フリーターが語る渡り奉公人事情

ターミネイターにならないために--フリーターの本当の姿を知ってください!

進歩した社会だから問題

2007-02-14 17:20:44 | 世代
<対談にて>

大阪天満橋で開催されたコムニタス・フォロ主催の芹沢俊介・高岡健の対談集会に行ってきた。

高岡健の話はあまり聞きたくなく、気が重かった。一度この人のシンポジウムを聞いて、女性差別的な雰囲気を覚えたのと、あまりにも金持ち中心に見える話にうんざりしていたため。
しかし一方、芹沢俊介の話なら聞いてみたいと思っていた。本はいくらか読ませてもらっていたけれど、ライブは初めてだったので。
ゆううつや頭痛が入ったりしながら、なんとか一時間ほど送れて会場に到着する。

ちょうと不登校の話が終わり、ひきこもり→ニートの方面に話が移ったところだった。
ひきこもりについて、高岡健の言うことはよくわからない。リアリティがない。ある女性作家をおとしめつつ紹介するところには吐き気さえもよおした。医者の世界は女性差別がきつくて、「女医」さんが冷遇されがちだと医療職の友人から聞いたことがあるが、彼も例にもれないのだろう。
芹沢俊介の言うことは、けっこう実感がこもっている。理論はともあれ経験的には納得できるような気がする。さすが吉本隆明の弟子、といったところか。

基本的にわたしは講演者のお二人と同じ志向性を持っている。
集団や組織よりも個人のほうが大事。
ウィニコット風に言う「する」よりも「ある」。
言い換えれば、デカルト風に「われ思う、ゆえにわれあり」ではない。
むしろアウグスティヌス風に「われある、ゆえにわれ思う」なのだ。
その要点は確認したうえで、批判的検討に移りたい。

<同意できない点>

同意できないのは、日本にも若年ホームレスはいるということだ。
子ども時代から脱進歩主義に傾斜しているわたしとしては、高岡健の言う「日本は進歩した社会だから、若い人がホームレスになっていない。それはすばらしいことだ」といった主張に反対したい。
国にもよるが、家族や親族・友人の家に居候しているのもフランスや韓国ではホームレスとして数えている。日本のように、路上に放り出されなければホームレス認定しないのとは違う国もあるのだ。
また、ホームレス寸前でインターネットカフェを利用するフリーターは、わたしの知る限り7年ほど前から存在する。最近やっと大マスコミも報道して、一般にも知られるようになった。そういう人たちの苦業・生活苦を隠蔽してはいけない。

実はわたしもそれすれすれの状況に置かれている。親福祉もあとどれほど持つのかわからないのだ。
また、同じような中卒のフリーターで、借金をかかえ、体を壊す破壊的な労働に向かっていっている男性もいる。
一日でも休めば貧しい暮らしさえ成り立たないのだ。
ときおり、「死にたい」ともらすメールを送ってくる。読むだけで自分まで死にたくなってくる。

そういう苦しみを、安くとも年収700万円くらいの医者は、正直言って分からないだろう。しかし、分からなくてもいい。人の苦しみを、苦情を検閲するような真似さえやめてくれたら。

また同意てきない点のふたつめは、進歩した社会の問題に言及していないことだ。なぜならば、上記の問題は、日本が進歩した社会だからこそ起こっていることだ。コンピューターの普及により、事務労働者の削減が可能になった。
また、第三次産業とはいっても、医者のような相対的な高給取りよりも、そういった人たちに奉仕するスーパーの店員、ファミレスなど外食産業の従業員などのほうが雇用数は多い。そしてそれらの職は低賃金・細切れ雇用なのである。たいていの場合昇進とは無縁どころか、長く働くほど職場から必要とされなくなる。

高岡は、それに対して人生の前半における生活保障という広井良典の福祉プランを支持する。
しかし、それでは不十分だ。人生のあらゆる時期におけるセーフティネットが求められている。
今や政治家さえもアルバイト時給倍増を提唱している。それを抜きにして、福祉に頼るという屈辱的な立場を増やせばいいといいうものではない。
だいいち、それまでに正社員になっていたら身についたであろうスキル、人脈、自信、中産階級的な「自然」なふるまい、ビジネスにおける礼儀作法……といったものを、5年も10年もアルバイトをしていたら身につけられない。もちろん会社も社会もそれを評価しないし信用もない。
その問題があるにもかかわらず、「日本は進歩した社会」と自画自賛していてはいけない。

<問題はいつでも・どこでも>

進歩したならば、別の局面のマイナスも作られる。それにいかに対処するかが重要だ。
医者に患者の治療以外の策まで求めることは、八百屋に行って肉を求めるようなものだろう。
しかし医者が、特に精神科医が社会評論をするのならば、評論として妥当な内容のものを情報消費者として求めたいものである。
なお、日本だから○○から逃れられるとする発想は、日本も地球にある一国だという視点を欠いている。
経済のグローバル化によるマイナスの影響ーー社会的排除、ワーキング・プア、若年ホームレスなどーーが、一人日本だけは関係が無いということは、少なくとも今の日本のアメリカ追従の政策を見ても、当てはまらない。
日本も他の国・地域との交流・相互影響のもと存在を形作っていることを忘れてはならない。







悲劇の共有のために

2006-10-05 00:33:03 | 世代


最近、やっと家でネットができる環境ができた。

それで、一時は経済的事情により退会していたvideonews.comに再入会。
興味のある数本の番組を視聴した。

宮台さんが、「悲劇の共有」をキーワードに話していたことが印象的だった。
日本は悲劇が悲劇として共有されていない。非正規雇用の悲惨さも、若い世代がもうそれだけで弱者になっているということも、当事者たちにも自覚されない。自覚が、認識の共有が、そして連帯ができないようにマスコミ等を通じて操作されているし、これからもそうなるのではないか。
そうしたことを、宮台さんは、「創」編集長と語り合っていた。

思えば、戦後日本は喜劇を共有してきた。敗戦後の焼け野原から奇跡の高度成長という筋書きは、日本の大方にとって喜劇だったのだろう。もちろん、朝鮮戦争やベトナム戦争の悲劇あっての成長だったのだが。
次に80年代なかば、労働者派遣法が成立。ヤクザな商法が合法にされたわけだ。これをきっかけに、バブルの時期に階層が分化していった。そのころも中流気分はあったのだから、情報操作があったと見たほうがいいだろう。
そして今。就職氷河期というよりも若者絶望期とでも言ったほうがいいのか。
働いても自立した最低限の生活のできない勤労貧民。それにかぎりなく近いフリーター(家族福祉が切れたらたとえばわたしもおしまいだ。)疲れ果てた正社員、もっと不安定でしかも正社員と同じ仕事を同じ時間こなすこともあるアルバイト。
会社は越え太り、従業員はやせ細る。上の世代ほど勝ち逃げをねらう。
おまけに、下の世代の困窮を認めようとしない。
管理人は、このブログを建てて、読者からのコメントをいただいて、ようやく親や正社員の兄弟たちに状況の一端を認めてもらうことができた。NHKの「フリーター漂流」以降、親類をはじめコミュニティや社会の雰囲気もだいぶん変わった。
それは、遅いおそい気づきの共有と言えた。

人として、人生の中でかならず痛み・つらさ・しんどさ・怖さを味わう。
それを否定してばかりいると、つらい状況にいるのにそのことを認知できなくなってしまう。
カッコ悪いなんて言っていられない。勇気をもって認めよう。弱者であることを。
フリーターという社会的弱者、お年寄りや傷病者という生理的弱者。その他のいろいろな痛みをもった弱者であること、あるいは自分も弱者になる可能性もあることを意識しよう。

自分がリストラされなければ、リストラされた人はどうでもいいのか?
自分がセクハラにあわなければ、被害者を無視したり責めたりさえできるものか?

組合に入っていようといまいと、弱者が連帯してストライキをやること。
なんとか労働者派遣法を廃止においこむこと。労働基準法をもっとリベラルなものに変えること。それは大切だと思う。
実務的には、警察による不当逮捕や共同体による村八分の制裁などが後を絶たないだろう。それでも、何かの形で連帯を示し、今の状況を変えてゆく必要がある。

ムリに強ぶっても仕方がない。貯金がつづくまでの間、親福祉が使える間、それだけのあいだ中流気分を味わってもしかたがない。もし本当の中流なら、慈善活動くらいやっているはずだ。
ところが今のあなたやわたしには、そうするだけの余裕も無い。あるいは、もうじきなくなるだろう。

抵抗したくてもできないまでに、圧制のなか弱らされているわたしたち。
いつ・どうすれば連帯と抵抗ができるだろうか。
その芽はもう生えていると思うのだけれど。
芽を育てながら、「ゆっくり急げ」と言いたい。早く大きくなると、かえって失うものがあるから。














あなたはどこにいますか?

2005-10-10 22:51:26 | 世代
 先日、労働情報総合プラザに返却した本のうち、●『グローバル化と社会的排除ーー貧困と社会問題への新しいアプローチ』アジット・S・バラ/フレデリック・ラプール共著 福原 宏幸/中村 2005.4健吾監訳 昭和堂2005.4
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4812205115/qid=1127747268/sr=8-2/ref=sr_8_xs_ap_i2_xgl14/250-5315489-8488204
は完読している。
 そのなかに、こんな注があった。

「(136P) 注3 「第一次労働市場」と「第二次労働市場との区別は、アメリカの労働経済学者であるデリンジャーとピオーリによって唱えられたものである。「第一次労働市場」は、雇用の安定、良好な労働条件、恵まれた昇進の機会によって特徴づけられるのに対し、「第二次労働市場」は、そうした条件を享受することが困難な就労セクター(たとえばパートタイム労働)を指している。」

 きっと、働いている人ならば誰でも思い当たるフシのある指摘ではないだろうか? 大企業と中小企業、男性と女性、正社員と非正規雇用、安定雇用と不安定雇用……等。
 ここ十数年ほどの流れでは、日本では上の世代と下の世代の働く環境や立場の違いとして理解できるだろう。
 
 いわゆる保守オヤジ系メディアなどでは、下の世代はガマンを知らないので簡単に転職・転社するといったことがまことしやかに語られる。
 しかし、仮に第一次労働市場で働くものが、第二次労働市場で働くものを、一方的に裁いているのだとしたら、これほど不公平なことはない。
 
 実は、ある会社の面接で、面接担当者からこう言われたことがある。その人は中高年男性で正社員だった。
「なんでフリーターなんかしているんだ」
「いろんな会社を経験してみたかったとでもいうのか」
すごんだ物言いに驚き、こわくなった。適当に調子をあわせておいたほうが無難かと判断して、
「ええ、まあそうですけど」
と答えようとするや否や
「#$%&’(()))==~=)(()’&」
よく分からない日本語で、罵詈雑言をわめきちらしていた。

別のとある中高年男性はーー彼は結構いい労働環境で働き、昇進もしているーーわたしに向かって次のように怒鳴り、叫び、キレていた。
「馬鹿が、その歳にもなって、フリーターなんかしていていいと思っているのか!!!」

ああ、これは話にもならないなあと思い、
「まことに、申し訳ありません」
と謝っておいた。内心、バカバカしさとむなしさでいっぱいだった。

 若者の弱さを嘆き、叫び、あげつらうオヤジたちよ。あなたがたはどこにいますか? どういった職場で働いているのですか? その職場にいられるのはなぜですか?

 そう問いたい気分でわたしはいっぱいである。読者は、どうだろうか。






若い世代を叩く言葉

2005-02-03 22:46:43 | 世代
▼ある掲示板の哲学板のニート関連スレッドよりコピペ

256 名前:考える名無しさん :05/02/03 21:34:29
それにしてもなんでこう次から次へと若い者を叩く為のツールが発明されるのだろう。
「新卒を雇わない会社」を一言で斬る言葉はないのに。


257 名前:考える名無しさん :05/02/03 21:37:43
「新卒を雇わない会社」はない。
「新卒を雇えない会社」があるだけ。
そういう会社を「老害社」という。


258 名前:あるてるのー :05/02/03 22:31:54
>>256-257
に同意。ジェンダーの視点も入れると、家父長・中高年男性の権利しか守らない
組合は団体じゃなく男体。若い世代のフリーターの男性も排除されている。
会社にしか労働がないとか、社会がないとか思い込んでいるから、
当然ニートの権利も無視。


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ちなみに、あるてるのーは自分のHNです。
「男体」というのは、一人で核家族一家を養える男らしい男の権利として初期の労働運動が行われたこと、それが今日にひびいていることを揶揄しているのです。
そこでは、フリーターや保障・手当てが崩されつつある若手の男性正社員、あるいは女性ははじめから「労働者」としてイメージされていないのです。
もちろん、最近はそういう問題を扱う組合も増えているのは頼もしい限りです。しかし、雰囲気としてはやはり上の世代の男性中心の傾向があるのも事実です。
会社での労働だけが労働なのか? 学校での教育だけが教育なのか? という点でも意見が分かれるでしょう。わたしは労働や教育を会社や学校に限定しない立場ですが、読者は?

若い世代を叩く言葉はどんどん出来る。けれど上の世代を叩く言葉はなかなか出てこない。90年代半ばに宮台真司が「家父長制バカオヤジ」を流行らせたあと、パンチの効いた言葉がありません。
何でもいいから叩きあえばいい、言論プロレスを楽しもうとここで煽っているのではありません。ただし、民主主義は民衆が権力者から恐れられているときに機能するとモンテスキューは「法の精神」で述べているのは事実でしょう。
 ここでは、若い世代が上の世代からナメられないためにも、おかしな上の世代を叩く言葉を多数作って共有する必要があるのではないでしょうか? それこそが対等な話し合いへの基礎づくりだと思うのですが、どうでしょうか。

たとえば、NCAAA(ヌカアー)なんてどうでしょうか?
Not in comunity,Autonomical learning power,Autonomical healing power,Autonomical walking power.
 つまり、地域社会・家族社会の中に住んでおらず、自律的な学ぶ力がなく、自律的な癒す力がなく、自律的な歩く力がない。
 休日には郊外で買い物をすませ、地域商店街を荒廃させ、受験勉強で子どもをキリキリまいさせ、専業主婦を家の囚人としてしまう人間です。(世代を問わず人口の何割「いない」かな?)

そのほか、Not in Tools for Convivienciality、Vancance,GMOfree food,Enviormental hormone free enviorment,Water as comons, BSEfree food,Non Hyper mobile society,Peacefl World……とか何とか、いろいろ組み合わせて上の世代を悪の象徴にしながら世相を斬れそう(それにしても特定世代のことだけではありませんね(>_<)。

これなんて、企業戦士に代わる上の世代叩きになるでしょうか……。みなさんに何かよい案があればコメント・TBをよろしくお願いします_(_)_。

〔細かい間違いを2月9日訂正しました。〕