予想通りに……
↓ こちらのブログをごらんください。
評論家・池内宏美のブログ
http://ikeuchihiromi.cocolog-nifty.com/ikeuchihiromi/2006/11/post_35a3.html
もともと、期間工は漢字が書けるのか? という雇用形態差別になる発言をしたあと、2ちゃんねるや他のサイトでも「ひどい」「むちゃくちゃ」という声があがった。そのため、後日、期間工が漢字を知らないとした部分を削除したうえで再掲載した記事です。
80年代なかごろ・十代半ばのころよりわたしは、フェミニズム・女性の社会進出・地位向上がこうした結末をもたらすのではないかと危惧していました。
その予想がズバリ当たりましたね。
大人の女性が、高等教育とやらを受け、階級、じゃなかったジェンダー的裏切り者となる。そうすると、地位があがって女性解放だ。
このシナリオは、選抜されたごく一部の女性しか女性≒家畜状態から救わない。OLなんて下級社畜だ。日雇い派遣フリーターにいたっては、家畜になる権利すら奪われている。
それに結局この案は、女性差別を学歴差別におきかえることになるだろう。管理職なんて社会全体の何割かしか必要ではない。「現場」で危険な仕事をこなす人たちも、社会には必要な要素なのだ。
おおかたそんな予想を抱いた。
学校教育は可能か
世界中の人間が高等教育を受けるためにいったいくらの予算を組めばいいのだろう。今でも世界には初等教育の学校にも通えない子どもたちもかなりの割合でいる。
そのことを無視して、どうするのだ。
それに学校で身につくのは、上への従順さくらいのものではないのか。60年代のオルタナティブ教育運動が明らかにしたように、白人中心・男性中心の古典を読んで教養を身につけたり、そうでないものをさげずんだりすることを吸収するばかりの学校教育を礼賛してどうなるのだ。それでみなが東大旧理Ⅲに入れるのか。官僚になって、天下り先で何をやるのか。自然破壊の開発か、原発の推進運動か。登校拒否の子どもを薬づけにする「医療マフィア(イリイチ)」の幹部にでもなるのか。
当時十代のわたしは、そういうフェミニズムになじめなかった。
子ども・労働者を見捨てる教養フェミニズム
30代になった今、池内さんのブログを拝見して、本当にひどいなと思う。
だいたいブルーカラーになると、漢字がわかりにくくなる傾向がある。
書類とは別の世界に住まうことになるからだ。そのハビトゥスは、それほど否定されねばならないものだろうか?
それから、取材中一瞬のすれ違いの出会いだったが、自動車工場で働く女性もいる。そういう人たちにむかっても、漢字が書けないことをさも犯罪のように公の場で言い立てたりできるだろうか。
社会的地位のないことを、社会参加していないと罵れるだろうか。
そうした立場からわたしは、学歴や学力、それに社会や組織を崇拝する儀礼としてのフェミニズムには賛成できない。
しかし、子どもや若者の権利や解放をともに真剣に模索するようなタイプのフェミニズムであれば、喜んで連帯したい。
女性解放ならぬ子ども解放・アンファニズムと連携できるフェミニズムをわたしは求める。読者はどうか。
子ども・労働者を裏切ることなく
ところで、労働者(階級)は、「子ども」っぽいとみなされ、会社で・社会で侮蔑される傾向がある。
また、同じ労働者であっても、下層階級・肉体労働・日雇い労働・派遣などは、ホワイトカラーや正社員よりも「子ども」だと見下されることもある。
そうした役割としての子ども、イメージとしての子どもを容易に嘲笑したり見捨てたりしないフェミニズムがあってほしいと思う。
それは、東大旧理ⅢやMIT等を頂点とする大学のなかからは出てこないだろう。
大学の外から、院の外から生まれてくるだろう。
ちょうどわたしのような低学歴・低学力が、東大やMITを中心とするエリートの横暴をチェックする役目を果たすだろう。
いまのところこうした労働問題を扱うブログには、比較的男性の手によるものが多いように思われる。
そのうち、女性たちも組合の男の横暴も含めて声をあげるだろう。
今は、漢字の「一」という字も知らないそぶりをした紫式部の時代ではない。
教育のない女性が、「一」どころか「2」も「Ⅲ」も知っていてもいい時代だ。
学校教育を通じて、女の子らしく再生産されないすこやかな女性が、高学歴・高学力女のジェンダー的裏切りをただせるようになればどんなにいいだろう。
「言葉がない」「底辺」だからといって、相手に何をしてもいいわけではないのだ。
これはわたし一人の力ではできない。複数の女性、それに男性の助力も必要だ。今すぐにはダメだろう。
しかし、たとえば後藤和智さん、Lenazoさんらの主張を見ると、もうその芽は出ている。あとはそれが育つのを待つだけだ。
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評論家・池内宏美のブログ
http://ikeuchihiromi.cocolog-nifty.com/ikeuchihiromi/2006/11/post_35a3.html
もともと、期間工は漢字が書けるのか? という雇用形態差別になる発言をしたあと、2ちゃんねるや他のサイトでも「ひどい」「むちゃくちゃ」という声があがった。そのため、後日、期間工が漢字を知らないとした部分を削除したうえで再掲載した記事です。
80年代なかごろ・十代半ばのころよりわたしは、フェミニズム・女性の社会進出・地位向上がこうした結末をもたらすのではないかと危惧していました。
その予想がズバリ当たりましたね。
大人の女性が、高等教育とやらを受け、階級、じゃなかったジェンダー的裏切り者となる。そうすると、地位があがって女性解放だ。
このシナリオは、選抜されたごく一部の女性しか女性≒家畜状態から救わない。OLなんて下級社畜だ。日雇い派遣フリーターにいたっては、家畜になる権利すら奪われている。
それに結局この案は、女性差別を学歴差別におきかえることになるだろう。管理職なんて社会全体の何割かしか必要ではない。「現場」で危険な仕事をこなす人たちも、社会には必要な要素なのだ。
おおかたそんな予想を抱いた。
学校教育は可能か
世界中の人間が高等教育を受けるためにいったいくらの予算を組めばいいのだろう。今でも世界には初等教育の学校にも通えない子どもたちもかなりの割合でいる。
そのことを無視して、どうするのだ。
それに学校で身につくのは、上への従順さくらいのものではないのか。60年代のオルタナティブ教育運動が明らかにしたように、白人中心・男性中心の古典を読んで教養を身につけたり、そうでないものをさげずんだりすることを吸収するばかりの学校教育を礼賛してどうなるのだ。それでみなが東大旧理Ⅲに入れるのか。官僚になって、天下り先で何をやるのか。自然破壊の開発か、原発の推進運動か。登校拒否の子どもを薬づけにする「医療マフィア(イリイチ)」の幹部にでもなるのか。
当時十代のわたしは、そういうフェミニズムになじめなかった。
子ども・労働者を見捨てる教養フェミニズム
30代になった今、池内さんのブログを拝見して、本当にひどいなと思う。
だいたいブルーカラーになると、漢字がわかりにくくなる傾向がある。
書類とは別の世界に住まうことになるからだ。そのハビトゥスは、それほど否定されねばならないものだろうか?
それから、取材中一瞬のすれ違いの出会いだったが、自動車工場で働く女性もいる。そういう人たちにむかっても、漢字が書けないことをさも犯罪のように公の場で言い立てたりできるだろうか。
社会的地位のないことを、社会参加していないと罵れるだろうか。
そうした立場からわたしは、学歴や学力、それに社会や組織を崇拝する儀礼としてのフェミニズムには賛成できない。
しかし、子どもや若者の権利や解放をともに真剣に模索するようなタイプのフェミニズムであれば、喜んで連帯したい。
女性解放ならぬ子ども解放・アンファニズムと連携できるフェミニズムをわたしは求める。読者はどうか。
子ども・労働者を裏切ることなく
ところで、労働者(階級)は、「子ども」っぽいとみなされ、会社で・社会で侮蔑される傾向がある。
また、同じ労働者であっても、下層階級・肉体労働・日雇い労働・派遣などは、ホワイトカラーや正社員よりも「子ども」だと見下されることもある。
そうした役割としての子ども、イメージとしての子どもを容易に嘲笑したり見捨てたりしないフェミニズムがあってほしいと思う。
それは、東大旧理ⅢやMIT等を頂点とする大学のなかからは出てこないだろう。
大学の外から、院の外から生まれてくるだろう。
ちょうどわたしのような低学歴・低学力が、東大やMITを中心とするエリートの横暴をチェックする役目を果たすだろう。
いまのところこうした労働問題を扱うブログには、比較的男性の手によるものが多いように思われる。
そのうち、女性たちも組合の男の横暴も含めて声をあげるだろう。
今は、漢字の「一」という字も知らないそぶりをした紫式部の時代ではない。
教育のない女性が、「一」どころか「2」も「Ⅲ」も知っていてもいい時代だ。
学校教育を通じて、女の子らしく再生産されないすこやかな女性が、高学歴・高学力女のジェンダー的裏切りをただせるようになればどんなにいいだろう。
「言葉がない」「底辺」だからといって、相手に何をしてもいいわけではないのだ。
これはわたし一人の力ではできない。複数の女性、それに男性の助力も必要だ。今すぐにはダメだろう。
しかし、たとえば後藤和智さん、Lenazoさんらの主張を見ると、もうその芽は出ている。あとはそれが育つのを待つだけだ。