あわなかったシンポジウム
大阪市立大学のプレカリアートに関する公開無料シンポジウムに参加への参加は、途中でやめることにした。
とても息苦しかったからだ。
京阪神には何もないのか
パネリストさんたちの、欧米・ならびに東京ではプレカリアートの運動がある、しかし地元大阪・京阪神では起こっていないという報告は、事実誤認だと分かった。
実際に、京都や大阪のミナミで、イラク反戦のサウンドデモが幾度か行われている。そのうち、元・教育基本法改正反対のデモでは、まるで世代×階級闘争のノリで、京都の四条通で若い世代の貧窮を訴えるデモンストレーションをやっているグループがあった。大学の学費の高さ、愛国心よりも現金がほしい、派遣に危険手当出せ。そういったメッセージのプラカードや、祭りの山車のような見世物があった。(この件については、あとでリンクを貼る予定です。)
ただし、そこはセクトがらみのカラーではあったけれど。
そういう、地元のことを無視して、先進国・先進都市の様子ばかりを報告する、上からものを言う姿勢には賛成できなかった。
まるで人を植民地にしようとしているみたいで、違和感を通り越して、疑問と反感さえ感じた。
成人の公文式?
なによりも、大勢をせまい空間につめこんで、知識や情報を吹き込んでゆくスタイルは、わたしにとって毒だ。
ちかごろ痛みがやわらいできた胃潰瘍が再び悪化したら、たまらない。
こんな、成人向けの公文式知識つめこみ教育のようなことは、やりたくない。
だいたい、プレカイアートの失業・半失業の苦しさだって、体験しないで分かるものかどうか。
自分にとっての毒
小さいころからこういうことは苦手だった。小学校、いや、自分が七歳のころ、授業が苦痛だった。それで、授業と校舎を抜け出していた。近くの里山に行って、ハトを見たり、ドングリの木や実を見たりするのが好きだった。
また、川でずっとザリガニの行動を観察していたりもした。
そういうことは、学校や家庭の憤激を買った。
生物とか理科ばかりやらないで、もっと文科とか人間のことをやれと説教された。
だけど、ずっと面従腹背だった。
同じ薬でも、DNAが違うと、効き方がまるで違う。
漢方薬は、症状だけではなく体質によって投与する種類を変える。
他の人にとってよい教育プログラムは、時折、わたしの神経を痛める毒となる。
だから、思わず吐き出してしまう。
ガマンして食べつづけると、内臓から調子が崩れてしまう。
だから、自分の身体感覚に反するサーヴィスを食べない知恵を身に着けた。
それが小さいころは登校拒否であり、今ではシンポジウム途中退席となって現れた、ということだ。
権威主義のスタイル仮にも大学の開いたシンポジウムに対して、パウロ・フレイレ流の、「対話」による教育を求めたのが、間違いだったのかもしれない。
そこでは、教える側がすべてを知り、教えられる側は何も分からないことを前提に話が組み立てられていた。それはフレイレの対話の教育の精神とは反するものだ。
さらに、ビッグイッシューからゲストによばれた篠原さんの、ダンスを踊るホームレス・グループの人たちは、自意識がなくなっているというお話も、失礼ながら眉唾だと考えた。
ホームレスといっても、自意識くらいあるのでは? あたかもすべてのホームレスが自意識がないかのように紹介してしまうのは、ちょっと言い方が違うのでは? と思ったのだ。
ホームレスに話を聞く
ホームレスなら、梅田近辺にもいくらでもいる。
直接、ホームレスの人に語りかけてみよう。
シンポジウムとは別のことも分かるかもしれない。
そう思って、片っ端からホームレスらしき人に声をかけてみた。
一人目は、梅田第二ビルの前のセンターゾーンのブロックに腰をかけている男性。ビニール袋につめこまれた食パンの耳を、一心不乱にかじっていた。
臭いからしても、ホームレスに違いない。
「あの~、どうですか? 最近景気はどうだと思いますか?」
彼はしばしこちらを眺めたあと、無言で答えた。再び袋からパンの耳を取り出し、早いスピードで食べ続ける。
せっかくの食事中にいきなり声をかけるわたしは、ただの状況の読めない通行人だった。
別の人にも話してみる。
交通整理のために、歩道の中にセンターゾーンがある。そのなかで、何かを振り切ろうとするかのように週刊マンガ雑誌を読んでいる。
足を蓮華座に組み、体を前後にゆすらせながら雑誌を読む様は、修行僧のようにも見える。
「それ、面白いですか?」
と声をかけてみる。
彼はキョトンとした表情を見せた。その後、押し黙っている。
「どうです、最近仕事はありますか?」
やはり彼はけげんそうな顔をしている。
普段、話すこともない別世界の住人。ホームレスに対するホームの側の人間。
そういう人から会話を求められたことが信じられず、またまったく無意味だ、と言わんばかりの反応に思えた。
しばらくたって、彼はもう一度雑誌に向かい、マンガの続きを読み始めた。
おそらく、久方ぶりに手に入れた娯楽情報だったのだろうか。
彼にとってもわたしの取材は、読書のジャマだったようだ。
各コミュニティがセクト化しつつある社会のなかで、別のコミュニティとの対話など、しょせん不可能だろうか?
相手が同じ人間だけに、小さいころの動植物相手のようにじっと観察してればいいというわけではない。
絵描きのホームレス
阪神と阪急の間を結ぶ陸橋を渡っているとき、大きなバッグをかかえた野宿者らしき男性を見つけた。
お菓子のかんかんのようなものの中にたいへん控えめに喜捨を求めているが、なかなか集まらないようだ。
人情の町のイメージのある大阪も、ネオコンの情報の洪水によって、すっかり自己責任論が定着してしまったようだ。
「あの、最近お仕事、何かありますか?」
と話かけてみた。
「なかなか、ないよ」
返事がかえってきた! この人とは話ができそうだ。
彼はいろんなことを話してくれた。水彩画を描いていること。そのための道具などは、ホームレス支援団体の援助を受けていること。
岡山出身で、大阪に出てきたあと、工場勤務や水商売も経験したこと。
失業して、西成(通称「釜が崎」・行政用語では「あいりん地区」)のほうのドヤ暮らしをした時期もあること。
同じくらいの値段で使えるのは知っているけれど、インターネットカゲは使わないこと。(たぶん年配の方だけに、もしお金があっても雰囲気的に入りづらいのだろう。)
日雇いの仕事のために、京都北部や神戸の六甲方面にも行ったことがあった。
そのことを、彼は印象派を思わせる筆遣いの水彩画にしていた。
それを、ちゃんとした厚紙のような紙に印刷してくれる梅田の特殊なコピー屋で印刷する。そこはコンビニみたいな薄いぴらぴらのコピーとは出来が違う。色もよりきれいに表現できるという。
そういうコピー屋もあるので、梅田を生活の拠点にしていると彼は言った。
彼は、自分の作品をちゃんと集めて保管して、大き目の旅行バッグにつめこんで持ち歩いている。
また、その人は、絵画といっしょに短歌も歌っていた。
絵とともに、ホームレスとしての人生の寂しさ・わびしさがそこには見事に表現されていた。
ヨーロッパのザルツブルグの絵は、写真をもとにイメージを絵にしたと説明してくれた。そのほか、京都や六甲の風景は、実際に仕事で行った先の記憶を絵にしたのだそうだ。
日雇いの仕事をしていると、記憶も途切れとぎれになってしまう。そこを絵と短歌がつなぎでくれていいのだと彼は言う。
梅田の歩道橋の上から見た夜景は、幻想的だった。
彼自身がもっとも気に入っているといってすすめてくれた絵は、夜の海か川を、一艘の船に一人の人間が乗っているものだった。月の夜空に、顔のぼかされた人がひとり。エンジンも何もないシンプルな小さな船は、どこへ行くのだろう。
情景のわびしさと、月の優しい光がコントラストを成すユニークな作品である。
画面のなかで、船とと人がかなりの割合をしめている。
どこにもない構図も新鮮だ。単なる名画のコピーとかカヴァーじゃないのだ。
また、別の短歌のなかで、印象ぶかいものがあった。
「夢の夢の夢」という語句が、脳裏に焼きついている。
現実を三度反転させるから、これは夢ということの遠まわしな表現だろう。(ちがっていたらごめんなさい)
近松門左衛門は、人形浄瑠璃の心中する男女の道行きの中で「一足ごとに消えてゆく。夢の夢こそあわれなり」と言った。
荘子は、蝶になった夢を見た。やがて目覚めて、わたしが蝶になった夢を見ていたのか、それとも蝶がわたしになった夢を見ているのかと問うた。
そのどちらの表現よりも深い、厳しい現実の中で彼が生きていることが、ていねいに表されていた。しんどさ、辛さ、それを超えたいという意思が伝わってくる。
その表現からは、主流文化からは現実だと認められることのない世界に住んでいるという現実が伝わってくるのではないだろうか?
現実と夢という単純な二元世界を抱けない。だからこその強い表現だと思ったが、どうだろうか?
残念ながら、彼の絵画と短歌は、携帯の写真には撮れなかった。彼は著作権を主張し、わたしはそれを尊重したからだった。そのためここでお見せできないのは残念だ。WEBに書くのなら名前もヒミツにしてくれという。
なんとか相手から「書いてもいい」と言ってもらったので、こうして書いている。
それから、彼は三角座りをして、上着でひざをおおっていた。
ズボンに大きな穴が開いて、恥ずかしい。とても女性の前では見せられる格好じゃないと、さりげなくしかも苦しげに言ってくれた。
ひざこぞうよりもふた周りほど大きな穴が開いたズボンをはいていれば、それは恥ずかしかろうと思う。
シンポジウムとのくい違い点、発見
パネリストを勤めた、ビッグイッシューの篠原さんは、「ホームレスの人は自意識がないですから」とおっしゃった。
それは、モダン・ダンスチームのホームレスが、ダンスを踊るということに関しては自意識がないというのは正しいのかもしれない。
けれど、多様なホームレスがいるなかで、ステロタイプ化してしまっては、新たな誤解・偏見を生む危険もあると思った。
「ホームレスの人は羞恥心がない。客観的にものを見れない。だからホームレスでも平気」とするホームの側の偏見につながらないでほしいと自分は願っている。
排除の中の酔い
その後、阪急電車に乗る為に移動する。その途中、別のホームレスを見つけた。
彼は片手に小さな缶ビールをつかみもち、シャツの胸の部分に大きく穴を開けていた。何かに向かって怒るような、吼えるようなパフォーマンスをしている。
相対的に恵まれた立場のもののもつ先取り不安と言えばそれまでだが、相手は男性で酔っ払っている。話しかけてトラブルになっても、夜になっても人通りの絶えない梅田だからこそ、誰も助けてくれない可能性が高そうだ。
今のわたしは夢の夢までは行けても、夢の夢の夢の世界には行けない。
しばらく躊躇したあと、その人への取材はあきらめることにした。
まとめ
梅田のホームレスの人たちには、いろんなことを指し示してもらった。
はっきり言って、シンポジウムよりもこの取材のほうが充実しており、面白かった。
こういうのは、知識中心の学校教育や大学院などでは、決して評価されないはずだ。
だけど別にかまわない。自分は興味があるから。そういう学習スタイルのほうがあっているから。
多分、学校とか大学というものは、わたしのDNAとは相性が悪いのだ。
だったら、別の学び方をすればいい。
こういった学び方をしているのは、わたしだけじゃない。
他のコミュニティでも同じ学び方を採用しているところはある。
たとえば、このあいだ、民族自然誌研究会の定例会に参加した。そおでわたしはパネリストの講義の時間は、寝ていた。
最後の一時間、会場の近くにある薬用植物園に行くツアーの段に入ると、目が覚めてシャキっとした。
そこで薬学部の人に案内してもらって、薬の原料となる木の樹皮や葉っぱをちぎってなめたり、においをかいだりしてみた。
パネリストの中で薬学の人は、アフリカのバカという狩猟・採集民族には、「これは私の薬」というものがある。それは、今日も見つけられつつある。自分で実際ににおいをかぐなどして、自分がどんな苦さを、体にいい苦さと認識できるか、その感覚を鋭敏にしたらどうかという提案があった。そういう発想による植物園ツアーだった。
夕方、蚊にさされながらも、けっこう楽しめた。
それから、実際に絵とかアニメとかWEBサイトを作ってゆく専門学校の講座。なかにはときどき講師の説明だけの講座や、事務的な連絡をするガイダンスの時間もある。
このあいだ、事務的なガイダンスに出席したときにも、こくりこくりとしていた。
なんか、自分は小さいころから、こういうことに向いている気がする。
(ま、一般教養のない専門学校に入ったものだから、かなり助かっている。
これが学校とか大学だったら、毒に当たって死んでいるかもしれない。)
大阪市立大学のシンポジウムは、自分の体に悪い苦さだったので吐き出したけれど、何が自分にとってよくないかを判断する学習だったと考えれば、悪くない経験だったと思う(ことにしたい)。
早めにそこを出たおかげで、あとで胃潰瘍がぶり返すこともなく、ホっとした。
ガマンしてあそこで知識をつめこめれていては、また激痛がやってきたかもしれない。
読者のみなさんも、自分にあった学習法を見つけられるといいですね。
以上、梅田のホームレスの現状と、ワタリ自身にあう・あわない学習の二本立てでした。
たった一種類の再生産しか認めない社会の偏狭さ、それが排除を生み出すことを考えれば、関係がないようでいて関係のある二つのテーマだったと思いますが、どうでしょうか。
大阪市立大学のプレカリアートに関する公開無料シンポジウムに参加への参加は、途中でやめることにした。
とても息苦しかったからだ。
京阪神には何もないのか
パネリストさんたちの、欧米・ならびに東京ではプレカリアートの運動がある、しかし地元大阪・京阪神では起こっていないという報告は、事実誤認だと分かった。
実際に、京都や大阪のミナミで、イラク反戦のサウンドデモが幾度か行われている。そのうち、元・教育基本法改正反対のデモでは、まるで世代×階級闘争のノリで、京都の四条通で若い世代の貧窮を訴えるデモンストレーションをやっているグループがあった。大学の学費の高さ、愛国心よりも現金がほしい、派遣に危険手当出せ。そういったメッセージのプラカードや、祭りの山車のような見世物があった。(この件については、あとでリンクを貼る予定です。)
ただし、そこはセクトがらみのカラーではあったけれど。
そういう、地元のことを無視して、先進国・先進都市の様子ばかりを報告する、上からものを言う姿勢には賛成できなかった。
まるで人を植民地にしようとしているみたいで、違和感を通り越して、疑問と反感さえ感じた。
成人の公文式?
なによりも、大勢をせまい空間につめこんで、知識や情報を吹き込んでゆくスタイルは、わたしにとって毒だ。
ちかごろ痛みがやわらいできた胃潰瘍が再び悪化したら、たまらない。
こんな、成人向けの公文式知識つめこみ教育のようなことは、やりたくない。
だいたい、プレカイアートの失業・半失業の苦しさだって、体験しないで分かるものかどうか。
自分にとっての毒
小さいころからこういうことは苦手だった。小学校、いや、自分が七歳のころ、授業が苦痛だった。それで、授業と校舎を抜け出していた。近くの里山に行って、ハトを見たり、ドングリの木や実を見たりするのが好きだった。
また、川でずっとザリガニの行動を観察していたりもした。
そういうことは、学校や家庭の憤激を買った。
生物とか理科ばかりやらないで、もっと文科とか人間のことをやれと説教された。
だけど、ずっと面従腹背だった。
同じ薬でも、DNAが違うと、効き方がまるで違う。
漢方薬は、症状だけではなく体質によって投与する種類を変える。
他の人にとってよい教育プログラムは、時折、わたしの神経を痛める毒となる。
だから、思わず吐き出してしまう。
ガマンして食べつづけると、内臓から調子が崩れてしまう。
だから、自分の身体感覚に反するサーヴィスを食べない知恵を身に着けた。
それが小さいころは登校拒否であり、今ではシンポジウム途中退席となって現れた、ということだ。
権威主義のスタイル仮にも大学の開いたシンポジウムに対して、パウロ・フレイレ流の、「対話」による教育を求めたのが、間違いだったのかもしれない。
そこでは、教える側がすべてを知り、教えられる側は何も分からないことを前提に話が組み立てられていた。それはフレイレの対話の教育の精神とは反するものだ。
さらに、ビッグイッシューからゲストによばれた篠原さんの、ダンスを踊るホームレス・グループの人たちは、自意識がなくなっているというお話も、失礼ながら眉唾だと考えた。
ホームレスといっても、自意識くらいあるのでは? あたかもすべてのホームレスが自意識がないかのように紹介してしまうのは、ちょっと言い方が違うのでは? と思ったのだ。
ホームレスに話を聞く
ホームレスなら、梅田近辺にもいくらでもいる。
直接、ホームレスの人に語りかけてみよう。
シンポジウムとは別のことも分かるかもしれない。
そう思って、片っ端からホームレスらしき人に声をかけてみた。
一人目は、梅田第二ビルの前のセンターゾーンのブロックに腰をかけている男性。ビニール袋につめこまれた食パンの耳を、一心不乱にかじっていた。
臭いからしても、ホームレスに違いない。
「あの~、どうですか? 最近景気はどうだと思いますか?」
彼はしばしこちらを眺めたあと、無言で答えた。再び袋からパンの耳を取り出し、早いスピードで食べ続ける。
せっかくの食事中にいきなり声をかけるわたしは、ただの状況の読めない通行人だった。
別の人にも話してみる。
交通整理のために、歩道の中にセンターゾーンがある。そのなかで、何かを振り切ろうとするかのように週刊マンガ雑誌を読んでいる。
足を蓮華座に組み、体を前後にゆすらせながら雑誌を読む様は、修行僧のようにも見える。
「それ、面白いですか?」
と声をかけてみる。
彼はキョトンとした表情を見せた。その後、押し黙っている。
「どうです、最近仕事はありますか?」
やはり彼はけげんそうな顔をしている。
普段、話すこともない別世界の住人。ホームレスに対するホームの側の人間。
そういう人から会話を求められたことが信じられず、またまったく無意味だ、と言わんばかりの反応に思えた。
しばらくたって、彼はもう一度雑誌に向かい、マンガの続きを読み始めた。
おそらく、久方ぶりに手に入れた娯楽情報だったのだろうか。
彼にとってもわたしの取材は、読書のジャマだったようだ。
各コミュニティがセクト化しつつある社会のなかで、別のコミュニティとの対話など、しょせん不可能だろうか?
相手が同じ人間だけに、小さいころの動植物相手のようにじっと観察してればいいというわけではない。
絵描きのホームレス
阪神と阪急の間を結ぶ陸橋を渡っているとき、大きなバッグをかかえた野宿者らしき男性を見つけた。
お菓子のかんかんのようなものの中にたいへん控えめに喜捨を求めているが、なかなか集まらないようだ。
人情の町のイメージのある大阪も、ネオコンの情報の洪水によって、すっかり自己責任論が定着してしまったようだ。
「あの、最近お仕事、何かありますか?」
と話かけてみた。
「なかなか、ないよ」
返事がかえってきた! この人とは話ができそうだ。
彼はいろんなことを話してくれた。水彩画を描いていること。そのための道具などは、ホームレス支援団体の援助を受けていること。
岡山出身で、大阪に出てきたあと、工場勤務や水商売も経験したこと。
失業して、西成(通称「釜が崎」・行政用語では「あいりん地区」)のほうのドヤ暮らしをした時期もあること。
同じくらいの値段で使えるのは知っているけれど、インターネットカゲは使わないこと。(たぶん年配の方だけに、もしお金があっても雰囲気的に入りづらいのだろう。)
日雇いの仕事のために、京都北部や神戸の六甲方面にも行ったことがあった。
そのことを、彼は印象派を思わせる筆遣いの水彩画にしていた。
それを、ちゃんとした厚紙のような紙に印刷してくれる梅田の特殊なコピー屋で印刷する。そこはコンビニみたいな薄いぴらぴらのコピーとは出来が違う。色もよりきれいに表現できるという。
そういうコピー屋もあるので、梅田を生活の拠点にしていると彼は言った。
彼は、自分の作品をちゃんと集めて保管して、大き目の旅行バッグにつめこんで持ち歩いている。
また、その人は、絵画といっしょに短歌も歌っていた。
絵とともに、ホームレスとしての人生の寂しさ・わびしさがそこには見事に表現されていた。
ヨーロッパのザルツブルグの絵は、写真をもとにイメージを絵にしたと説明してくれた。そのほか、京都や六甲の風景は、実際に仕事で行った先の記憶を絵にしたのだそうだ。
日雇いの仕事をしていると、記憶も途切れとぎれになってしまう。そこを絵と短歌がつなぎでくれていいのだと彼は言う。
梅田の歩道橋の上から見た夜景は、幻想的だった。
彼自身がもっとも気に入っているといってすすめてくれた絵は、夜の海か川を、一艘の船に一人の人間が乗っているものだった。月の夜空に、顔のぼかされた人がひとり。エンジンも何もないシンプルな小さな船は、どこへ行くのだろう。
情景のわびしさと、月の優しい光がコントラストを成すユニークな作品である。
画面のなかで、船とと人がかなりの割合をしめている。
どこにもない構図も新鮮だ。単なる名画のコピーとかカヴァーじゃないのだ。
また、別の短歌のなかで、印象ぶかいものがあった。
「夢の夢の夢」という語句が、脳裏に焼きついている。
現実を三度反転させるから、これは夢ということの遠まわしな表現だろう。(ちがっていたらごめんなさい)
近松門左衛門は、人形浄瑠璃の心中する男女の道行きの中で「一足ごとに消えてゆく。夢の夢こそあわれなり」と言った。
荘子は、蝶になった夢を見た。やがて目覚めて、わたしが蝶になった夢を見ていたのか、それとも蝶がわたしになった夢を見ているのかと問うた。
そのどちらの表現よりも深い、厳しい現実の中で彼が生きていることが、ていねいに表されていた。しんどさ、辛さ、それを超えたいという意思が伝わってくる。
その表現からは、主流文化からは現実だと認められることのない世界に住んでいるという現実が伝わってくるのではないだろうか?
現実と夢という単純な二元世界を抱けない。だからこその強い表現だと思ったが、どうだろうか?
残念ながら、彼の絵画と短歌は、携帯の写真には撮れなかった。彼は著作権を主張し、わたしはそれを尊重したからだった。そのためここでお見せできないのは残念だ。WEBに書くのなら名前もヒミツにしてくれという。
なんとか相手から「書いてもいい」と言ってもらったので、こうして書いている。
それから、彼は三角座りをして、上着でひざをおおっていた。
ズボンに大きな穴が開いて、恥ずかしい。とても女性の前では見せられる格好じゃないと、さりげなくしかも苦しげに言ってくれた。
ひざこぞうよりもふた周りほど大きな穴が開いたズボンをはいていれば、それは恥ずかしかろうと思う。
シンポジウムとのくい違い点、発見
パネリストを勤めた、ビッグイッシューの篠原さんは、「ホームレスの人は自意識がないですから」とおっしゃった。
それは、モダン・ダンスチームのホームレスが、ダンスを踊るということに関しては自意識がないというのは正しいのかもしれない。
けれど、多様なホームレスがいるなかで、ステロタイプ化してしまっては、新たな誤解・偏見を生む危険もあると思った。
「ホームレスの人は羞恥心がない。客観的にものを見れない。だからホームレスでも平気」とするホームの側の偏見につながらないでほしいと自分は願っている。
排除の中の酔い
その後、阪急電車に乗る為に移動する。その途中、別のホームレスを見つけた。
彼は片手に小さな缶ビールをつかみもち、シャツの胸の部分に大きく穴を開けていた。何かに向かって怒るような、吼えるようなパフォーマンスをしている。
相対的に恵まれた立場のもののもつ先取り不安と言えばそれまでだが、相手は男性で酔っ払っている。話しかけてトラブルになっても、夜になっても人通りの絶えない梅田だからこそ、誰も助けてくれない可能性が高そうだ。
今のわたしは夢の夢までは行けても、夢の夢の夢の世界には行けない。
しばらく躊躇したあと、その人への取材はあきらめることにした。
まとめ
梅田のホームレスの人たちには、いろんなことを指し示してもらった。
はっきり言って、シンポジウムよりもこの取材のほうが充実しており、面白かった。
こういうのは、知識中心の学校教育や大学院などでは、決して評価されないはずだ。
だけど別にかまわない。自分は興味があるから。そういう学習スタイルのほうがあっているから。
多分、学校とか大学というものは、わたしのDNAとは相性が悪いのだ。
だったら、別の学び方をすればいい。
こういった学び方をしているのは、わたしだけじゃない。
他のコミュニティでも同じ学び方を採用しているところはある。
たとえば、このあいだ、民族自然誌研究会の定例会に参加した。そおでわたしはパネリストの講義の時間は、寝ていた。
最後の一時間、会場の近くにある薬用植物園に行くツアーの段に入ると、目が覚めてシャキっとした。
そこで薬学部の人に案内してもらって、薬の原料となる木の樹皮や葉っぱをちぎってなめたり、においをかいだりしてみた。
パネリストの中で薬学の人は、アフリカのバカという狩猟・採集民族には、「これは私の薬」というものがある。それは、今日も見つけられつつある。自分で実際ににおいをかぐなどして、自分がどんな苦さを、体にいい苦さと認識できるか、その感覚を鋭敏にしたらどうかという提案があった。そういう発想による植物園ツアーだった。
夕方、蚊にさされながらも、けっこう楽しめた。
それから、実際に絵とかアニメとかWEBサイトを作ってゆく専門学校の講座。なかにはときどき講師の説明だけの講座や、事務的な連絡をするガイダンスの時間もある。
このあいだ、事務的なガイダンスに出席したときにも、こくりこくりとしていた。
なんか、自分は小さいころから、こういうことに向いている気がする。
(ま、一般教養のない専門学校に入ったものだから、かなり助かっている。
これが学校とか大学だったら、毒に当たって死んでいるかもしれない。)
大阪市立大学のシンポジウムは、自分の体に悪い苦さだったので吐き出したけれど、何が自分にとってよくないかを判断する学習だったと考えれば、悪くない経験だったと思う(ことにしたい)。
早めにそこを出たおかげで、あとで胃潰瘍がぶり返すこともなく、ホっとした。
ガマンしてあそこで知識をつめこめれていては、また激痛がやってきたかもしれない。
読者のみなさんも、自分にあった学習法を見つけられるといいですね。
以上、梅田のホームレスの現状と、ワタリ自身にあう・あわない学習の二本立てでした。
たった一種類の再生産しか認めない社会の偏狭さ、それが排除を生み出すことを考えれば、関係がないようでいて関係のある二つのテーマだったと思いますが、どうでしょうか。