フリーターが語る渡り奉公人事情

ターミネイターにならないために--フリーターの本当の姿を知ってください!

しんどい

2007-11-13 22:30:10 | 日常生活
ちょっと風邪ひいちゃって。まだ胃潰瘍と十二指腸潰瘍も治りきっていないし、雨の日に陸橋の階段をすべって尾てい骨の周囲を打撲したのもまだ痛いです。

取材もできずに家にいるのもつらいことです。

そのあいだ、本を読んだり、人にメールしたりしようと思っています。
最近、yahoo! メッセンジャーを再ダウンロードしたし、まだよくわからないけれどスカイプも使う予定。

キャンペーンブログのレスも遅れ気味なんですが、気がついたらしんどくて寝込んでいるんです。

どうやら気管支炎も起こしているみたいで、ちかぢか西洋医学か東洋医学の病院に相談に行く予定も。

ま、調子悪くても入院するほどでもなし。できることを少しずつやっていきますか。





再び悪化

2007-04-30 22:06:01 | 日常生活
また胃潰瘍が悪化してしまいました。

もう治ったと錯覚を起こして、さる懇親会に出席した折、ビールと天ぷらを口にしたのがきっかけのようです。あせってはいけなかったのですね。

ちかぢか、西洋医学の胃カメラテスト、受けます。
少々医療事故のリスクがあっても、自分でも自分の中がどうなっているか、知りたい気持ちもあります。それに、今回はなんとか、保険書と検査費用も工面できたので。。。。
今診てもらっているのは、以前とは別の病院です。たまたま応対してくれたお医者さん・看護士さんたちの応対もよかったのです。ふんぞりかえって患者を見下す風でもなく、しっかりと対応してくれたのは心強いかぎりです。
(以前の病院は、ちょっと問題だった。医者・看護士が患者をいじめるような雰囲気のなる。ピルブックやネットでで調べたら、クスリの量が少なすぎる。効かない薬を出す、クスリの種類が多すぎる。大したことないぜんそくの発作なのに入院をすすめるとか。。。。)

このあいだ、さる研究会に行って、野生生物と家畜化、農耕・牧畜と定住・遊牧にまつわるお話を聞いてきました。
その件について、その会のかたに問い合わせてOKが出たら、ブログに書く予定です。
人間の自己家畜化(労働問題に関していうと会社での「社畜化」)と、北方の野生トナカイと家畜化されたトナカイとの比較より思いついたことがあるのです。それはじっさい、発表された方や、会としてのルールや意向も尋ねなければなりません。そうしなければ、あとあと著作権とか微妙な言葉のニュアンスの違いによってもめることになるかもしれないからです。

特に医療過誤もなく、またブログスクエアに戻れることを祈っています。




やっと回復に向かう

2007-04-20 23:16:05 | 日常生活
読者のみなさん。
ずっと休んでいて、ごめんなさい。

組合取材をきっかけに痛めた胃の調子が悪くなり、療養優先の毎日を送っていたのです。

西洋近代医学の薬だけでは効かないため、東洋医学も取り入れました。
鍼灸にマッサージを幾度かやってもらうと、かなり痛みがひきました。
また、ふだんの生活に、ヨガと太極拳も取り入れています。これまで以上に食事のバランスにも気を使うようにしています。
西洋のハーブ、それに漢方も取り入れ、内臓を中心に体をいたわっておりました。

かなり痛みがひいてきたので、そろそろ取材にもいけそうです。

東洋医学はあなどれないです。カルテの開発、太極拳という呼吸法とストレッチ体操の発明、西洋に先駆けた栄養学的発想、社会的存在としての人間ゆえの不安を診る「内傷」の考え、個人の体質を見て療法を調節する自在さ、人の体の「形態」(血)だけではなく「機能」(気)をも考慮した治療方針の決定……。

太極拳とヨガから考えさせられたのは、せわしい現代生活の中で、いつしか呼吸がとても浅く短くなっていたことです。
いつもとは違う呼吸をし、別の筋肉を動かすのも、いいことです。
これまでよりももっと周囲との関係・調和をめざして、達者にやっていきたい。
そう考えています。






今年はどんな年だった?

2006-12-31 19:25:42 | 日常生活
もう今年もおしまいだ。

いったい何をしてきたか。
お金がないために、身動きをとりたくてもとれない。
そこにウツや胃腸の悪化も加わる。
そんな年だった。

よかったことは、十代のころからやりたいと思いつつ、周囲の圧力に屈してできなかった取材がやっと30代になってやれたこと。
親の言うデタラメ、悪意に満ちていたか程度が低いフリースクーラーのたわごとなど無視するべきだった。たとえ家から追い出されても、食事抜きにされてでもやっておけばよかった。
十数年にわたるいつわりの認知を自らに押しつけた罪は深い。

取材するよりも本のほうが殴られずにすむ。そういう発想はもうやっと捨てられた。本当に抑圧的な家というのは人の体を蝕む。

家の関係者から、あんたらフリーターはマスコミの甘言・宣伝に乗ってフリーターになって働くところがなくなっていると苦情を受けた。
これは事実誤認だ。
私の場合、絶望の中からなんとか社会参加できる道、家から離れられそうなルートのひとつとしてフリーターとして働かざるをえなかった。
職場には、マスコミも何も関係なく生きるために働く同世代の人々がいた。その人たちは、フリーターが素敵だとも楽な商売だとも思ってはいなかった。それは顔を見ただけで明らかだ。
フリーターをすることは孤独で、屈辱的で、不本意という声は、メールをいただいたり、じかにお会いして話をするなかで何度も出てきた。
それに、音楽・演劇などを心ざす人たちも、たとえば学校中退者であるゆえに正社員ルートからはずされたり、縦・横の学歴がなかったり、コネもなかったりしたので職にあぶれて半失業しているのだった。
今は本当に若い世代の就業・失業状態は厳しい。若い世代の採用を企業はここ十数年ほど抑制してきた、というよりも拒否してきたといったほうがいい。労働組合は50代の男性正社員のクラブであり、若い世代や女性にとってあてにならない。
正社員といっても、基本給が下がり、一緒に働く仲間が減り、保障や保険も削られて、何が正社員だ?! という状態だ。
もちろん、アルバイトだって、どんどん条件は下がっている。休憩時間は削られ、社員食堂では正社員とはちがって従業員割引を使えないところもある。

このまま連帯し反抗できないのでは、一生懸命学歴・資格を積んでも、がんばって働いても、豊かにはなれない。
会社が、上の世代の男性が、六本木ヒルズ族が、おいしいところをかっさらう。そして個々の従業員、消費者、プレカリアートらはやせ細る。毎日の生活が搾取に満ちてしまう。

毎日の生活でくたくたの人に、赤字続きの家計の人に社会運動はできない。できたとしてもいかにもみずほらしい「子ども」っぽいものとなってしまう。
少しでも余裕のある層のなかで、海外逃避しない層が中心となって、憲法をネオコンから守り、もとの教育基本法を取り戻さねばならない。

そして、自分たちの納得・満足のいく労働を、組み立てねばならない。バイオ・ナノ・コンピューターの時代にふさわしい職・仕事・労働、それに休養を!

何かとマイナスのイメージの強いフリーター。これをなんとかプラスカ、プラスマイナスゼロにできる客観的条件をひとつひとつ積み上げていかねばならない。

貧乏ゆえに社交も制限され、ここ十数年、忘年会などやることもなかった。
しかし、幸いなるかな。忘年会のどんちゃん騒ぎに参加しないということは、今年のいいことも悪いことも覚えておけるのだ。
そして来年に生かせるということだ。
(まあ、金があれば「記年会」を開いてどんちゃんさわぎというのもいいけれど。もしも宝くじが当たったら、ブログやmixiの知りあい、組合の知り合い、近所の知り合いなど呼寄せて、祇園で宴会やりたい。)

とにかく、新しい年のあけぼのに向かって、前向きにいきたい。
社会的には、今年はフリーターにとってキツい歳だった。フリーターのほかおたく、ニートその他をめぐる象徴戦争は激しさを増している。
後藤和智さんをはじめ、多くのブロガーやmixiコミュニアタリアンが自分たちの権利のために必死に防戦に当たっている。
そこに天の岩戸のアマテラスこと本田 由紀女神がつかれた。ハリー・ポッターの魔法学校の先生のような熊沢 誠さんも様子を身にきた。なお、学者子どもを忌み嫌う近代教育の祖・モンテーニュをひっくりかえすような内藤 朝雄が戦線に加わっている。小さな戦力ながら、わたしも加担している。

きっと、来年こそは勝てる。何の根拠もないのにそう思う。そうしないと倒れそうだから。
日本は請願デモの国であり、民主の国である。それをふみにじる連中は許せない。

日本は会社・業界ごとの社会的隔離が強い。フリーターは、それを打ち破る可能性ももっている。
どの会社がどんな労働条件か、身をもってひどいところをよく知っているのはフリーターだ。
それを生かして、上の世代になど頼らずに自分たちで組合を作れば、それほど強いものはないと思うが、どうだろうか? (←この文は、一連の労働組合批判への回答でもある)


















痛みとともに

2006-11-10 10:10:39 | 日常生活
ちかごろやたらと胃が痛い。それだけではなく腸、のど、膀胱、腕の血管など内臓すべてが痛い。

薬局の胃腸薬ももう効かない。しょうがないので医者に行ったら、尿検査で鮮血反応が出た。
高価でしかも医療事故の報告もある胃カメラ検査は拒否したが、薬の効きぐあいから推論するにどうやら胃潰瘍らしい。

労働組合をしばらく取材して、その近辺のおかしいところ、いかがわしい言動などを見て、ストレスを感じたのが主原因のようだ。
もちろん会社側の暴走をたくさん聞かされて、すっかり内臓が参ってしまったのもあるけれど。

また、知り合いの労働問題研究者ら(熊沢 誠・山田 潤)から「教会の外に救いなし」ならぬ「組合の外に救いなし」といわんばかりの労働組合礼賛・労働者階級賛美を聞かされたこともある。
これは女性としては耐え難い。それに自分で資料を集めたり人から話を聞いたりすると、実際に組合にどんなマイナスもあるかは分かってくる。それは時折個々の労働者と利害が衝突しているのだ。
また、労働組合に所属しない人々が労働運動をになった歴史的事実もある。

そうしたことを無視するか過小評価して、安易な労働組合至上主義を唱える言論には吐き気をもよおす。
特に、組織というものに疑問や違和感をもつことは許さない、その命令どおりロボットのように動けば「高貴な野蛮人」ならぬ「高貴な労働者階級=労働組合員」に生まれ変わることができるという主旨の説教を聞かされたときには、自分がどれほほど尊厳を尊重されていないかが分かり、目の前が真っ暗になった。
その研究者・熊沢 誠は絶対に信用できない、と思った。

「運転士:ただ、こういう松崎批判やJR東労組批判を、一般社員は決して表立ってできないんです。組合に楯突くと、(中略)『組織破壊者』とみなされ、吊るし上げにあいますから。『浦和電車区事件』(JR東労組に批判的な運転士が退職を強要された事件)が警察に摘発された以降はさすがに少なくなりましたけれども、それまでは皆、警組合の吊るし上げを怖がっていましたね。

車掌:それに組合は人事権も握っていますから。実際、わたしも他労組の人と話をしただけで、組合から目をつけられた。車掌試験を受けたとき、組合役員が「お前はどこの車掌区に行きたいんだ」って聞くから希望区を言った。そしたら、「絶対に行かせない。お前の人事なんか、組合の力でどうにれもなる」って脅され、実際、普通ではあり得ない遠隔地に飛ばされました。(週刊現代2006・11・18)PP164-165」

こうした組織のもつ個人への暴圧をイヤだというのは許せないと熊沢は言う。その人が、「研究会・職場の人権」の代表を務めるというのは理解できない。裏に利権でもからんでいるのだろうか? 
そういえば、地域密着というのもこの人はうるさく言っていた。この人も地域ボスで、利権を守るために、人権無視をいいつつ、タテマエだけでは人権擁護なのか。

こうしたおかしな組合とその後援会のような勢力に取材をしたものだから、胃潰瘍くらいになってもムリはないのだろう。
だけど、こうした組合や研究会などに苦しめられている人の痛みも、こうして胃潰瘍くらいは作らなければ理解・共有できないのも事実だ。
学校の外の学びの中でいただいたこの苦しみをかてに、もっといい記事を書いていきたい。









情報操作・教育効果

2006-09-08 22:17:39 | 日常生活
最近、すっかり労働ぼけしている。
近所の小さな子が三輪車をこいでいても、ネコ同士がじゃれあっていても、「これは労働か? その意義・効果は?」と自問している。
コンビニで買い物をするときにも、「このパッケージされたご飯はどこの工場で作っているんだろう? 従業員の構成・賃金は?」などと思ってしまう。
いけない。このままでは視野狭窄になってしまう!!

というわけで、あえて別のことを考えるお話を聞きにいくことにした。
9/3に京都・丸太町で千田 悦子さんの難民や旧第三世界のことを考えるつどいに。
9/5には、大阪・西九条にて、天木 直人さんのパレスチナ情勢報告会に。
いつもとは別の筋肉を使うような感覚を味わった。
はじめは関係ない話だけれど、人とのつきあいで聞く、といった趣があった。しかし、話をうかがえば、労働や失業の問題とも接点があることがわかった。レバノンでもアフガンでも、難民の問題は、生存権を介してリンクしている。また、千田さんの自己肯定させない日本の教育という指摘、自己責任論と直結する。

詳しい話は、ここでははしょろう。
ただ、印象的だったのは、二人とも「情報操作」と「教育(効果)」が大事だとおっしゃったことだ。
千田さんはこうおっしゃった。今の日本はアメリカの政策には批判できないように情報操作がされている。
天木さんは、今世界的に、パレスチナ難民のことが伝わらないように、アメリカの戦争の大儀のなさ・残酷さが伝わらないように、世界的に情報操作されていると指摘していた。
千田さんは、日本では、教育において自己否定をさせてしまう。それは心理学の観点から見て大変いけないことだと意見を述べられた。
天木さんは、これからの日本は、国民の生活を切り捨て、自衛隊を自衛軍として100%アメリカ軍指揮下に置こうとしている。そのために、憲法改正もいずれアメリカは求めている。それに沿った情報操作・教育効果がこれから後になればなるほど明瞭になる。その前になんとかしなければならない、と訴えた。

日々接するマス・メディアの流す情報。学校をはじめとする教育の場で使われる情報。それらは実は中立でもなんでもない。誰かが、特定の意図をもって流した情報の可能性もある。そのことをほんの少し頭のかたすみに置いておこう。そうすれば、何者かによって操られ、いつしか憲法・教育基本法その他の国民破壊法に賛成票を投ずる可能性は低くなるだろう。
マスコミと教育はマユツバだと思っておいたほうがいいとわたしは思う。読者は?

<2006.9.11付記>ここで出てきた9/3の千田 悦子さんのお話は前半です。後半は、10/8に丸太町の英書中心の古本屋GREEN E BOOKSにて開催予定。くわしくは、http://www.greenebooks.net/menu/menuframe2.htmlをご覧ください。

なお、AMLという社会運動系メーリング・リストの保存庫を調べたところ、大阪・西九条の天木 直人さんの講演会のお知らせがありました。参考までに貼っておきます。http://list.jca.apc.org/public/aml/2006-August/008457.html

<2006.9.11付記>

トラックバック用URL:http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20061110
http://d.hatena.ne.jp/s_kotake/20061125/p1






一杯の蕎麦湯

2006-07-09 23:03:46 | 日常生活
 今、冷蔵庫が故障している。多分、寿命なのだろう。
 家に食料を貯蔵しにくいので、外で食べることが多くなる。
 
 先日、近所でざるそばを注文した。そのとき、蕎麦湯を頼むのに、罪悪感や自己否定感なく頼むことができた。

 このブログをはじめる前では考えられなかった事態だ。以前はちょっとしたことを人に頼むのでも、「自分にはこんなことを頼む資格はないんじゃないか」と思ってしまい、必要以上に遠慮してばかりいた。それが、今では当然のような顔をして蕎麦湯のサーヴィスを頼んでいる。
 そばちょこに蕎麦湯を注ぐ。すると、自己肯定がそばちょこに8割くらいになったように感じられた。ビールジョッキ一杯とはいかないけれど、このくらいあればOKかな、と思えるのだった。

 このブログをはじめてから、まず、家のなかで叩かれることが少なくなった。次に会社の面接など外でもひどい接し方に苛立ったり落ち込んだりすることが減ってきた。さらに、ブログを通じてリアル世界での知り合いを増やすこともできた。

 失業はつらいけれど、紆余曲折を経て、だんだんと自己否定的ではなくなってきている。これで職が見つかったら、もっと元気になるんだろうな。

 このブログには、特にコメント欄でいろんな職場のことが語られている。こういうのを見て、「つらいのは自分ひとりだけじゃないんだ」「問題なのはウチの職場だけじゃないのか」って思える人が一人でも増えてほしいと願ってやまない。



なぜ・どうして掃除が残る

2006-06-20 20:06:22 | 日常生活

注意! 食事中の方は、この記事を読まないでください。吐き気をもよおすおそれがあります。特にゴキブリぎらいの方はご遠慮ください。

今のすまいは狭い。10年ほど前に、死に場所を求めるように引越ししてきた。その前は、東大阪のほうにいた。そこでわたしはフリーター生活をはじめた。そして、年収の計算も、労働基準法も組合も何も知らないまま、主観的な孤立感を深め、なんとか現状から逃げ出そうとして、引越しをした。親福祉を使っての、逃避行だった。東大阪の家は親類の持つ物件だった。何かと問題のある親類で、いろいろといやがらせを受けることは、母とわたしにとって耐え難いことだった。そこからの距離を求めての脱出だったこともある。長岡京がアルバイト先で知り合った友人の近所だったことも、引越しした理由のひとつだった。つてのまったくないところに一人で行くのは勇気がいることだ。当時、まだ20代初頭だったというのに、アルバイトと仕事探しと貧乏ぐらしで疲れたわたしには、一人で冒険する勇気などなかった。

それから10年。はずかしいことに、家の掃除がまるでできていない。
自分でも思っていた以上にひどいうつ状態だったようだ。ある社会保障法の解説書を見ると、福祉のために役所に手続きをするいくつらかの用件のうち、一時はすべて満たしていた。いっときは、ロクに食事もとれなかった。
今も、うつで職探しがうまくいかない。あまりにちらかった部屋にいると、それだけでうつがひどくなって悪循環になる。不思議なもので、そうなると、小さいころからの自分の人生や自分と縁のあった人や環境のすべてが悪かったように思えてくる。それで自己嫌悪して、ウツがひどくなったりもする。

ゴキブリもずいぶん繁殖している。黒いのや茶色いのなどいろいろいる。中には、大型化してやたら飛行するようになった個体もある。バッタが大量発生すると、大型化し羽も長くなるタイプが出現するという。ゴキブリも繁殖して別の地域に移ってゆく必要がでてくると、別のタイプがあらわれるのだろうか? 
はじめはまあいいかと放っておいたが、夜中に足音がうるさいし、ゴキブリは衛生害虫に指定されている。玄関のドアを開けて部屋の奥のほうにいるときに、ギャング・エイジ期とおぼしき子どもたちが「ウワサは本当だった!」「ここ、誰かが死んだん?」などとはやしたてている。家主さんも、もっと部屋をきれいに片付けろと言ってくる。
こうなると、もうゴキブリを観察している余裕はない。ゴキブリホイホイとホウ酸団子で駆除することにする。最初はかんたんにワナにひっかかっていたゴキブリたちにも学習能力はある。だんだんとひっかからなくなってくる。それでも、ゴキブリホイホイでもう300匹はつかまえた。
なんだかとてもかわいそうな気がする。けれど、家主さんとの契約書にも部屋をキレイに使うとする条項もあるので、仕方がない。

まだいつものように会社の仕事があったり、一日の大半を面接ですごしていた時期のこと。家の中の掃除はあとまわしになっていた。食事は一日一食程度は食べていた。服は、人と会うので、ルーズになってもなんとかこなしていた。十代半ばのころは、「片付け上手」だった。なのに、今では別人のようだ。

先日、ある引越し業者ににする会社に電話連絡して、部屋のクリーニングだけでも依頼できるかどうか、たずねてみた。それでもOKだと電話受付の人が言う。
さっそく、下見に来てもらった。「失礼かもしれませんが、ずいぶん汚れていますねー」とコメントされる。増殖したゴキブリが壁や冷蔵庫などあちこちにフンを残している。で、拭き掃除は少しずつしかできない。結局、ゴキブリの圧勝。地球が再び氷河期になっても生き残ると推定される生物に、疲れ果ててビョーキしてる人間が、一人で勝てるわけありません。ゴキブリさまは偉大で高貴!
結局、2人が3時間でいらないゴミをまとめて引き取ってもらう。そのあと、時間があまれば掃除もやる。ということで10万円。田舎の母に連絡すると、「それでもいいからやってもらいなさい」とのこと。

ということで、ここ数日、自分でできる範囲のゴミを捨て、部屋のふきそうじをしていました。忙しいやらゆううつで頭が痛く・重く、スムーズに動けないやら、意識や記憶がときどき薄らいだりとだえたりするといった状態が、今でもときおり訪れるのです。それがどういう周期を描くのか予想できないこともあって、苦しいのです。

明日以降、部屋がスッキリしたら、ゆううつも晴れるかな、とちょっぴり期待しています。

それにしても、片付けがしにくいほど人を拘束する企業の労務管理もなんとかならないものか。うつでも、うつでなくても、こうした「片づけができていなくって」
「家事のなかで、片づけが一番後にならない?」的状況は広まっているわけで、ワーク&ライフバランスの問題として考えてゆきたいと思っています。
また、少しものを買い込めば、何かを捨てねばならない。となると、貧乏人はわずかの財産ももつな、ってことですよね。なので、行政がもう少し一人暮らしの人むきに広い家を提供する政策ができないかどうかを提案するきっかけとして、このエピソードが使えないかと考え、ここに記しておきます。同じような悩みをもった方がいらしたら、恥ずかしがらずに体験や意見をメール・コメントなどでお寄せください。

(このブログを建てるのは、もはやわたしの“仕事”ですので、なんとかなるみたいです。)


会社の毒の中和法

2006-04-22 22:23:38 | 日常生活
このあいだ、ある派遣会社に登録に行ってきた。
他の会社の例にもれず、いつ、どんな仕事があるか、わからない。
人を幼児扱いしたり、待遇はよくないのに正社員やプロとしての意識を持てと説教する書類を読まされる。この業界の恒例行事ながら、頭が痛くなってくる。

帰宅後、寝込んでしまった。疲れて疲れて昼の4時まで寝込んでしまったのだった。しばらくして気を失うように寝込み、気がつけばよるの7時。
そうして、次の日に予定していたサルや狩猟採集民の話のある民族自然誌研究会、鉄道組合の主催によるグローバリズムに関する国際シンポジウム、六ヶ所村の再処理施設の事故にからむ学習討論会などに出席できなくなってしまった(泣)。(明日はなんとか「不登校親の会」と「尼崎駅前追悼集会」のどちらかに出席するぞ。)

求職仲間で、面接の前にアトピー性皮膚炎がひどくなったり、吐いたりする例もある。

会社というのはどうしてこうも疲れてしまうのだろう。明るい地獄とでもいうのか。
わずかにマシになったのは、会社のどこがどのようにおかしいのか、このブログや「研究会・職場の人権」定例会への出席などによって、分かってきたことだ。
会社がおかしいことをしていたら、なぜどんな風にいけないか、以前より少しは見えるようになってきた。いざとなったら、どこに相談するといいか、あるいはそのことをほのめかすだけでも、同僚や自分を守ることができるかもしれない。マクロな流れを一挙に変えられなくとも、少しでもマシな条件を引き出すことならできそうだ。そう思うと、会社に行くのがほんの少し苦痛ではなくなる。
求職労働も辛いものだけれど、ぼちぼちいこう。

もうすぐOFFだ。OFFに来た人が、自分のように悪性の孤立感を抜け出し、苦痛が減ればいい。そういうオフになるようにどうしたらいいか、考え中だ。

単純作業はむつかしい

2006-04-19 03:00:54 | 日常生活
『タカマサのきまぐれ時評』http://blog.drecom.jp/tactac/archive/140#comments
のコメント欄に書いたこと。



>>伊原亮司さんの『トヨタの労働現場』が えがいているとおり、現場労働は、「誰でもできる単純作業」でなどない。

いろいろ書きましたが。少し追加させてください。派遣の場合は特に、派遣された先の会社の社員になりきる演技力も当然視されています。また、一日、一週間といった短期でいろいろな会社や職場をまわされても平気な神経も必要です。特に配置転換が違法なやり口であっても目をつぶること。それに、違法行為や搾取の構造を批判をしている同僚がいれば、上に密告するさもしさも求められます。
休み時間に親しく話した同僚は、スパイかもしれない、それを考慮に入れて働かねばならない。これほど「複雑」に神経を使う労働もないのではないでしょうか?


TB用URL→http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20060402


何からの安全?

2006-04-19 02:48:28 | 日常生活
↓『日本がアブナイ!』http://mewrun7.exblog.jp/i8 に書いたコメントと管理人さんのレス


Commented by wataryanse at 2006-04-05 02:52


日本の治安が破られているとわたしも日々感じています。
身近で犯罪が増えたという話はとんと聞きません。
ただ、職場がリストラをしているとか、倒産したといった話はいくらでもあします。
つまり、今、職のセキュリティが危ないのです。フランスじゃないけれどデモくらいやってもいいはずです。

なのに、統計では増えていない犯罪に特化してセキュリティを話すのはおかしい。マスコミの誘導ではないでしょうか。

身近な日常的なセキュリティーー職の、賃金の、過労死/過労自殺なしで働けるセキュリティ破壊が語られないのは、間違っています。


Commented by mew-run7 at 2006-04-05 03:02
wataryanseさん、コメント有難うございます。

私の身近では、殺人まで至りませんが、物騒な事件が増えています。
高齢者、女性、子供が被害にあうことも多く、生活圏でのセキュリティ
の問題が深刻になっています。

ただ、犯罪に限らず、仕事、生活など全ての面で秩序や安全が崩れて
いるようにも思います。
<それが犯罪につながる場合もありますし。>
何で日本人はひたすら耐えているのでしょう。
痛みに耐えてばかりいたら、やられるばかりですのに。


TB用URL→ http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20060403


復帰

2005-12-23 23:13:07 | 日常生活
みなさん、実は四国の親類に不幸がありまして、バタバタしたり、しんみりと落ちこんだりしておりました。人の生死という一大事の前には、自分にとって大事なこのブログも小さくなり、更新できなかった次第です。
が、復帰。街中で隠者のように暮らしながら、自律的に癒すことを充分にできたからです。

(写真は香川県側から見た瀬戸内海。電車の中から撮影。)

100円焼き芋屋@心斎橋

2005-10-12 20:51:17 | 日常生活
 面接の帰り道、100円焼き芋を見つけた!

 画像がややぼやけているが、何を売っているかはなんとか分かると思う。

 売っている人たちに、写真を撮り、話をうかがった。
 話によると、心斎橋筋商店街と、大阪府の大正区で100円の焼き芋専門で商売をしているという。

 はじめて100円で焼き芋を売り始めたのは、阪神・淡路大震災のとき(1995年)。その後、2000年より今の場所で100円と150円の焼き芋を売っている。
 夕方になると、2本で100円とか150円という大特価にになる。ガスがまを使って焼き、ベニアズマという品種のサツマイモを使用している。
 5kgで12本のを使っているとか。一本あたり約400gの計算になりますね、とたずねたところ、一本350~400gくらいだとのこと。
 女の人が店主で、二人のアルバイトとおぼしき男性といっしょに威勢よく声をかけながら道行く人々に焼き芋を売っていた。

 話を聞き終わったあと、わたしも商品を購入。試食する。少しかためだが、甘みはある。ぼろぼろと崩れない分、歩きながら食するのには向いている。2本で100円のを買ったためか、しっぽの部分が少々こげてついている。が、しっとりとした感じがある。総合的に見て味は上の部類だろう。
 少なくとも、西友がウォルマートになってから売り出した1本180円の焼き芋よりも焼き芋らしい味がすることは保障する。また、マクドナルドのフライドポテトよりも体にいいおやつであることは説明を要しない。

 焼芋屋の歴史は、江戸時代・寛政年間にさかのぼることができる。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/kwg1840/satuma.html
http://www.interq.or.jp/tokyo/jojitown/one/osanpo/2003_121/kawagoe.htm← イモが宇宙食なのかどうかは未確認だが、だいたいの来歴が分かる。

 学校教育と良妻賢母は明治以降たかだか百年の歴史しかない。その「二つよりも長い歴史をもつ焼芋屋は、アメリカ主導のグローバライゼーションの時代にあっても人々に愛され、生き延びるだろう。
 
 


紫の人

2005-10-08 20:55:35 | 日常生活
 交通調査では、2人一組で仕事に入ることがある。バスの調査なら、バスが時間通りにバス亭を通過しているかどうかをチェックする。あるいは、乗客の乗り降り地点を記録する。バスの社内の掃除を担当することもある。

 あるバスの調査のさい、いっしょになった人が印象的だったのでぜひ記しておきたい。
 彼女は、ポッチャリした人だった。平安時代なら美人で通ったような人だった。
 ポッカリとあいた時間が一時間とか90分くらいできることが、交通調査ではときどきある。朝5時や6時から夜は23時24時にわたることもある仕事だから、そのくらい空く時間がないと、仮眠がとれずに倒れる人が続出するという事情もあり、よくできている。

 ご飯を食べ、眠気ざましにバスの営業所でコーヒーを飲み、酔い止め薬も飲む。
仮眠をとって眠気を払う。それが終わったころ、少し時間が空いていると、雑談うする。いい連携をするためにコミュニケーションをとれと会社もすすめている。
 まわりとの関係がよくなければならない、というのは日本の世間の圧力だ。ただし、なんでもいいからおしゃべりをしていればとがめたてされない。
 彼女とわたしとはいっしょに話した。何から話せばいいだろう。早朝に自己紹介したときに名前は知っている。年齢、住所、職業・趣味……。
 彼女は、ただし、子どもができるまでは何もなかった、だけど子どもができてからは子どもがすべてだと言った。
 察するに、この人はおそらくそれまで不遇の人生を生きてきたのだろう。子どもを産むことが、この世に地位を得、生きている証となる生まれてはじめての出来事だったにちがいない。
 まだ時間がある。今度はこんな質問をしてみた。
「ねぇ、好きな色は何? わたしはエメラルドグリーンとかペパーミントグリーンが好きなの。」
少し間をおいて、彼女は答えた。
「紫。紫が好き。」
 そういえば、彼女のはいているズボンと口紅は紫系だ。ズボンは濃紫(こきむらさき)。口紅は薄紫。藤の花みたいで、肌の色ともよくあっている。夕日に照らされて、色合いが変わってみえるところも美しい。
 そういえば、紫は高貴な色だ。ある民族では未亡人だけが紫の衣をまとうという。日本でも「源氏物語」に出てくる主人公・源氏の君の正妻は紫の上という名前だ。
 彼女は子どもを産むことで高貴になったのだとわたしは思った。
 
 中世・ルネッサンス期の音楽のなかに、誰が作ったのかわからない曲がある。
 そのなかに、次のような一節がある。

Gaudete gaudete christus est natus
ex maria virgine gaudete

(喜ばしい 喜ばしい キリストが生まれた
処女マリアから なんと喜ばしい)

 彼女の場合は、christ(キリスト)ではなくhommo(人間)のanfan(子ども)を産んだ。
それはそれでめでたいことなのだと思う。階層が低かろうが高かろうが、子どもができるのはすばらしいことだ。

 人々から再生産の自由を奪うものがある。細切れ雇用、低賃金、長時間労働、やがて信じられないほどになるかもしれない格差……。
 子どもを産むことで偉大になる人々、それしかこの世に認められるすべのない人々のためにも、階層が下であっても偉大さを発揮できるチャンスのためにも、子どもを産み・育てやすい環境の整備は必要だ。








 

自壊を避けるために

2005-08-24 01:09:55 | 日常生活
(この記事は「タカマサの気まぐれ時評」http://blog.drecom.jp/tactac/archive/197へのTBです。)

Hi! ハラナさん、お久しぶりです。TBをありがとう。

このエントリー、本当にそうなんですよね。ウォルマータイゼーションってアリ地獄なんです。
アメリカでは労働組合が、地域荒廃や労働組合つぶし、労働条件の切り下げ等を総称して、ウォルマート化に反対していると、以前月間労働組合という雑誌で見たことがあります。日本なら、ジャスコ化ですね。

うちの近所も地域商店街は壊滅。滋賀資本の大手流通が駅前に出店しました。
だけど、地元の人はほとんど雇用されていない。
たしかに消費者としては、安くて、品数もそろっているので便利になった。いっぽうで、失ったものも大きい。
その資本の出店のために行政は、昔、商店街のあった地域に住宅を建て、道路は車優先にするためにまっすぐで幅広にしてしまいました。(1)建築家ル・コルビジュエの「輝ける都市」構想そのまんま。小さな路地ーー子どもたちが遊べるところ、近所の人が語らえるところーーは消去されまくりです。
しかも近くに設置した公園みたいなコーナーでは、ホームレスが寝転ばないように、ベンチに仕切りをつけています(←非人道的)。
池はなくて、コンクリートを使用するためだけに作ったのがミエミエの噴水ができている。住民には説明も同意もナシ。工事をしていて、何ができるんだろうと思っていたら、ウォルマートまがいのところだった。

ただ、もうそれしか身近な環境はなくなっている。だから、いやでもその店で買わざるをえないんです。そういえば、弟が四国にいるんですが。地元商店街はゴーストタウン化、一時間半以上もかけてドライブしてジャスコで買い物をしないと生活できなくなっているんだそうです。
実際、給与や保障が下がり、税金も上がる予定の今日このごろ、消費者は節約したいから。そのうえ、営業時間も長く、駅前の超便利なところをまさに独占しているわけです。駐車場も広い。残業の終わった人が、夜遅く帰って、駅前でお買い物をして家に帰る。他に選択の余地はない。サッチャーのねらいどおり、There is no alternativeだ。F○○k you! Your crazy!! Very very stupid !!! 
Save the alternative! Freedom is not abandon, so abandon of wallmartization destroy employ and community.
We want decision ourselves what we consume.

自分としては、はじめにひやかしに行ったの以外は、なるべく近所の小さなスーパーか生協で買い物しています。けれど、国内亡命・隠居をやめて働きにいくと、残業で遅くなるから、駅前で食料等を買い込むことになるでしょう。

こうなると、地方自治体レベルでの独占禁止法とか、寡占禁止法さえも必要なのかもしれません。ゆとりのある方から不買運動をしかけてもらうのも手。労働組合と消費者団体と人権団体と地域の伝統文化保護団体あたりが手を組んで何かできないかな? 
近所にうでのいい美容室があって、民謡三味線の教室があって、そこのネコが近所の子どもの人気者でだったりする。古本屋のおやじさんが客の思わぬリクエストに応えてくれる。顔のわかったマスターのいる喫茶店は、わたしのような(半)失業者に居場所を提供してくれる。性的虐待を受けそうになった子どもが近所の商店にかけこめる。
生きるのに必要な環境を、消費者みずからが崩すとハラナさんは指摘される。
ならば、それを守るのも消費者ではないのか? 

フリーターも正社員と同じく消費者だ。だったら、この件にも意見を言ってもいい。
完ぺき主義になる必要は無い。ただの一度も大手の安売り店を使うなとはいわない。(現に、自分も使っている)
けれど、それを規制しようとする政治家がもしあなたの選挙区にいれば、一票を入れることはできる。たった一回でも、地元の商店で買い物をする回数を増やしてみてはどうだろう。給料日だけでもいいから。

(1)宇沢 弘文 「社会的共通資本」岩波新書 2000、2002:97-99