注意! 食事中の方は、この記事を読まないでください。吐き気をもよおすおそれがあります。特にゴキブリぎらいの方はご遠慮ください。
今のすまいは狭い。10年ほど前に、死に場所を求めるように引越ししてきた。その前は、東大阪のほうにいた。そこでわたしはフリーター生活をはじめた。そして、年収の計算も、労働基準法も組合も何も知らないまま、主観的な孤立感を深め、なんとか現状から逃げ出そうとして、引越しをした。親福祉を使っての、逃避行だった。東大阪の家は親類の持つ物件だった。何かと問題のある親類で、いろいろといやがらせを受けることは、母とわたしにとって耐え難いことだった。そこからの距離を求めての脱出だったこともある。長岡京がアルバイト先で知り合った友人の近所だったことも、引越しした理由のひとつだった。つてのまったくないところに一人で行くのは勇気がいることだ。当時、まだ20代初頭だったというのに、アルバイトと仕事探しと貧乏ぐらしで疲れたわたしには、一人で冒険する勇気などなかった。
それから10年。はずかしいことに、家の掃除がまるでできていない。
自分でも思っていた以上にひどいうつ状態だったようだ。ある社会保障法の解説書を見ると、福祉のために役所に手続きをするいくつらかの用件のうち、一時はすべて満たしていた。いっときは、ロクに食事もとれなかった。
今も、うつで職探しがうまくいかない。あまりにちらかった部屋にいると、それだけでうつがひどくなって悪循環になる。不思議なもので、そうなると、小さいころからの自分の人生や自分と縁のあった人や環境のすべてが悪かったように思えてくる。それで自己嫌悪して、ウツがひどくなったりもする。
ゴキブリもずいぶん繁殖している。黒いのや茶色いのなどいろいろいる。中には、大型化してやたら飛行するようになった個体もある。バッタが大量発生すると、大型化し羽も長くなるタイプが出現するという。ゴキブリも繁殖して別の地域に移ってゆく必要がでてくると、別のタイプがあらわれるのだろうか?
はじめはまあいいかと放っておいたが、夜中に足音がうるさいし、ゴキブリは衛生害虫に指定されている。玄関のドアを開けて部屋の奥のほうにいるときに、ギャング・エイジ期とおぼしき子どもたちが「ウワサは本当だった!」「ここ、誰かが死んだん?」などとはやしたてている。家主さんも、もっと部屋をきれいに片付けろと言ってくる。
こうなると、もうゴキブリを観察している余裕はない。ゴキブリホイホイとホウ酸団子で駆除することにする。最初はかんたんにワナにひっかかっていたゴキブリたちにも学習能力はある。だんだんとひっかからなくなってくる。それでも、ゴキブリホイホイでもう300匹はつかまえた。
なんだかとてもかわいそうな気がする。けれど、家主さんとの契約書にも部屋をキレイに使うとする条項もあるので、仕方がない。
まだいつものように会社の仕事があったり、一日の大半を面接ですごしていた時期のこと。家の中の掃除はあとまわしになっていた。食事は一日一食程度は食べていた。服は、人と会うので、ルーズになってもなんとかこなしていた。十代半ばのころは、「片付け上手」だった。なのに、今では別人のようだ。
先日、ある引越し業者ににする会社に電話連絡して、部屋のクリーニングだけでも依頼できるかどうか、たずねてみた。それでもOKだと電話受付の人が言う。
さっそく、下見に来てもらった。「失礼かもしれませんが、ずいぶん汚れていますねー」とコメントされる。増殖したゴキブリが壁や冷蔵庫などあちこちにフンを残している。で、拭き掃除は少しずつしかできない。結局、ゴキブリの圧勝。地球が再び氷河期になっても生き残ると推定される生物に、疲れ果ててビョーキしてる人間が、一人で勝てるわけありません。ゴキブリさまは偉大で高貴!
結局、2人が3時間でいらないゴミをまとめて引き取ってもらう。そのあと、時間があまれば掃除もやる。ということで10万円。田舎の母に連絡すると、「それでもいいからやってもらいなさい」とのこと。
ということで、ここ数日、自分でできる範囲のゴミを捨て、部屋のふきそうじをしていました。忙しいやらゆううつで頭が痛く・重く、スムーズに動けないやら、意識や記憶がときどき薄らいだりとだえたりするといった状態が、今でもときおり訪れるのです。それがどういう周期を描くのか予想できないこともあって、苦しいのです。
明日以降、部屋がスッキリしたら、ゆううつも晴れるかな、とちょっぴり期待しています。
それにしても、片付けがしにくいほど人を拘束する企業の労務管理もなんとかならないものか。うつでも、うつでなくても、こうした「片づけができていなくって」
「家事のなかで、片づけが一番後にならない?」的状況は広まっているわけで、ワーク&ライフバランスの問題として考えてゆきたいと思っています。
また、少しものを買い込めば、何かを捨てねばならない。となると、貧乏人はわずかの財産ももつな、ってことですよね。なので、行政がもう少し一人暮らしの人むきに広い家を提供する政策ができないかどうかを提案するきっかけとして、このエピソードが使えないかと考え、ここに記しておきます。同じような悩みをもった方がいらしたら、恥ずかしがらずに体験や意見をメール・コメントなどでお寄せください。
(このブログを建てるのは、もはやわたしの“仕事”ですので、なんとかなるみたいです。)