フリーターが語る渡り奉公人事情

ターミネイターにならないために--フリーターの本当の姿を知ってください!

携帯より

2005-11-27 14:40:12 | その他
すみません。諸事情により今ブログをいじれません。なお、g2005さんから苦情をうけたまわった荒らしへの批判コメントは、こちらのブログに再録の予定です。

「社会とのかかわり」という心理主義

2005-11-24 19:54:18 | Weblog
「 鎌倉時代の1232年、鎌倉幕府制定の貞永式目の追加の条目というのがあります。これはある問題で争っている二人がいて、決着がつかない場合にはどうするか。二人とも偽りの申し立てをしないことを宣誓した起請文を書いて、14日間神社にこもるんですね。その期間中に、次のいずれかの不都合が起こった場合、その人の起請文は偽りだとされたのです。
 これが面白いんですが、鼻血が出た場合、起請文を書いたあと病気になった場合、あるいは鳥などにおしっこをかけられた場合、あるいはねずみに衣服を齧(かじ)られた場合、身体から下血↓場合、これには注がありまして、楊枝で歯の間をほじくっている時に出血した場合と痔が悪い場合は除くと書いてあります。それから、近親に支社が出た場合、父子に罪人が出た場合、飲食の際むせんだ場合、乗馬の馬が倒れた場合という9つの条目があげられたおりまして、こういうことが起こったらば、その本人の起請が偽りだということになります。(中略)
 これは「世間」というものの性格をうまく言い当てていると思うんですね。「世間」にはこういうところがあります。偶然にせよ、変な目にあわないためには、常に謙虚に、慎ましやかにおとなしく暮らし、一木一草といえども大事にし、要するに、鼠に衣服をかじらえたりもしないし、ゴキブリだからといって追い回したりしないというふうなことがないと、何かの恨みをかう。そういうふうな関係がここにある。これは、本人の道徳的価値評価ではない。自然界とうまく交わっているかどうか、ということが、日本人の人格評価の基礎にあったのですね。」

」(阿部謹也「日本社会で生きるということ」朝日文庫2003:40-42)

↑ のような人間観・世界観は、今日ではみられない。ただし、そのままの形では見られないという意味だ。
 今日では、自然とのかかわりは問題にされない。たとえば犬にかまれたり、鳥のフンを落とされたりしたことで、人格を疑われたり、普段のこころがけが悪いとされることはない。
 ただし、中世の自然を社会におきかえると、どうだろうか? もうひとつ、自然でもなく社会でもなく自己との関わりが、「心の商品化」と平行して、過度に重要視され監視にさらされていやしないか?
 ふだんから、社会との関係、言い換えれば人間関係が大切だ。あるいは、コミュニケーションとかプレゼンテーションがヘタなのはダメだ。それは、怠惰だ、就職できない、将来大変なことになってしまう、どこか心理的に病気なのではないか・・・・・・。
 そうしたまなざしが、個人の自由で自然発生的な人間関係を通じた人格形成を、かえってゆがめてはいないだろうか? また、そのことを通じて、「無為の権利」とでもいうのか、人がただそこにあればいい権利への圧迫となっていないだろうか? 問題を解決することをあせるあまり、問題を隠蔽したり、誤認したりすることが日常化しているとしたら? 
 個人の社会環境とのかかわり、それを決定するのは個人の内面である。このテーゼから自由になるには、どうしたらいいのだろうか?
 近代化のなかで達成してきた、独立した個人、社会は個人の外面はともかく内面を裁かないといった原則は、「心のケア」を起点とし終点とする個人への統制として、社会に拡散している。
 そろそろ話をこのブログの主題にリンクさせよう。あなたが失業がいやなのに失業しているのは、暗い・いけないことだと単純に決めつけらえてしまう。あなたが失業しているのは、心に問題があって、社会とうまく関われないからだとされる。そうして、心をいじることによって、社会との関係を見直せとの指示/誘導が、カウンセリングや治療的なまなざしを病院以外の社会にもたらす。そして、個人の心の問題とくれば、自己責任の掛け声まではあと一歩である。
 そんなことをしているかぎり、問題をはぐらかしたりごまかしたりすることの繰り返しになるだろう。
 問題は、すぐには解決しない。あえて苦しみのなかにとどまり、問題を解決するのではなく、問題とつきあう発想こそ、今もっとも必要なのではないだろうか?

TB用URL http://d.hatena.ne.jp/kizimuna/



荒らしと批判コメントの移動

2005-11-24 18:55:45 | Weblog
告知が遅くなり、すみません。m(_ _)m

先日、駆逐艦という意味のハンドルネームの荒らしのカキコと、それへの行く認可の批判コメントは、↓ の場所にまとめて移動しました。長くてもコメントを中略したりする編集は加えておりません。そっくりそのまま閲覧することができます。

http://blog.goo.ne.jp/sakujyo_2005/e/fba201a33a9cb162625d7819c24279de

もともと書く予定だった記事がちょっと遅れていて、荒らしにまじめにかまうと、議論やテーマの本筋から大きくそれてしまうので、荒らしとそれへの批判等は、リンク先の「削除の場所」にて行います。なにとぞ読者のみなさまのご理解のほど、よろしくお願いします。

働きすぎて眠れない/稼げなくてむなしい

2005-11-21 22:25:54 | 現状
 先日、インターネット・カフェで思わず長居をしてしまい、終電に乗り遅れてしまった。
 駅前で人を待っている乗り合いタクシーをつかまえ、最寄り駅までどのくらいでいけるか聞く。思ったよりも安い。
 まもなくして、もう一人、同じ方向に帰る人が改札口を通って運転手さんに話しかけている。ジャンパーにエコマークがついている。なぜか創価学会関係の仕事だとその人は言った。北大阪から京都に通っているそうだ。
 2人でタクシーに乗り込む。なんとなく、運転手さん、3人で雑談する。
 インターネットのこと、お兄さんのルックスのよいことなどが話題になる。けっこうスムーズに話が盛り上がる。3人ともけっこうおしゃべりなのか。眠くなる時間帯なのに、不思議だ。
 ブロガーの好奇心で、仕事のことについて、少し聞いてみた。 
 30代前半の男性。仕事は朝9:00から、終電かそれ以降まで。今は年末なので、休日はほとんど出勤しているという。朝は6:00ごろに起きて家を出ないと時間に間に合わない。睡眠不足で大変だと本人は嘲笑するように言った。そういえば、以前yahooトピックスで、勤労者の睡眠時間が減っているという統計があったっけ。(統計もいろいろとウラがあるので、うのみにはできないけれど。)
 仕事は、荷物を運ぶ、いわゆる倉庫内作業。正社員として雇われ、だいたい30~40キロくらいの荷物を、コンテナからトラックまで運ぶ。同じ重さの荷物でも、ずーっと持っていると、実際よりも重く感じるので大変だとか。
 服は、仕事で汚れるだけではなく、疲れて洗濯ができないので汚れていた。いっしょに車内にいて、かなり臭いのにはまいった。おそらく、家に帰ればバタン・キュー式に寝てしまうので、長らく風呂に入っていないのだろう。世界には一生風呂に入らない民族もいるというが、やはり日本人、または日本文化のなかに住む者のばあい、毎日とはいわなくても、2~3日に一度は風呂に入らないと、憲法にもある 「健康で文化的な生活」とは言えないのではないだろうか。
彼はくたくたで、おしゃべりはキライじゃないけれど、口を動かすのも一苦労といった様子だった。
 事情を知らない人が見れば、それはコミュニケーション能力が足りない、社会スキルがないなどと決めつけるのかもしれない。甘えとか、歳のわりに子どもっぽいとかいうでもない。だけど、自分はそれは違うという確信がある。国や行政や専門家たちが認めなくても、胎児性水俣病というのはあるんだと言っていた水俣のお母さんたちのように、身近な生活世界から、専門家の認定とは別のルートでものを認識しているのだ。
 親福祉に頼る前は、わたしもこの人とほぼ同じ状態だった。職場に入ると、どこでもおおかたこんなものだ。また、今働いている正社員や派遣の友人も、睡眠不足で休日の待ち合わせに行けないどころか電話やメールの連絡にもレスをよこせないものもいる。軽い慢性的なウツ状態ゆえに、アレルギー性の症状が次々と出るとか、胃が荒れるとか、家の掃除がロクにできないとかいった話なんて、珍しくもない。
 仕事に入れば機械のように回転しなければならない。人間がまるで道具のようになってしまう。かたや、失業すれば、大変だ。生活に困る。(自分も、親福祉が長くないことは分かっている。分かっていて何もできないのだ。)
 人間らしく働ける層を作るために、ワークシェアリングが求められている。

 それでも一部は、失業かもしれない。そのために、福祉も大事だ。家や食料、医療と教育が政府もちだったりすると、アメリカやカナダの先住民居留地では、アルコール中毒や家庭内暴力が多いという。
(自分は活字中毒なので、似たような状態だろうか。)
 これは大変な難問であり、今のわたしにいい知恵は浮かばない。
 ただ、今生きることができる喜びをここにしたためるほかない。
 
 
 



 


 
 
 
 
 
 

反差別+偽神学除去+ハンドルネームの規制

2005-11-21 19:45:56 | Weblog
こちらのブログでは、今日の社会にとって大切な問題、大いに議論の余地のある問題を扱っています。

意見は多様で自由であってほしいと思います。同時に、他の意見を言いにくくさせる妨害と思えるTBやコメントが見られるのも事実です。

当面のところ、このブログのポリシーとしてはじめにお知らせしたこと意外に、規制を加えることにしました。自由を守るための規制であり、自由をそこなう意図はありません。

特定の集団の価値を貶める表現

例:
1・フリーターは高望みしすぎるために失業か半失業している
2・女性はみなヒステリーである
3・大衆社会は堕落している。なかでももっとも劣悪なのは、ユダヤ人だ。

3は有名なナチスの人種主義プロパガンダ。2は女性差別主義。3は、フリーター差別主義です。

念のため言いそえると、フリーターのなかに高望みをしすぎる個人がいないとはかぎらない。女性の中にヒステリーと診断される者は0ではない。ユダヤ人のなかに大衆社会の阿しき兆候に染まらないものがいないとはかぎらない。
だからといって、特定のグループを誹謗する表現は差別主義である。

ということです。

それから、ハンドルネームのなかで、暴力・破壊・敵対を鼓舞するものがあった場合、削除の対象にすることがあります。

例:Destroyer(駆逐艦、破壊者、破壊する事)、Sniper(狙撃兵)、Bomber(爆破者)、Gun(銃・大砲)など。

三つ目に、自己責任・個人の倫理を、人の心・魂・霊性などの問題として扱う偽神学的議論。信仰の観点を抜きに、管理人や特定のグループの「攻撃性」や「拒絶的態度」「被害意識」などを言い立てる誹謗中傷のコメント。

ラテン・アメリカを中心に「解放の神学」という草の根からのキリスト者による神学があります。それに対して、「マルクス主義の階級闘争・暴力革命をやろうとする勢力のかくれみのだ」という誤解・中傷が利害の敵対する勢力によって流されました。
あの神父は「アカ」だということで殺されたりするので、まったく政治色のない人を派遣しても、やはり「アカ」扱いされて殺されてしまうこともあったとか。

それと似た攻撃が、このサイトと管理人に対して何度かなされています。だいたい誰がやったか検討はついていますが、先日、大きな艦船を守るために出撃する小さな戦闘用の船
という意味のHNを使って、管理人と他のすべての女性はヒステリー、攻撃的などとする
内容の差別カキコをした人物がいます。
この人は、このブログと管理人を、暴力的だとする印象を周囲に与えることによって利益をうる立場にいるのでしょう。
読者のみなさん、なんの根拠もない中傷を避けるためにも、規制にご理解願います。m(_ _)m

なお、荒らしの傾向と対策、ならびにホンネとその正体をさぐるためにも、問題のカキコを、削除保存用ブログに入れていきます。




削除の保存庫

2005-11-19 23:40:33 | Weblog
実験的に、削除したレスをその理由とともに保存するブログを建ててみました。

↓ 削除の場所
http://blog.goo.ne.jp/sakujyo_2005

つまらないところですが、どんなカキコがどんな事情により削除されたのか、詳しく知りたい方はご利用ください。

確信犯的に残酷・意地悪・支離滅裂・明白なジャンル・スタイル違いのカキコを繰り返す人たちには、こうして反論され恥をかかされることを示せば、これ以上の荒らしは防げるかもしれないので、しばらく試しにやってみます。




既得権益、経営、体験

2005-11-17 22:24:35 | 現状
↓ こちらのブログからトラックバックいただいた。批判に対し、反批判したい。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50211562.html

主な論点は3つ。

1.フリーターは既得権益を手にしている。(脈絡やニュアンスから見ると、この記事では既得権益はマイナスの意味を付されている。)

2.被雇用者に対して、雇用者はもっと大変である。

3.給与や社会的威信の低い仕事を経験してから情報発信する。

1への返答
そうですよ、それがどうしたの?
 既得権益、大いに結構。大事な人権をやっつけることはない。
なお、もしそれが今のところ一部のものだけの特権になっているとすれば、
より多くの人がアクセス可能な人権にすればいい。権利を広げて、資源の限界が明らかになれば、そのときはじめて個々の取り分の削減・調整を検討するといい。

次に論点2への返答。
 現実は複雑であり、その企業の経営状態や経営方針にもよるが。雇用者のなかは、通常の報奨以外にキャピタル・ゲインなどで利益を上げ、その後従業員のクビを切ったり、会社をまるごと売って設ける場合もある。とりわけ、企業のっとりの場合は、のっとられる側は大変である。また、自分たちさえ短期間に収益をあげればあとは野となれ山となれのとき、他の株主が損をすることもある。

さらに3つめの要点について。
 直接の体験だけがすべてではない。かといって、ゼロでもない。直接の体験も、周囲からの観察も、組み立てたお城のなかのレゴの一片なのではないか。ひとつひとつのレゴは、いろんな色と形と大きさをもった、一個の材料である。それは部分であって全体ではない。かといって無でもない。一個一個のレゴが集まってお城ができているからだ。体験情報は、欠けてはならない一部として尊重されるべきだ。ただし、全体として語ると不正確になる。
(蛇足だが、荷物を運ぶ仕事や焼肉の鉄板洗いなど、給与も威信も低めの仕事をわたしはやったことがある。それはこのブログの別のエントリーでも紹介した。もっとも、問題は仕事の種類や給与だけではなく、職の不安定化や過度に自立が強調されるゆえに生きがたさを持つことにもある。)

 それにしても、価値観と事実の区別は、それが現代社会の身近な問題になればなるほど難しい。価値と事実の分離には論者の自我が関わっている。論者によっても世代によっても違いがあることを改めて思い知らされるトラックバックだった。もちろん、わたしも複数の非正規雇用や社会的排除にあったと自己申告する人たちと意見が違う部分もある。
 それでも、正当性が避けがたく持つ恣意性を自覚しつつ、「和して同せず」にやっていきたい。ヴォルテールの言う「わたしはあなたの意見には賛成ではないが、あなたが意見を言う権利については命をかけても守るつもりだ」という名言を胸に抱きながら。

<追記:2005/11/23>
フリーターが先進国に生まれた既得権益を持っているとの指摘について。あと2点書いておこう。

1つは、先進国の中の第三世界問題。ちょっと今手元に本がないのだが、竹信三恵子というジャーナリストの「ワークシェアリングの実像」のなかに、アメリカで週に40時間働いても、教会の給食サーヴィスに並ばなければならない層についての報告がある。日本でも、自立したくてもできない賃金しか手にできない層のなかにアルバイターは含まれる。先進国だからといって、みなが豊かではない。一国の中の配分の問題を隠蔽してはならない。

2つめに「当事者」主義の危うさ。今流行の意味不明語「当事者」であってもそうでなくても、客観的な理解は一致する。かつて水俣において、チッソ社内の実験でネコに水俣湾の魚をやると水俣病になるとわかっていた。それは、水俣病を会社のように隠すのではなく、公表すべきだと考えていた医師・生物学者・化学者、それに経験的に水俣病を知っている集落の人々の知る事実と客観的には一致する。<追記2005/11/23>

 



システム社会の戒厳的位相

2005-11-15 21:26:10 | 政策
 みなさん、フランスの暴動について、気になる報道がありました。
 シラク大統領は、メディアでの演説で、暴動にくわわった若者の親の責任を問う意向を、明らかにしています。
 なお、政府が若い世代に対して職業訓練を行う計画も発表しています。

↓yahooトピックス 産経新聞による報道

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051115-00000025-san-int

 さすがは戒厳令をはじめとする有事法制の発祥の地だけあって、なんとも革命的な政策と言えるでしょう。

 しかし、十代なかば以上の大きな子ども/若い大人たちの行動に、どうやったら親が責任をとれるのでしょう。端的に言って、そんなことは不可能ではないでしょうか。また、政府の責任というのは、どうなるのでしょうか。

 なお、職業訓練をしても、職場がないのでは、むなしいだけです。職業訓練所は、監視と矯正の息苦しい場所になるでしょう。かつて歴史家アリエスや文明批評家イリイチは、学校への子どもの長期間の閉じ込めと従属的な苦行を強いることを、特殊近代的として批判しました。それが、学校に行っていない若い世代にも拡大されようとしているのです。子ども・若者の自由にとって、これは脅威であり、近代の巨大な官僚的システムの支配する社会の隘路を示しています。

 職業訓練の正当性/正統性についても疑念が出されているのをご存知ですか?

「アイバー・バーグの優れた著書『訓練という大泥棒(原文:ルビ;グレート・トレーニング・ロバリー)』以降、それに類似した多くの研究がなされてきました。バーグが明らかにしているのは、人々が学校で学んだ教科と、あらかじめ特定の教科を学んでおくことを欲求する職業において彼らがどの程度の有能さを発揮するかということは、何ら相関関係をもたないということです。ある人間の学校教育どれだけのお金が費やされたかということと、かれがその一生のうちに受け取る賃金ととの間には非常に密接な相関関係がある一方、ある人間が学校で身に着けたと想定される能力と、かれの職業上の有能さには立証可能な関係が存在しないのです。(中略)それは資本投資であるばかりでなく、社会統制であり、等級づけであり、(中略)〔上の階梯へ進むにつれ〕脱落者がますます少なくなってゆく階級社会の創造でもあるのです。」(イリイチ著 ケイリー編 「生きる意味」藤原書店 2005:102-103)

 職業訓練にこめられた表の意義は職業能力の開発です。ところが、裏の意義もあります。人をおとなしく従順にさせることです。かつて、レイタント・カリキュラム/ヒドゥン・カリキュラムなどと呼ばれたカリキュラム(学習過程)のことです。
 たとえば、A/トフラーは、「第三の波」にて、産業革命期のイギリスの義務教育についてこう言っています。読み書き・そろばん・簡単な地理や歴史。それらを学校は子どもたちに教えた。しかし実際に求められ、また身についたのは、①時間厳守 ②ガマンづよさ ③上の命令に絶対服従すること だった、と。

 官僚的な統制、すべては教育・訓練が解決してくれるというドラッグ中毒ならぬ教育中毒の状態にわたしたちの社会はあります。(同上書:106)そこからどうすれば抜け出せるのでしょうか。
 近年見られる少年犯罪がおおげさに報じられるたびに出てくる「親」責任論、若年失業者への教育・訓練への強迫観念にも似た政策を見てください。半ば内戦状態にある国・地域と、遠くないところにわたしたち日本社会もあるのです。
 学校だけではなく、教育を、訓練を縮小しなければならない。核ミサイルやCO2を削減するように、学校や教育を削減する国際会議や条約が、日々の実践が求められているのです。

TB用URL→http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/

 

アクセス状況

2005-11-15 21:00:51 | その他
こちらのブログのアクセス状況。最近、増えていると思ったけれど、これほどとは・・・・。

過去1週間の閲覧数とランキング

日付 閲覧数 アクセスIP数 ランキング

11/14(月) 659 pv 253 ip 573位(385085 BLOG中)
11/13(日) 423 pv 197 ip 715位(384118 BLOG中)
11/12(土) 536 pv 211 ip 627位(383157 BLOG中)
11/11(金) 513 pv 254 ip 537位(382230 BLOG中)
11/10(木) 645 pv 266 ip 505位(381302 BLOG中)
11/09(水) 623 pv 228 ip 672位(380424 BLOG中)
11/08(火) 639 pv 245 ip 607位(379527 BLOG中)

過去3週間の閲覧数とランキング

週 閲覧数 アクセスIP数 ランキング

11/06~11/12 4613 pv 1716 ip 586位(384118 BLOG中)
10/30~11/05 4119 pv 1634 ip 609位(377590 BLOG中)
10/23~10/29 2464 pv 1230 ip 975位(370138 BLOG中)



※ランキングは、1000位までが表示されます。

右も抗議

2005-11-15 20:28:53 | 現状
四条河原町阪急百貨店のおむかいにある高島屋前。ここで、東京から来た一水会が、宣伝カーに日の丸をかかげて演説。

机にならべたチラシと機関紙『レコンキスタ』も販売。フリーターだと自己申告し、社会問題に関するブログをやっていると告げると、ひとつ500円のレコンキスタを3つもくださった。おじきや言葉遣いもていねい。
騒音公害を撒き散らすのは、日本の伝統にかなっているとはいいがたいものの、ブッシュと小泉の政策を批判する演説内容には賛成できることも含まれていた。
六本木ヒルズ族による阪神電車買収、御所のそばに作った迎賓館批判など、ご当地ネタもふんだんに使った、調査の苦労の見える演説は、レベルが高い。
さすがに写真をとらせてくれというのは怖かったので、機関紙『レコンキスタ』の写真を証拠物件にもってきた。共産党の強い京都では、希少価値のある品物だ(笑)。

右も左もブッシュと小泉に象徴されるネオ・リベラリズムには反対
していることを如実に表す、京都の繁華街からお送りしました。

四条河原町阪急百貨店前

2005-11-15 20:19:51 | 現状
ブッシュの戦争に対抗する人々。

A.N.S.W.E.R.(戦争とレイシズムに反対するグループ)の呼びかけ。

この日、阪急河原町駅では、ゴミ箱が使用禁止になるなどピリピリした警戒態勢がとられていた。そのなかでの勇気ある活動だった。なぜか白人の多いグループだった。英語と日本語のチャンポンで反戦を訴えていた。

つづき

2005-11-10 19:19:25 | その他
市民のいわゆる人権派風の発言は、公共の場での建前ではとの指摘は、腑に落ちます。暴徒への怒りの声もまた報道されているのはみなさんご存じでしょう。あのあと、久しぶりにTVをつけると、燃やされた建物・車の動画が。戒厳令が出されるのもやむをえないでしょう。この事件のすべての犠牲者の冥福を祈り、遺族にはお悔やみ申し上げます。