フリーターが語る渡り奉公人事情

ターミネイターにならないために--フリーターの本当の姿を知ってください!

当ブログのポリシー(投稿・トラックバックをする前にご確認ください)

2004-11-29 17:59:44 | ブログのポリシー
 みなさん、たくさんのコメント・トラックバックありがとうございます。

 ところで、近日、予想以上にコメント・トラックバックが増えています。それに伴い、当ブログの
趣旨を誤解した、かみあわない話が多数貼られています。

 こちらのブログは、ブックマークに入れてある〔オルタナティブ大学 ON BLOG〕の中で、フリーターに集中・特化した議論を行うために立てました。
 このブログでは、フリーターをめぐる問題を、個人の自己責任に帰するネオコン流の象徴的点滴注射(ブルデュー)にささやかながら抵抗するためのブログです。それゆえに、個人の自己責任を強調したい方は、方針の違うブログへ行かれることをおすすめします。
 また、フリーター問題は実は正社員問題であるとの立場でこのブログの記事は書かれています。
言い換えれば、フリーター問題という問題自体がある、との設定です。決して、心の問題、心の闇としてとらえるものではありません。そのあたり、了解した上での会話・議論をお願いします。

 いろいろな立場の方と、開かれた対話の場所を作りたいと願って、こちらのブログを立てました。
しかし、フリーターを集団的に差別・愚弄するかのような発言、そもそもブログのテーマを取り違えた発言のコメントまたはトラックバックを削除することもあります。なお、いちいち理由や削除した日時を表示しません。
 それから、すべてのコメントおよびトラックバックにお返事しません。それができるかどうかは、PCへのアクセス状況によります。コメントの質によるものではありません。
 
さらに、当ブログでは、コメントよりもトラックバックを推奨します。コメントは‘書き捨て’的になりがちです。それに比して、ご自分のブログの場合は責任をもって発言してもらえるからです。また、ご自分のブログの場合では、文案を練ったり、豊富にリンクもつけられ、議論が充実するためです。これを機に、もっとブログの面白さを広めたい、もっとたくさんのユニークでオリジナルなブログが増えてほしい、との願いも込めて。

 まとめると、今のところ、ガイドラインは次の5つ。

0.このブログは親ブログ(オルタナテイブ大学)から生まれた子ブログである。
1.「フリーター問題」は、個人の「自己責任」ではない。
2.「フリーター」問題は心の問題ではなく、社会の問題である。
3.すべてのコメント・トラックバックへのお返事はしない。
4.責任ある発言・充実した議論のために、コメントよりもトラックバックを推奨する。

 

 

 

みなさんへのコメントーー暫定的に時折復帰します

2004-11-26 23:36:25 | Weblog
 みなさん、レスがなかなかできなくて、すみません。
 体がときどきフリーズを起こしていて、郵便局にいけなかったりしています。それで、自宅のPC復旧はまだです。

 とりあえず今日はネットカフェより暫定的に復帰しています。これからの予定は未定ですが、
できるかぎり復帰したいと思っています。ときどき、できれば週に1回くらいは復帰したいのですが、できるかな?

 
 それから、杉田さん、その節はどうもご迷惑おかけしました。
 当方、関西在住なので、関東方面と東京方面の区別があいまいなんです。
 ここにおわびします。

 そのほかのみなさん、いろいろレスしたいこと、もともと書きたいことなど山のようにあります。後日あらためて報告します。

 それでは今日はこのへんで帰ります。終電が迫っていますので。

 

遅れてすみません

2004-11-11 20:53:32 | Weblog
 みなさん、たくさんのコメント・TBありがとうございます。

 他に書きたいことはたくさんあるのですが。またしばらくお休みをいただきます。

 自宅のPCがまだ直らないので、ネットカフェ代が負担なのです。

 いつになるか確約できかねますが、きっと、続きを書きます。
 実はまだ書きたいことの半分くらいしか書いていないのです。。だから、つづきは絶対に書きたいです。

 しばらくの間、お別れします。


フリ-ズ!~ウツって悪い?

2004-11-09 02:59:18 | 医療
(これは11/9に投稿しました。その後、メンテナンス中ややたらと重いなどの滋養によって投稿しそびれたり、途中で消えてしまって書き直したりしていました。11/26に再投稿したものです。)

 最近、図書館で本を借りた。

 「動物たちの自然健康法--野生の知恵に学ぶ」シンデイ・エンジェル 羽田節子訳 紀伊国屋書店2003/11(原著は2002)。
 
 野生生物が、けがや病気などにいかに対処しているかを紹介した一冊だ。また、出産や老いへの対応も書かれている。
 世界各地の伝説や伝統的な薬草医による野生動物の観察、それに動物行動学者の報告等が本書には並んでいる。そして彼(女)らの証言をもとに、動物たちがいかに自然界にある薬草を利用したり、ミネラルを摂取したりしているかを整理している。時に科学的な根拠を示し、時に著者の説としてたくさんの事例が書かれている。
 専門家に教えられずとも、その土地その土地に生まれ育ったものの知る知恵、年長者から受け継がれた文化としての「健康法」を著者は紹介してゆく。著者の言う「自己治療」は、かつて文明批評家イリイチの主張した「自律的な癒す行為」の動物版とも受け取れる。
 もちろん、安直な「自然」や「野生」への崇拝は避けるべきだ。また、何を持って「自然」とするかの概念定義の問題は残る。ここでは大雑把に、今日の文化のなかで形成された自然概念によるものでいいのだろう。PCBとかDDTとかによって汚染されていてもアザラシもペンギンも「野生」生物なのだし、ゾウなどの動物もまた文化を持っている。それが「自然」なのだ。

 その本の中で、フリーズしてしまう時の動物の対処法が紹介されていた。以下はワタリが内容を要約したもの。

 大部分の動物たちは、精神的消耗に対する対処法をそなえているようだ。獣医のピート・クライスラーによると、対処法は4つ。問題から逃げる、問題を退ける、解決を探る、問題を消えるのを待つ。これら4つの対処法は、精神病を避けるために重要だ。
 心理学者のピーター・レヴァインは、野生動物のトラウマ対処法を考えた。野生動物は命にかかわる状況であっても外傷性ストレスによって参っているように見えない。多くの種は危険がせまるとフリーズした状態になる。レヴァインの言う「意識が変化した状態になり、痛みを感じなくなる。レヴァインは、ある人はフリーズ状態で動けなくなり、この反応が外傷性ストレス障害をひきおこすのだと見ている。彼によると、動物はそれを避けるために、体をゆすってフリーズ状態から抜け出すという。
 動物行動学者がはじめて野生動物を観察しはじめると、その動物が眠り込んでしまうことがよくある。グドールによると、これは動物がリラックスした状態なのではなく、非常な不安を示している場合が多いと言う。買われているチンパンジーは解けない問題を出されると、床の上で体を丸めて眠ってしまう。ハンターの報告によると、わなにかかった動物はほとんど昏睡状態のようだ。
 変化がおこるのを待つ戦略は、無感動行動とか学習された当惑と呼ばれる。それが嵩じるとうつ病といわれ、物憂げな態度、食欲不振、無気力、他人や物事への無関心、衛生観念の減衰、反応の欠如などが見られる。
 野生のチンパンジーでは、うつは離乳期とか親や友達をなくしたときにみられる普通の反応だ。実験室ではチンパンジーは、生存の危機にぶつかって解決法がないときにうつに陥る。この場合うつは、うつは状況が変わるのを待つしかない場合の対処法だと考えられる。ダーウィン主義医学の支持者たちはうつを、うまくいかない行為を動物が続けなくていいようにする手段だと考えている。うつもやはり精神的問題そのものというよりむしろ対処法なのである。
 

 ダーウィン主義への賛否はさておき、興味深い指摘だ。
 そういえば思い当たるフシがある。
 たとえば、面接に行くときに、足が動かなくなった。駅の休憩室で休む。道端で倒れた時に警察に助けられれ、最寄の警察署で休憩をする。緊張が強く、なめらかに話したり大きな声を出したりしにくくなる。
 そうしようとすると、絶叫しているような、おおげさで悲壮な印象となる。以前は軽く散歩できた距離が数倍の道のりに感じられる。自宅から最寄り駅に行くまでに数回も休まないとたどり着けない。
 ギデンズの「第三の道」路線による、(1)welfer queen 批判への回答:「動機のある者に福祉・職業訓練を」の前提は妥当なのか? 福祉を受ける人がナマケモノ化するのは、環境への適応であり、ほかに職場がない/落ち着いた暮らしのできる職にありつけない場合、精神障害から身を守るフリーズ行為は合理的な反応である。ならば、それへの批判と治療自体が、生産性による身体の自律性の収奪に当たる。


(結論)うつは、個人の自己責任ではない。また、普段の生き方・考え方・人への接し方が悪いことへの天罰でもない。うつへの社会的偏見、うつだと生き難い社会環境こそ、改善すべきだ。
 ギデンズの「第三の道」路線による、welfer queen 批判への回答:「動機のある者に福祉・職業訓練を」の前提は妥当なのか? 福祉を受ける人が「ナマケモノ」化するのは、環境への適応であり、ほかに職場がない/落ち着いた暮らしのできる職にありつけない場合、精神障害から身を守るフリーズ行為は合理的な反応である。ならば、それへの批判と治療自体が、生産性による身体の自律性の収奪に当たるからである。


<2004/12/26付記>報告します。ブラックワールド今日の出来事 のカテゴリー政治の記事の中に、ブッシュ大統領が遠まわしに黒人批判をするために言い出した語との指摘を見つけました。http://blog.livedoor.jp/yfujinag/archives/914083.html#comments

貧しさは道徳的な悪か?--ネオコンの道徳的説教を超えて

2004-11-03 23:08:23 | 哲学・思想
オルタナテイブ大学on blog より転載。
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貧しさは道徳的な悪か?

開発・貧困 / 2004年10月27日 01時58分50秒

貧しいから悪いのか? 難しい問題だ。

一口に貧しさといってもいろいろある。
自分の意思によって選んだ貧しであれば、あまり苦痛ではないし、周りの軽蔑も少ない。そうでなければ耐えがたい。
また、時代や地域によって、貧しさへの見方は星の数ほどある。
それが罪悪視されるようになったのは、勤勉道徳が一般的になる近代以降だろう。

貧しさが一律に罪悪視され、断罪され、侮辱される文化環境はマトモなのか?

インドの行者への尊敬、四国88箇所のお遍路さんへの地元の歓待を見るに、それはたいへん精神的に貧困な、物質崇拝の激しい世界ではないだろうか?

もちろん、餓死すれすれとか、水もなくて「干からびる(神保)」状態では、こんなことは言えない。それでも、節度のある生活を送り、カネやモノ中心ではない心や関係というものを愛する世界は、貧しさを忌み嫌い、遠ざけ、隔離さえする世界に比べて豊かではないだろうか? 中産階級中心の文化と距離をとれるかどうか。それが、たとえばホームレス排除やアメリカの要塞都市といった殺伐とした行為に賛成するかどうかのメルクマールである。

Shiro さんは信仰により「貧しきものは幸い」と主張している。
それが悲惨さの隠蔽に当たらないかぎりは、わたしはこの主張に賛成する。
人類は、これまで貧しい中を生きてきた。時に食料に欠きながら、歌い・踊り・家を作り、暮らしてきた。それを、現在の大量消費・大量生産文明の先進国の中産階級の基準を持って侮辱してはならないと思う。河原乞食の伝えた歌舞伎を、その他の文化をあなどってはならない。

岡倉天心が「東洋の理想」で紹介しているのだが、唐の太宗皇帝は、民が餓えているのを知って食を断った。高倉天皇(一説には安徳天皇)は、民が寒さに餓えているのを知って着物をお脱ぎになられた。昔ヴィデオで見たのだが、アフリカの採集狩猟民ピグミー(ムブティ)は、食料が手に入らないときに、みなで平等に餓えに対峙する。それゆえのストレスで暴れる人がいても、大目に見ていた。
こうした弱者へのいたわり、餓えるときにはともに餓えようという強い絆、それらを失って世界の富を独り占めするのが果たして道徳的に正しいと言えるのか? 貧しい他者をあわれんだり見下したりする資格があるのか? 答えはNOだ。

フリーターや引きこもりやNEETを罪悪視し、清潔な社会のなかの「ケガレ」扱いする憎しみに満ちた論説は、まともではない。労働者階級や中世以前や第三世界や各先住民の文化に学びながら、もう一度、貧しさは絶対にいけないのかどうかを、検討することは重要な論点である。


ブレッド&ローズーー下層労働者の権利のための行動

2004-11-03 21:58:41 | 映画&本
今ネカフェからです。諸事情により、家のPC回復が大幅に遅れています。
あまり間をあけすぎるのも寂しいので、ブックマークに入れてある失業者の権利MLより転載します。とても勉強になって、しかも笑って泣けるいい映画ですので、一人でも多くの方に知ってもらいたくて。点線以下転載。

※後ろの注も必ずお読みください。大事な情報を加えました。(2004.11.9.)

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Date: 2004年5月12日(水) 午前8時19分
Subject: 5/9 ブレッド&ロ-ズ上映会@茨木




ブレッド&ロ-ズ(2000年・イギリス=ドイツ=スペイン合作
 110分 カンヌ映画祭正式招待作品 配給:シネカノン)
 
 大阪の茨木市(茨城県ではない)で開かれたブレッド&ロ-
ズ上映会に行って参りました。原題はBRED&ROSES;パン(生
きること)とバラ(誇りや尊厳)の意味です。
 映画のスト-リ-を全部しゃべってしまうと後のお楽しみが
なくなるので、かいつまんだ紹介を。

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 ロサンゼルスのヒスパニック系移民たち。水商売か清掃会社
で働くしか選択肢はない。日本で言えばパ-トかバイトのよう
に気まぐれにクビにされる。賃金も少ない。そこに組合の活動
家が入り込む。
 大手の組合が、成功の見込みの小さそうな争議を見捨てるこ
と。本当にひどく抑圧され、ジェンダ-や民族に階級・階層、
移民してきたタイミングのちがい、故郷での生活事情などによ
り、今のままでも幸せだと思い込むしかない人。あまりにひど
い目にあいすぎて、抵抗する意思を完全にくじかれ、「生きる
ため」だと割り切って従ってしまう人。自らは奨学金を得て、
法科大学院に通いながらも組合活動にかかわる人。その中の友
情・恋愛・裏切り……。
 この映画は、様々な人間模様を通じて今日の下層労働者の
苦しみと喜びと希望を描いている。ただの組合礼賛、観念的な
労働者賛美とは明らかに一線を画している。誰もこの映画の監
督ケン・ロ-チを「弱者おたく」よわばりできない。
 9/11のテロの背景を知る上でも、人間の尊厳やジェンダ-の
問題を考える上でも大変優れた記録である。労働や失業の問題
、あるいはテロや戦争のない世界を望むすべての人にお勧めし
たい。

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 なお、映画の後の交流会にも出てみました。世代や職種を超
えた人の集まりでした。
 なかまユニオンという組合の主催でしたが、上の言うことに
みながいっせいに従うという所ではありませんでした。まるで
ネイティブ・アメリカンのミ-ティングのように、一人一人の
語りをみなが静かに聞いていました。とても上品で民主的な会
合でした。

 以上、報告おわり。


※注:なかまユニオンという組合は、その後ググると、ある社会主義系の思想団体と密接な関係にあることが判明しました。
 わたしは、この記事をMLとこのブログに投稿した時点では、そのことを知りませんでした。
 ML上でも会話や議論ができない傾向があり、また上映会のあとの交流会でもマルクス主義系のイデオロギー注入と大衆操作の話が多いので、おかしいと感じてはいたのです。
 また、オルグといった特殊な用語が飛び交い、意味を尋ねると教えない、といった排外的な秘密主義が横行していました。
 権威主義的で家父長的な雰囲気のもと、アルバイトや派遣をあからさまに侮辱するような言葉や態度も目立ち、傷つけられて途中で講義するように退席した派遣の方もいらっしゃったほどです。 わたし自身、あまりの無理解と失礼さに感覚が凍ってしまい、なおかつ「ほかに理解者はいない」といった閉塞感に支配された状況で、この記事をはじめに書いたのも事実でした。
 ただし、映画自体は学習用として使い方によっては大きな効果を発揮すると思います。なので、あえてこの情報をいじらないで、注をつけることにしました。(2004.11.9)