新・桜部屋

主に伝統芸能観劇記。
その他鑑賞日記

五月大歌舞伎(於:新橋演舞場)“しびれ酒は女の知恵”

2012-06-02 01:02:47 | 歌舞伎鑑賞雑記
昼の部(5月17日観劇)
「女殺し油地獄」は上演されるたびに観に行く作品です。
小学校の頃に子供向けの近松作品書き下しで読んでから,マニアと言ってもよいくらいとりつかれているようです。
愛之助の与兵衛はもったいない若さ。そもそもが不条理で理不尽な行動をとる与兵衛のこと,それを「分からない」で演じてはならないと思います。「私(与兵エ)も,どうしてこういう行動をとるのか“分からない”」という衝動と混乱を演技でみせて,観客をねじ伏せてしまう勢いがあってもよいのではないでしょうか。型とセリフはさすがに松嶋屋仕込み。まだ肚に落ちてこない部分も多いですが,これからが楽しみです。
兄嫁おさわに福助。亀次郎の時にも感じましたが,華のある役者が演じると殺しの場が生々しくなってしまうようです。秀太郎,孝太郎の演じた兄嫁が(華がないという意味ではなく)非常に収まりがよくて大坂の町屋での殺しの場らしかったと感じます。母に秀太郎,心配な滑舌ですが立っているだけで河内屋というお店の輪郭が明確になるよう。
殺しの場は三味線が見事。みぞおちのあたりがすうぅと寒くなるような音色。
次は,いつ・どこで・だれが演じてくれるのか楽しみです。

紅葉狩り
福助のスリリングな扇遣いが楽しめる舞踊。

西郷と豚姫
この手のおもしろみとおかしみとさみしさを含んだ芝居を見るだに,翫雀がいい役者になったと感じます。見た目はもちろん,セリフの間の取り方が絶妙。ちらりとのぞく切ない女心も以前のように過剰ではない。夜の部にも共通する肩の力が抜けたよい芝居。

夜の部(5月24日観劇)
椿説弓張月
約10年前に玉三郎で観て以来。2部より他は全く記憶に残っておりませんでした。
その原因は戯曲のあまりの散漫さ。豪華絢爛な伝奇絵巻に三島の嗜好をふんだんに盛り込んだ結果です。本のせいなのか演出のせいなのか,舞台が平坦に見えてしまうことが不思議です。道具に多くの趣向を凝らしているものの,板に奥ゆきが感じられません。
2部の琴責めの場は,相変わらず劇場がいたたまれない空気に。下帯一枚で責め苦にあえぐ薪車さんの肉体美。
3部では安達ヶ原の鬼女を下敷きにした鬼婆の役を翫雀。悪と善と情すべてが混沌としている悪婆が,片肌脱ぎを恥じらって直す仕草のおかしさとかなしさ。
鷹之資にかかる「天王寺屋」のかけ声に目頭が熱くなりました。見得を切るその手,その顔。まるで二人羽織のように富十郎の型へ手元が動いていたのです。
源為朝に染五郎。彼の人造美のような容姿がまさにはまり役。幻視者としての為朝,幕切れで白馬にまたがり時空を超越する姿は,理屈抜きで芝居をまとめ上げる人外の美です。
全幕を通して荒唐無稽な役柄の染五郎や七之助の作り物めいた美が印象に残り,時代物らしくきっちり演じている愛之助と福助の存在が薄く感じられました。実のあるものが虚よりも軽い,不思議な空間です。
観劇者は外国人の方が多数。とくに切腹場面では大喝采。三島とフランス人の相性がよいせいか,客席からはフランス語がちらほら聞こえました。
そんな雰囲気も加わって,葉月中空の弓張り月を楽しみ尽くすことができた一夜でした。



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