救済しない冷たい人、格差社会の現場から目を背ける「認知のゆがみ」などと言われるだろう。
しかしそれでも、100人の会議場で99人が貧困への戦争に賛成票を投じるとき、たった一人であってもそれに反対票を入れる人間も必要だ。
わたしならそうする。貧困への戦争は、結果として貧困層への戦争になると予想しているから。
専門家だけの国際性を疑うから。

それから、わたしの選択と実存のためにも。
かつて進路に悩んだ十代のころ、わたしは一生学校に行かない人生を歩もうと誓った。
その理由はたくさんある。
学校や大学のルールやシステムに賛成できないということ。自分にあった学校なり大学に行く道を家の保守性や女性差別により阻まれたこと。そのほか、そこそこは豊かな国または家のメンバーとしての謙譲の美徳もあった。
そのころわたしは親の年収が少しは高い中流の暮らしをしていた。
そこには金やモノやサーヴィスはあっても、精神が貧しいと日々の暮らしより感じた。
また、脱学校論や再生産論の独学を通じて、学校や大学に行けるのはぜいたくなのだと知っていた。
だったら、自分ひとりが大学進学をやめたって、社会的にはいいことじゃないか。
だって、そうすれば自分の家よりももっと貧しい家の子も学校に進学できるのだったら。
自分は学校も大学もあわないし、賛成できない。だったら、個人的にも社会的にもいいことじゃないか。
そういう考えがあった。
それを「甘い」と人は非難する。家族や友人も含めて。でもそれがわたしなんだから、仕方がない。
貧しくても言いから、一生をフリースクーラーとして送りたい。死んだあとには、遺骨は十代のころに行きたいのに親による子どもの人権侵害によって行かせてもらえなかったアメリカのふたつのフリースクール(The Freeschool ,Meeting school)に散骨してもらいたい。そう思った。
30代になった今も、考えは変わらない。
そのわたし個人の人生をも、反貧困運動はおとしめている。ただのかわいそうな無知な低学歴として「救済」しようとする。
それは、自分に取ってたいへんな苦痛であり、侮辱であり、彼ら・彼女らの精神的・主体的貧しさの表現に見える。元国立大学となって公共性フリーになりつつある東京大学の教育社会学のとある一派が攻撃を強めている「自律的な学ぶ力」の大切さを今ほど強く感じるときはない。





暑さと貧乏人

2007-09-10 10:56:14 | 現状
まだまだ残暑の残る季節、いかがお過ごしですか。

貧乏人にとって、暑さは大変だ。
以前、一日5社~7社も会社めぐりをしていたころは、アトピー対策もかねて日焼け止め乳液をペタペタと顔や体にぬっておいた。日焼けの痛さはこれで和らぐ。
スーツの上のは帽子とサングラスをかけ、会社の建物に近づく前に取り外してバッグに入れる。それに、手のひらサイズのスプレータイプの霧吹きを持参。時折、自分の体に「打ち水」をしていた。日傘は高いため、買えない。皮膚科の医者は、日傘もさしたほうがいいとすすめるが、以上の理由によりムリだ。
一日何本もミネラルウォーターや爽健美茶を飲んでいた。

クーラーや扇風機が買えない、またはあったとしても修理したりしにくいのも悩みのタネだ。
素人の乱の松本哉さんが、貧乏人には家賃をタダにしろと訴えていらっしゃる。そこからの連想で、年収200万未満の層には、冷暖房代だけでもタダにしてほしいと思ってしまう。あるいは冷暖房補助という制度でも作るか。




先入見からいかに自由になるか

2007-09-05 18:16:38 | 現状
取材中に気づいたこと

自分はブロガーとして、仕事について取材することもあるし取材されることもある。
その途中、気にかかるのは、仕事に関する先入見・偏見だ。

「男性の仕事はハードだが、女性ならソフトで気安い。」
「正社員の待遇は御の字だが、派遣・バイトは悲惨(地獄)だ。」
「非正規雇用はいじめられやすい」
「大企業はだいたい法律違反をやらない。それに比して、中小企業はいいかげんだ。」

こういう話、あるいはそれを前提としたことを、被取材者からも取材者からも聞区場合がある。
だいたいは、TVなどマスコミでよく報道されるセリフ、家族や同僚との日常会話でよく言われていることなどがニュースソースとなっている。

「当たり前」を疑う

そんな場合、その場では「うん、うん」「なるほどね」などと流してしまうものの、後から「ちょっと待てよ。ホンマにそう言えるのか? どんな経験に即して? 統計データはあるの? その統計の取り方は?」などと疑問に思うことがある。
中には、本人の語った労働経験と、そういった通説風コメントが、見事に食い違っていることさえある。

見えてきた多様性

派遣で働く女性に取材を申し込む際、「今、雇用とか労働の問題について、いろんな人から話を聞いてまわっているんです。」と告げると、相手はキョトンとした顔をしていた。
彼女自身が働いている派遣の仕事の中に、何か仕事とか雇用に関する問題などないと信じて疑わないような様子だった。それは不思議で、新鮮な反応だった。

時間の関係もあり、その方からは詳しい話を聞いていない。ただ、派遣というのを労働問題だと意識していない人もいるということは理解できた。

これはどういうことだろうか? 派遣の会社が給料もよく、きちんと社会保障に入れて、何の問題もないのだろうか。
それとも、女性は問題だらけの職場環境でも当たり前で、いい家に嫁に行けば、たとえ無給労働であっても食うには困らないという考えなのだろうか。
それとも、職場の問題というものを考える言葉・枠組みから遠ざけられた結果なのか。

詳しいことは彼女に話をうかがわなければわからない。
ただ、相手が派遣だから不幸だとか、アルバイトだからかわいそうだとかいった先入観・偏見を疑いながら取材をしていきたい。
そうでなければ、重要な事実を見落としたり、相手に対して失礼になったりすることもあるからだ。

失敗より学ぶ

ある記者から取材を受けた折、自分の派遣の経験について、思う存分話せなかったことがある。相手が「女性の労働は軽い」という半ば正当だが半ば違う先入見を持っており、わたしもその通説に流されたからだ。
そう当たり前の顔をして質問を向けられると、相手の期待・予想しないことまで言っては相手に悪いのでは? とか特殊な自分の経験・主観にすぎないのでは? などという考えが脳裏をよぎってしまった。
特にしっかりした優秀そうな記者さんにそうおっしゃられると、自分がすごく恥ずかしく思えて、ついついそんな答えに流れてしまった。
そんなときにまでお人よしにならずに、職場でしんどかったことやつらかったことを正直に勇気をもって言えばよかったと悔やまれる。例えば、男性の労働とは異質の退屈さや神経を使うこと、会社によっては女性従業員だけが便所掃除もやらされるのに給与・保障が低いことなどももっとはっきり言ってもよかったと反省しても、後の祭りである。
そこにはさらに、「日雇い・派遣の経験者以外に何を言っても仕方がない」「マスコミの人には分かってもらえない(はず)」とする私自身の偏見・先入見も潜んでいた。

その先入見が事実であるかどうかは、分からない。
〈2007.910追記〉大企業だって労基法違反しているかもしれない。〈2007.910追記〉

もしも今は少数派であるとしても、そのデータをはずして考えを示すかどうかは、議論の余地がある。(多分どちらとも正解なのだろう。)
また、仮に今では少数派だとしても、十年後・十五年後には多数派に変わる可能性もある。ならば、もう少しつっこんだり、別の角度から質問をしたり、答えたりしたほうがいいのである。もっと詳しく・細かく調べるべきなのだ。

完璧主義ではなく

人が通説や根拠のない先入見から自由になることは難しい。難しいからこそ、「自明の原理」からの自由にあこがれる。そのために人はいろんなことをやる。科学かもしれないし、ジャーナリズムかもしれない。瞑想もあればブログもある。旅行なもひとつの方法になる。

話しを元に戻そう。
特に、彼または彼女自身がブログを立てたり、研究者やジャーナリストなどのオブザーバー以外の被取材者に先入観かの自由を求めることは、厚かましいお願いになる。当然、言いにくい。〈2007.910追記〉それでも、相手にお願いするしかない。〈2007.910追記〉

少しずつでもいい。不確かな先入から距離をおいて取材をしたり、取材されたりしていきたい。
それは永遠に終わらない試みになるかもしれない。それならそれで、完全主義にならなくてもいい。絶対的ではなく相対的にでもいい。たった1ミリづつでも、いわれなき先入観から自由になるべく、試行錯誤をしていきたい。

















反貧困運動@大阪

2007-08-25 22:34:28 | 現状
大阪で、野宿者・活動家への排除が行われました。これは大阪府警によるものです。

http://kamapat.seesaa.net/article/52668313.html

関東のほうでは、ある弁護士による呼びかけによって、反貧困運動が起こされています。これは、人権派弁護士によるものです。

中流のくらしをスタンダードとし、そこからの逸脱を「あってはならない」ものとする価値感において、両者は共通しています。
まあ、行政とか人権派弁護士の考えそうなことではあります。
こうした集団は、決して反六本木ヒルズ運動とか、貧困者の地位向上運動などという運動を起こすはずはない。それを無視するか、非難しつぶすかどちらかでしょう。


これらの貧困者の尊厳を尊重しない運動、貧困者の存在そのものを否認する運動に抵抗していきたいと考えるものであります。貧困者を尊重し、必ずしも貧困を道徳的な悪とみなさないで活動している人たちを、この種の反貧困活動家らは憎んでいます。

(実は東京の弁護士が提唱している反貧困運動には、わたしの所属しているグッドウィルユニオンも関わっています。それでも、個人として、貧困の価値を引き下げる排除的な運動には反対していきたいのです。
それは運動の主催者が大阪府警であっても人権派弁護士であっても、変わりません。)



反米嫌日戦線とタカマサさんへのトラックバック

2007-08-18 20:17:01 | 現状
この記事は反米嫌日戦線「狼」(アカにサヨおなら)http://anarchist.seesaa.net/article/51516148.html「派遣労働者に広がる外国人労働者への恐怖感」へのトラックバックです。

なお経由ブログは「タカマサの気まぐれ批評」内「労働・成果の需給も、やはり『地産地消』が基本」http://tactac.blog.drecom.jp/archive/1982#BlogEntryExtend
です。

問題提起の記事をどうも。
タカマサさんのブログ経由でこちらを知りました。

社共をはじめとするサヨクが、下層の気持ち・立場・事情を分かっていない。なのに分かったフリをしてなれあってくるという点には同感です。
あの人たちは、六本木ヒルズに住むとまでいわなくとも、そこそこは金を持っています。そして、貧乏人を見下しています。
以前所属していた平和団体なんか、フリーターや失業者へのいじめがひどかったです。
そういった世代なり階層は、まったく資産もない、生活保護も年金もあてにならないグループのことは、きちんと見ていないのです。

知り合いの日雇い・派遣労働者と、もし日本で職がなくなったらどうしよう。中国に出稼ぎに行けばなんとかなるかな? そのときのために英語と中国語は勉強しておいたほうがいいねと話し合ったこともあります。

ところで、魚をナイフでさばく文化なら日本にもありますね。フィリピンと日本は同じなれずし文化圏でもあるのに、おかしいことです。
ただ、東大阪の不況期の下町に住んで、銭湯での会話も聞いている体験から言うと、やはり人間貧乏になると感覚が鈍ったりズレたりしやすくなります。そこにある種の情報操作も加わるとなおさらおかしくなってしまいます。

ただ、本国でも日本でも酷使され搾取されている人たちをこれ以上責めてどうなるのかという気もします。
国籍を超えて、市場原理主義に抵抗しなければならない。
反目しあいながらも、同じ職場の人間、ロクでもない会社の犠牲者という共通点もあるのです。
何年かいっしょに働くうちに、互いに八つ当たりしたり近親憎悪をしたりするかわりの道が出てくるという希望を捨てたくはありません。
言葉や法制度も違うところでの仕事や生活は、苦労の連続でしょう。

「きれいごと」と言われるかもしれない。
だけど、こんな状況だからこそ誰かがきれいごとを言わなければならないとも思うわけです。

どこの国・地域でも、使いすてや酷使を許さない連帯がどうすればできるでしょうか? 


なお、ハラナ・タカマサさんのおっしゃる>地産地消について。
野菜・果物のビタミンがどのくらいの時間運送されると損なわれるかなどの計算ができれば、なるべくその範囲で農産物を消費する。そのための目安が分かれば、具体的に地産地消の範囲を指定できていいと思います。

家電製品は、世界中どこでも作ったり使えたりする傾向にあるため、なんとも言えません。食料自給率だけではなく「家電製品自給率」も高める気運が世界的に高まればいいのですが。

うちの近所もどんどん地域商店街がなくなっています。零細中小商店だけではなく、中型のショッピングセンターや国内・地域レベルのチェーン店も撤退しています。
ここ十年で、駅前のTSUTAYA(レンタルCD/DVD)やミスタードーナツなども撤退しました。本屋は営業縮小です。
大阪と京都の境目に当たるところで、年々辺鄙さが増し、車のないものには生活も仕事もしずらい環境は強化されつつあります。
労働も消費も地産地消というのは、閉鎖的・偏狭な地域ナショナリズムと一線を隠しながら目指すべき地点だと思います。
そのうえで移動の自由も残すと。
今ある日本の野菜や果物も、もとをただせば海外産もあることは忘れてはいけないでしょう。
今の季節にはおいしいスイカも南アメリカ原産です。http://www.kanazawa-market.or.jp/Homepage/mame/seika_suika.html
トマトはアンデス原産。
http://www2.odn.ne.jp/shokuzai/Tomato.htm
これには、当地の創造神カアングhttp://www2.odn.ne.jp/shokuzai/Tomato.htmやビラコチャhttp://www003.upp.so-net.ne.jp/mutantesjapan/ruins/ruinstiwanaku.htmに感謝しなければならないでしょう。
美しい(?)日本の夏の風物詩も、世界との交流によって成り立っているのですから。<追記:2007.8.26>独自の文化も周囲の他の文化との交流なしには成立しえないことを忘れてはならないと思います。<追記:2007.8.26>

これからも、各地域も自給自足をしながらも互いに交流し、刺激しあい、高めあうことができれば、どれほどいいでしょう! 
そういった環境のなかでこそ、消費と労働と格差の少ない多様化が成立できるのではないでしょうか。








反貧困運動? ちょっと待って

2007-08-18 19:47:09 | 現状
反貧困運動というものが、最近起こっている。http://antipoverty07.blogspot.com/

この運動のネーミングを始めて知ったとき、違和感が走った。
どうして反貧困をやるのだろう。貧困ってそんなに悪いことか。

いったい、反貧困とは?
・貧困者の苦難を隠蔽するのも反貧困だ。
・ホームレスを公園から排除するのだって反貧困運動とも言える。
・失業者・半失業者に対して就業者が「仕事に対して無責任」「ヤル気がない」などと責めたり裁いたりするのも反貧困だ。
・「自分が悪いから日雇い派遣労働者になった」と日雇い派遣の人を、正規雇用の人間が攻め立てるのも反貧困だ。
・四国八十八箇所をめぐるお遍路さんを、落ちこぼれ・乞食と陰口をたたくのも反貧困の運動だ。
・インドの修行者を貧乏ったらしいと非難するのも反貧困だ。
・安いアパートや銭湯を取り壊して、ワンルームマンションばかり作るのも反貧困だ。

その貧困が政策的に押し付けられ、また本人たちが苦痛を感じているのなら、そこから脱却すべく個人的または社会的に努力をすることは構わないとわたしは考える。
ただし、望んだ貧困、共同体から認められる貧困(巡礼者・出家修行者など)、本人が誇りに思ったり満足できる貧困、やむをえないけれどしばらくはその状態であってもよいような貧困(道端ぐらし)、貧困層から起こってきた文化(パンク・ロック、ヒップポップ・ダンス、伝統諸宗教)などまで否定・破壊するのだとすれば、いただけない。

ひとくちに貧困といってもいろいろなものがある。
賃料200万円の六本木ミッドタウン・ヒルズに住まう人たちだけが価値があるのではない。
日雇い派遣労働者にむかって、悔しければがんばって六本木ヒルズに住めるようにしろと説教するような反貧困運動であってはならない。

実は、この反貧困運動を担っておられる方たちに取材しているわけではない。なので、その正確な目的やニュアンスなどまでは、分からない。

それでも貧困に反対するという運動の名前の付け方は、いかにも貧困者やその文化に敵対的・好戦的だ。
この運動の名前に金持ちにあこがれ、それゆえに貧乏を憎み、貧乏を罪悪視する視点を感じ、違和感と疑問を抱くのはわたしひとりだろうか?

貧乏をタブーとして恐れたり、忌避したりするところから貧乏からの自由も貧乏への自由も生まれない。
貧困を見据え、貧困であっても誇りをもって生きていけるようにすることが大事ではないだろうか。
貧困だからといって、罪悪視したり、社会的タブーとする考えがもしもないか弱いならば、ホームレスへの排除も、フリーターへの中傷も和らぐのではあるまいか。
好むと好まざるとを問わず、道端ぐらしをしなければならない状況は誰にでもある。それに対して反対するとは、ホームレスが町からいなくなるようにベンチに仕切りをつける発想と親和的である。
フリーターがいけないなら、自衛隊に入ってサマワ駐屯地に行けという政治家の発言があった。これだって、反貧困運動である。

相対的に金のある弁護士がこういう慈善をやるのは、勝手にやればいい。
しかし年収50万とか100万とか0円の人たちがそれに賛同するというのは、わたしには理解しがたい事態である。なおかつ、目の前が真っ暗になる運動である。




ユニオンに入らないわけ

2007-08-12 06:06:07 | 現状
<この記事は正社員はやめたけれどの続編です。>

Dさんはユニオンには入らないという。
その理由をたずねてみた。

Dさんが言うには、「組合に入っている活動家には力がある。知識とか…」
彼は口ごもったが、言いたいことはわたしに伝わった。
「うん、そのほか実家の経済力とか、ほかの社会運動に参加体験があるとか…。NNPOなどの社会運動には、その方面なりのスキルも人脈も要るから…。それに家族・友人の理解・協力。いつも身内と衝突していたら、やっぱり続けにくいもん」
「そう。うちは今、家業の不動産の会社が倒産して、借金かかえてんの。最近やっと半分に減った…。父親は自分が20代のときに亡くなった。まだ小さくて働けない弟もいる。妹は中卒で、不利だけどなんとかやっていますよ。」

若者は、上の世代をウザがって組合には入らないと熊沢誠さんは分析しておられる。
しかし、別の事情と理由による組合不参加もある。

たとえば、上記のDさんは一例だ。
ほかにも、生活に余裕がなさすぎる。組合の24時間参加を要請する共同体主義が、会社の仕事や家庭責任と両立できないので組合に入らない場合もあるだろう。
地域密着というのが窮屈で息苦しく、いじめの温床になるという理由による組合不参加もある。

そういった事情をかんがみて、組合に入らない若い世代を一方的にバッシングするのはいかがなものだろうか?

組合は、若い人たちが参加しやすい活動形態を新しく作り出すべきだろう。
そのためには、すべての行事に出席するのを強要しないこと、せまい地域に人を閉じ込めるような組織にしないこと、組合の中の年齢差別・家父長制を問い直すことをやっていくといいと考えるものである。

正社員はやめたけれど

2007-08-12 05:41:34 | 現状
<この記事はブラック企業の内幕の続編です。>

ブラック企業を退職したあと、妙な状態だった。
彼の母は、「今おかしくなっている。休んだほうがいい。」
と強引にDさんに休暇をとらせた。
1-2ヶ月ほど、再就職活動をしないで休養をとることにした。

その後、近所のマージャン屋でアルバイトをする。
どうせ長く続けられる職ではない。だったらいろんなことをしてみたい気持ちもあったとDさんはいう。
中小企業らしく、アットホームというかフレンドリーな感じがした。お客さんともお友達みたいな感覚になっていった。
Dさんは打つのは弱いけれど、持ち前の人当たりのよさから接客面では活躍できた。
だいたい一日14時間は働いた。
そこは14ヶ月勤めた。

次に、大手ゲーム会社の経営するゲームセンターで準社員として働く。

この準社員というのはこの会社の場合、正社員とほぼ同じ仕事をやり、給与と保障は少し少なめだという。

勤務先は、京都の目抜き通りに面した大型のゲームセンターだった。ひとつのビル全体がゲームセンターになっている。
夜遅くまで営業しており、残業は大変だった。
大きな会社のせいか?、露骨に違法行為をやることはなかったという。

その後、知識を得たいと考えた。大学でもちゃんと勉強しているヤツは違う。
そう思って、今は京都のコンピューター関係の専門学校に通ってWEBサイトづくりの学習をしている。
























ブラック企業の内幕

2007-08-12 05:28:00 | 現状
京阪神在住の20代半ばの専門学校生Dさんからお話をうかがった。

彼は、社長の家に生まれ、小学校受験も経験。全国的にも有名小学校に在籍していた。
だが、親のおしきせ・つめこみでは大して身につかなかったと言う。
90年代初頭に中部地方の私立文系大学を卒業後、関西でもトップクラスの不動産会社に就職が決まる。
そこは、インターネットで噂のブラック企業だった。

ブラック企業とは、統一した規格はないが、就職・労働等に関するサイト
でよく使われる。極端に人使いが荒い、従業員に恐怖・不安を与える、違法や違法すれすれの行為が目立つといった特徴がある。

Dさんは、そこに入って驚いた。外回りの営業をしていると、10分に一度、携帯が鳴る。ちゃんと仕事をやっているのか探りを入れられるのだ。それも、どやされて。Dさんいわく、「軍隊みたいなスゴイ会社」だった。

営業以外にも、あらゆる作業をやることになる。
初任給は40万。出来高制のため、その後上下もあり、気をゆるめることはできない。
月給を時給に直すと180円くらい。これならまだアルバイトのほうがマシだと思ったほどだったそうだ。

その会社では、正社員・アルバイトを含めて、彼が入社当時1000人いた従業員が、一年間で500人くらいにまで減ったという。一年間で約半分になるわけだ。

結局、Dさんは半年でそこの会社を辞めた。

(Dさんの話は後(↑)につづく。)















その後梅田でーー現実から学ぶ

2007-07-29 21:14:28 | 現状
あわなかったシンポジウム
大阪市立大学のプレカリアートに関する公開無料シンポジウムに参加への参加は、途中でやめることにした。
とても息苦しかったからだ。

京阪神には何もないのか

パネリストさんたちの、欧米・ならびに東京ではプレカリアートの運動がある、しかし地元大阪・京阪神では起こっていないという報告は、事実誤認だと分かった。
実際に、京都や大阪のミナミで、イラク反戦のサウンドデモが幾度か行われている。そのうち、元・教育基本法改正反対のデモでは、まるで世代×階級闘争のノリで、京都の四条通で若い世代の貧窮を訴えるデモンストレーションをやっているグループがあった。大学の学費の高さ、愛国心よりも現金がほしい、派遣に危険手当出せ。そういったメッセージのプラカードや、祭りの山車のような見世物があった。(この件については、あとでリンクを貼る予定です。)

ただし、そこはセクトがらみのカラーではあったけれど。

そういう、地元のことを無視して、先進国・先進都市の様子ばかりを報告する、上からものを言う姿勢には賛成できなかった。
まるで人を植民地にしようとしているみたいで、違和感を通り越して、疑問と反感さえ感じた。

成人の公文式?

なによりも、大勢をせまい空間につめこんで、知識や情報を吹き込んでゆくスタイルは、わたしにとって毒だ。
ちかごろ痛みがやわらいできた胃潰瘍が再び悪化したら、たまらない。
こんな、成人向けの公文式知識つめこみ教育のようなことは、やりたくない。
だいたい、プレカイアートの失業・半失業の苦しさだって、体験しないで分かるものかどうか。

自分にとっての毒
小さいころからこういうことは苦手だった。小学校、いや、自分が七歳のころ、授業が苦痛だった。それで、授業と校舎を抜け出していた。近くの里山に行って、ハトを見たり、ドングリの木や実を見たりするのが好きだった。
また、川でずっとザリガニの行動を観察していたりもした。
そういうことは、学校や家庭の憤激を買った。
生物とか理科ばかりやらないで、もっと文科とか人間のことをやれと説教された。
だけど、ずっと面従腹背だった。

同じ薬でも、DNAが違うと、効き方がまるで違う。
漢方薬は、症状だけではなく体質によって投与する種類を変える。
他の人にとってよい教育プログラムは、時折、わたしの神経を痛める毒となる。
だから、思わず吐き出してしまう。
ガマンして食べつづけると、内臓から調子が崩れてしまう。
だから、自分の身体感覚に反するサーヴィスを食べない知恵を身に着けた。
それが小さいころは登校拒否であり、今ではシンポジウム途中退席となって現れた、ということだ。

権威主義のスタイル仮にも大学の開いたシンポジウムに対して、パウロ・フレイレ流の、「対話」による教育を求めたのが、間違いだったのかもしれない。
そこでは、教える側がすべてを知り、教えられる側は何も分からないことを前提に話が組み立てられていた。それはフレイレの対話の教育の精神とは反するものだ。

さらに、ビッグイッシューからゲストによばれた篠原さんの、ダンスを踊るホームレス・グループの人たちは、自意識がなくなっているというお話も、失礼ながら眉唾だと考えた。
ホームレスといっても、自意識くらいあるのでは? あたかもすべてのホームレスが自意識がないかのように紹介してしまうのは、ちょっと言い方が違うのでは? と思ったのだ。

ホームレスに話を聞く
ホームレスなら、梅田近辺にもいくらでもいる。
直接、ホームレスの人に語りかけてみよう。
シンポジウムとは別のことも分かるかもしれない。
そう思って、片っ端からホームレスらしき人に声をかけてみた。

一人目は、梅田第二ビルの前のセンターゾーンのブロックに腰をかけている男性。ビニール袋につめこまれた食パンの耳を、一心不乱にかじっていた。
臭いからしても、ホームレスに違いない。
「あの~、どうですか? 最近景気はどうだと思いますか?」
彼はしばしこちらを眺めたあと、無言で答えた。再び袋からパンの耳を取り出し、早いスピードで食べ続ける。
せっかくの食事中にいきなり声をかけるわたしは、ただの状況の読めない通行人だった。

別の人にも話してみる。
交通整理のために、歩道の中にセンターゾーンがある。そのなかで、何かを振り切ろうとするかのように週刊マンガ雑誌を読んでいる。
足を蓮華座に組み、体を前後にゆすらせながら雑誌を読む様は、修行僧のようにも見える。
「それ、面白いですか?」
と声をかけてみる。
彼はキョトンとした表情を見せた。その後、押し黙っている。
「どうです、最近仕事はありますか?」
やはり彼はけげんそうな顔をしている。
普段、話すこともない別世界の住人。ホームレスに対するホームの側の人間。
そういう人から会話を求められたことが信じられず、またまったく無意味だ、と言わんばかりの反応に思えた。
しばらくたって、彼はもう一度雑誌に向かい、マンガの続きを読み始めた。
おそらく、久方ぶりに手に入れた娯楽情報だったのだろうか。
彼にとってもわたしの取材は、読書のジャマだったようだ。

各コミュニティがセクト化しつつある社会のなかで、別のコミュニティとの対話など、しょせん不可能だろうか?
相手が同じ人間だけに、小さいころの動植物相手のようにじっと観察してればいいというわけではない。

絵描きのホームレス

阪神と阪急の間を結ぶ陸橋を渡っているとき、大きなバッグをかかえた野宿者らしき男性を見つけた。
お菓子のかんかんのようなものの中にたいへん控えめに喜捨を求めているが、なかなか集まらないようだ。
人情の町のイメージのある大阪も、ネオコンの情報の洪水によって、すっかり自己責任論が定着してしまったようだ。

「あの、最近お仕事、何かありますか?」
と話かけてみた。
「なかなか、ないよ」
返事がかえってきた! この人とは話ができそうだ。

彼はいろんなことを話してくれた。水彩画を描いていること。そのための道具などは、ホームレス支援団体の援助を受けていること。

岡山出身で、大阪に出てきたあと、工場勤務や水商売も経験したこと。
失業して、西成(通称「釜が崎」・行政用語では「あいりん地区」)のほうのドヤ暮らしをした時期もあること。
同じくらいの値段で使えるのは知っているけれど、インターネットカゲは使わないこと。(たぶん年配の方だけに、もしお金があっても雰囲気的に入りづらいのだろう。)
日雇いの仕事のために、京都北部や神戸の六甲方面にも行ったことがあった。
そのことを、彼は印象派を思わせる筆遣いの水彩画にしていた。
それを、ちゃんとした厚紙のような紙に印刷してくれる梅田の特殊なコピー屋で印刷する。そこはコンビニみたいな薄いぴらぴらのコピーとは出来が違う。色もよりきれいに表現できるという。
そういうコピー屋もあるので、梅田を生活の拠点にしていると彼は言った。

彼は、自分の作品をちゃんと集めて保管して、大き目の旅行バッグにつめこんで持ち歩いている。
また、その人は、絵画といっしょに短歌も歌っていた。
絵とともに、ホームレスとしての人生の寂しさ・わびしさがそこには見事に表現されていた。
ヨーロッパのザルツブルグの絵は、写真をもとにイメージを絵にしたと説明してくれた。そのほか、京都や六甲の風景は、実際に仕事で行った先の記憶を絵にしたのだそうだ。
日雇いの仕事をしていると、記憶も途切れとぎれになってしまう。そこを絵と短歌がつなぎでくれていいのだと彼は言う。
梅田の歩道橋の上から見た夜景は、幻想的だった。
彼自身がもっとも気に入っているといってすすめてくれた絵は、夜の海か川を、一艘の船に一人の人間が乗っているものだった。月の夜空に、顔のぼかされた人がひとり。エンジンも何もないシンプルな小さな船は、どこへ行くのだろう。
情景のわびしさと、月の優しい光がコントラストを成すユニークな作品である。
画面のなかで、船とと人がかなりの割合をしめている。
どこにもない構図も新鮮だ。単なる名画のコピーとかカヴァーじゃないのだ。

また、別の短歌のなかで、印象ぶかいものがあった。
「夢の夢の夢」という語句が、脳裏に焼きついている。
現実を三度反転させるから、これは夢ということの遠まわしな表現だろう。(ちがっていたらごめんなさい)
近松門左衛門は、人形浄瑠璃の心中する男女の道行きの中で「一足ごとに消えてゆく。夢の夢こそあわれなり」と言った。
荘子は、蝶になった夢を見た。やがて目覚めて、わたしが蝶になった夢を見ていたのか、それとも蝶がわたしになった夢を見ているのかと問うた。
そのどちらの表現よりも深い、厳しい現実の中で彼が生きていることが、ていねいに表されていた。しんどさ、辛さ、それを超えたいという意思が伝わってくる。
その表現からは、主流文化からは現実だと認められることのない世界に住んでいるという現実が伝わってくるのではないだろうか?
現実と夢という単純な二元世界を抱けない。だからこその強い表現だと思ったが、どうだろうか?

残念ながら、彼の絵画と短歌は、携帯の写真には撮れなかった。彼は著作権を主張し、わたしはそれを尊重したからだった。そのためここでお見せできないのは残念だ。WEBに書くのなら名前もヒミツにしてくれという。
なんとか相手から「書いてもいい」と言ってもらったので、こうして書いている。

それから、彼は三角座りをして、上着でひざをおおっていた。
ズボンに大きな穴が開いて、恥ずかしい。とても女性の前では見せられる格好じゃないと、さりげなくしかも苦しげに言ってくれた。
ひざこぞうよりもふた周りほど大きな穴が開いたズボンをはいていれば、それは恥ずかしかろうと思う。

シンポジウムとのくい違い点、発見

パネリストを勤めた、ビッグイッシューの篠原さんは、「ホームレスの人は自意識がないですから」とおっしゃった。
それは、モダン・ダンスチームのホームレスが、ダンスを踊るということに関しては自意識がないというのは正しいのかもしれない。
けれど、多様なホームレスがいるなかで、ステロタイプ化してしまっては、新たな誤解・偏見を生む危険もあると思った。
「ホームレスの人は羞恥心がない。客観的にものを見れない。だからホームレスでも平気」とするホームの側の偏見につながらないでほしいと自分は願っている。

排除の中の酔い

その後、阪急電車に乗る為に移動する。その途中、別のホームレスを見つけた。
彼は片手に小さな缶ビールをつかみもち、シャツの胸の部分に大きく穴を開けていた。何かに向かって怒るような、吼えるようなパフォーマンスをしている。
相対的に恵まれた立場のもののもつ先取り不安と言えばそれまでだが、相手は男性で酔っ払っている。話しかけてトラブルになっても、夜になっても人通りの絶えない梅田だからこそ、誰も助けてくれない可能性が高そうだ。
今のわたしは夢の夢までは行けても、夢の夢の夢の世界には行けない。
しばらく躊躇したあと、その人への取材はあきらめることにした。

まとめ
梅田のホームレスの人たちには、いろんなことを指し示してもらった。
はっきり言って、シンポジウムよりもこの取材のほうが充実しており、面白かった。
こういうのは、知識中心の学校教育や大学院などでは、決して評価されないはずだ。
だけど別にかまわない。自分は興味があるから。そういう学習スタイルのほうがあっているから。
多分、学校とか大学というものは、わたしのDNAとは相性が悪いのだ。
だったら、別の学び方をすればいい。

こういった学び方をしているのは、わたしだけじゃない。
他のコミュニティでも同じ学び方を採用しているところはある。
たとえば、このあいだ、民族自然誌研究会の定例会に参加した。そおでわたしはパネリストの講義の時間は、寝ていた。

最後の一時間、会場の近くにある薬用植物園に行くツアーの段に入ると、目が覚めてシャキっとした。
そこで薬学部の人に案内してもらって、薬の原料となる木の樹皮や葉っぱをちぎってなめたり、においをかいだりしてみた。
パネリストの中で薬学の人は、アフリカのバカという狩猟・採集民族には、「これは私の薬」というものがある。それは、今日も見つけられつつある。自分で実際ににおいをかぐなどして、自分がどんな苦さを、体にいい苦さと認識できるか、その感覚を鋭敏にしたらどうかという提案があった。そういう発想による植物園ツアーだった。
夕方、蚊にさされながらも、けっこう楽しめた。

それから、実際に絵とかアニメとかWEBサイトを作ってゆく専門学校の講座。なかにはときどき講師の説明だけの講座や、事務的な連絡をするガイダンスの時間もある。
このあいだ、事務的なガイダンスに出席したときにも、こくりこくりとしていた。
なんか、自分は小さいころから、こういうことに向いている気がする。
(ま、一般教養のない専門学校に入ったものだから、かなり助かっている。
これが学校とか大学だったら、毒に当たって死んでいるかもしれない。)

大阪市立大学のシンポジウムは、自分の体に悪い苦さだったので吐き出したけれど、何が自分にとってよくないかを判断する学習だったと考えれば、悪くない経験だったと思う(ことにしたい)。
早めにそこを出たおかげで、あとで胃潰瘍がぶり返すこともなく、ホっとした。
ガマンしてあそこで知識をつめこめれていては、また激痛がやってきたかもしれない。

読者のみなさんも、自分にあった学習法を見つけられるといいですね。

以上、梅田のホームレスの現状と、ワタリ自身にあう・あわない学習の二本立てでした。
たった一種類の再生産しか認めない社会の偏狭さ、それが排除を生み出すことを考えれば、関係がないようでいて関係のある二つのテーマだったと思いますが、どうでしょうか。















笑えるか

2007-06-06 16:36:02 | 現状
店の前でフリータイムパックの広告。12時間で1980円。朝でも昼でも12時間以内ならこの料金で店内施設を利用できる。

さて、こうしたところへ追いやられる人を「子供っぽい」としてバカにする人がいる。あなたは日雇い派遣労働者と子どもの両方を侮辱しているのではないだろうか。

貧乏人ご用達

2007-06-06 16:27:32 | 現状
ナイトパック料金が、最大12時間までの制限つきで、1680円也。

粗末な宿。
銭湯と小さな路地とパパママショップと安いアパートを壊す。大きな車用道路と高いマンションを建設する。正規雇用を減らし、非正規雇用を増やす。行政は、プライバシーを保護できるホームレスのシェルターを作りたがらない。公園や駅前や大きな建物の前は、人を野宿できないようにする仕掛けがいっぱい。
そして、繁盛しているのが、ここ。