フリーターが語る渡り奉公人事情

ターミネイターにならないために--フリーターの本当の姿を知ってください!

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

日雇い派遣ワールドと一般社会

2007-03-31 14:08:41 | 現状
日雇い派遣ワールドというのは、一般社会から離れた世界である。

職場に書類がほとんどない。
たまに正社員の友人と会ったり、NPOなどの集まりにいくと、書類の山に驚くことになる。

そして、そこで働くうちに、少なくともわたしの場合は失語症とまではいかなくても、日本語の文法をスムーズに使えなくなってしまった。
「が」「は」「を」などの接続の意味・ニュアンスが分かりにくくなってしまう。意味は通じても、どこかおかしい風な言葉になってしまう。
また、まとまった分量の文章を以前のように読みこなせなくなる。たとえば一週間で読める本の数が、三分の一ほどに小さくなってしまった。

文章もとてもヘタになった。ブログをはじめてからは、別の展開があったようで、少しずつマシになってきている。しかし、以前のような「中産階級」風の「自然」でなめらかな文章はたぶんもう二度と再生産できないだろう。(この「自然」というものも、その意味がとりにくい。たぶん大学院くらいに行った年収の高めの人たちのあいだでだけ分かるニュアンスがあるのだろうか?)

正社員や総合職の友人からは、ロクでもないと言われる。
なかにはわたしのことをひきこもりだと言う人もいる。
だけど、専門学校に行こうにも先立つものがいる。
それに、お金がないので行動半径が狭くなったり、「一般」のオフィスや商店から排除されて辺鄙な郊外で、ホワイトカラーや消費文化から遠いところでもくもくと荷物を作ったり運んだりする作業をこなしていれば、自然と流行にうとくなったり、社会に無関心になる。
体もそうとう疲れているのだ。そして、食費を削り、高熱をいつとめられるかひやひやして、数ヵ月後には職があるかどうかひやひやしているのだ。
そんな余裕のない状態では、寮だけではなく、自宅や下宿であっても半分タコ部屋のようになってしまう。ものすごい閉塞感。
それを文化不適応だの、なんだのと言われても困る。
いつも誰かの指示に従うか、機械にあわせて動く。自分で考えたり、行動する人たちは、職場から追い出される。
そこで生きるために身に着けた技術を「幼稚」「退行」と言う。
違う、それは違うとわたしなら考える。
うつでぼうっとした意識のなかで、迷いながらも「やっぱりそれは違うんじゃないか」と考える。

一般社会の人たちは、日雇い派遣ワールドに理解がないと思う。それを棚に上げて、お前らは世間知らずだと言わないでほしい。
ある上の世代の女性は、フリーターは自由になる時間を求めているので正社員にはならない。それで、30代にもなると働くところがなくなって困ると言った。
全然分かっていない。20代であろうと30代であろうと、フリーターには、特に常勤バイトではない日雇い派遣のフリーターには、落ち着いて働ける職場など存在しない。
いつ仕事が消失するかわからない。人を減らして生産性を上げる方針を、人を増やして生産性をあげるように転換しないかぎり、これはどうしようもない。
また、困るのは職場の消失だけではない。給与の低さ、保障のなさ、社会的信用のなさ、社会的なバッシング……すべてが問題なのだ。
さらに、私自身も含めて、自由な時間がほしくてアルバイトをやっているのではない。正社員になりたいけれどなれなくて、仕方がなくやっているのだ。

ある管理職の上の世代の男性は、フリーターはもっと消費をしろと言った。それが国の経済のためになるというのだ。そして、そうすると、アダム・スミス流のトリクルダウン効果が起こると「予言」した。
これもめちゃくちゃな話だ。年収50万とか100万の層がどうして国のために滅私奉公しなきゃならないのだ。
消費者金融のまわしものなのか?(ちなみにこの人は独立行政法人勤務。)
だいたい、トリクルダウンによって貧乏人が豊かになれないなんて、スーザン・ジョージもステイグリッツも言っている。
むしろ、「ニッケル・アンド・ダイムド」ではその逆の効果が報告されている。つまりこうだ。たとえばウォルマートなどにつとめる薄給の従業員たちは、サーヴィスのために金持ちの近くに住まざるを得ない。そうすると、どうしても家賃の高い家に住まわざるを得なくなる、と。当然、物価についても同じことが言える。
金持ちが高いものを買い捲ると、環境面で問題であるだけではなく、こうした逆トリクルダウン効果も予測できる。なのに、どうしてそのとき失業していた年収重数万のわたしにむかって、年収1千万は稼いでいる彼はそんなことが言えたのだろう。
「研究会・職場の人権」に本田由紀さんが来られたときに配られた資料によると、統計的にも年収50万とか100万以下の人たちが、層というべき厚さをもって検出できている。
これは非常に残酷だ。そういう苦痛によって、わたしは半年も胃潰瘍が治まっていない。今は東洋医学と西洋医学の両方のクリニックに通っている。

ブログをたてて、日雇い派遣ワールドと一般社会との認識の溝が少しでもちぢまり、よき対策が建てるてられることを望むものである。(業界)もやっているのなら、うちでも」とよけい人を酷使する経営者もいるだろう。世の中どこでもそんなもの、とあきらめてしまう従業員もいるはずだ。
それでも、やはり事実は事実として広く知らせ、対策を練ることは大切だ。正社員かそうでないかを超えて、問題を解決したいと願っている人たちもいるのだから。
また、そうした情報によって、正社員と非正規雇用との間にある誤解による反目・嫌悪・侮蔑が少なくなれば、それほどうれしいことはない。
それは、自分の胃袋のためにもなるし、他の尊厳ある仕事を求める人たちのためにもなるのだから。











コメント (1)   トラックバック (3)

フリーター≒おじろく・おばさ?

2007-03-12 07:57:56 | Weblog
まず、「おじろく、おばさ」のリンクを。
http://psychodoc.eek.jp/abare/ojiroku.html

このおじろく、おばさというのは、日雇い派遣ワーカーや、同世代の失業者たちといかに似ているか。

こういう立場・役割につくと、人は「自然」にコミュニケーション能力が低くなったり、希望や欲望を抱かなくなったりすることが分かる。

もちろん時代も地域も違うので、すべて同じというわけではない。
それでも、自分も日雇い派遣ワーカーとして働いているときには、これに近い状態にあった。
仕事場では人との話はほとんどない。以前使っていた言葉を忘却する日々がただすぎてゆく。
当然、正社員の人たちにまくし立てられると、とても言い返せない。以前よりも頭の回転が鈍くなる。自分が乱雑にしか動けないロボットになったような感触がある。いわゆる「不自然」として中産階級や学校の文化では忌み嫌われる存在となる。

本田由紀は研究会職場の人権の定例会にやってきたときに、「高学歴者のほうが自然なコミュニケーションができる」と報告している。
これは、現在日本の低学歴者が、おじろく・おばさとまではいかない。だけれども、半分くらいはそれと似た生い立ちをしていたり、社会的立場をもたされているという示唆ではないかとわたしは思うのだが、読者は?

(この記事はこのあと補修工事を行います)




コメント (11)   トラックバック (1)

回想ーー日雇い派遣ワールドの人々

2007-03-11 00:34:36 | 歴史
(これはミキシーのわたしの日記からの転載です。)

最近、とある全国紙の記者さんから取材を受けた。

ちゃんと相手の質問に答えられなかったり、話題がそれたり迷惑おかけしたのでは? と後から心配になってしまった。

そのほか、20代初頭からいろいろなアルバイトを少なくとも80社以上でやってきた(主に日雇い・派遣)ことを思い起こした。

つらいこと、それに何も考えられず生き延びるために段々体力が減り、自分が心身ともに壊れていったことを思い出す。
たとえ一日とか一週間・一ヶ月とはいえ、いっしょに働いた人たちは今どうしていはるのだろう?

あるフリーターの男性は、親と折り合いが悪かった。無理を重ねて一人暮らしをしていた。そこは、歴史的に被差別部落の住む地区だった。たぶん意図的に再開発計画から外された地区だ。京阪神圏の孤島ともいうべき辺鄙で不便なところに彼は住んでいた。

交通事故の後遺症で働けなくなってしまった女性もいた。彼女の場合も家族とは疎遠だった。だから一人暮らしをしているのに、家族や親類が裕福だという理由によって役所は、生活保護の申請を却下していた。
彼女は彼氏との別居問題でもそうとう苦労をしていた。 おそらく生活苦から、互いを責めあって、別居に至ったようなところもあった。
音楽教室の教師をしている彼女は、生徒のうち貧しい子を「くさい」と言って非難
攻撃していた。やめるようにとわたしのほうから言っても、聞き入れなかった。
貧しき者の悲しさである。

生活保護だけでは生活が苦しすぎると言って、日雇いの倉庫内作業にやってきていた女性もいた。見つかって罰されたりしていないだろうか。

服装や髪型が悪いと言われて一日も働かないうちに家に帰された十代後半の女の子もいた。
親・兄弟に何て報告したのだろうか。
会社のほうが違法をやっていると今は知っていることを望む。

ああ、ほかにもずいぶんたくさんのいろいろな人たちがいた。

今はもう体力切れで放逐されたも同然だけれど、今でも荷物運びの仕事に行きたいと思うことがある。時折、とてつもなく懐かしく感じる。
冷暖房もなく、人からはさげずまれ、賃金もロクなものではなかった。腰を痛めて痛み止めを乱用せざるをえない時期もあった。
それでもいっしょに働いた人たちはみんないい人たちだった。ひたむきに生活のために一生懸命働いていた。
ホワイトカラー風の「礼儀」とか、特定の符号のようなものが分からなければ誰かをののしり排除するといった悪習はなかった。
よけいな体力があまっていないからか、陰険で悪辣ないじめの発生率も低かったように思う。

妙に事務能力が高くないためか、人をだましたり、のせたりする人も少なかった。
そのときそのときを懸命に生きていたし、働いていた。

誰が派遣会社のブラックリスト(労働者派遣法では違法)に載っているだろうか? 誰が仕事を干されているだろうか? 誰がうつになったり、自殺したりしているだろうか?

偶然、短くてもしんどい作業に従事し、不安定に耐えた人たち。疲れで崩れ落ちそうになるとき、互いに声をかけあって励ましあった誠実な人たち。体を削る仕事にそれでも勇敢に立ち向かう人たち。

まあ、中には密告なんかをするひどいやつもいたけれど。
いじめをあおっている困ったグループもいたけれど。
派閥抗争に巻き込まれて迷惑したこともあったっけ。

だけど、こういう人たちが幸せになれる世のなかを作っていければなあと思ってしまう。

付記

こういう関係をさして、「本当の人間関係ではない」と熊沢誠さんはおっしゃった。
地域密着ではないし、ネットを通じて見つけた職だから。それにインターネットを通じた関係になるから、というのがその理由だ。
携帯を通じて見つけた派遣の職場で一日にせよいっしょに働いた人たち。自分にとっては世のなかの一端を見せてくれた師匠のようなものだ。
それをエライさんは否定する。侮辱する。喫茶店で大声でひびく声で人に恥辱をくわえる。
たぶんそれが面白いのだろう。

だけど、わたしにとっては大事な、大切な関係だ。
それが携帯やPCから見つけた職で、荷物をひたすら運んで疲れ果てる作業を通じてのものでも。ほとんど会話らしい会話をする余裕もない超疲労世界の同僚だとしても。
わたしのリアリティは地域ではなく、広域のペリフェラル・ワーカーらとともにある。

(2007・13.11 蛇足部分を削除しました。)

コメント (2)   トラックバック (2)

補足:亡霊化

2007-03-10 15:24:10 | 現状
そうそう、ひとつ前の記事につけたしたい。

ほかにも、フリースクール関係者からの「亡霊化」作業を目撃したことがある。

ある関東のフリースクーラーとメール連絡をしていたときのことだ。
若い世代の労働条件が話題に上った。それで、そのフリースクール主催者はこう述べる。
「今は若い人たちがこき使われてくたくたになっている。だけど、あなたはみんなが偽装請負・派遣で働くからといっていっしょについていってしまってはダメだ」
おおかたこういった内容のメールだった。

しかし実際、もうすでに直接雇用を探しにさがしてもないために、何種類もの日雇い派遣で働いている。
競争に巻き込まれれば、不登校という経歴は不利だし、歳をとればとるほど肉体労働・単純作業は雇用が減っていく。
もうひとつおかしな点は、若者に同情しつつも、自業自得の悪者扱いしていることだ。誰も好き好んで日雇い派遣で働いたりしない。企業が若い世代の雇用をしぼっており、その分非正規雇用が増えているからだ。
ドイツでは、不当に労働力商品を売買した派遣先企業を刑法・民法・行政法で罰することができる。「盗品を買う人がいなければ売る人もいなくなる」という論理にしたがっている。一方日本では、派遣先企業には行政指導があるだけだ。
ここにも企業の違法・残虐行為に耐える若い派遣労働者への亡霊化作業が行われている。

最後に。わたしがなんとか一生フリースクール・ホームスクール・コミュニティに関わろうとしているために、たまたまフリースクール関係者による「亡霊化」報告をすることになった。
しかし、すべてのフリースクールなりオルタナティブ大学が、日雇い派遣労働者や若い世代に排斥的なのではない。
たとえば、オルタナティブ大学の老舗として名高いアンティオーク大学出身のハワイ出身で日系3世のレナード・ホシジョーは、労働運動のリーダーをしている。(「アメリカ労働運動のニューボイスーー立ち上がるマイノリティ、女性たち」ケント・ウォン著 戸塚秀夫+山崎精一監訳 彩流社 2003:135-156)
アンテイオーク大学は教育改革者ホレース・マンの建てた大学。生協や企業などと大学が契約をして、一年の半分を実務、のこり半年を座学することで、授業を社会の風にさらしている。大学のパンフレットには、公民権運動・レズビアン・ゲイ解放運動等が盛んなことも書かれている。所在地のオハイオ州イエロースプリングスは、かつて北部へと逃げてゆく黒人を運ぶ地下鉄道のあったところで、リベラルな土地柄。

みなさん、くれぐれも、フリースクール関係者「だから」、排他的だとか、社会的排除を推進しているといった特殊貴戸理恵+文系院生風の勘違いにおちいらないよう願いたい。フリースクールといってもさまざまなところがあり、奥地メソッドによる東京シューレはそのいち類型にすぎないこと、フリースクール・ホームスクール関係者の一部では「東京シューレはフリースクールらしくないフリースクール」との声もあがっている。そのことをどうかご留意いただきたい。

当ブログ内関連記事:「ものすごいコピー:亡霊化」http://blog.goo.ne.jp/egrettasacra/e/11e505561db80b9de9d9e91782fc749a


コメント

ものすごいコピー:亡霊化

2007-03-04 16:29:18 | その他
 最近、読んでいる最中の本のなかで、ものすごいコピーを見つけてしまった。

 「亡霊化」だ。

ここでこんな風に使われていた。↓


「均質化は、均質化されざる部分を異質なものとしてかえって焙り出すことになる。それゆえ、人々をよき国民の方へと治療する国民化に並行して、非国民的存在の隠蔽あるいは抹殺の操作がなされる。(中略)よき国民の定義から排除された日組織・非定住・非家族の存在は、下層労働市場にゆだねられ、流動化する(中略)マジョリテイとの連続性を断ち切られた下層マイノリティは、そこにいてもいない、ありえないものとして亡霊化され、放置される。ようやくマジョリティの目に映るマイノリティの現実も、愚か者たちによる自業自得の結末として感受される。Z/バウマンが『排除されることは社会的な処刑ではなく、社会的な自殺の結果として示されるのだ』と述べたのはそういうことである」

(「不埒な希望」刈谷歩 偏 松籟社2006、2007:243-244)

これは古典的なドヤ街などにおける日雇い労働者・ホームレスへの社会的排除に関する図書からの引用になる。
しかし、日雇い派遣アルバイターとして、現在の雇用をもうあきらめた失業者として、同じような視線にさらされつづけている。

このブログをたてて、一見個人的な出来事についてしるし、他の人たちからの「わたしの場合もそうでした」との報告を受けて社会問題化するまでは、家族はわたしをまるで遊び人のように見ていた。そしてフリーターというのを「ひきこもり」と同じように、精神病ではないけれどそれに類する精神障害の一亜種のように見ていた。
派遣会社からの連絡を待ち受けるために職のない日に自宅や近所ですごすことも、サボり、働く気がゼロと決めつけていた。

それは、フリースクーラーや平和団体NGOとのつきあいでも同じだった。ショックだったことに、関東のほうからブログを見てやってきたアクテイヴィストも同じ偏見をもっており、さらにそれをネタにして有名になろうとあせっていた。

最近、とても腹立たしいことがあった。

大阪のほうに最近できたばかりのオルタナティブ大学ならぬオルタナティブ・スペースがある。仮にそこをDとよぼう。
そこの初回公開イベントとして、精神科医と評論家を呼び、「不登校・ひきこもり・ニート」の3題噺をやるという企画があった。
わたしはずっとこうしたフリースクールやオルタナティブ教育にたずさわりたいと考え続けてきた。フリースクールで教育を受ける権利を親からいちじるしく制限され、不本意な塾や有害でしかない予備校に行かされ、望まないタイプの大学に入れられているので、よけい憧憬がかきたてられる面もあると自分でもわかっている。
それに、なんとかアルバイトで自活しながら自分が納得できるフリースクールに行ったり、自分でフリースクールを作ったりするということも、低賃金・細切れ労働・社会的信用ゼロの状態ではかなうはずもなかった。

それで、最近ある方法によってまとまった収入があったものだから、ようやく交通費や会場費の心配なく、そうしたNGOの会合にも出席できるようになった。
なので胸をおどらせながら行ってみたのだ。

ところが、そこは若いものだけの場だった。それも、日本人の中産階級の子弟の場所だった。
わたしのような30代フリーターは成人としての自覚がなく、ただ毎日をファンタステイックに遊びまくっているととりわけパネリストで医者のTは思い込んでいるふうだった。
それに主催者のリーダーYも阿諛追従していた。

医者のTは、ひきこもりと日雇い派遣アルバイトの区別がついていなかった。
「ある一定の年齢がすぎたらこういうことはやめて」
と主張していた。
しかし、学校に行かない子どもの権利は、何歳かになれば消失するのだろうか?
そんなことはない。たとえば25とか30になったからといって、義務教育を受けなおさねばならない義務などどこから生じるのか? 法的根拠はどうなっているのだろうか?
子どもはかわいそうだから自由にさせてやる。若者も。だけどある年齢からは必ず正社員になれという。
それはおおむね、日本人健常者の、大卒ホワイトカラーで大企業勤務の労働者のイメージである。
そんなことは、できるわけがない。女性や障害者やその他非典型的日本人にはあてはまらない。
それに、外国人労働者やその子どもたちはどうすればいいのか?
日本人ではないと認定した今の40歳よりも下くらいの世代、イランや中国などからの外国人労働者、派遣アルバイトは労災隠しでも何でもブラックな世界で働けばよいとでもいうのだろうか?

その日の最後に、社会的排除の前奏曲が聞こえてきた。
その後、2人の講師や他の人たちとの交流会(お茶会や飲み会など)はありますか? もしあれば出席したいのですが。
そう主催者のリーダー格のYにたずねた。
返ってきた答えは、「ちょっと遠慮してくれ」というものだった。
たいへん侮蔑的な表情とめつきで彼は吐き捨てるように言っていた。

なるほど、ここは貧乏人を排除するんだ。学校や教育から自由なのは、中産階級のお坊ちゃん・お穣ちゃんの独占物で、そこにわたしのようなホームレス寸前の貧民が入ってはいけないのか。
そう了解し、それ以上話をしたくないため、逃げるように「ああそうですか」と言って会話を終了した。

そのTという医師は、そのイメント終了後、あき時間内に個人的にインタビューにおもむいたわたしに向かって、信じられない受け答えをしていた。
「熊沢誠さんという方のやっている、『研究会・職場の人権』というところがあります。そこの中心にいる人たちが、ニート産業と接近して若者を救うというようなことをやっています。そこの定例会・お茶会などに行くと、とても若者にとってきゅううくつなムードです。他の2-30代くらいの同世代も同じことを言っている人たちもいます。これについてはどうお考えですか?」
Tの答えは、
「あいつは昔からゲバルトだから」
「野田正彰というのは、昔っから精神医療改革に反対して、ゲバルトを使っていたヤツですよ」
ダミ声で、怒鳴り散らすようにまくしたてた。

発音が似ているわけでもなし、「くまさわ まこと」と「のだ まさあき」をどうやったら聞き間違えられうのだろう。これは、T医師がどれほど全共闘風政治マニアであり、若い世代の声をそこにないかのように扱っている証拠である。
というのは、この話の前に熊沢誠が大阪の不登校親の会の世話人の山田潤さんの友人であること、それに『ハマータウンの野郎ども』の共同翻訳者でもあること、労使関係論など労働問題をずっととりあげつづけてこられたことはちゃんと伝えてあったからだ。
労働経済学者を医師と取り違えるというのも、普通はありえない。おそらく、30代になって正規雇用で雇われていないわたしを、不登校のできそぐれと見なし、雇用情勢を考えずに、アルバイト=精神的な堕落という視点でいるのだ。

そのうえ、もうひとつの質問への答えっぷりはスゴかった。「わたしのネット上の友人の赤木智弘さんという方が、「論座」という月刊誌で、「フリーターの低賃金では消費さえも苦痛になる」と訴えています。それは、自分のフリーターとしての生活実感とも重なるし、同じことを言っている同世代の労働組合アクテイヴィストもいます。消費というものについては、どのようにお考えですか?」
これはTが、ひきこもりは消費をして国の経済に貢献していると賞賛した当日の彼の話に対する質問にあたる。
すると
「そりゃ、今の貧乏な若いヤツが戦争を求めるのは当然のことですよ」と怒鳴りだした。
さすがは「医療マフィア」の「若頭」だけあって下品だなあと思いつつ、
「いえ、ちょっと待ってください。赤木さんはその論考のなかで、最後の段で『わたしは戦争を望まない。戦争にむかわせないでほしい』と訴えているのです」と訂正しておいた。
すると
「ああ、そう」
といった、天皇みたいな答えがかえってきた。
おかしなことに、Tは、今の日本は進歩した社会だ。だから若い人がホームレスになって社会的排除に困ることはないと訴えていた。
しかし、なぜここで「今の若い貧乏なヤツらが~」といった内容の話を、下層の人々を見下すニュアンスではじめるのか。
まともにわたしのインタビューを受ける気は彼には毛頭なく、ただもっともらしいことを言ってお茶をにごせばいい、どうせ若者や女性の問題など大したことではないといった偏見と傲慢さのにじみ出るインタビューへの受け答えだった。
彼が、貧乏な若い人たちのグループをまず対談集会中は「ない」といい、次のインタビューにおいて「ある」としたことは、Tがそれを知っていながら覆い隠していることを意味している。
こうして、彼は今の40歳以下くらいの、低賃金・細切れ雇用で働く若い世代がこの世に存在しないかのように扱っている。さらに、それは一部のバカな連中の自業自得だ、いつまでも遊んで暮らせない自由の限界のわからないいわば放縦主義者だとのイメージをもとに、相手の存在をまさに「亡霊化」したわけだ。

読者のみなさんは、こうして他人から亡霊化された、あるいはしてしまった経験をお持ちではないだろうか? もしあれば、コメント欄で連絡していただければ幸いです。

当ブログ内関連記事:「補足・亡霊化」http://blog.goo.ne.jp/egrettasacra/e/7265a397f94eff12a46ec23df30d4686


 
コメント (1)   トラックバック (1)

正社員にも話をきけば……

2007-03-04 15:36:48 | 現状
駅前スーパーについて 
 
 梅田の駅前深夜スーパーというのがある。そこは、夜の10時や11時まで開いている。だいたい、残業で帰りの遅くなった雇われ人たちが、家の近くのスーパーで買い物ができないときに、乗り換え地点のこの駅で食料等を買い込んで帰路につく。
 以前、淀屋橋の企業で働いていたころは、わたし自身もよく駅前スーパーを利用していた。残業が夜の9時台であれば利用できる時間帯に、その店は営業していた。
大都会のコンビニは店の面積が小さく、その分置ける品数も少ない。やはりスーパーのほうが生鮮食料品が手に入る。口内炎のできやすい体質のわたしにとっては助かる商売だ。
 そこで夜の9:00代くらいに残業がえりとおぼしい人に話を聞いてみたらどうだろうか? いろんな会社の残業事情が読めるのでは?
 そう考えて梅田にでかけた。


Aさんの場合 

 その深夜スーパーで、レジに並んでいたある人に職場の様子をうかがってみた。体調と時間の関係で一人しか話を聞かなかった。また今度行ってみる予定だ。

 話しかけた相手は予想に反して正規雇用で働く方だった。ここでは彼女をAさんと呼ぶことにする。
 Aさんは明るく華やかな20代半ば。梅田でアパレル販売の仕事をしている。だいたい朝の9:00~9:30まで店頭で客に服をすすめている。
 それで、帰りには駅前の11:00までやっているここのスーパーで食品を買い、家に帰るのだという。
 「お仕事、きつくないですか?」との問いには、「お客さんに気をつかって疲れることはあります。」
 
(パートやアルバイトの一部は、一日3時間とか週1・2回などわずかの時間しかシフトに入らせてくれないことがある。誰かが意図的に仕事を干しているのではない。実際、それだけしか仕事が発生しないこともあるのだ。
 だけれども、別の一部のアルバイトや正社員たちは、長時間労働を強いられる。プライベートも何もない。疲れ果てている。過労死危険ソーンで、アメリカの約半分の割り増し賃金で、夜遅くまで働いている。)
 

Bさんの場合 
 
 もうひとり、京都の先斗町で、2月半ばまだ寒かった時期に居酒屋の前で店のチラシくばりをしている男性にも話をうかがった。通りすがりの通行人として、ちょっと目につく人だったのだ。
 その人を仮にBさんとよぼう。20代前半で調理師をしている。
 Bさんは、小さいころから料理に興味があって、調理師になった。今では居酒屋で働いている。
 不況ということもあってなかなかお客さんがやってこない。そんな日には、店の前で自分の勤める店のチラシを通行人に配っている。
 いつもだいたい夕方5:00~深夜3時まで働いている。
 家が職場から近いところにあるため、自転車通勤をしている。手取り約20万円雇用保険・労災保険はナシ。この条件で「まあ、なんとか(生活を)やっていける」とBさんは言う。

 この仕事をしていて一番うれしい瞬間は? との問いには、「お客さんにおいしいって言ってもらったとき。喜んでくれたときが一番嬉しいですね。」
 逆にこの仕事をしていて最もつらいときは? との問いには、「お客さんが来ないとき。そんなときにはこうやって店のまでとかでお客さんに声をかけてチラシを配って。」

尊厳のある仕事、尊厳のある分業を 
 
 アルバイトは正規雇用になれればいいんじゃないかという議論は、赤木智弘さんみたいなブロガーから、政治家まで出している。
 だけど、働きすぎ・過労死と近所みたいな働き方はよくない。
だからといっていつでも仕事を干され、それだけでバカにされいじめられる派遣やアルバイトもおすすめできない。
 雇用形態を問わず、適正で尊重される仕事、ディーセント・ワークの実現がとても大切だと、正規雇用の方から話をうかがって、改めて思った。
 もうひとつ気がついたのは、正規雇用の人たちのほうが落ち着いているということだ。そこには、雇用形態ゆえに人にばかにされたり、自分を情けなく思ったりすることがない。
 アルバイトや派遣ほどは、いつも「いつクビになるか」ということでビクビクしていない。また、次は何の仕事やどこの会社で働くことになるのかわからないゆえの不安も、極端に悪い労働条件ゆえの恐怖もない。例えば、「ヘタすればここの工場で労災で亡くなるかも」という恐さはないのである。

 分業のあり方も含めて見直していかなくては、誰かが指を切り落とす職場で働くことになる。
 しかもそのことは、あまりおおっぽらに語らることはない。
 「自分に向いた(あった)仕事につけばいい」という楽天的な意見を、生産性向上のためと言われる分業は駆逐してゆく。
 運がよければ六本木ヒルズで有閑生活もできる。かたや運が悪ければ、労災で人が亡くなり、指を切り落とす職場に入ることになる。しかも犠牲者にはお涙頂戴ならまだいいほうで、「自己責任」といういやがらせが待っている。
 それを「単に社会的な役目にすぎませんから~」と言ってごまかすインテリは、学校という檻のなかに隔離されている間におかしくなったのだろう。
 わたしのような脱学校・脱教育系の人間は、それを信じない。
 自分が調べたことを中心に話を組み立ててゆく。
 というわけで、尊厳ある仕事は尊厳ある分業から。
 どうすればそれが実現できるのかは分からないけれど、方向性は見えている。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
コメント