<対談にて>
大阪天満橋で開催されたコムニタス・フォロ主催の芹沢俊介・高岡健の対談集会に行ってきた。
高岡健の話はあまり聞きたくなく、気が重かった。一度この人のシンポジウムを聞いて、女性差別的な雰囲気を覚えたのと、あまりにも金持ち中心に見える話にうんざりしていたため。
しかし一方、芹沢俊介の話なら聞いてみたいと思っていた。本はいくらか読ませてもらっていたけれど、ライブは初めてだったので。
ゆううつや頭痛が入ったりしながら、なんとか一時間ほど送れて会場に到着する。
ちょうと不登校の話が終わり、ひきこもり→ニートの方面に話が移ったところだった。
ひきこもりについて、高岡健の言うことはよくわからない。リアリティがない。ある女性作家をおとしめつつ紹介するところには吐き気さえもよおした。医者の世界は女性差別がきつくて、「女医」さんが冷遇されがちだと医療職の友人から聞いたことがあるが、彼も例にもれないのだろう。
芹沢俊介の言うことは、けっこう実感がこもっている。理論はともあれ経験的には納得できるような気がする。さすが吉本隆明の弟子、といったところか。
基本的にわたしは講演者のお二人と同じ志向性を持っている。
集団や組織よりも個人のほうが大事。
ウィニコット風に言う「する」よりも「ある」。
言い換えれば、デカルト風に「われ思う、ゆえにわれあり」ではない。
むしろアウグスティヌス風に「われある、ゆえにわれ思う」なのだ。
その要点は確認したうえで、批判的検討に移りたい。
<同意できない点>
同意できないのは、日本にも若年ホームレスはいるということだ。
子ども時代から脱進歩主義に傾斜しているわたしとしては、高岡健の言う「日本は進歩した社会だから、若い人がホームレスになっていない。それはすばらしいことだ」といった主張に反対したい。
国にもよるが、家族や親族・友人の家に居候しているのもフランスや韓国ではホームレスとして数えている。日本のように、路上に放り出されなければホームレス認定しないのとは違う国もあるのだ。
また、ホームレス寸前でインターネットカフェを利用するフリーターは、わたしの知る限り7年ほど前から存在する。最近やっと大マスコミも報道して、一般にも知られるようになった。そういう人たちの苦業・生活苦を隠蔽してはいけない。
実はわたしもそれすれすれの状況に置かれている。親福祉もあとどれほど持つのかわからないのだ。
また、同じような中卒のフリーターで、借金をかかえ、体を壊す破壊的な労働に向かっていっている男性もいる。
一日でも休めば貧しい暮らしさえ成り立たないのだ。
ときおり、「死にたい」ともらすメールを送ってくる。読むだけで自分まで死にたくなってくる。
そういう苦しみを、安くとも年収700万円くらいの医者は、正直言って分からないだろう。しかし、分からなくてもいい。人の苦しみを、苦情を検閲するような真似さえやめてくれたら。
また同意てきない点のふたつめは、進歩した社会の問題に言及していないことだ。なぜならば、上記の問題は、日本が進歩した社会だからこそ起こっていることだ。コンピューターの普及により、事務労働者の削減が可能になった。
また、第三次産業とはいっても、医者のような相対的な高給取りよりも、そういった人たちに奉仕するスーパーの店員、ファミレスなど外食産業の従業員などのほうが雇用数は多い。そしてそれらの職は低賃金・細切れ雇用なのである。たいていの場合昇進とは無縁どころか、長く働くほど職場から必要とされなくなる。
高岡は、それに対して人生の前半における生活保障という広井良典の福祉プランを支持する。
しかし、それでは不十分だ。人生のあらゆる時期におけるセーフティネットが求められている。
今や政治家さえもアルバイト時給倍増を提唱している。それを抜きにして、福祉に頼るという屈辱的な立場を増やせばいいといいうものではない。
だいいち、それまでに正社員になっていたら身についたであろうスキル、人脈、自信、中産階級的な「自然」なふるまい、ビジネスにおける礼儀作法……といったものを、5年も10年もアルバイトをしていたら身につけられない。もちろん会社も社会もそれを評価しないし信用もない。
その問題があるにもかかわらず、「日本は進歩した社会」と自画自賛していてはいけない。
<問題はいつでも・どこでも>
進歩したならば、別の局面のマイナスも作られる。それにいかに対処するかが重要だ。
医者に患者の治療以外の策まで求めることは、八百屋に行って肉を求めるようなものだろう。
しかし医者が、特に精神科医が社会評論をするのならば、評論として妥当な内容のものを情報消費者として求めたいものである。
なお、日本だから○○から逃れられるとする発想は、日本も地球にある一国だという視点を欠いている。
経済のグローバル化によるマイナスの影響ーー社会的排除、ワーキング・プア、若年ホームレスなどーーが、一人日本だけは関係が無いということは、少なくとも今の日本のアメリカ追従の政策を見ても、当てはまらない。
日本も他の国・地域との交流・相互影響のもと存在を形作っていることを忘れてはならない。
大阪天満橋で開催されたコムニタス・フォロ主催の芹沢俊介・高岡健の対談集会に行ってきた。
高岡健の話はあまり聞きたくなく、気が重かった。一度この人のシンポジウムを聞いて、女性差別的な雰囲気を覚えたのと、あまりにも金持ち中心に見える話にうんざりしていたため。
しかし一方、芹沢俊介の話なら聞いてみたいと思っていた。本はいくらか読ませてもらっていたけれど、ライブは初めてだったので。
ゆううつや頭痛が入ったりしながら、なんとか一時間ほど送れて会場に到着する。
ちょうと不登校の話が終わり、ひきこもり→ニートの方面に話が移ったところだった。
ひきこもりについて、高岡健の言うことはよくわからない。リアリティがない。ある女性作家をおとしめつつ紹介するところには吐き気さえもよおした。医者の世界は女性差別がきつくて、「女医」さんが冷遇されがちだと医療職の友人から聞いたことがあるが、彼も例にもれないのだろう。
芹沢俊介の言うことは、けっこう実感がこもっている。理論はともあれ経験的には納得できるような気がする。さすが吉本隆明の弟子、といったところか。
基本的にわたしは講演者のお二人と同じ志向性を持っている。
集団や組織よりも個人のほうが大事。
ウィニコット風に言う「する」よりも「ある」。
言い換えれば、デカルト風に「われ思う、ゆえにわれあり」ではない。
むしろアウグスティヌス風に「われある、ゆえにわれ思う」なのだ。
その要点は確認したうえで、批判的検討に移りたい。
<同意できない点>
同意できないのは、日本にも若年ホームレスはいるということだ。
子ども時代から脱進歩主義に傾斜しているわたしとしては、高岡健の言う「日本は進歩した社会だから、若い人がホームレスになっていない。それはすばらしいことだ」といった主張に反対したい。
国にもよるが、家族や親族・友人の家に居候しているのもフランスや韓国ではホームレスとして数えている。日本のように、路上に放り出されなければホームレス認定しないのとは違う国もあるのだ。
また、ホームレス寸前でインターネットカフェを利用するフリーターは、わたしの知る限り7年ほど前から存在する。最近やっと大マスコミも報道して、一般にも知られるようになった。そういう人たちの苦業・生活苦を隠蔽してはいけない。
実はわたしもそれすれすれの状況に置かれている。親福祉もあとどれほど持つのかわからないのだ。
また、同じような中卒のフリーターで、借金をかかえ、体を壊す破壊的な労働に向かっていっている男性もいる。
一日でも休めば貧しい暮らしさえ成り立たないのだ。
ときおり、「死にたい」ともらすメールを送ってくる。読むだけで自分まで死にたくなってくる。
そういう苦しみを、安くとも年収700万円くらいの医者は、正直言って分からないだろう。しかし、分からなくてもいい。人の苦しみを、苦情を検閲するような真似さえやめてくれたら。
また同意てきない点のふたつめは、進歩した社会の問題に言及していないことだ。なぜならば、上記の問題は、日本が進歩した社会だからこそ起こっていることだ。コンピューターの普及により、事務労働者の削減が可能になった。
また、第三次産業とはいっても、医者のような相対的な高給取りよりも、そういった人たちに奉仕するスーパーの店員、ファミレスなど外食産業の従業員などのほうが雇用数は多い。そしてそれらの職は低賃金・細切れ雇用なのである。たいていの場合昇進とは無縁どころか、長く働くほど職場から必要とされなくなる。
高岡は、それに対して人生の前半における生活保障という広井良典の福祉プランを支持する。
しかし、それでは不十分だ。人生のあらゆる時期におけるセーフティネットが求められている。
今や政治家さえもアルバイト時給倍増を提唱している。それを抜きにして、福祉に頼るという屈辱的な立場を増やせばいいといいうものではない。
だいいち、それまでに正社員になっていたら身についたであろうスキル、人脈、自信、中産階級的な「自然」なふるまい、ビジネスにおける礼儀作法……といったものを、5年も10年もアルバイトをしていたら身につけられない。もちろん会社も社会もそれを評価しないし信用もない。
その問題があるにもかかわらず、「日本は進歩した社会」と自画自賛していてはいけない。
<問題はいつでも・どこでも>
進歩したならば、別の局面のマイナスも作られる。それにいかに対処するかが重要だ。
医者に患者の治療以外の策まで求めることは、八百屋に行って肉を求めるようなものだろう。
しかし医者が、特に精神科医が社会評論をするのならば、評論として妥当な内容のものを情報消費者として求めたいものである。
なお、日本だから○○から逃れられるとする発想は、日本も地球にある一国だという視点を欠いている。
経済のグローバル化によるマイナスの影響ーー社会的排除、ワーキング・プア、若年ホームレスなどーーが、一人日本だけは関係が無いということは、少なくとも今の日本のアメリカ追従の政策を見ても、当てはまらない。
日本も他の国・地域との交流・相互影響のもと存在を形作っていることを忘れてはならない。