フリーターが語る渡り奉公人事情

ターミネイターにならないために--フリーターの本当の姿を知ってください!

自壊を避けるために

2005-08-24 01:09:55 | 日常生活
(この記事は「タカマサの気まぐれ時評」http://blog.drecom.jp/tactac/archive/197へのTBです。)

Hi! ハラナさん、お久しぶりです。TBをありがとう。

このエントリー、本当にそうなんですよね。ウォルマータイゼーションってアリ地獄なんです。
アメリカでは労働組合が、地域荒廃や労働組合つぶし、労働条件の切り下げ等を総称して、ウォルマート化に反対していると、以前月間労働組合という雑誌で見たことがあります。日本なら、ジャスコ化ですね。

うちの近所も地域商店街は壊滅。滋賀資本の大手流通が駅前に出店しました。
だけど、地元の人はほとんど雇用されていない。
たしかに消費者としては、安くて、品数もそろっているので便利になった。いっぽうで、失ったものも大きい。
その資本の出店のために行政は、昔、商店街のあった地域に住宅を建て、道路は車優先にするためにまっすぐで幅広にしてしまいました。(1)建築家ル・コルビジュエの「輝ける都市」構想そのまんま。小さな路地ーー子どもたちが遊べるところ、近所の人が語らえるところーーは消去されまくりです。
しかも近くに設置した公園みたいなコーナーでは、ホームレスが寝転ばないように、ベンチに仕切りをつけています(←非人道的)。
池はなくて、コンクリートを使用するためだけに作ったのがミエミエの噴水ができている。住民には説明も同意もナシ。工事をしていて、何ができるんだろうと思っていたら、ウォルマートまがいのところだった。

ただ、もうそれしか身近な環境はなくなっている。だから、いやでもその店で買わざるをえないんです。そういえば、弟が四国にいるんですが。地元商店街はゴーストタウン化、一時間半以上もかけてドライブしてジャスコで買い物をしないと生活できなくなっているんだそうです。
実際、給与や保障が下がり、税金も上がる予定の今日このごろ、消費者は節約したいから。そのうえ、営業時間も長く、駅前の超便利なところをまさに独占しているわけです。駐車場も広い。残業の終わった人が、夜遅く帰って、駅前でお買い物をして家に帰る。他に選択の余地はない。サッチャーのねらいどおり、There is no alternativeだ。F○○k you! Your crazy!! Very very stupid !!! 
Save the alternative! Freedom is not abandon, so abandon of wallmartization destroy employ and community.
We want decision ourselves what we consume.

自分としては、はじめにひやかしに行ったの以外は、なるべく近所の小さなスーパーか生協で買い物しています。けれど、国内亡命・隠居をやめて働きにいくと、残業で遅くなるから、駅前で食料等を買い込むことになるでしょう。

こうなると、地方自治体レベルでの独占禁止法とか、寡占禁止法さえも必要なのかもしれません。ゆとりのある方から不買運動をしかけてもらうのも手。労働組合と消費者団体と人権団体と地域の伝統文化保護団体あたりが手を組んで何かできないかな? 
近所にうでのいい美容室があって、民謡三味線の教室があって、そこのネコが近所の子どもの人気者でだったりする。古本屋のおやじさんが客の思わぬリクエストに応えてくれる。顔のわかったマスターのいる喫茶店は、わたしのような(半)失業者に居場所を提供してくれる。性的虐待を受けそうになった子どもが近所の商店にかけこめる。
生きるのに必要な環境を、消費者みずからが崩すとハラナさんは指摘される。
ならば、それを守るのも消費者ではないのか? 

フリーターも正社員と同じく消費者だ。だったら、この件にも意見を言ってもいい。
完ぺき主義になる必要は無い。ただの一度も大手の安売り店を使うなとはいわない。(現に、自分も使っている)
けれど、それを規制しようとする政治家がもしあなたの選挙区にいれば、一票を入れることはできる。たった一回でも、地元の商店で買い物をする回数を増やしてみてはどうだろう。給料日だけでもいいから。

(1)宇沢 弘文 「社会的共通資本」岩波新書 2000、2002:97-99

離合集散、いいじゃない

2005-08-13 05:37:59 | 政策
 いわゆるサヨク系の人たちは、フリーターを見ると説教をしたがる傾向があるようだ。そのなかの常套句に「分断統治反対」というものがある。
 組合の会合で、飲み会で、個人的にいっしょに食事をしたり散歩をしたりするときにも、誰かがこう叫びだす。「それは分断統治だよ!」

 そうして、労働組合に加入しない若者を珍獣扱いし、嘆き、けなしてみせる。何のことはない。現実以上にその人たちの頭のなかでは、フリーターをはじめ若い人たちは、怠惰で、無知で、キモチワルイものなのだ。そして、ケシカラン存在として、矯正・誘導されねばならない。
 そのためには、(因果関係も時系列に沿った理解もないのだけれど)とにかく組合に入り、組合のイベントに参加することが自明の原理になっている。
 理想をいえば、一度も・一日も休まずに組合の会議やイベントに出席し、いつもメールや電話で組合幹部と連絡を取るほうが望ましい。

 若者だから組合に入るという前提もそもそもヘンだ。それに、これでは雇用の不安定化による休日予定の不安定化には対応できない。みなが工場やオフィスに勤めて、だいたい土日には休めると見通せる時代は、工業化社会のものだ。今日のサーヴィス化社会にはあわない。

 人類学者の内藤直樹は、ケニア北部の牧畜民アリアールの調査を報告している。以下の「」内は抜粋・要約である。
 
 「彼らは移動がひんぱんで、まとまりがない。彼らが今いるキャンプ地に不満があって移動を考えるときには、斥候を派遣して水や草の具合を調べる。斥候からの情報をもとにして、いくつかの候補のなかからどれがいいのかをキャンプのメンバ-が議論して決定する。
 しかしどこに移動するか、そもそもいま移動するべきかどうかについて意見が合わないことがある。すると彼らは、構成員すべてが満足するような結論を導き出すよりも、むしろ簡単に袂を分かつ。そして別の村の構成員と出会うと、彼らといっしょにキャンプを作る。」(エコソフィア エコソフィア編集委員会編 民族自然誌研究会発行 昭和堂2003.5:54-55 内藤直樹「境界の旅人たちーー牧畜民アリアールの日常的実践」)

 もしフリーターの組合、または情報交換や親睦や相互扶助のための組織づくりができるとすれば、アリアールのやり方が参考になると思う。
 ムリに意見を一致させたり、まとめたりする必要はさらさらない。圧力がウザイまたはコワイので、口先だけであわせても、イヤになって長続きしないだろう。そして、こうした政治や経済に関する運動は、短期間で成果があがるものではなく、ねばりづよい中・長期的とりくみが求められる。
 だったら、なおのこと、嫌がる人の尊厳を冒す必要はない。いつも同じときに、同じ場所にいなければ仲間じゃないと決めつけ、人を粗末に扱う労働組合関係者や労働NGOアクティヴィストをわたしは何人も見てきた。みなの前で侮辱・罵倒したり、批判ではない悪口・中傷を言う。電話で大変不誠実な応対を重ねる。頭ごなしに意味不明のことを怒鳴りつけて威嚇するなどなど。会社での各種のハラスメントと比べて、どちらがマシなのかと首をひねる場面もあった。
 ほんの少しの意見や趣味の不一致に神経質になる。みながいっしょでなければ不平等でケシカランとか、こ秩序が乱れるとか心配してばかりいる。
 特にリーダーやサブリーダーは、組織化を通じて他人をコントロールしたいがために「分断統治はダメ、もっと団結を」と唱えているようにも見えて、気味が悪かった。
 たとえば、ある労働問題の雑誌を作ろうと呼びかけた人は、とある掲示板で「わたしはこちらのコミュニティにはあわない。だから去ることにする」とカキコをしたときに、おかしなレスをよこした。「そうですか。また気が向いたらいらしてください」
 いったい何を言っているのだろう。わたしはあわないから去ると書いただけだ。だったら、それを尊重すればよい。にもかかわらず、その管理人は、自分とちがうタイプの他人の参加コミュニティを選ぶ権利を尊重できない。自分の管理するコミュニティが選ばれなかったことを理解できず、トンチンカンな答えをよこしたのだ。人の個性や選択を侮辱する、人格無視のコメントであり、腹立たしい。思い出すだけでゾっとする。

 そんなことをしなくてもいい。個人とか各ユニットの独立性を尊重しあって、ムリなくいっしょにやれるなら、協力してことに当たればよい。
 世間の偏見や無理解、当局の弾圧などに、たくさんの中心があったほうが防御しやすい。そのことは、インターネットの基本的な仕組みを見ても分かることだ。
 会社のストレスで死にそうになったり、軽い慢性的なウツ状態になったりしているときに、ムリに勉強会や定例会に出席する必要はない。出席しない人間をおとしめるなどとんでもない。むしろ、そのように個人の都合や体調や考えを壊すようなやり口をとるから、若者は組合に寄りつかないわけだ。
 
 サヨクの一元的集団主義、硬直した共同体主義を、見直す時期に来ている。多様なコミュニティと個人による、ゆるやかな連合を! 
 アクテイヴィストらは、画一主義的で支配欲旺盛な組合に、若者や女性たちが集まらない原因をよく考えたほうがいい。確かに分断統治は迷惑かもしれない。
 ならば、離合集散を活用する手もある。名づけて「分散抵抗」。ちじぢりになって、だからこそ身軽に、必要に応じて抵抗できる。つぶしたい側はどこが中心か分からないので、手を打ちにくい。
 とにかく、個人の権利をやっつけないこと。わたしはもう、上の世代の男性中心の労働組合や、同じ価値観に染まった頭の固い労働NGOの活動家にはウンザリしている。若い世代でも、全共闘世代にこびるような情けない人もいるのだ。
 とにかく、30年一日のごとく分断統治に言及または反対していさえすれば、若い世代がついてくる、といった過去の成功体験による呪縛(?)をとりさるべきなのだ。
 別に労働組合に幻想もないけれど。おかしなことばかりしないでほしい。
 あなたがたの「善意」の行動が、かえって人を苦しめていることに気づいてほしい。

(9/27読みやすくするために一部の表現をあらためました。主旨に変わりありません。)
 
 
 
 

 
 

派遣・請負の特徴

2005-08-13 04:43:10 | 現状
 派遣・請負の特徴を、自分なりにまとめてみました。とりあえず10コほどリスト・アップします。(派遣と請負は法的には別ですが、実際の現場では、ひとつの会社が派遣・請負・委託のうち複数を取り扱っていることもあるので、まとめて派遣・請負としました。)

①労働力の商取引的性格の高さ。
②使用者責任の分離・あいまい化。
③派遣先と派遣労働者との対等な労使関係がないこと。
④細切れ雇用
⑤年齢・容姿差別
⑥中間搾取
⑦演技労働
⑧密告
⑨セクハラ・パワハラ・いじめの温床。
⑩相互不信→スパイ扱い
⑪派遣先会社はたいていい辺鄙なところにある。(2006/8/12補足)

 ちょっと分かりにくいところがあると思うので、解説します。
 ⑦演技労働
短期間ごとに派遣される先の企業・職場の正社員になったつもりで働け、と派遣会社は労働者にハッパをかけます。そのため、演技も仕事のうちなのです。たとえ、正社員に比べて賃金・保障が半分以下であっても、そうしなければならないわけです。
 ⑧派遣は、不安定雇用の最たるものです。次もまた派遣会社の営業から、勤め先を
紹介してもらいたい、と願うあまり、いっしょに苦労して働く同僚アルバイターのあることないことをチクることがあります。

 それから、⑥中間搾取。
 これは以前から有名な話という気もするのですが。
 下請けだけではなく、孫受け、ひ孫受け、ひ・ひ孫受けと、ハイアラーキーが下のほうの企業に行けばゆくほど給与も低く、人間ではなくモノ的な扱いを受けます。

 これに関して労働組合アクティヴィストの小山正樹は、「業務請負会社から派遣される労働者の賃金は、自給900~1200円程度、会社から請負会社への支払いは一人一時間あたり1300円~1600円。」つまり、その差は一時間あたり400円。つまり、一日八時間労働だとすれば、3200円/日の「ピンはね」ですね。(月間労働組合 労働大学調査研究所発行 2004年7月 特集/派遣労働の現状と組織作り 「製造業務の派遣解禁と課題ーーJAM/労使協定基準を明確に取り組みへーー」20P)

 現場に入ったものとして情報を補足すると、ユニホーム代として一日500円だとか、作業用の手袋や長靴代として一日200円だとかいうように、日給から引いてゆく派遣・請負の会社もあります。その場合、ピンはねの額はさらに上回ることになるのです。

まだ解説することがあるのですが、とりあえずここでいったん切ります。

読者も、ご自分の体験があれば、どんどんコメント欄にカキコしてください。
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